力と感情
「……伊勢美、大丈夫か」
僕が壊した世界、その残骸を僕はジッと見つめていた。
それは小学校や中学校、海中要塞で見た黒い人影を撃退した後のあの光景に似ていた。離散したそれは空気中に溶けて、何も残らない。何もない。何もなかったのだ。
あの幸福は、存在しないのだ。
そんなことを考えていた時に、春松くんにそう声を掛けられた。僕が振り返ると、いや、と彼は呟いて。そして何か言葉を続けるより早く、僕は微笑んだ。
「大丈夫ですよ。後悔、していません」
「……」
「ああしないといけなかった。ののかの想いを、皆さんの想いを……無為にしたらいけない。そんなことをしたら、今まで生きていたのが、皆みんな無駄になる」
幸せだったな。そう思う。たぶん1カ月くらいの夢を見た。本当に幸せで、楽しかった。皆幸せそうだった。
それでもその「皆」の中に、言葉はいない。
自分の幸福と同じくらい、言葉の幸福を願った人がいる。それなのに言葉がその幸福な世界の中にいないなら、それはきっと幸福ではない。
そう考えるとその時点で、あの世界は既に崩壊していたのかもしれない。
「……さて、灯子ちゃん。貴方は今から言葉ちゃんを攫い、貴方をあの世界に閉じ込めた者のところに向かい、決着をつけることになると思いますが」
「……はい」
実幸さんが僕の前に躍り出る。微笑みながらそう告げられ、僕は頷いた。
相手はもう分かっている。……ジン。理屈はよく分からないけれど、僕と言葉の子供。僕と言葉の望みを、願いを、とんでもない力で叶えてしまった。……僕にはいらない世話だったわけだけれど。
「その時貴方は、貴方の後悔を見つめるでしょう。貴方の行動の間違いを指摘されるでしょう。貴方は何もしなければ良かったと罪悪感に苛まれ、動くことが出来なくなるかもしれません。貴方はまたあの世界を望むかもしれません」
「……」
「貴方は何度も繰り返す。間違いと後悔を。……覚悟を問いましょう。伊勢美灯子、貴方にとってどれだけ目を背けたいと感じることも、向き合う覚悟はありますか」
真剣に問いかける実幸さんを、僕は見つめ返す。
「今からそれを証明する」
「……良い返事です」
どうやら気に入られたらしい。実幸さんは柔らかく微笑むと、ゆっくり頷いた。
「ジンは未だ、自分がどういう存在なのか正確には理解していませんからね。僭越ながら、私が少しだけ説明させていただきます。一体あれが、何なのか」
「……はい」
確かにそれは、ずっと気になっていたことだ。ジンは僕のことを「母さん」、言葉のことを「お母さん」と呼んでいるが、それは一体なぜなのか。いや、百歩譲って僕のことだけを「母さん」と呼んでいるのなら分かる。僕には「Z→A」という異能力があって、僕が今まで「A→Z」で消してきたものを考えると、理論上は人間を生成することが可能──らしい。だから僕が無自覚に、何かの拍子にうっかり人間を作ってしまった……と言われたら、まだ納得は出来るんだけど。いや、無自覚にでも人間なんて作るとか本当にとんでもないからやめてほしいけど。
それで、ジンとは一体何なのだろう。僕が神妙に頷くと、実幸さんも小さく頷いて続けた。
「灯子ちゃん、貴方は言葉ちゃんと戦いましたよね。人質に取られた生徒たちを助けるため、そして、言葉ちゃんを助けるために」
「……はい」
「貴方たちはとても強い異能力者です。片や国家総動員の軍隊でも敵わないと言われる異能力者。もう片方も、そんな異能力者に唯一対抗しうると言われている、対異能力者特別警察からもマークされている壮大な効力を持つ異能力者です」
「実際対抗できたかは分かりませんが……」
あの時は結局、周囲の生徒たちが異能力で僕をサポートしてくれたわけだし、言葉は途中で戦うことを諦めた。実際に決着を付けたらどうなるか分からない。というかそんな、決着がつきそうな死闘などもうしたくない。
「ジンはそんな、貴方たちの戦いから生まれた存在」
「……え」
「異能力、それも強い異能力者同士の衝突は、高度なエネルギーを生み出しました。更に言うと、貴方たちは異能力を使用する際に強い想いを込めました。愛を、怒りを、喜びを、悲しみを、寂しさを。……力は生命、感情は知識。そこから生まれたのが人間の形を模した、しかし人間とは違う何か」
「……それじゃあジンは、結局何なんですか」
「何なんでしょうね。私たちはあれを表す言葉を持っていません」
少なくとも、と実幸さんは肩をすくめて。
「あれは確かに、貴方たちの子供と言っても間違いではないでしょうね」
「……」
本当に、僕は「母さん」だし言葉は「お母さん」なのか。
僕たちのあの戦いが……対話が、ジンを生み出した。そう言われたら、ジンは僕たちに似ている気がする──なんて気は、本当に欠片も、全く起きないけれど。
「最初に言った通りですが、あれをどうするかは貴方に任せます。害だと思うなら消してしまうことも可能です。貴方には唯一、その権利がある」
ジンのことを思い出す。正直、あの子のことはよく分からない。分かるほど日を過ごしていない、というのもそうだし、あの子自身が、まだ自分のことをよく分かっていなそうだったから。いつもニコニコしていて、なんか千馬さんに懐いていて、子供っぽいというか、気になることがあれば何でもすぐに口に出すからこちらがヒヤヒヤしてしまう。かと思えば急に哲学的なことを聞いてくるし、急に背は伸びるし。本当に目が離せない。
だけど悪い子だとは思わないし、まあ、いち早く消してしまわなければという思いも芽生えない。……小学校や中学校、海中要塞を襲ったこと、実幸さんがここまでドライな姿勢を取っていることを考えると、やっぱりジンは危険なんだろうけど。僕はまだ、その危険性をよく分かっていないのかもしれないけれど。
『わらわは、大好きな貴方たちの願いを叶えたいだけだよ』
きっと、あの言葉は嘘じゃないから。
僕たちがあの子を生み出してしまったのなら、その責任は果たさないといけないから。
「……どうするかは決まったようですね。どんな選択だとしても私は、尊重しますよ」
実幸さんはそう言って微笑む。僕は大きく頷き返した。




