面白い感情
「……母さんの言うこと、よく分かんない」
「うぐっ」
そしてしばらく黙ったジンが告げたのは、そんなことで。思わず僕は小さく悲鳴をあげる。
い、いや、確かに自分でもめちゃくちゃなこと言ってるなとは思ったけど……。
そんな僕の肩を、ドンマイ、とののかが軽く叩いて。どうしよう、もう1回伝えてみるか? 話したいことちゃんと整理する時間貰うか……と僕がグルグルと考えていると。
「分かんない、けど」
僕は顔を上げる。ジンは真っ直ぐに僕を見つめていた。
「母さんが、わらわがお母さんの願いを絶対叶える必要はないって考えてるってことは、分かった」
「……!」
「それで、わらわがわらわ自身の願いを持ってほしいってことも」
分からないと言った割に意外と結構伝わってるな……と心の中で呟く。いや、これあれか。事象は理解したけど意味は理解してないやつか。
「わらわは、お母さんと母さんの願いが叶ってほしいなって思うよ。だって2人のこと、大好きだもん」
「ジン……」
「でも、そうだな、願いかぁ……」
うーん、とジンは顎に指を添え、頭をクルクルと円状に回しながらダイナミックに悩み始める。僕とののかはお菓子とジュースを摘まみながら、その答えを待った。
まあ無理して出すものでもないと思うけど、そう悩むということは少なからず候補はあるということだろう。ジンは思ったことは割とすぐにハッキリ言うタイプだし……。そう考えていると、ジンはピタリと動きを止めて。
「色んな人間と関わってみたい!」
「色んな、人と?」
「うん! ……わらわはね、お母さんと母さんの力と感情から生まれたから。だから、すっごい感情を持ってる人が好きなんだ! 笑ったり、怒ったり、悲しんだり、おっきな感情を持ってる人を見ると、面白いな~、楽しいな~、って思うんだ! だから、そういう人間が見たい!」
「……そっか」
「茜とかすっごく面白いよね! すっごい感情を持ってるんだもん!」
「……千馬さんのこと、気に入ってたもんね」
うん、とジンは大きく頷く。僕は脳裏に千馬さんの顔を浮かべた。いつもオドオドしていて、何かトラブルがあるとパニックになって、でも……内に何かを秘めている人。
具体的にジンはどんな感情を気に入ったのか、僕には分からないが……もしかしたらそれが僕が「内に何かを秘めている」と思っていることの「何か」の正体なのかもしれない。
「あっ、もちろん母さんもすっごく面白いよ! お母さんへの気持ちでいっぱい!」
「え、ええ、なんか恥ずかしいな……」
「そこの君も、母さんへの気持ちばっかだよね」
「当然! 私は灯子の親友だからねっ」
「うわっ。……もう、ののかったら。急に抱きつかないでよ……」
「お母さんも、母さんに沢山の気持ちがあるんだよ」
ジンはそう言って手を横に向ける。思わずその手の先を視線で追うと……そこに黒い粒子が集まり始めた。やがてそれは、1つの形になって──。
「……言葉!!!!」
僕は思わずその名前を大きな声で叫ぶ。教室の床に寝転ぶ形で現れた言葉の背中に、僕は恐る恐る手を添えて。
……あたた、かい。
「言葉……」
もう一度、丁寧に名前を呼ぶ。すると彼女の睫毛が、ふるりと小さく動いた。……そして、開く。赤い瞳が、僕の姿を映して。
「……とう、こ」
その口が、名前を呼ぶ。僕の鼓膜を確かに揺らす。
涙が滲んだ。ずっと会いたかった。1人にしたくなかった。……1人にしてほしくなかった。貴方がいてほしかった。貴方に生きていてほしかった。
僕は言葉に覆い被さるように抱き着く。嗚咽が口から漏れて、言葉はゆったり体を起こすと……少し遠慮したように、僕を抱きしめてくれた。
「……やっぱり2人とも、すっごく面白い気持ちでいっぱいだ」
ジンが小さく言葉を零す。答えられない僕の代わりに、そうだねぇ、とののかが返すのが微かに聞こえた。
言葉にここまでの経緯をなんとなく説明した。言葉は相変わらずぼーっとした表情で相槌を打ち、駆け足の説明になってしまったが理解できたのだろうか、と僕が不安に思っていると。
「……なんとなく、ジンの中から全部見てた。だから、大丈夫」
僕の突拍子もない説明に戸惑う様子もなく、そう淡々と言われたので、大丈夫だと思うことにする。
そして言葉もチマチマとお菓子やジュースを食べ始め、それからポツリポツリと話を始めた。
「……ジン、私は確かに、すごく……消えたいって思ってるし、始めから私が存在しなければどんなに平和だっただろうって、そう考えてる」
「お母さん……」
「……でも、それだけじゃないよ。今は……自分でも自分がどういう気持ちか、上手く分からないことが多いけど……それでも、その時々で感じていた楽しさも、悲しさも、嬉しさも、辛さも……全部、嘘じゃない。それを全て消してしまえばいい、というのは……衝動でそうしてしまうには、あまりにも、虚しいと思う」
「むなしい」
言葉の言うことを、ジンは噛み締めるように繰り返す。言葉は小さく頷いて。
「私は、私と出会ってしまった全ての人やもののことを、不憫だと思う。出会わなければ良かったと、思う。……でも、ワガママだけど、その記憶全部が大切な私の、私の一部なんだ」
消えたくない。彼女のそんな願いが聞こえた気がした。口には出さなかったけど、僕の耳には……彼女のそんな声が聞こえた。
だから安堵した。……言葉がそう思っていてくれていることが知れて。
それだけで、ずっと一緒に居た意味は、きっとあったから。
「……じゃあわらわは、お母さんにも、母さんにも……無駄なことをしてしまったんだね」
ごめんなさい、とジンは落ち込んだようにそう謝る。僕が口を開く前に、言葉が告げた。
「……分かるよ」
「……え?」
「ジンが、私たちの願いを叶えるためにやってくれたんだって、ちゃんと分かってる。人は……消えたいと思いながら生きたいと願ったり、相反していて、複雑だから、分かりづらくてごめんね。ジンが叶えようとしてくれたことは確かに、一番願っていたことではなかったけど……それでも、私たちのためにやってくれたことだったんでしょう」
だから、ありがとう。言葉はそう言って──少しだけ、微笑んだ。
それを聞いたジンは──零れ落ちそうなくらい瞳を、大きく見開く。そして嬉しそうに、体全てを使って頷いた。




