無知の知
千馬さんが扉をノックすると、中から声が返ってくる。指定されていた応接室に入ると当たり前だがそこには春松くんと実幸さんの姿、そして知らない人が1人座っていた。
「海歌に会いましたか?」
「見てたんですか」
「私は大好きな妹のことならなんでも分かっちゃうので♡」
「こわ。ストーカーじゃないですか」
「えぇっ!? ひど~い!!」
「そうだ伊勢美、もっと言ってやれ」
「夢までそんなこと言うの~!? 私は海歌が大好きなだけなのに~~~~っ」
その大好きのレベルが怖いのだが、と僕は実幸さんにジト目を向ける。
そこで隣にいる千馬さんが小さく咳払いをした。それを合図に実幸さんがそうだ、と言い立ち上がる。
「この方は図書館司書の先生の、涼宮そよぎ先生です。それでこっちが、灯子ちゃん。言葉ちゃんと親交が深いです。今回はこの子に言葉ちゃんの話をしてもらえたらな~、って思ってます」
「初めまして、涼宮そよぎです」
優しそうな女性の先生だった。伊勢美灯子です、と頭を下げる。
顔を上げると目が合い、にこ、と微笑まれた。しかしすぐに彼女の視線は僕から外れ、僕の隣に移る。
「千馬さんも、お久しぶり」
「……お久しぶり、です」
「高校はどう? 楽しい?」
「……まあ、ぼちぼち……」
涼宮先生からの問いかけに、千馬さんは蚊の鳴くような小さな声で答える。というか、なんか「話しかけないでくれ」オーラを物凄く放っているのが隣に立っていて分かる。
どうやら彼女が中学生の頃に関わりがあったようだが、それにしても流石に失礼じゃないか、と思って涼宮先生の方を見るが、彼女は少しだけ困ったように眉を八の字にして微笑むだけだった。こういうことが、いつもだったのだろうか。
そう考え始め、僕はすぐに心の中で首を振って気を取り直す。今は、言葉のことだ。
「改めまして、伊勢美灯子です。言葉は高校の先輩で、彼女にはいつもお世話になっていました。本日はよろしくお願いします」
「そうなんですね。……こちらこそ改めて、涼宮そよぎです。今日はよろしくお願いします」
2人で頭を下げ合う。顔を上げると同時、相変わらず人懐っこい笑みを浮かべた実幸さんが司会のようにハキハキした声で喋り出す。
「それで、涼宮先生からの印象で良いので、言葉ちゃんの中学時代のことを教えてもらえたらな~って!!」
「小鳥遊さんの……そうね。とっても美人で文武両道で、集会とかではいつも何かの件で表彰されていました」
涼宮先生はそんな思い出を語った。なんか想像出来る気がする。あの人、さらっと凄いことして軽率に賞とか取ってそうだもんな……。
「いわゆる高嶺の花って感じで。いつも人となんとなく距離を取って、特定の仲が良い人とかは……同学年にはいなかったように見受けられます。小波さんとか春松くんは結構関わってたけどね」
涼宮先生はそう言って2人を見つめる。そうですね、と2人は頷いていた。なんか、小学校の時と言いこの2人、すごく言葉に関わってたんだな……高校では全くだったけど。やはり別の学校に進んだからだろうか。
「それで小鳥遊さんは……朝と休み時間とお昼休み時間は、必ず図書室に来ていました」
「え。……休み時間って授業間の10分休みとか、ですか」
「ええ、そうなの。……他の生徒とあまり関わりたくなかったみたいで。いつも同じ席に座って、本を読んでいて……」
彼女はそう言って、口を閉じる。そして視線を斜め上に向け、何か言葉を選ぼうとしていた様子だった。しかし上手く出てこなかったのだろう。諦めたように一度目を閉じると。
「……良ければ図書室、見に来ますか?」
僕を真っ直ぐに見て、そんな提案をされる。ぜひ、と僕は頷いた。
「あっ!! うーみーかーーーーっ!!!!」
「うわぁっ!?」
そして図書室に向かった僕たちだったが、ついさっきぶりの背中があり、実幸さんはそこに迷いなく飛び込んだ。相手は急に抱き着かれた衝撃でよろめく。
「おねぇ、突然飛びつくの危ないからやめてよ……!!」
「えー、だってこの大好き♡ って衝動は抑えられなくてっ……!!」
「自制心持てよ。海歌ちゃんが困ってるだろ」
「夢がつめたーい!! えーんえーん海歌、夢がいじめる~~~~」
「自業自得」
「海歌も冷たいっ」
またこの人は何かやってる……と僕は呆れてしまう。本当に、図書室の前だというのに騒がしいったらありゃしない。
そういえば海歌さん、図書室に行くとか言ってたな……というのと、僕はもう1つ言われたことを思い出した。
「実幸さん」
「はい!! なんでしょうか?」
「海歌さんが、忙しそうだから夕飯当番代わるって」
「え!? 今ここで伝えるんですか……!?」
「すみません、伝えるの忘れていたことを今思い出したので」
「ぶふっ……伊勢美、めちゃくちゃ天然……」
「何がそんな面白いんですか、春松くん」
「や、全部」
「海歌~っ……!! お姉ちゃんのことを気遣ってくれて嬉しいよ!! お姉ちゃんはそんな優しい妹がいて、幸せ……♡」
「だーーーーっくっつくな鬱陶しい!!!!!!!!!!」
そこで僕は後ろから袖を引かれる。そこにはほぼ僕を睨みつけている千馬さんがいて、うるさいからなんとかしろ、と言われているのが分かった。僕は苦笑いを浮かべ、あの、と声を出す。
「図書室、入りましょう」
僕の一声で実幸さん、海歌さん、春松くんが固まり、困ったように微笑んでいた涼宮先生がようやく動き出した。
そういうわけで入った図書室。鍵を閉めていたから当たり前だが中には誰もおらず、海歌さんは涼宮先生に手続きをしてもらい本を返却すると、新しく借りる本を探しに行った。
それを横目に、カウンターの中にいる涼宮先生はとある一席を指差す。
「あの席。あそこが小鳥遊さんがいつも使う席だったんです」
そこはカウンターに一番近い、入り口から姿が見えやすい、どちらかと言えば目立つ席だった。人と関わろうとしないということは、てっきり目立たなそうな端っこの方にいると思っていたが。
僕のその考えを読まれたのかもしれない。涼宮先生はそのまま言葉を続けた。
「あの席、お察しの通り入り口から見やすいから、小鳥遊さんの姿を見つけると話しかけに来る人が多かったんですけど……ここはカウンターに近いから、私が注意しやすくて。……私なら注意してくれると、信頼されていたのかもしれません」
恐らくですけどね。と涼宮先生は苦笑いを浮かべてそう言う。それを聞いて僕は納得する。
僕は見た。あの光の入らない路地裏。きっと言葉はああいうところを怖がっている。それなら端っこにもいないだろうし、ちゃんと人目に晒されているところにいるだろう。
僕はまだ言葉のことをちゃんと分かっていないんだな、と少し悔しくなった。
そこでジンが涼宮先生が座っていたという席に座る。じっ、と正面を見つめていて、その横顔はどこまでも空虚に見えた。
「……何か思うところ、ある?」
「校庭、見えるね」
僕はジンに言われるがまま窓の外を見やる。確かにそこには校庭が見えた。既に放課後になっているのか。外では部活動をしている生徒たちが動いていて、微かに声も聞こえて来ていた。
言葉はいつも、どんな気持ちでこの席にいたのだろう。
知りたいな。
僕はまだ、言葉のことを全然知らない。




