貴方自身の願いを
「……ジン、僕はね、確かに後悔することばかりなんだ。もっと人との関わり方を知っていれば良かったって思うし、あの時ののかの話をちゃんと聞けば良かったって思うし、言葉の気持ちを裏切るようなこともしないでいられたら、言葉が死にたいって、消えたいって思わせないままでいられたら、どんなに良かったかって……そう思うよ」
「……うん」
「だから、少しでも夢を見られたことには感謝している。まさか、ののかと高校生活を過ごせるなんて思わなかったから」
僕はののかを見つめる。ののかは優しく微笑んで、次に僕が言うことを分かっているみたいだった。
ジンに視線を戻す。ちゃんと伝わるように、真っ直ぐ見つめて。
「──でもやっぱり僕は、そんな夢をいつまでも見ていられないんだ」
「……どうして? 嬉しかったんでしょ?」
「嬉しかったよ。だからありがとう。……でも僕は、僕が生きるこの世界で生き続けたいんだ」
「後悔ばかりなのに?」
「後悔ばかりだけど、だよ。……だって、後悔だけじゃないから」
それだけで僕の人生は構成されているわけじゃない。
悲しかった。辛かった。苦しかった。……でもそれだけじゃなかった。
「僕が今まで藻掻いて生きてきた時間を、僕と出会った人が、まだ出会っていない人が必死に生きていた時間を、僕は否定したくない。確かにそれは苦しかったけど……楽しかったこと、沢山笑ったこと、貰った言葉、貰った愛……失くしたくないことが、沢山あるんだよ」
その全てが、僕の中で息づいている。
もうあの時間は失ってしまった。永久に、二度と戻ることはない。
だけど、だからといって存在しなかったことにはならないから。
「……母さんは後悔だらけのあの世界を、愛していたの?」
「うん、愛しているよ」
「……そうなんだ」
僕の返事にジンはしみじみとそう呟き、小さく頷く。
「分かったような、分からないような」
「どこが分からない?」
「うーん、どこっていうより……わらわはまだそう思えるほど、あんまり色んな人と関わってないから」
「経験不足ってことね」
思いのほか冷静な分析に、僕は苦笑いを浮かべる。普段は子供っぽい言動、というか子供なのに、急にそう話されるとチグハグで面白い。
だが一応、「僕はあの世界を望んでいない」という一番大事なことは理解してもらったらしい。僕は話し疲れた口をジュースで癒すと、ジンに向き直った。
「それじゃあ次は、ジンの話を聞かせてよ」
「……うん!! あのねぇ、何から話そうかな……」
僕の声掛けに、ジンは再び表情を輝かせて軽く頭を揺らす。そして話すことが決まったのか、意気揚々と口を開く。
気づけばこの世界に意識が存在していたこと。
僕と言葉が母親であることを本能的に理解していたこと。だから僕たちに会いに来たこと。
だけど実体がなかったから、接触に苦労したこと。
言葉の意識に侵入して、言葉の願いを聞いたこと。そして言葉を取り込んでその願いを叶えようと思ったこと。……。
「待って、取り込んだって何」
「取り込んだは取り込んだだよ」
「そんな洗濯物みたいなノリで。……いや、話中断してごめん。続けて」
僕はポテトチップスを摘まむ。ジンは頷いて続けた。
言葉の願いが消えること──そもそも存在しないことだったから、じゃあそうしようと考えたこと。
僕にも会いたいと思ってくれたこと。だけど僕の意識には入り込む隙がなかったこと。
だから僕たちと同じように実体を手に入れたこと。
それで僕たちに会って、僕たちは言葉にまつわる場所を巡っていたから、付いて行ってそこを破壊したら「過去が存在しない」ことになると考えたこと。
でも上手くいかなかったし、僕も同じように後悔していることを知ったから、じゃあ世界を作り直した方が早くないか? と考えてそうしたこと。
だけど僕がそれを壊したこと。
「母さんが言っていること、わらわには正直、よく分かんない。嫌だったことなんて、なかった方が良いでしょ? ……でも、その嫌だったことも分かっちゃうのが大人なのかな」
「……どうだろう。分かってる、ってわけじゃない気もする。ただ嫌だったことの隣にちゃんとあった嬉しさも、同じようになかったことにしたくないだけ」
そっかぁ、とジンは分かったような分かっていないような声で返事をする。まあ僕も、自分が喋っていることがちゃんと分かっているのか……と聞かれると、分からないのだが。
喋りながら、僕は僕の答えを確かめているようだった。
「母さんは、お母さんの消えたいという願いを無視するの?」
「……そうだね。聞かなかったことにして、生きていてほしいっていう僕の願いを押し付けるよ」
「愛しているのに?」
「愛しているからだよ」
確かに彼女が願うことなら、僕はなんだってしてあげたいと思う。それで彼女が幸せになるのなら。
それでもやっぱり、それは聞き入れられないな。
「愛しているから、生きていてほしいんだ。それが僕の願い」
「願い」
「ジンは、何か願うことはないの?」
ふと僕が問いかけると、ジンは不思議そうに首を傾げる。僕、そんなに変なことを言っただろうか。
「わらわはやりたいことは全部自分でやるから」
「なんでも出来るタイプだったか。……でもそうは言っても、ジンに出来ないこともあるでしょ?」
「出来ないこと?」
「うん。……例えば、僕に夢を見続けさせることとかね」
僕はそう言って胸に手を当てる。ジンは驚いたように目を見開いた。
「ジン、人の想いも願いも、どうにも出来ないんだよ。簡単に奪えないし、簡単に変えることは出来ない」
「……」
「だけど、人の行動とか言葉で、変わることもある。……僕がののかの言葉にいつも支えられてたようにね」
「え~、照れるなぁ」
「……それでも受け入れるか突っぱねるか、それを選ぶのもその人なんだ。人が出来ることなんて、ほとんどない」
「……今母さんが、わらわにこうやって話していることも?」
「そうだね。……選ぶのはジンだよ。貴方は選ぶ権利がある。僕や言葉の言うことを受け入れたり、突っぱねたりする権利が」
ジンは何でも出来るのかもしれない。だけどそれを使って絶対に言葉の言うことを受け入れて実行する必要なんてない。ましてや、僕たちのために動くことも。
この子には実体がある。人間じゃないらしいけど、僕には立派な人間に見える。
ジンは自分で考えて、何かを感じて、選ぶことができる。
「貴方の願いを、誰かが受け入れるかもしれない。誰かが突っぱねるかもしれない。それでも貴方は実現しないかもしれないことを願うことができる。……言葉や僕のためじゃない、〝貴方自身〟の願いは、ある?」
僕は出来る限りの言葉を尽くして、尋ねる。ちゃんと伝わっているか分からない。でも。
聞きたいと思った。僕たちから生まれた、この存在の願いを。




