熱と牙
「あの、伊勢美さんでしたっけ」
「はい?」
そろそろ出発しましょうか~! という実幸さんの一声で、僕たちは実幸さんの家から立ち去ることになった。もちろん、「お前がベッドで寝始めるから変な時間食ったんだろうが!!!!」という春松くんからのツッコミがしっかり入っていた。
春松くんが実幸さんの首根っこを掴んで引きずり、千馬さんが慌てたようにそれを追いかける。僕も追いかけるように家を出ようとすると……海歌さんにそう呼び止められたのだ。
僕が振り返ると、気のせいかもしれないんですけど、と海歌さんは前置きしてから。
「……あの茜って子、気を付けた方が良いと思います」
「……え」
まさかそんなことを言われるとは思わず、僕は思わず聞き返してしまう。
その反応は彼女の予想通りだったらしい。彼女は気分を害したような様子もなく、言葉を続けた。
「初対面なのに失礼なことを言ってしまってすみません。でも……なんかなんとなく、そう思って」
「……理由を尋ねても?」
一応、千馬さんは生徒会の大事なメンバーだ。信頼できると思って仕事を任せているし、もちろんその中で変な動きなどない。
……いや、変な動き自体は、すごくあるけど……パニックになると勝手に自己完結して暴走するし……なんか壁に頭打ち付け始めるし……。
その度に墓前先輩が宥める光景を思い出し僕が遠い目をしていると、海歌さんは口を開いた。
「……初対面の人にこういうことを言うのも、どうかと思うんですけど」
「はい」
「私……姉のことが、あまり好きではないんです」
海歌さんからの突然の暴露に、僕は思わず目を見開く。
それはやはり、意外だったからだ。もちろん、血の繋がった家族なのだから無条件に愛せ、と言うつもりはない。実幸さんはあの通り……人を振り回さないと死ぬのか、というくらいマイペースだし……だから、そんな彼女に嫌悪感を抱くことに納得は出来る。
でも海歌さんは、なんだかんだ言いつつも実幸さんを嫌っていない……先程の2人の様子から、そう思っていたから。
僕が黙ると、海歌さんは少し慌てたように手を胸の前で振った。
「あの、すごく嫌いってわけじゃないんですよ。なんか、嫌いなところもある、ってくらいで……というか、ちゃんと好きですし」
「あ、ああ……はい」
「姉は……凄い人なんです。どんなに辛いことがあっても、苦しいことがあっても、ずっと笑ってて、物事を前向きに考えて……あの人の周りには、人が集まる。そしてその人たちは、笑っている。おねぇが、笑顔にするんです。おねぇはお人好しの塊みたいな人で、本当……人の為なら、平気で無茶する」
「……」
「……私はそうあれないから。心のどこかでそれを羨ましがって、そして憎んでいる。私にないものを持つ姉を」
「海歌さん……」
その気持ちは……少し、分かる。
ののかは、僕にないものを持っていた。いつも笑っている、星みたいな人で。僕は彼女を愛し、そして憎んでいた。
「……そういう人の近くにいると、自分がいかにちっぽけで取るに足らない存在か……突き付けられてるみたいで、惨めに思っちゃいますよね」
僕がそう返すと、海歌さんは目を大きく見開いた。どうやら、図星だったらしい。
分かってくれますか、と海歌さんは小さく呟く。そして何かを決心したように、その瞳を鋭くさせると。
「……あの茜って子、なんだか私に似てると思いました」
「海歌さんに?」
「はい。……臆病で、想いを口に出せなくて……でも、決して消えない熱を、立てたい牙を心の中に隠している人」
「……」
熱と、牙を。
僕は考える。そして今までの千馬さんを思い出してみた。
初めて会った日は、入学式。入学初日からはっちゃける生徒に絡まれそうになったところを、僕が助けたのがきっかけだ。
……正直に言おう。心当たりがないわけではない。だって、目が合った時に感じたのだ。
──この子は、僕に似ている。
初めて明け星学園に足を踏み入れた、復讐を誓っていた、そのために言葉を犠牲にすることを選んだ、あの日の僕に。
それが熱と牙だと言うのなら。僕は納得する。
千馬さんは、気弱な人だ。気が強い人に弱くて、すぐに流されて、「みーくん」と呼ぶクマのぬいぐるみに泣き付くのだ。一見、そんなものを持っているようには感じられないが。
でも──あると思う。彼女には、内に秘めた何かが。
「……分かりました。念頭に置いておきます」
「信じて、くれるんですか」
「心当たりはあったので、納得した感じです」
僕がそう返すと、そうですか、と海歌さんは頷く。その表情は柔らかく、僕も思わず微笑んでしまった。
「誰を探しているかは知りませんが……道中、お気をつけて」
「ありがとうございます。……小鳥遊言葉っていうんです。探してる人。僕の……大事な人で」
春松くんは彼女のことを昔馴染みだと言っていた。だからもしかしたら、海歌さんも知ってるかも……そんなことを思いながら名前を口に出してみると、海歌さんは大きく目を見開いた。
「え……言葉さんが? そんな、行方不明なんですか?」
すると、その予想は当たったらしい。海歌さんは青ざめると、不安げにこちらに尋ねてくる。
この様子、名前を出さない方が良かったかもしれない。と数秒前の自分の行動を恥じてから、僕は質問に答えた。と言っても、そうです以上に言えることなどないのだが。
僕の答えに海歌さんは俯いて唇を噛む。そんなに言葉のことを心配してくれるのか、と思っていると、海歌さんは顔を上げた。
「あの……去年の春、おねぇが、行方不明になったことがあるんです」
「え、どうせ人助けでもしてたんじゃないですか」
「いや、そうだったんですけど、結果的にはそうだったんですけど。……初めて、1週間以上いなくなったんです。遠出するとか、誰にも何も言わないで。春松さんもいなくなったから、私たち、大パニックで」
ああ……確かに、比較的常識人である春松くんまで無断で何日もいなくなったら、そりゃパニックになるかもしれない。
「私、不安であんまり眠れなくて……ほとんど、ずっと泣いてて。……言葉さん、そんな私にずっと寄り添ってくれてたんです。実幸なら大丈夫だよ、ケロッとした顔で戻ってくるよ、僕が傍にいるから……大丈夫だよって……」
「……」
優しい言葉らしいな。そうやって言葉は、この子の心を救っていたんだ。
海歌さんの瞳からふと涙が零れ、慌てたように手の甲でそれを拭い取る。そして僕の顔を見つめた。
「私は……異能力も魔法も持っていないので、悔しいけど、付いて行けません。きっと、足を引っ張るから。……だから、お願いします。言葉さんのことを、見つけてあげてください……独りに、してあげないでください」
私がそうされなかったように。海歌さんの声にならない言葉が聞こえた気がして、僕はその言葉を胸にしっかりと刻んだ。
「はい、必ず。約束します」
僕が微笑んで頷くと、海歌さんはホッと表情を和らげた。僕はそんな海歌さんの手を取る。安心させるように、しっかりと。
……ねぇ言葉。言葉はずっと、自分がいたところで何も生み出さないって、何も意味がないって、よく言うけどさ。
あるよ、ちゃんとここに。貴方の優しさに救われた、貴方の無事を願う優しさが。
海歌さんに見送られ、僕はようやく実幸さんの家から出る。そして出てすぐのところ……柱に隠れるように立っている千馬さんに気付いた。
「千馬さん、いつの間にそこに」
「……あの実幸って人が行方不明になったことがある、辺りからです」
会長、全然出てこないから。と不貞腐れたように千馬さんが言う。すみません、と言いながら僕はこっそり息を吐いた。……千馬さんに気を付けた方が良い、という話は聞かれなかったようで良かった。
「……早く行きましょうよ。2人は先に行っちゃいましたよ」
「そうですね。早く、言葉を見つけないと」
千馬さんの言葉に相槌を打ち、僕は歩き出す。千馬さんもワンテンポ遅れて歩き出した。
そして。
「……小鳥遊言葉、ね」
千馬さんが本当に小さく彼女の名前を呼んだことに、僕は気が付かなかった。




