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4 未だ闇の中

 

 アークレイム……お言葉に甘えてアークと呼ばせてもらうが、彼は未だ立ち尽くしたままのガルヴェインをあえて無視し、ハリアという侍女を呼びつけた。


 美形は彼らだけかと思いきや、この侍女も劣らず綺麗な人だった。豊かな金髪を、きっちりと乱れもなく結い上げている。切れ長の瞳はコバルトブルー。ぷっくりとした唇に、化粧など必要ないほどにきめ細かく輝く純白の肌。スクリーンの中でしか見ることのできない金髪碧眼の美女サマだ。茶のロングワンピースに白のエプロン、という、いかにも「使用人」のいでたちだが、その飾り気のなさが却って彼女の素の美しさを際立たせるように見えた。美人は何を着ても綺麗、というわけだ。女性にしては背が高く、立っているだけなのに背筋はすらりと伸び、指先足先まで隙がない。贅肉は存在していないように見える。ウエストの細さが羨ましい。

「御用は?」

「彼女はマナミ。訳あって着るものがない。用意してほしい。彼女の分の朝食も。朝食後、俺とガルと彼女で話をするから、紙とペンと『創世記』の準備を。訪問者があれば、俺もガルも外出中で今日は戻らないと言え。誰であっても通すな。それから……」

 一気にそこまでまくしたて、アークはハリアにそっと耳打ちした。早口が癖なのかな、などと呑気に眺めていたらハリアに一瞥されたが、もちろんそこに好意的な光はない。シーツをかぶった怪しい女に好意を持つ方が無理な話だが。

「委細承知仕りました」

 一流会社の秘書も顔負けだろう完璧な角度でのお辞儀を披露し、ハリアは私を廊下へ連れ出した。


 「こちらへ」

 廊下に出たところで周囲を見渡してみたが、ハリアの非難の視線を受け、大人しく素直に従った。せっかく枷から解放されたのに、また縛られでもしたら、きっと今度は殺される。

 ちらりと見ただけだが、大きな邸宅のようだが派手さはなく、むしろ重厚な雰囲気で……言葉は悪いが地味だった。「色味」がないというのか。壁や床は茶一色で、装飾品も見当たらなかった。

 シーツの不審者にもの申したいことは多々あるだろうが、侍従という点で彼女はプロだった。好奇心をおくびにも出さず、無言のまま小さな部屋に通された。6畳ほどの広さで、幾つかの木箱が置かれている。窓はない。ここはつまり、私の予想が正しければ物置というやつだろう。

「しばしお待ちを」

 申し合わせ程度に軽く会釈をし、ハリアは出て行ってしまった。ガチャリと重い音が聞こえたので、間違いなく鍵を閉められた。ドアノブを回して確かめる気も起きない。そもそも真っ暗でろくに動くこともできない。

 とりあえず近くの木箱にでも座っていようか、と、手探りでウロウロしていたら足の小指を木箱にぶつけた。思わずうずくまったが、その痛みが、今の状態が夢ではないことを伝えてくれた。

「……どうなるの、私……」

 パニックに陥って嘆き悲しむほど幼くはないし、何とかなると前向きに考えるには、朝の出来事は強烈過ぎた。あの時、アークが部屋に入ってこなかったら、私は右と左のどちらの手を切り捨てられていたのだろうか……


 小指のじんじんとした痛みが引いてきた頃、ハリアが戻ってきた。何枚かの布を手渡されたので広げてみると、先ほどアークが着ていたものと同様の麻素材のチュニックと、同じく麻のロングスカートだった。そしてそれらより少し丈夫な生地で出来ているチューブトップブラにショーツ。着替えろ、ということらしい。

 火の灯った蝋燭を高く積み上げられた木箱の上に置く間も、ハリアは始終無言だった。こちらを見ようともしない。

「あ、ありが……」

 お礼を遮るかのように再びドアを閉められた。

 愛想はないが、悪い人ではない……かもしれない。下着まで用意してくれたし、蝋燭だって置いて行ってくれた。おかげでノーブラで過ごす羽目にならなくて済んだし、暗がりの中危なっかしく着替えることもなかった。

 ちなみに、用意された服は、お世辞にも着心地が良いとは言えなかった。ブラはゴワゴワしているし、麻の服も素肌にチクチクと擦れて痛い。せっかく用意してくれたものの、ショーツは替えなかった。ロングスカートにポケットがあったので、ゴワゴワショーツはひとまずそこに押し込んだ。

 着替え終わったことを伝えるために軽くノックすると、ハリアが開けてくれた。手には木のお盆がある。

「召し上がりになってお待ちください」

 お盆を半ば押し付けられ、私はまた木箱の部屋に戻された。


 何となく覚悟はしていたが、物置で食事する羽目になるとは思わなかった。昨夜、168円のゼリーをさもしいかと自嘲しながら食べていたのが天国に思える。あまりに暗くて寂しいので、木箱の上にあった蝋燭を手元に寄せてみる。蝋燭の火で食事なんて、停電の時以来だ。あの時は非日常的な光景に、むしろわくわくしたものだが、今は当然そんな気分になれない。ゆらめく火に、お盆の上のパンらしき丸い物体と、木の器に盛られたスープが浮かび上がった。

 パンを一口含んでみたが、ものすごく硬い。ふんわりもっちりトーストが唐突に恋しくなった。パンが残念な結果だったので期待していなかったが、スープは美味しかった。適度に温められ、綺麗に切り揃えられた野菜も柔らかく煮込まれている。手間暇を込めて作られているものだと分かった。

 スープでパンを押し流した食事も終わり、手持無沙汰になって5分ほどぼんやりしていると、鍵を開ける音が響いてハリアが現れた。こちらへ、と抑揚のない声で促し、そこからやや遠い部屋へと案内された。

 ハリアがきっちり同じ間隔で4回ノックすると、アークの、入室を許可する声が聞こえた。

「失礼致します」

 洗練された手つきでドアを開け、私を目で入るよう促した。

 部屋は、いわゆる応接間と思われる。大きな木のテーブルがあり、5脚の椅子がある。色合いからして、ガルヴェインの部屋にあったクローゼットと同じ素材のテーブルだ。もちろんこちらも簡素な外見にかかわらず荘厳で重厚だ。椅子は背もたれに唐草模様に似た装飾が施されていて、テーブルに比べれば遊び心が伺える。高価そうなのに違いはないが。

 正面にアークが陣取り、左にガルヴェインが不機嫌そうに座っている。アークは右隣の椅子を引いた。そこへ座れ、ということらしい。腰を下ろしながら、横目で二人をざっと見た。

 アークはゆったりとした青のローブに身を包んでいる。ローブ自体に金色の刺繍が施されていて、その光沢から、絹ではないかと想像できた。対してガルヴェインは、かっちりとしたベージュのスタンドカラーシャツに、茶のベストを羽織っている。そういえば寝起きと言えど寝癖はなかったと思うが、それ以上にきっちりと短髪が梳られていた。

 二人とも普段着なのだとは思うが、座っているだけなのに二人ともオーラが漂っていて、そのまま絵画にでもなりそうだ。自分のみすぼらしさが恥ずかしくなる。

「さて、マナミ。長い話になる。最初に聞くが、俺たちに協力する気はあるか?」

 協力の内容を言う前に確認するということは、咄嗟に思い付いただけで二つ考えられる。


 ひとつ、その内容が重大な秘密を含んでいて、知ってしまったら引き返せない場合。

 ふたつ、選択権を与えているようで、その実有無を言わさず協力させる場合。


 先ほど横目で確認したが、ガルヴェインの腰にさんざん私を脅してくれた件の剣が見えた。私に不審な動きがあったら、腕ではなく首を飛ばすつもりだろう。

「答えなんて……どうせ一つしか言わせない気でしょう?」

「まあ、俺としても身元不明の死体を作りたくはないなあ」

 決定的じゃないか。

「私にできることなんですか? 私は何もできませんよ」

「君にしかできない。ぜひ協力して頂きたい」

 答えは既に決められたようなものだが、念のため、二人の目を交互に見やった。アークは期待と確信、ガルヴェインは分かりやすい嫌悪と……ほのかに身を案じるような優しげな揺らぎがあった。心配してくれるのは意外だったが、ならその腰の物騒なものを外してから臨んでほしかった。


 「……お手伝いします」

「そうか! ありがとう!」

 アークは手を叩いて喜んだが、ものすごくわざとらしい。何この狸。


 「ではまず、この国に伝わるおとぎ話をひとつ、お教えしようか」

 言ってアークは、A5サイズの古い本を開いて見せた。

「一応聞いておくが、字は読める?」

 本には、一匹の黒い竜が空を飛んでいるモノクロのイラストと、見たことのない文字が羅列されていた。くさび形文字とアルファベットを合体させたような字体だ。当然読めない。

「いいえ」

「会話は成立しているのに、読解は不可能なのか……必要ないからか?……それは後回しにしよう。ではガルヴェイン君、読んで差し上げたまえ」

 今まで傍観を決め込んでいたガルヴェインは、途端に眉を跳ね上げた。

「ふざけるな」

「ふざけてなど! 読めないのだから読んであげなければ! なあマナミ!」

 私に振らないでほしい。ガルヴェインが鬼の形相で睨んでくる。完全に八つ当たりじゃないか!

「よろしければ、わたくしが」

 恐ろしいほど冷静な声で、ドアの近くに立って控えていたハリアが一歩前に出た。

「ふむ、気の利く侍女がいて良かったな、ガル。では頼む」

 アークは少しつまらなそうな顔をしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべ、私に本を向けた。向ける相手が違うのではないか、と思ったが、何ということはない。ハリアはそのおとぎ話とやらを諳んじていた。




 遥か昔、神がおりました。

 神は竜と死者のために天を作り、すべての生命のために地をおつくりになりました。

 天も地も、長く幸せに暮らしていましたが、あるとき、地に災いが起きました。

 天の者は皆地を恐れ、近寄ろうともしませんでした。

 しかし、心優しい黒の竜は、苦しむ地の者を放っておけませんでした。

 黒の竜は自らの鱗を一枚取り、ふっと息を吹きかけました。

 すると、鱗はたちまちのうちに人間の姿になったのです。

 他の人間と間違わないように、黒の竜はその者に、自分の鱗と同じ色の黒い髪を与えました。

 「さあ、行きなさい、従者よ。地の者を救いなさい」

 黒の竜は黒の髪の従者に再び息を吹きかけ、地へと落としました。

 地に降りた黒の竜の従者は、見事地に平和を与えたのでした。




 ハリアの、流れるような語りが終わると、私は無意識のうちに自分の髪を撫でていた。

 とてつもなく嫌な予感がする。アークは満面の笑みで予感通りの言葉を放った。

「マナミ、黒の竜の従者になってくれ」

 


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