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23 夜明け


 恋人だろうな、という予想はしていたが、それ以上だった。


 「婚約者……」

「元、だ。今は何の関係もない」

 関係ないと言いながら会えば動揺するって、どういう意味だか分かって言っているのだろうかこの人は。

「どんな人なの」

 自分で言いながら目が座っていくのが分かる。長丁場を覚悟して、私はベッドに腰かけた。

「……家同士が仲が良く、幼少時から婚約していた。彼女が16歳の成人を迎えた時に結婚すると疑っていなかった」

 加えて幼馴染でした。手強いどころか勝ち目がない。しかも彼の口ぶりからすると、明らかに初恋の人ではないか。何だこれ。3重苦か。

「だが、13年前のあの時に婚約は破棄。謀反人に可愛い娘を嫁がせる奴などいない、というわけだ。彼女も親の反対を押し切ってまで、親が決めた婚約者の元へ来るほどの気概はなかった。以来一度たりとも会っていない。手紙すら寄越したこともない。それだけだ」

「……嘘」

 彼は気づいていないのだろう。普段よりずっと饒舌なことに。再会を果たしたあの時、彼女がよりによってあの男の妻だと聞いた時に、どれだけ傷ついた顔をしていたかなど―――

「今でも好きなんでしょう?」


 長い沈黙は暗に肯定を意味していた。



 お互い敢えて目線を外していた。ガルヴェインはじっと耐えるように俯いたまま、私は壁にかけられた誰なのかも分からない肖像画をぼんやりと眺めていた。

「……仮にそうだったとして」

 仮って何だ仮って。図星以外の何があるんだ。突っ込みたい気持ちは抑えてガルヴェインの言葉の続きを待つ。

「今更彼女とは何の関係もないのは事実だ。君も以前言っていただろう? あちらが何を企んでいるにしろ、分かっていてむざむざ騙されるほど愚かではない」

「……“わたくし、レギアスに無理やり嫁がされたのです、どうかわたくしを連れて逃げて”」

 一瞬出会っただけのミレイユさんだが、佇まいや雰囲気から恐らく深窓の令嬢だろうと想像できた。出来る限りしおらしい娘を演じて猫なで声を出してみる。なかなかのものだった。ガルヴェインの目が点になっている。

「何の真似だ」

「とか何とかミレイユさんに色目使われたら、鼻の下伸ばしてフラフラついていきそうだって言ってるの」

 自分でも情けないほどイライラしている。みっともない嫉妬心だ。だが、僅かに残った冷静な自分が、そういったことが起こり得る可能性を否定しきれない。宰相の策かもしれないと懸念してみたのだが、馬鹿にした風の物言いに案の定ガルヴェインの端正な眉は跳ね上がった。乗るなよ、私ごときの挑発に。

「そんなことあるわけがないだろう!」

「そうかなー。さっき傍で見ても分かるほどに動揺していたじゃない」

「おまっ……! 君だって、目の前にいきなり好意を寄せていた人間が久方ぶりに現れれば、動揺の一つぐらいするだろう!?」

「わ、分からないよそんなこと!」

 完全に頭に血が上っていた。イライラしていたところに、ずっと気にしていたコンプレックスを刺激されたのだ。ベッドから立ち上がりガルヴェインに食いつくように歩み寄った。八つ当たりよろしく怒鳴り返す。

「どーせこちとら恋人なんていたためしないよ! 誰かを好きになったこともないよ! ガルヴェインみたいなモテる人には分かりっこないよ!」

 勢いに任せ、2,3回彼の胸をドスドスと叩いた気がする。私くらいの細腕では蚊が刺したようなものだろう。

「ち、ちょっと待」

「出てって!」

 しまいには部屋から押し出してしまった。力任せにドアを閉め、鍵を内側からかける。ばかやろーと叫びながら、ベッドに突っ伏して泣いた。




 平凡な日々を送りながら、ずっと夢を見ていた。

 高校生になったら彼氏が出来て一緒に登下校したり手を繋ぐだけでドキドキしたり、大人になったら素敵な人と恋に落ちて幸せな結婚をして、やがて子供が産まれて旦那様と我が子と平穏な家庭を築くのだと。ごく当たり前に自分の身に起こることだと信じて疑っていなかった。

 友人の結婚式を純粋にお祝いする気持ちで出席出来たのはいつまでだったか。純白のウェディングドレスに身を包む友を、どうせ私には無縁だと恨みがましく見始めたのはいつ頃からか。

 酒の肴で盛り上がる猥談を適当な相槌でかわすようになったのはいつ頃からか。どうせキスもしてないよと自虐に包まれるようになったのはいつ頃からか。

 若い子ならともかく、この歳で『何もない』ことがマイナスどころかドン引きされるということは重々承知していた。

 最大のコンプレックスで、でもどうしようもなくて。

 いっそ何も望まないようにしようと諦めて、168円のゼリーに小さな幸せを見い出していたのに。


 少し優しかったから。

 ふっとはにかむその顔がじんわりと胸を温めたから。

 まっすぐに「守る」と誓ってくれたから。

 たとえ仕事でも傍にいてくれたから。

 期待してひとりで盛り上がって勝手に好きになって、でも彼には長く―――きっと今までの30年間ずっと想い続けている人がいた。





 気が付くと、既に部屋が暗闇に包まれていた。

 いつの間にか眠っていたらしい。枕元が涙なんだか涎なんだか分からない半乾きの液体で汚れていた。慌てて口元を拭い周囲を見回すが、暗闇は深く足元さえ覚束ない。どれくらい寝入ってしまったのだろうか。時計というものが存在しないことが悔やまれる。窓から空を眺めてみると、霞がかった半月が静謐な青の輝きを放っているだけだった。


 半身を起こしてベッドに腰かける。途端に冷静になって先ほどの失態がコマ送りで脳裏に映し出されてきた。

 ガキか! いや、子供より性質が悪い! どこを取っても三十路過ぎのオトナの女性のする行動ではない。明日からどんな顔で彼と会えばいいのだろうか。それより呆れて帰ってしまったかもしれない。情けなさと恥ずかしさと申し訳なさとで思わず顔を手で覆って頭を振ると、タイミング良くお腹から空腹を告げる悲鳴が響いた。

 ……人間、どんなときであろうと腹は減るものだ。そういえば寝てしまって夕飯を食べていなかった。

 しかし、仮にも黒の竜の従者様がおわすというのに、食事も用意してくれないとはどういうことだ。上から目線で恐縮だが、今までお世話になったアークやオリエルのお城では、侍女が食事のたびに呼びに来てくれていたのでそれに慣れてしまっていた。いや、逆に敢えて人を避けているのだと思うべきか。サラフィナが「そうそう人が近付かない」と言っていたではないか。侍女が実は暗殺者でした、ということも考えられるし、用意された食事に毒が入っている可能性もある。この城にいる以上すべて自分で行動しなければならないだろう。

 ウエストポーチの中に忍ばせておいた干し肉を手探りでつまみ出す。ポーチの中に火打石の感触があったが、明かりはやめておこう。使い方は心得ているがまだ使い慣れておらず点けるのに時間がかかるし、光が漏れれば自分の居場所をご丁寧に知らしめることになるのだ。本日のささやかな夕飯を口に放り込んだが、硬く小さな乾燥肉では空っぽの胃が満足するはずもなく、盛大に不満を漏らしてきた。ダイエットだ、ダイエット。耐えろ、私の胃よ。自分をごまかす為にお腹を押さえながらベッドに横たわり、少し微睡んだ。


 次の目覚めは夜明けの頃だった。窓の外は朝もやで霞んでいる。寝ぼけ眼をこすり、大きく伸びをした。起きるにはまだ少し早かったかもしれないが、二度寝は危険だ。……寝過ぎるという意味で。暇つぶしに室内を改めて見渡してみて、大きなクローゼットに注意が向いた。そっと開けてみると、色とりどりのドレスがかけられていた。夜会で着るような豪華なイブニングドレスから、姫君の普段着と思われる控え目な(だがもちろんレースたっぷりの)ドレスまで数も種類も豊富だ。中には、布の意味があるのだろうかと思われる扇情的なナイトウェアも見受けられたが、そういえばここは元後宮だった。王の寵愛を受けるために涙ぐましくも熾烈な女の戦いが繰り広げられていたのだろう。とりあえずデザインがどれもレースたっぷりリボンふんだんの乙女仕様で私に似合いそうなものはないし、着てみて針が仕込まれでもしていたらアホ過ぎる。持ってきた無難なローブを羽織り直した。

 部屋を意味なく探索したりベッドのシーツを整えたりしているうちに部屋が随分と明るくなってきた。日が完全に昇っていた。サラフィナもそろそろ起きているだろう。ゆっくりと鍵を開け、ドアから半分ほど顔を出し周囲を見渡した。誰もいない。……ガルヴェインはどうしたのだろうか。そっと部屋から出てドアを閉める。

「どこへ行く気だ?」

「ヒィィィィッ!!!!」

 間違いなく5㎝は飛び上がった。人生最大の速さで脈打つ心臓を撫でながら振り返る。驚かせた張本人が仏頂面で立っていた。

「び、びっくりさせないでよ!」

「それはこっちの台詞だ。ひとりで行動するなとあれほど言っていただろうが」

「が、ガルヴェインを探しに行こうと思ったんだよ!」

 ほお、と疑いの眼差しで睨んでくる。怒っている、だろうなあ、たぶん。

「ずっと廊下におりましたよ、従者様。ドタバタと身支度をする音がしたからこちらも準備していたら、少し目を離した隙に逃げるように出ていく。何事かと思った」

「だから、ガルヴェインを探そうと……え、ずっと廊下にいたの? 一晩中?」

「何しろ突然追い出されてしまったのでね。見張るしかないだろう」

 意地悪くにやりと笑いながら嫌味を含んで見下ろしてくる。そこに揶揄はあろうとも怒りは見受けられなかった。あまり機嫌を損ねていないことに安堵しながらも、一晩中冷たい廊下に居座らせてしまった罪悪感でいっぱいだった。頭を下げるしかない。

「ご、ごめんなさい……」

 気にするな、と下げた頭を2,3回ぽんぽんと叩いてきた。う、ここでそれはない。優しくされると惚れてしまうだろ!


 「……昨日の件だが……」

 ガルヴェインは真顔になって顎に手を当てた。昨日の情景を思い出しているようだ。

「あの場に彼女が現れたのは、レギアスの差し金としか思えない」

 私も力強く頷く。タイミングが良過ぎる。

「たぶんガルヴェインを動揺させようとしたんだと思う。動揺だけじゃなく、うまくいけば懐かしさで接触してくるって予測したのかも。元婚約者だって聞けば、私だって遠慮しちゃうし……」

「遠慮?」

「あ、いや、だから、ガルヴェインが会いに行きたいって言えば許しちゃうなーって」

 強引にごまかしたら彼は生真面目にも「許しては駄目だろう」と凄んできた。それに、と続ける。

「君が言うように彼女が誘惑してきたとしても、乗るほど彼女に執着していない」

「……本当に? 今でも好きなんでしょう?」

 彼は肯定とも否定とも取れない微妙な面持ちで見つめ返してきた。彼自身、己の気持ちを理解しきれていないのかもしれない。思いを量るかのように一度静かに目を閉じ、

「違う、思い出した」

 ゆっくりと開く。澄み切った翠だ。

「私に謀反の嫌疑がかけられた時、誤解だと彼女に詰め寄った。その時に向けられた、汚らわしいものを見るあの目を―――」

 彼の拳を震わせるものは、激昂か悲愁か。謀反の疑いをかけられ、真意はどうあれ自分のせいで父を亡くし、母に捨てられ、婚約者からも蔑まれた。17歳の少年にはどれほどの衝撃だっただろうか。

 だからこそ、今現れた彼女へ執着するのではないか、という黒い推測を胸の深い所へ押し沈める。彼が出した結論を私が蒸し返すことはない。信じよう。奴の策だと分かっていてむざむざ引っかかる人ではないはずだ。……すべてが終わったら彼がどうするか、はこの際置いておく。


 微笑んで頷いたことで私も了承したと取ったのだろう。ガルヴェインはようやく顔をほころばせた。

「それで女性不信になって、自棄酒あおってぶっ倒れたことも思い出した」

 顔面蒼白ななり二日酔いでふらついているガルヴェインを想像してつい声を上げて笑ってしまった。

「本当に下戸だったんだ?」

「何だ、本当って。あんなもの旨いと思う奴の気が知れない」

 いかにも体育会系の軍人が呑めない、ということがどうしても結びつかなくてつい笑ってしまう。ガルヴェインの意外な弱点を見つけて優越感のようなものも感じていた。笑い続ける私に気分を害されたようで、チッと軽い舌打ちが漏れた。

「それに今は、癇癪を起こして当たり散らす従者様をお守りする使命がありますので、他のことに構っている余裕はございません」

 愉快な気持ちが一気に霧散した。昨日の駄々っ子攻撃が脳裏にフラッシュバックする。

「う、ご、ごめんなさい……」

 今日のガルヴェインはどうにも従弟殿と重なる。ニヤニヤほくそ笑む顔が、腹立たしいほど似ているではないか。もうこの際双子でもいいんじゃないの。

「お願いだからもう忘れてください。カッとなっただけで、深い意味もないから!」

「いや、プライベートに関わる言葉だった。私こそ失礼した」

 もっと突っ込まれるかと思いきや、急に柔和な表情になる。

「不謹慎だがむしろ安心した」

「安心? どの辺に?」

「君は、こちらに来た時も取り乱さなかっただろう? 淡々と現実を受け入れ、私たちの無茶な要求に当然のように応えようとしている」

 いや、取り乱していたが悲鳴も上げられないほど恐ろしかったのだ、目の前の人にナイフをちらつかされて。無茶な要求とはいえ、従わなければ命を奪う勢いだったのはどこの誰だ。と心の中でツッコミを入れまくったが黙っておく。ガルヴェインの声が随分と優しかったからだ。

「昨晩初めて人らしい感情を見せてくれた気がした。まるで子供のように……」

 ガルヴェインは不意に口を手で覆い顔をそむけた。何事かと見れば、肩が細かく震えている。

「……ちょっと……」

「す、すまない、あまりに必死の形相で……っく」

 いっそ大笑いでもしてくれた方が恥ずかしさも軽減されたのに、変に気を遣って笑いを堪えているせいで怒りの方がこみ上げてきた。おかげでもう一度駄々っ子パンチを浴びせる羽目になってしまった。







ただのイチャコラにしか見えませんが力不足です。

ガルヴェインなりに清算した、ということでひとつご理解ください。

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