5 黒の竜の従者
「無理です」
「協力するって言っただろう」
ろくでもないことに協力する羽目になるな、という予感はあったが、遥か斜め上を行かれた。おとぎ話って何だおとぎ話って。冗談を言っているとしか思えない。
「な、何なんですか黒の竜の従者って?」
「先ほどの言葉通りだ。黒の竜が、我が国が危機に瀕したときに天より遣わすものが黒の竜の従者だ。その存在はこの国の者なら誰だって知っている。小さな子供から老人まで、貧しい者から高貴な者まで、皆だ」
「……おとぎ話ですよね? 作り話ですよね? そんなものが現実に起こるって考えるのは、よほど純真な子供くらいですよ」
私の抗議に、アークは頬杖をついて小さく息を漏らした。鼻で笑ったようにも聞こえる。空気が変わった。
「では、口を開けば嫌味とくどい台詞しか出てこない俺や、女を毛嫌いして初対面の人間をも刃物で脅すような騎士様も純真な子供か」
騎士様の静かな怒りが伝わってくる。何故私に怒るんだ。というか、アークは嫌味でくどいと自覚していて、敢えて神経を逆なでる言い方を好んでいるのか。面倒くさい人だ。
「おとぎ話という言葉が悪いのか? 何と言えばうまく伝わる? 伝承? 説話? 伝説? 自動で翻訳されるというのも不便だな……」
アークはうなりながら考え込んでしまった。つまり、絵本の中のフィクションではなく、実際にあったことだと信じられている歴史……と捉えればいいのだろうか。
そうだった、ここは異世界で、文化も思想も違う。何が真実かを決めているのは私ではなく、彼らなのだ。本人が事実だと信じていることを、真っ向から否定されれば気分を害する。私は素直に頭を下げた。
「ご、ごめんなさい、作り話だなんて言ってしまって」
アークだけでなく、相変わらずしかめっ面の騎士様と置物のように待機している侍女にも謝罪した。彼らも不愉快に感じただろうから。が、ガルヴェインは自分に謝られるとは思っていなかったようで、いや、と小さく呟いただけだ。ハリアに至っては目を伏せ微動だにしない。
「謝る必要はない。だが、この国の民は皆、自分の身に不幸が訪れたとき、心のどこかで黒の竜の従者の出現を望んでいることは理解してほしい」
「は、はい……」
『困ったときの神頼み』のようなものだろうか。それとも終末思想の救世主のようなものだろうか。なおさら自分と関わりのないものに思える。ファンタジー漫画よろしく、魔法を使えるわけでも、強大な力を持っているわけでもない。偶然にこの世界に迷い込んだだけだ。……いや、それだけで十分ファンタジーなのだが。
「でも、いくら髪が黒いからって、この世界のこともよく知らない、力もない私がそんな大それたものになれるとは思えません。他の人に頼んだ方がよろしいのでは?」
そう、私である必要はない。私の世界が「天」とは限らないし、いくら西洋風の世界と言えど、黒髪もしくは黒髪に近い人種はいるだろう。もしくは染めればいい話だ。ところが、アークはともかく、ガルヴェインすらきょとんとした顔で私を見つめていた。
「……君は本当に異世界から来たんだな」
トマト色の毛先を指にくるくると巻きつけながら、アークは深くため息をついた。
「この国に黒髪の人間なんて存在しない。染める? 畏れ多くて正常な思考の持ち主なら思いつきもしないさ。そもそも髪どころか黒いものが存在しない。服も家具も花も。暗殺者ですらせいぜい濃紺の衣をまとう程度だ」
一瞬信じられなかった。が、確かに彼らの衣服に黒はない。なるほど、この屋敷に色味が足りないと感じたのは、引き締める色である黒がないからだ。
「だから実際に目の前に黒髪のマナミが現れたら、一般的善良な民であれば、すわ黒の竜の従者か、と思うさ。敬虔な者ならば、跪いて崇め奉るだろうよ」
「……目の前に殺意むき出しにした人がいますが……」
目の前の人に睨まれたが気がつかないふりをした。
「ああ、こいつは猜疑心の塊だ。俺はまず目先の損得を考えてしまうし、お世辞にも善良とは言えないから我々は除外してくれていい。ハリア、お前はどう思った?」
一斉に6つの視線の注目を受けたが、ハリアは臆した様子もなく実に淡々と応えた。
「……正直に申し上げますと、半信半疑でございます。そうであるかとも思いましたが、不審であることに変わりはありませんでしたので」
「ほら。一般的にはそう考える。この国の人間が君を見たら、大半は黒の竜の従者だと思うと捉えてもらって構わない」
外堀からどんどん埋められていっていると分かっていたが、同時に私自身も、もしかしたら「それ」が狙いで、抗えない強大な力―――それこそ黒の竜とやらに―――この世界に飛ばされたのではないか、と心の奥底で疑うようになっていた。私がそう考えてしまうことこそが、アークの狙いだったのだろうか。
「で、でも、私、災いを収めることなんてできませんよ。それどころかきっと何もできない」
先ほどハリアが諳んじてくれたおとぎ話を思い出した。黒の竜の従者は、『地に平和を与えた』はずだ。そんな救世主のような真似、到底無理だ。
「マナミ、大切なのは黒の竜の従者が『何ができるか』ではないんだ」
アークは私の手元から本を引き寄せ、パラパラとめくる。
「実際、『創世記』……ああ、さっきの話が載っている神話集だが、これに黒の竜の従者が具体的に何をしたのか、一切記されていない。『創世記』を専門に調べている学者もいるが、現在に至るまで新たな発表はされていない。だから黒の竜の従者は何ができますか?と聞かれても、正確に答えられる者なんていない」
アークの流暢な語り口が一時止まる。次の言葉を探しているのではない。私が理解するのを待ってくれているようだ。私が戸惑いながらも頷くと、また続けた。
「何ができるかは重要ではない。黒の竜の従者が、何かをしてくれるはずだ、という希望を皆が無意識のうちに持ってしまう、ということが大事なんだ」
「そ、そう……かなあ……」
話が複雑になってきた。へ理屈のようにも聞こえる。眉根が寄ってきたのを見て取ると、アークはハリアにお茶の用意を命じた。
既に準備していたのか、さほど時間を取らずにハリアが紅茶を3つ持ってきた。紅茶と称していいのかは分からないが、陶のコップに注がれている液体の色と漂ってくる芳しい香りは、あちらの世界の紅茶と等しく感じられた。一口含むと、温かさと味わい慣れた苦味が広がり、思わず涙ぐんでしまった。こちらにも、あちらを思い出せるものが存在することが嬉しかった。
「さてマナミ、我が国名を覚えているかな?」
いきなり話題を変えられたが、ティータイムの雑談なのかと思って特に抵抗はなかった。
「ええと……シルダーク?」
今朝のちょっとした会話の記憶を引っ張り出す。生徒の名前を出来るだけ早く覚えることは室長として必須事項なので、固有名詞は意外と頭にすんなり入ってくる。
「ご名答。出来の良い生徒で助かる。我がシルダーク王国は、聡明で寛大な王が治めておられる。しかし老いは誰にも等しく訪れるもの。偉大なる陛下とて寄る年波には勝てず、現在は臥せっておられることが多くなった」
「はあ……それは心配ですね……」
「陛下にはお子もご兄弟もなく、正妃が15年前に他界されて以来側室もない。つまり世継ぎがいない」
「はあ……それは大変ですね……」
「宮廷内では、現在の宰相が次期国王になる、と暗黙の了解だった。ところが今年になって、陛下はご自身に隠し子がおられる、と打ち明けられた」
「はあ……それは荒れるでしょうね」
「そう! 宮廷内はもはや真っ二つだ! 高貴なお生まれで、話術に長け、宮廷のボンクラ貴族や保身第一の執政官どもを金と権力でまとめ上げている高慢なクソ宰相派と、平民の女に人知れず生ませた、まだ若く純真な私生児派とでね!」
アークがどちらに属しているかは、火を見るより明らかだ。ガルヴェインも頷いているところを見ると、彼もそちら側なのだろう。
「そこで出番ですよ、黒の竜の従者様」
「……はい?」
いけない、返事をしてしまった。半ば認めているようなものではないか。案の定、アークは身を乗り出してきた。一気に攻め込むつもりだ。
「黒の竜の従者様が仰せになる、『殿下はこの国を正しく導く、良き王におなりになるでしょう』と。するとどうでしょう、黒の竜の従者を信じる者たちは、従者様の定めた若き殿下に期待を寄せ始めます。殿下は従者様に導かれ、民に愛される素晴らしい王様になったのでした。めでたしめでたし」
「いやいやいや、ないないない」
突然昔話調に変わったアークの喋りがおかしくて、つい軽々しく突っ込んでしまった。アークは馴れ馴れしい態度を気にすることもなく、むしろ嬉しそうに口角を上げた。
「あるさ、従者様。俺は勝てない戦はしない」
彼ら―――というよりアークの、企みを整理してみる。
私を黒の竜の従者に仕立て上げ、私の予言をもとに、王の私生児だという平民の子に王位を継がせる。その子はいい王様になって皆幸せに暮らしました!……実に簡単にまとめ上げるとこういう流れだ。
簡単にまとめただけでもいくつも問題があるように思える。
私の言葉にそれほど影響力があるのか。
王の私生児という子は、本当に良い王になるのか。
そもそもアークが何故、私生児に王位を継がせたいのか。
そしてそれを願う彼らは何者なのか。
実は宰相の方が民に慕われる人格者で、彼らが宰相の失脚を企てている悪人、とは考えられないか。
色々考えれば考えるほど、絶望的になってきた。
ここまで聞いてしまった以上、いざ私が断れば口封じに殺される。黒の竜の従者を名乗ったとしても、何か失敗があれば消される。首尾よく事が進んでも、宰相派の人に恨みを買い暗殺者を仕向けられる。それどころか宰相こそ王にふさわしい人であったら、私はこの世界の民を皆不幸にすることになる。仮に私生児が良い子であっても、優秀な王にならなければ、一向に幸せが訪れない怒りの民にリンチされる。
どのルートを辿っても、私に平穏無事な人生はまったく見えなかった。
ど、どうしよう……簡単に返事なんてできる問題ではなかった……
揺れる紅茶の水面に目を落とし、私は何も言えなくなっていた。
「少し、席を外してもらってもいいか」
重い声が背に響く。自分のことだと思いはっとして顔を上げると、ガルヴェインがアークに目配せしていた。席を立とうと上げかけた腰を、ガルヴェインが手で制す。
「……分かった。マナミ、変なことされそうになったら叫んでくれ」
絶対零度の睨みもどこ吹く風、アークは颯爽と部屋を後にした。続いて、ハリアが一礼と共に去る。
蛇と蛙が応接間に残された。
ご覧くださり、ありがとうございます。
説明が多くてすみません。推敲を重ねても、何か抜けているのではないかと自分でも不安です。




