お伽噺
立ち上がった少女は、土下座した拍子に脚やスカートについた土埃を手で軽く払う。そしてそのまま美しいカーテシーを披露した。
「灯子ちゃん、夢からお話はかねがね聞いています。私は小波実幸……どうぞよろしくお願いしますっ!!」
「え……ああ、僕は、伊勢美灯子です……」
「はいっ!! あっ、私も夢と同い年なので、灯子ちゃんとも同い年ってことになりますから、『実幸♡』とか気軽に好きなように呼んでくださいね~!! 敬語もなくて大丈夫です!! あ、私のこの敬語は癖みたいなものなので気にしないでください!! えっとえっと、あと私も夢と同じで魔法使いで~……」
「実幸、いっぺんに喋るな。戸惑ってるだろ」
少女──実幸さんの勢いに押されていると、その首根っこを春松くんがガシッと掴む。僕は思わず安堵の息を吐いた。
「えっと……貴方が魔法使いということは、春松くんが言っていたことから何となく察しています。……実幸さんは、言葉を探すのを手伝ってくれる……ということで、いいんですか?」
はーなーしーてー、と両腕をブンブンと振り回しながら抗議をしている実幸さんに、僕はそう問いかける。すると彼女は、ぴたっと動きを止めた。
彼女はそのまま、僕のことをジッと見つめる。大きく丸いその瞳に、戸惑ったような表情をしている僕が写り込んでいた。……なんでジッと見られてるんだ、僕は。
笑ってもいない、どういう感情なのか分からない表情。そのまま見つめられ続けるのは、何と言うか……怖い。動くことも出来ないまま、僕は固まっていた。
「……それは考え中です♡」
「……えっ」
すると急に実幸さんがニコッと笑う。そして僕は思わず驚きの声をあげた。
聞いておいてあれだが、手伝ってくれるものだと思っていた。だって春松くんがそういう風に言っていたわけだし……。……いや、あれ、別に言ってないか……。本物を紹介してやるって言われただけで……。
だけどそれにしても、この人は何というか……すごく良い人そうだし、すぐに「やっちゃいますよ~~~~!!!!」とか言いそうだと思っていたのだが。
……いや、そんなことを言っていても仕方ないな。僕は今後どうすればいいのか分からない。春松くんが言うには、一筋縄にはいかないらしい。今の頼みの綱は、この人だ。──だったら、説得しなければ。幸いにも「考え中」と言われただけで、「嫌だ」とまでは言われていない。
「……理由を尋ねても?」
「私が、貴方のことをよく分かっていないからです」
「それは……さっき自己紹介を……」
「少し、お伽噺をしましょうか」
「は?」
突然何を言い出すんだ、と思い、僕は思わずそんな声をあげる。しかし彼女は気にする様子もなく、歌うように言葉を紡ぎ始めた。
──────────
「あるところに、1人の女の子がいました。彼女はとっても心優しい少女。あまり多くを語らず、しかし見ず知らずの人のことも慮り、誰かの幸運に口を綻ばせ、誰かの不幸に涙を流すような……そんな少女でした。
しかしそんな心優しい少女を、悲劇が襲います。彼女の純真さを狙った悪い人間が、その美しい心に牙を立てたのです。
彼女は痛がりました。恐怖に涙を流しました。しかし悪い人間は牙をしまうことはありませんでした。
だから少女はその優しい心を捨てるしかありませんでした。内に秘めた力を使い、隙を生み出して逃げ出しました。
傷を負った少女の心からは、人に対する慈しみという名の血液が流れ落ちました。その傷を埋めるのは、恐怖心。恐怖心を抱いた少女は、周囲の人を前のように大事に思えなくなってしまいました。
そんな少女に、天使が舞い降りました。天使は彼女を優しく抱きしめ、力を分け与えました。……傷ついた時、もう一度立ち上がるチャンスを与える力です。
少女は、また人と関わり合う決心をしました。
しかしその後の少女を襲うのは、様々な人間の裏切りです。その度に彼女は傷つき、悲しみ、恐怖に震え、大事な人の声もどんどん聞こえなくなってきます。
優しい少女は、信じ続けたいと思いました。しかしその思いすら、踏みにじられてしまいました。
……やがて少女は決意をします。全てを壊すことを。
自分を傷つけるもの、悲しませるもの。それらが全てなくなれば、再び優しい世界が訪れるのだと。
少女は全てを壊しました。1つ残らず、世界に存在する光を打ち砕きました。何も残りませんでした。優しさも、憎しみも、光も、闇も、苦しみも、愛も。──残ったのは彼女だけでした。
だから少女は、少女自身を壊しました。彼女こそが、この世界の悪でした。世界を悪くしてしまう癌なのでした。彼女はそれを理解していました。
……悲しい悲しい、堕ちた純真な人間。ただ彼女は、誰かを愛したかっただけなのに。誰かに愛されたかっただけなのに。
心優しい天使の翼のような真っ白な心を持った少女は、1人闇に落ちて、世界を終わらせてしまったのです」
──────────
──……。
何も、言えなかった。
「──はいっ、お伽噺はこれでおしまいですっ!!」
悲しい、バッドエンドのお話だった。しかしそれを紡いだ実幸さんは、弾んだ声でそう言って手を叩く。僕は肩を震わせ、彼女は微笑みながら僕を見つめていた。
「この物語で、彼女は死ななければいけません。彼女は全てを壊します。理由がなんであれ、それは世界の均衡を崩すこと。許されてはいけないことです。誰が止めようとしても、誰が救おうとしても、物語の力が働いてしまうから、変わらない。変えることはできない。彼女はどう頑張っても死ぬ運命なんです」
「死ぬ、運命……」
「貴方はその運命を変えました。一体どうやったんですか? 私が聞きたいのはそこです」
すると話の矛先が急にこちらに向けられる。言われたことの意味を、理解するのに時間を要した。
実幸さんは微笑みながらこちらに手を差し出している。挙手した生徒に発言を許可する教師のように。……いや、発言を求められても……。
……今の「物語」、そして「運命」というのは……どう考えても、言葉のこと、なのだろう。飲み込みづらい、というか、なんかフィクション作品のキャラクターの1人として扱われているようで、少し居心地が悪いが……。
この人の言う通りなら、僕は言葉の「物語」から「死ぬ運命」という展開を、変えたことになる。そしてこの人が求めているのは、どうやって僕がそれをやったかということ。
……。
「……どう、と聞かれても……僕は、言葉を止めたかった。言葉に生きていてほしかった。言葉と一緒に生きたかった、この先も、ずっと、一生……その思いで、必死に動いた。それだけです」
迷った末、僕はそれだけ言う。……それが全てだ。
僕は言葉のことを愛している。だから一緒にいたい。何も信じられなくなった彼女に、愛していると伝え続けたい。それが僕のエゴだとしても。
運命なんて、知らない。……僕は今僕に出来ることを、精一杯やるだけだ。
「……そうですか」
僕の答えに、実幸さんはそれだけ呟く。そして静かに目を伏せ、うーん、と何かを考え始めた。
「……結論から言いますとね、私は、言葉ちゃんがどこにいるのか分かっているんです」
「!?」
「でも、私から答えを提示することは出来ません。私は道を示すだけ。そして……灯子ちゃん、主人公である貴方に立ち塞がる試練となること」
実幸さんは目を開き、手を前に差し出す。……その手に現れたのは、魔法のステッキだった。アニメの中で、変身する魔法少女が持つ必須アイテムのような……可愛い装飾がいくつもついた、魔法のステッキ。春松くんの持つシンプルな木の杖とは、随分と違う。
……え? いや、この展開って……。
僕は思わず後ろを振り返る。そこには何も言わないで完全に空気になっていた春松くんが。そして僕と目が合うと、苦笑いで肩をすくめた。
「頑張れ」
「そんな無責任な……!!!! この人、すごく強いんでしょう!?」
「はい!! 自分でも言うのもあれですが、結構強いですよ~!!」
「……ああもう、必要だって言うならやりますよ……!! 言葉のためですからね……!!」




