思い出の本
「酷い目に遭いました」
「第一声が元気そうで何よりだ」
汚部屋……実幸さんの部屋の片付けをなんとか終えると、僕と千馬さんは隣の家にお邪魔していた。というのも、実幸さんに「じゃあ次はここから隣に行ってくださいね~」と言われたからである。そして実幸さんは何故か部屋の窓を開け放ち、綺麗に整えたベッドの上で寝始めてしまった。マジで自由過ぎないかこの人。
で、ここというのはどうやら窓のことらしい。そこにも窓があり、恐る恐る身を乗り出すと、春松くんが窓を開けて出迎えてくれた、というわけである。
僕は実幸さんから春松くんの部屋に飛び移り、千馬さんもひぃひぃ言いながら飛び移った。
「なんですかこの移動方法」
「昔から俺たちはこうやって部屋行き来してるから。わざわざ下行ってもう1回上行くの、怠いからなぁ」
「……不純異性交際」
「お前、次同じこと言ったら二度と口聞けなくしてやるからな」
「ひぇぇぇぇ!?!?!?!?!?」
「春松くん、後輩を虐めないでください」
「じゃあ俺と実幸が付き合う可能性なんてほんの1マイクロミリも存在しないことを事前に教えておけ」
いや知らんし、と思う。春松くんに睨まれた千馬さんは、僕の背中に隠れてすっかり震えあがってしまっていた。なんかもう、色々めんどくさい。
でもまあ、そういえば春松くんは同性しか好きにならないんだっけ。それじゃあ実幸さんを好きにならないのも納得……だが、そうなるとやはり僕の口から勝手に伝えて良いことではないだろう。よって、春松くんは理不尽だ。
「お前、失礼なこと考えてるだろ」
「失礼なこと考えられたくないなら、ご自分の言動が理不尽になっていないか確認してから発言してもらってもいいですか?」
「ひぇぇぇぇ、喧嘩しないでください~……!!」
僕と春松くんは睨み合い、千馬さんが震えた声で僕たちの間に割って入る。その姿を見て、僕たちは思わずキョトンとなった。
「……大丈夫ですよ、千馬さん。別に僕たち、本気で喧嘩してるわけじゃないので」
「……へっ?」
「いちいち真剣に喧嘩してたら疲れるだろ。挨拶みたいなもんだ」
「ぶ、物騒な挨拶……」
僕たちの言いように、千馬さんは戸惑ったようにそんな感想を告げる。まあ、物騒だというのは否定しない。
「一応、気心が知れた友人ですから。こういう軽口も叩けるんです」
「へぇ、伊勢美、俺のことをそんな風に思ってくれてたのか」
「……先に僕のことを友人だと言ったのはそっちでしょう」
春松くんと2人で遊びに行った日。あの時友達記念にと貰ったぬいぐるみは、一応まだちゃんと持っている。大きくてモフモフで、言葉も気に入ってるし……。
そういえばあのぬいぐるみ、千馬さんが今も抱きかかえているぬいぐるみに少し似てるかも。
そんなことを考えていると、僕と目が合った千馬さんが一言。
「……不純異性交際……」
「この世とあの世の狭間を彷徨うツアーチケットをプレゼントしてやろうか」
すぐに春松くんがそんな風に返し、千馬さんはまたひぇぇぇぇと悲鳴を上げて僕の背中に隠れるのだった。
「で、だいぶ無駄話したけど、実幸からはなんて聞かされてるんだ?」
「なんて、とは?」
「俺の部屋に来させた理由」
春松くんは勉強机用椅子の上で胡坐をかき、勉強机に頬杖を付きながら、ふてぶてしい態度でそう尋ねる。一方床に座る僕たちは、思わず顔を見合わせた。
「……特に何も。『ここから隣に行ってください~!』……って言われただけなので」
「茜も何も……聞いてないですね」
「はぁ? あいつ、丸投げかよ」
春松くんはそう言って眉をひそめる。顎に手を添え、何かを考え込む様子だったが……すぐに顔を上げると、再び僕たちに問いかけた。
「じゃ、実幸とは何を話した?」
「うーん……片付けが苦手って話です」
「実幸がか?」
「僕たち全員が、です」
「……へぇ」
「なんですかその目」
「いや、お前はそういうの得意そうな気がしたから、意外だなって」
なんか小馬鹿にされているようでだいぶ腹が立つが。
「……あとは、言葉の話をしました」
「言葉さんの? ……あ~、なるほどな」
僕がその名前を出すと、彼は少しだけ考え込み……すぐに合点がいったらしい。しかしその真意を尋ねる前に、彼は椅子から立ち上がってしまった。
そして彼は大きな本棚の前に立つ。数多く存在する本をぐるっと見渡し、うーんと声を出した後。
「伊勢美、悪いがこの本を言葉さんに貸してやってくれないか」
「え? 別にいいですけど……って量多っ」
「暇潰しは多い方が良いだろ。まあ、今の言葉さんは気分的にちょっと読むのが大変かもしれないが……返すのはいつでもいいからって伝えておいてくれ」
ずしっ、と腕にのしかかる重さ。それなりに分厚い小説本が5冊。言わずもがな持ち運ぶのは大変なので、僕は「A→Z」でそれを消しておいた。
「伊勢美も何か借りてくか?」
「いや、言葉を探す方が今は大事だから……遠慮しておきます」
「そうか。千馬は?」
「あああっ、茜!? ……茜はその、あんまり本は読まないから……」
「ふーん、じゃあこれ貸してやるよ。読みやすいぞ」
「これ……児童書?」
「読書習慣の入門に児童書はめちゃくちゃ良いぞ。文字が大きいし、ものによっては挿絵が入っていて視覚的にも楽しい。何より子供騙しじゃない壮大な物語の数々、読んでおいて損はない」
「急にめちゃくちゃ饒舌になるじゃないですか」
よほど好きな本らしい。千馬さんが勢いで受け取ってしまった児童書の表紙を盗み見て、こっそり題名を心の中にメモしておいた。
「言葉さんが好きなんだよ、その本」
「……小鳥遊言葉が?」
春松くんの言葉に、千馬さんがそう聞き返す。彼は小さく頷いた。
「本がボロボロになるくらい何度も読み返してて、そんなに面白いなら俺も読んでみるか、って買ったんだよ」
「……そうだったんですか」
「あの人、まだ本の内容、覚えてるかな」
本の表紙に目を落としながら、春松くんは宙に問いを投げかける。もちろん答える人など誰も居なくて。
「……とりあえずその本、預かりましょうか」
僕が千馬さんにそう声を掛け、あ、お願いします……と千馬さんは答える。僕は「A→Z」でそれを消した。
……僕、本を読む時間が次に取れるのは、いつになるんだろうな……。




