貴方たちの願い
黒い人影を退けると、僕は海中要塞の中に戻った。びしょ濡れだったところを、「Z→A」で風を起こし乾かして。……「A→Z」で消そうとすると、なんせ量が多いので無駄に代償が発動しそうだからな。消去ではなく生成した方がいいこともある。
「伊勢美、やった……のか?」
「なんか実は倒してないフラグみたいな聞き方しないでください。……やりましたよ。もう大丈夫だと思います」
「いや別にそんなつもりなかったんだけど!? ……それなら良かったよ。ありがとう」
「いえ、出るきっかけを与えたのは僕なので」
それを言うなら話したのは俺だけどな、と泉さんは肩をすくめて。
「途中から見てたけど……あれが黒い影か。確かに小さな何かの集合体っていうか、魚の大群みたいに見えたな。海中だから余計に」
「僕も同じことを思いました。……近くで見ていて、何か気づくことはありましたか?」
「いや……ごめん。特に何も。伊勢美、あっさり倒しちゃうしさ」
「千馬さんの力があったからですよ」
僕がそう言うと、横に立ってウトウトしていた(恐らく異能を使った代償)千馬さんが大きく肩を震わせ、こちらを見上げる。ね、と微笑みかけると、茜はそんな、と千馬さんは小さく呟いた。
それはともかく、泉さんの目から見ても黒い人影の更なる知見は得られなかったか。やっぱり、なんというか……本当によく分からないものなんだな。
泉さんにこうして話を聞いたのは、言葉の高校生の時のことを知りたかったのももちろんそうなのだけれど、泉さんとかがあれを見たら何か新しいことが分かるのではないか……という淡い期待があったからだ。まあないと言うのなら仕方ない。
「話も聞けましたし、僕はそろそろお暇しようかと思います。泉さんは……まだ調査ですか」
「まあね。やっぱり、小鳥遊のこと心配だし」
「……心配し過ぎで倒れたら元も子もないですからね」
「その言葉、そっくりそのままお返ししてあげるよ」
僕がそう言うと、泉さんは苦笑いを浮かべながらそう言ってくる。まあ、僕もほぼオールだからな。
というわけで僕、千馬さん、ジンの3人は海中要塞を後にしようと歩き出す。……しかし僕は腕を掴まれ、足を止めた。振り返ると、そこには忍野さんの姿があって。
「……お前、よくあんなやつら連れてるな」
「え?」
かと思ったらそんなことを囁かれる。彼は半分呆れたような表情をしながら言葉を続けた。
「どっちもマトモじゃねぇぞ。いつ後ろから襲われるか分からない」
「……なんですか、心配してくれてるんですか」
「お前の能天気さが信じられないだけだ」
僕は苦笑いを浮かべる。忍野さんの意見は、確かにご尤もだ。
「分かってますよ。分かったうえで、連れてます」
「……そうかよ。なら、余計な時間だったな」
忍野さんはそう言って僕の腕から手を離す。それを確認して視線を前に戻すと、千馬さんが不思議そうに……ジンは微笑んで、こちらを見つめていた。
僕は2人の元に小走りで寄る。そして今度こそ、海中要塞から出るための移動装置に乗り込んだ。
「千馬さん、先程はありがとうございました」
「……え」
僕がお礼を言うと、千馬さんは戸惑ったように聞き返してくる。黒い人影の対処のことです、と僕が付け足すと、ああ、と彼女は呟いた。
「茜は、何も……ほとんど会長さんがやっていましたし……」
「そんなことないですよ。僕は、出来ることは多いですがその分威力が弱いので……」
僕は苦笑いを浮かべながらそう言うが、千馬さんは控え目に笑い返すだけだった。……やはり、中学校に訪れた後から元気がないなと思う。なんか海歌さんと話していたようだが、何かあったのだろうか。海歌さんは優しい人だから、千馬さんが傷つくようなことは言わないと思うけれど……。
……千馬さんは、こちらの言葉を深読みしすぎてとんでもない意味に受け取ることが、よくあるからな。今回も色々考えすぎて別の意味で受け取って……とそういう勘違いをしているのかもしれない。
聞いた方が良いのだろうか。それとも放置しておくべきだろうか。そう考えていると、ふと目の前に割り込む影が。僕は目を見開いたが、すぐに微笑んで口を開く。
「……どうしたの、ジン」
「わらわ、さっき動かないでいたから褒めても良いよ」
「ああ……うん、偉いね。危ないことには、ならなかった?」
「ず~っと揺れてただけだったから、別に危なくはなかったよ!! だからわらわ、ず~っと椅子に座ってた!!」
言われた通りに褒めると、ジンは心の底から嬉しそうに笑う。そして僕たちが立ち去った後のことを教えてくれた。そうか、危険がないなら良かった。……。
千馬さんもジンもマトモではない。忍野さんはそう言った。その言葉の意味は、よく分かる。千馬さんはあからさまに何かを隠している──恐らく言葉関連のことで──し、ジンは……ただ無邪気に目の前のことを楽しいものとして受け止めているだけのように見えるけれど。──でもやはり、「この子は恐ろしいものだな」という印象が抜けることはない。なんだろう、ずっとその理由を言語化できないけれど。
ただ本能が常に、危険信号を鳴らしている。
……ジンが言うに、この危険な子は僕から生まれたらしいけど。
「ねぇ、母さん」
「ん、何?」
と考えていると、ジンが僕のことを呼ぶ。意識を前に戻すと、ジンは何か考え込むような顔で、僕に問いかけた。
「過去って、そんなに嫌なものなの?」
「……どうして?」
問いかけの意味が上手く理解出来ず、僕はそんな風に聞き返す。前で千馬さんが足を止め、こちらを振り返っていた。
「母さん、昔の話を聞くたびに苦しそうだから。わらわ、生まれたばっかだからよく分かんない」
「ああ……そういう」
苦しそう、か。それはもちろん、昔の言葉の気持ちとかそういうのを思って悲しくなるから、なんだけど。……それだけじゃなくて。
「……嫌というか、悔しい、かな」
「くやしい?」
「うん。……そんな風に生きていた人を、僕が、僕の行動で更に苦しめてしまったから。僕は……自分の過去の行動を、ずっと悔いている。どうしてあんなことをしてしまったんだろうって」
あんなに大切に、大事に思われていた人を。あんなに大切に、大事に思ってくれた人を。僕の行動が全て台無しにした。
言葉のことだけじゃない。ののかのことも。僕が全て悪い。
もう二度とそんな行動はしないように気を付けているし、もししてしまったらその間違いを取り戻せるよう、頑張るつもりだ。過去は取り消せない、取り戻せないから。
前を向いて生きていくと、決めたから。
「……ふーん、そういうものなんだ」
ジンは感心したようにそう頷く。まあこれは僕の場合だけどね、と言葉を続けようと口を開く、その前に。
「お母さんも同じこと言ってたな」
「……お母さん?」
突然ジンの口から、新しい登場人物が出てくる。僕じゃない、お母さん?
僕が聞き返すと、あっ、とジンは口を手で抑える。やっちゃった~、と照れたように笑うと。
「……まっ、いいや! 母さんも同じように考えてたんだ~って分かったし! ……そうなると全部壊して消しちゃうより、新しく作っちゃった方が早いかも!!」
「っ、な、何、何を言ってるの?」
全部壊す? 新しく作る? どうしようもなく胸騒ぎがする。
今、目の前で、何かが行われようとしている。
僕の問いかけに、ジンはキョトンとしながら答えた。
「えっとね、うーん。……お母さんはね、消えちゃうことを望んでるんだ。自分に関する全てのことを。昔も、今も、未来も、ぜーんぶ。……母さんってお母さんが過ごしてたところ回ってたでしょ? だから、そこ壊しちゃえば解決かな!! って思ったんだけど」
「お母さんが過ごしていた、ところ……?」
じゃあ、ジンが言う「お母さん」って。
「母さんにもアイツにも止められちゃうし、どうしようかな~って考えてたんだ。……でも母さんも同じこと望んでるなら、お母さんに限定しなくていいよね!!」
「ジン、貴方は」
何をしようとしているの。声が震える。
鐘の音がする。合図が出される。自分の知るもの全てが塗り替えられる、その瞬間の。
「わらわは、大好きな貴方たちの願いを叶えたいだけだよ」
ねぇ、母さん。
その声を最後に、意識がブツンと途切れた──……。




