有給休暇
少し手を止めた涼。「もしかして、徳田さん?」
「そう。ニュースを見たのね、息子さんから、お父さんからお金の事で分からない事は藤原君に聞けと言われたらしいの」
2日前に自宅で襲われて亡くなったニュースは忘れられない。
テレビのニュースを思い出す涼。
銀行に戻った時にロビーに置いてあるテレビのニュースから聞こえてきた。
「世田谷区梅ヶ丘にお住まいの徳田源二郎さんが自宅で倒れているところを発見され、お亡くなりになりました。頭から血を流していたことから、殺人事件として捜査をしているとの事です。」
梅ヶ丘という言葉に反応して聞き耳をたてたが、まさか徳田さんの名前を聞くとは想像もしていなく、転勤になっている事からも、涼から電話する事は避けるのが常識である。
落ち着いたら線香でもあげに行こう。そう思う涼は少しショックを受けていた。特段、用の無い時は色々な本を読み、運用についての知識豊富な師匠の様な人だった印象が強い。
「税理士の安藤先生が一番確かだと思うけど。安藤先生と一緒が一番いいんじゃないかな?安藤先生も引継いでいるはずだから、分かると思う。」
「あ、大丈夫。安藤先生に連絡して、状況を説明してから藤原君に連絡してもらうようにするね。」すこし安心した感じが伝わってきた。
「あと、この事を支店長に報告しておいて、こっちの支店長にも報告しておく。」
「わかりました。では、よろしくお願いします」電話を切断した後、支店長席スケジュールをパソコンで確認すると、今は予定が無く、報告しても大丈夫そうであった。
新橋支店長は本部からエリートコースで最速の支店長になった人で、疑い深いので慎重に報告しないと、周りに迷惑をかけるので気を遣う事が多かった。
支店長席に歩いて行き、「支店長。報告と相談があります。」そう言うと、「どうした。」と見上げた支店長。事件のニュースの内容から説明を始めた涼。
担当になり、運用のお手伝い、国債、投信、金地金、外貨現金、電子通貨などお手伝いした事。特に、海外口座を作る時に、セントクリストファー・ネービスまでお供した事。
「何処だそこ?」
『まあ、普通は知らないわね。』少し笑いそうになるのを抑える涼。
「カリブ海にあるイギリス連邦の国で、タックスヘイブンで知られている国です。所得税と相続税がかからない事で税金回避界隈では有名です。」
「なんで銀行員として君が行ったんだ?」接待等無くなってきている銀行では当然の疑問。
「フィリピン人で住み込みのお手伝いさんのカイラさんも通訳を兼ねて行ったんですが、アドバイザーで来てくれと、当時の支店長に直談判され、全て徳田さんが旅行会社を手配されて、仕方がなく。私は支店長からの指示でやむを得なく帯同しました。」
「まあ、お客さんにそこまでされたら、断る銀行員はいないわな」
支店長に説明すると混乱するので省いたが、当時、ビットコインを購入するのはカードで出来るので問題なかったのだが、日本で未だ取引交換所が無かったため、円への交換が出来なく、外国の取引交換所の口座(今ではウォレットという名前が一般的)を作り、現金化用に現地の銀行で口座を作るしかなかった。
また、20万ドルでタックスヘイブンの国籍が買えるとうい事も徳田さんのリスク回避欲に火をつけた理由の一つだった。
支店長への説明で「仕方なく」と言った理由は、徳田さんの現地のパスポート発行のため、1週間の休みを取ることになっていた時の当時の支店長指示の内容であった。
当時の状況を思い出す。
「仕事なのに、有給ですか?」支店長席で問い詰めてしまった涼。
「接待なんだけど1週間の出張理由を人事部が承認しないんだよ」
当時の支店長の責任ではないが、仕事にもかかわらず自分の累積有給を消化させられた事を今でも根に持っている。納得できなかった事は今でも変わらないが、徳田さんと旅が出来た思い出は一生忘れられなく、別世界であった思い出である。少し思い出す涼の目の前では、支店長の険しい顔は変わらない。特に、引き継いだ先への訪問は銀行員にとってはタブーであるため、リスクを取りたくない支店長には難しい判断と思え、まずは断られると思っていた。が、
「分かった。許可するが、先方に行く前に直接、万が一いない時は電子メールでいいから行く日時を報告してくれ。君の責任回避のためにもよろしく。」驚いた涼は、少し吃って「あ、ありがとうございます、ご報告します」と短く応えた。




