灰、塵。
「やっと会えたね。──母さん」
その子供は僕を見上げ、そんな風に呼んでくる。心の底からこちらのことを信頼した、温もりのある声。だけど……。
違う、と思う。何が違うのかは分からない。だが、違うと思う。これは、模型だ。温もりを模したガラクタ。
脚に絡みつく肌に鳥肌が立つ。だけど不思議と邪険にもできない。
思考、一瞬。
「人違いだと思います……」
なんとか絞り出した声は、それだけだった。
子供はキョトンとすると、んー、と呟く。そしてあっさりこちらから離れると。
「母さんは母さんだよ。貴方がそう思っていないとしても、わらわにとってそれは紛れもない事実だ」
「わらわ……」
見る感じ小学生くらい──カーラさんよりももっと幼く見える──なのに、随分古風というか、個性的な一人称だな、と思う。まあ僕が口を出すことではないとは思うが。
僕は助けを求める意味も込め、顔を上げる。こちらに視線を送る春松くんと目が合い、彼は肩を震わせて口を開いた。
「お前……言葉さんと遂に人智を超えたか……?」
「これ訴えたら勝てますよね。ギリセクハラですよ」
「ごめん」
俺も分からん、と春松くんが呟いて小さく両手を上げる。どうやらタチの悪い冗談を言ってしまうほど、本当に事態を把握できていないらしい。
ではもう一方だ。実幸さんに視線を送ると、相変わらず彼女は真顔だった。いや、これは真顔というよりかは……少し、ムッとしている。
しかし僕と目が合うと、小さく目を見開き。そして魔法のステッキをその手から消すと、盛大にため息を吐いた。
「出来ればそれと出会う前に終わらせたかったから、急いでいたんですけれど」
「それ、って」
お人好しな彼女らしからぬ言葉選びだ。まるで忌むべきものにぶつけるような単語で。
だがそう思う一方で僕は、そう言われる所以もなんとなく分かっていた。言語以外の、感覚的なところで。
「母さん~、こいつ睨みつけてくるよ~、こわ~い」
「え、えっと……」
全く怖いと思っていなそうな声色で、その子供は僕の背中に隠れる。そうされると、どうすればいいか分からなかった。
確かに実幸さんはこの子供を睨みつけ続けている。ここまで敵意を剥き出しにされると、僕はどうすればいいか分からない。同じような気持ちを持てばいいのか、それとも対立した方が良いのか。
だけど、思う。僕は敵意を持てない。持つことが出来ないと。なんとなく。
「会長さん……」
千馬さんも不安そうな声色で、僕のことを呼ぶ。この場に居る全員の視線が僕に集まり、いたたまれなかった。
「……ねぇ」
「なぁに?」
「貴方、名前は?」
とにかく何かアクションを起こすべきだ。そう判断した僕は、子供にそう尋ねる。すると子供はやはりキョトンとして、あっさりと答えた。
「ないよ」
「……え」
ナイという名前……というわけではないのだろう。存在しない。そういうニュアンスで、この子供は告げた。
ないって、そんなことあるのか。こんなに流暢に喋っている、身なりもちゃんとしている子供が。
思わず助けを求めるように実幸さんに視線を送ると、彼女はジト目で告げた。
「……灯子ちゃんに任せます」
「いや、ま、任せますって」
「私があまりそれに関わりますと、少し面倒なことになるので」
面倒なことってなんだ、と思ったが当然聞ける雰囲気なわけもなく。僕は頭を抱えると、子供に向き直る。相変わらずその子供は、僕のことをキラキラとした目で見上げていた。
純粋無垢な子供だ、と思う。ただその無垢さは、空虚に等しい。その服も、顔も、瞳も、温もりも、どこか歪で偽物のように思える。何かはある。光って、煌めいている。でも不用意に見たら、焼かれる。燃え尽きた後の、灰、塵。
何もない。本物を焼き尽くし、成り代わり、模した、中身などない、虚。
「──ジン」
気づけば口から、そんな声が漏れていた。
僕は目を見開く。僕は今、何を。
「ジン……ジン、そうか、ジン。ジン……うん、ありがとう、母さん」
すると子供は、僕が無意識に呟いたその単語をしきりに唱える。自身に確認するように。手に取って口に運び、貪りつくすように。言葉が空っぽな体に染み込む。そんな感覚がする。
不用意に言葉を与えてしまった。僕は、自分の行動を理解した。
「わらわの名前は、『ジン』だ。──よろしくね、母さん」
子供はそう告げて、僕に恭しく頭を下げる。僕はそれを、呆然と見下ろすしかなかった。
僕は一体、何を生み出して、何に名を与えてしまったのだろう。
「灯子ちゃん」
名前を呼ばれ、ハッと顔を上げる。上げた先には実幸さんがいた。
そして右腕に感じる温もり。そちらを見ると子供──ジンがしがみついていて。目が合うと、ニコッと笑いかけられた。
「何も分からないというのもあれなので、一応それについての軽い補足をしておきます」
「わらわは『それ』じゃないから。ジンだから」
「はいはい。とりあえずこの様子から分かる通り、私……ひいては夢も、ジンにはものすご~く嫌われていますし、どう足掻いても相入れませんし、そもそも本当はあまり同じ場に揃うべきではありません」
「嫌われているというか、実幸さんもだいぶ嫌っているような……」
「嫌いというか、遠ざけたいだけです。繰り返すようですが、あまり同じ場に揃うべきではないので」
そう言うと実幸さんは肩をすくめる。僕の横で、ジンはべ~っと舌を出していた。
実幸さんはそんなジンを睨みつける。……やはり嫌いなのでは?
「灯子ちゃんもなんとなく分かっているかもしれませんが、ジンは人間ではありません。普通の人間のように接すると、だいぶ齟齬が生じると思います」
「はぁ」
「かといって、今後の接し方次第でどうとでも変わるでしょう。これの中には、何もない。……大きな空っぽの箱です。中に何でも詰め込めます」
中身のない虚。なんとなくそう思ったが、どうやらその感覚は間違いではなかったらしい。
「灯子ちゃん、先ほども似たようなことを言いましたが……力と、想いと、命を持ってしまったこの歪な存在を、貴方に任せます」
「え」
「これをどうするかは、灯子ちゃんが自由にしてください」
いや、自由にしてくださいと言われても。
腕にしがみつくジンを見下ろす。やはりジンはキラキラとした瞳で僕を見つめて。そう、曇り1つ無い目で見られたら、僕は。
「……一緒に、来る?」
「うんっ♡」
僕の提案に、ジンは迷いなく頷いた。目の前で実幸さんが、やっぱりそうなりますよね、と小さく呟く。
──こうして、言葉を探すメンバーがもう1人増えたのであった。




