第30話 新人教師、三日で胃を壊す
王立魔法学園は慢性的な人手不足だった。
生徒数は年々増加している。ダンジョン利用者も増えている。観光客も増えている。
ついでに黒ちゃんのファンまで増えている。
その結果、教師たちの仕事量も順調に増えていた。
「……人が足りません」学園長は机に突っ伏したまま呟いた。
死んだような目をしているが、一応生きている。
そんな事情もあり、学園では新たな教師を募集することになった。
そして、採用されたのがアラン・フォード。二十四歳。
王都魔法大学を首席で卒業した若きエリート教師だった。
初出勤の日。
学園の門をくぐったアランは胸を高鳴らせていた。
名門学園で教師として働く。学生時代からの夢だった。期待と不安はあるが、それ以上にやる気に満ちている。
「よし、頑張ろう」
そう呟きながら職員室の扉を開いた。
「本日から勤務します、アラン・フォードです! よろしくお願いします!」
元気よく頭を下げる。職員室から温かい拍手が起こった。
「よろしくお願いします」
「困ったことがあれば相談してください」
「胃薬は常備した方がいいですよ」
「……はい?」
最後だけ意味が分からなかった。だが聞き返す前に扉が開く。
「おはようございます」
入ってきたのはルーファスだった。噂で聞いていた有名教師である。
「こちらがルーファス先生です」
学園長が紹介する。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくお願いします」
想像していたよりずっと普通だった。穏やかそうだし話しやすそうだ。アランは少し安心した。その数分後までは。
職員室の扉が勢いよく開いた。
「ルー先生!」
女子生徒が飛び込んでくる。
「相談があります!」
その瞬間、なぜかルーファスの顔色が変わった。
「待て」
「好きな人が!!」
「やめろぉぉぉぉ!」
ブッ。
ルーファスが吐血した。
アランの思考が止まる。「え?」
「先生!? 大丈夫ですか!?」
女子生徒も慌てている。だが追撃は終わらない。「実は告白を!!」
「ぐふっ!」
二度目の吐血だった。
「ミラ! 保健室!」
「了解です」
銀髪の少女が現れ、慣れた手つきでルーファスを担ぎ上げる。
そして、そのまま消えた。
静まり返る職員室。アランだけが取り残される。
「……えっと」
教師たちは平然としていた。
「いつものことです」
「慣れれば気になりません」
「慣れるんですか!?」
その日、アランは初めて不安を覚えた。
二日目。
朝の職員会議。
「本日はダンジョン実習があります」
学園長の説明を聞きながらアランは頷く。
ダンジョンを活用した実践教育。珍しくはあるが、十分理解できる範囲だった。
問題はその後だった。実習場となるダンジョン入口へ到着したアランは立ち止まる。
そこには巨大な看板が立っていた。
【ルー特製地獄コース】
「……何ですか、あれ」
「見ての通りです」
ミラが答えた。答えになっていなかった。
その前ではルーファスが生徒たちに指示を出している。
「行け」
「嫌です!」
「行け。前進だ」
「怖いです!」
「行けよ。死なないから」
「先生は鬼です!」
「それは知ってる」
認めた。しかも、即答だった。
生徒たちは涙目になりながらダンジョンへ入っていく。
数分後。
奥から悲鳴が聞こえてきた。
「ぎゃああああ!」
「オークがいるぅぅぅ!」
「助けてくださぁぁい!」
アランは引きつった笑みを浮かべる。
「……これ、教育ですよね?」
周囲の教師たちは顔を見合わせた。誰も即答しない。その沈黙が一番怖かった。
その日の帰り道。アランは薬屋に立ち寄った。胃薬を購入するためである。
三日目。
登校したアランは校庭で足を止めた。何か大きな黒いものが見える。最初は見間違いだと思った。だが何度見ても同じだった。
黒竜である。
巨大な黒竜が校庭のど真ん中で寝転がっていた。
その周囲では生徒たちが楽しそうに遊んでいる。
「黒ちゃん、おはよう!」
「グルルル♪」
頭を撫でられた黒竜が嬉しそうに鳴いた。
危険度Sランク。災害級魔物。
どう見ても黒竜。何度確認しても黒竜だった。
「なんで?」思わず声が漏れた。
そこへルーファスが通りかかる。
「おはようございます」
「おはようございます!って、挨拶よりも事件なんですが!?」
アランは黒竜を指差した。
「なんで黒竜が校庭にいるんですか!?」
「ああ、住み着きました」
「野良猫みたいに言わないでください!」
「帰らないんです」
「追い出してください!」
「無理でした。でも何となく可愛いでしょ」
まるで諦めた飼い主のような口調だった。
アランが頭を抱えていると、黒竜がゆっくり立ち上がる。
そして、こちらへ歩いてきた。地面が揺れる。アランは青ざめた。死を覚悟した。
だが。
「グル?」
黒竜は首を傾げると、そのままペロリと頬を舐めた。
「……え?」
巨大な犬にじゃれつかれたような感覚だった。
「歓迎してますね」
ミラが解説する。
「これが歓迎なんですか!?」
「かなり好かれてます」
「基準がおかしい!」
生徒たちは笑っていた。
「黒ちゃん優しいですよ」
「ふわふわで気持ちいいです」
「抱き枕にすると最高です」
「黒竜だぞ!?」
誰も危険視していなかった。
その夜。
職員寮の自室。
アランは机に向かって日記を書いていた。
『一日目。教師が恋愛相談で吐血した。』
『二日目。生徒がダンジョンに放り込まれた。』
『三日目。黒竜が校庭で舐められた。』
そこまで書いてペンが止まる。
しばらく考えた末、「なんだこの学園……」そう呟いて日記を閉じた。
理解することを諦めたのである。
翌朝。
職員室に入ると、学園長が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
アランはやつれた顔で答える。
「胃が痛いです」
「正常ですね」
「正常なんですか!?」
ベテラン教師たちが揃って頷いた。
「最初はみんなそうです」
「一週間で慣れますよ」
「一か月で諦めます」
希望が一つもなかった。
こうしてアラン・フォードは、王立魔法学園の洗礼を受けることになる。
ちなみに三か月後のダンジョン入口。
「先生! 地獄コースは嫌です!」
「甘えるな。行ってこい」
「先生までぇぇぇぇ!」
泣き叫ぶ生徒を見送りながら、アランは満足そうに頷いた。
人間とは環境に適応する生き物である、良くも悪くも。




