港の整備
アヤノはごく自然な動きで、ドラゴンと私の間に一歩進み出て、その場で改めて深くお辞儀をした。
そして、
「寛大なご判断、誠にありがとうございます」
と、きちんとした口調で感謝を述べる。
そんな彼女に対し、私は肩をすくめた。
「感謝される筋合いはないわね」
「あなたたちが“しっかりと面倒を見る”と言ったから、水神という存在を“条件付きで許した”だけよ」
「感謝すべきなのは――あなたの“その存在”が、あなたに対して行うべきだわ」
その言葉が届いたのかどうか。
シードラゴンは、氷塊に固定されたままの巨体をぎしりと動かし、
その大きな頭を、ぐっと下げた。
『ええ、ドラゴンが首を垂れたの? こっちの言葉を理解してる感じなのかな』
『なんか、そういう側面って“可愛い”かも。見た目はこれっぽっちも可愛くないけどね』
(確かに、タイミング的には“そう判断してもおかしくはない”わね)
ただ――人語を理解するドラゴンなど、少なくとも文献上では聞いたことがない。
だからこそ、私はあえて“曖昧な指示”を出してみる。
「面を上げなさい」
対象を、名指ししないまま。
アヤノは、その言葉を受けて、すっと体を起こした。
ドラゴンは――一拍遅れてから、ゆっくりと頭を上げる。
これは。
(単に、“アヤノの行動を真似しているだけ”なのね)
『うわ、すご。マティルダ今の見た? 完全に“人の言葉を理解してた”じゃん』
『こんなに頭がいいのもいるんだね……うわでも』
『そう考えると、ゲームで“討伐しまくってた”のが、ちょっと心に引っかかるかも。でもあれはファンタジーだから……うん……』
また妙な方向に思考を飛ばしているリカはさておき――
(……しっかり“釘”を刺しておく必要があるわね)
そう判断し、私は二人へと向き直る。
「私は“水神を許した”わけでも、“迎え入れた”わけでもない」
「“しっかりした保証人”がいるから、その存在を“暫定的に許した”だけに過ぎないわ」
アヤノとシードラゴン、両方に、わざと少しきつめの視線を向ける。
アヤノは真正面からそれを受け止め、表情ひとつ崩さない。
一方で、ドラゴンの方は、わずかにたじろいだ。
喉の奥から、グルルル……と、先ほどまでの咆哮とは違う、少し情けない低音が漏れる。
「だから――“約束違反”をしたら」
私は右手をゆっくりと持ち上げる。
「私は“問答無用で”、あなたのことを“処分”するわ」
「それを、忘れないことね」
そう言いながら、先ほどから静かに構築していた大規模術式を起動させる。
空間系魔法の中でも最大級の威力を誇る――虚空の魔法。
広範囲に渡って“空間そのもの”を削り取り、
それに飲み込まれたものは、跡形もなく“消滅”する。
それが水であろうと、岩であろうと、空気であろうと――一切お構いなしに、
“存在していなかったこと”にしてしまう魔法だ。
本来、港の整地にこんな大魔法を使えば目立ちすぎる。
だが今は騒ぎのせいで、“人払い”も済んでいる。
港の形状を一気に整えるついでに――
ドラゴンとアヤノに対して、“私の力の一端”を見せるにはちょうどいい。
私の手元に、禍々しい気配をまとった“黒い球体”が生まれる。
それが、ゆっくりと前方へ滑り出す。
黒球が通り過ぎた場所は、文字通り“ぽっかり”と消え失せる。
あったはずの海水も、岩礁も、砕けた石材も――そこだけ、何もない“空白の場所”になる。
だが、その空白もすぐに、周囲から流れ込んでくる空気や海水によって埋め戻され、
ただ“地形だけが意図した形に削り取られた跡”となる。
私は、その黒球の大きさや軌道を何度も修正しながら走らせ、
港の海底と海岸線を、理想とする“港湾の形状”へと削り出していく。
啞然と立ち尽くすアヤノと、
呆然と目を見開いたままのシードラゴンを尻目に、ただ淡々と“整地”を続けた。
少し――いや、かなり夢中になって地形をいじり過ぎたせいか、
周囲の“海流”が滅茶苦茶になってしまった。
通常ならあり得ない向きと速さで波がぶつかり合い、
岸の近くには複雑な渦がいくつも生まれている。
だが、その“滅茶苦茶な海流”の中にあっても――
シードラゴンだけは、まったく動じていなかった。
巨大な体を微妙に傾け、最小限の動きで流れを受け流し、
その身にかかる負荷を自然に散らしている。
さすが、“海神”と称されるだけのことはある――と感心しかけて、ふと気づく。
まだ、ドラゴンが“氷漬け”のままだということに。
生命力が復活したことで、尾や背びれの一部は氷塊から抜け出しているが、
その大部分はいまだ分厚い氷に覆われたままだ。
(あまりにもデカいから、“これはこれで自然体”に見えてしまっていたわね)
しかし、いつまでも氷漬けというのは少し可哀そうなので、溶かしてあげることにする。
私はドラゴンに向かって、まず“拘束魔法”と“防御魔法”を重ねがけし、
続けて《煉獄炎壁》の詠唱を紡いだ。
次の瞬間、シードラゴンの周囲に、天まで届きそうな高さの轟々と燃えさかる“炎の渦”が立ち上る。
「マティルダ様、これはいったい――!」
アヤノが悲鳴にも似た声を上げたので、
「あなたたちの“神”は無事よ。黙って見ていなさい」
と、一言で一蹴する。
やがて、炎が静かに収まっていく。
そこには――氷は、きれいさっぱり跡形もなく消えていた。
そしてシードラゴンの鱗には、傷ひとつ、火傷ひとつ残っていない。
最後の仕上げとして、私は港一帯の海水へと手をかざし、
乱れきっていた海流と波の向きを制御する。
うねりは徐々に均され、複雑な渦も解けていき――
やがて港の海は、先ほどまでと同じ、“穏やかな姿”へと戻っていった。
自然環境はこうもあっさりと“普段どおり”を取り戻したというのに――
人間側は、そう簡単には元には戻れないらしい。
アヤノは、どこか上の空のまま、自分の頬をつねっては、
これが本当に現実なのかどうか、時おり確かめている。
シードラゴンも、さっきまでの威厳はどこへいったのやら、
氷から解放された巨体をぎゅっとすぼめて、
ドラゴン種とは思えないほど、か細い声でグルグルと鳴いている。
『なんだか“怯えた子犬”みたいだね』
というリカの例えが、妙にしっくりくるくらいには、完全に怯え切っていた。
遠くの岸辺では、吹き飛ばされていた冒険者たちが、
なぜか一列に並んで“土下座”しているのが見える。
もはや何に対して詫びているのか分からないが、なかなかのカオスだ。
そんな最中――
「姉上、ご無事でしょうか!」
と、少し離れた場所から、レオの声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
そこからが、本当の意味で“地獄”だった。
海神が現れたと大騒ぎになっている最中で、
私自らが“天変地異”のような現象を起こしてしまったのだ。
しかも、その中心には、縮こまって威厳が半減したとはいえ、依然として“ドラゴンはドラゴン”としてそこにいる。
人々からすれば――
海神が現れ、
海が割れ、
地形がひっくり返り、
その中心に立つのは、ヴァルデン家の令嬢。
そして、そのドラゴンは、私に対して“平伏し”、
冒険者たちは一斉に“土下座”して、神に祈りを捧げている。
事態を一番よく知っているはずのアヤノは、どこか上の空のまま。
港は、先ほどと形状がまるで別の土地のように“様変わり”してしまっている。
そう――人々は、本気で「神が降臨した」と思い込んでしまったのだ。
そこから、“誤解を解き”、
「これはあくまでヴァルデン家の“魔術的工事”であり、海神の怒りではない」
「シードラゴンは白鷺商会が“管理し、共存する”」
といった筋書きに着地させ、
なおかつ“港の工事を再開できるところまで話をまとめる”のに――
結局、夜までかかってしまった。
それに、私たち用に用意されていた建屋は、
誰かさんが壁をぶち壊してしまったせいで、すっかり“使い物にならない”し、そもそも宿泊場所としての運用は想定されていない。
そのため、その晩は――
アヤノ用に建てられた邸宅で、一晩を明かすことになった。
白鷺商会は商人のなかでも、力を持っている方であり
そこらの下級貴族よりも、よほど“良い生活”をしている。
だが、その邸宅には、過度な贅沢品はあまり置かれていない。
代わりに――
家具一つ、食器一つ、カーテンや敷物に至るまで、
どれも“質の良いもの”が、必要なだけ、きちんと揃えられていた。
急遽開かれた晩餐会には、ハーウッド商会も招待され、
昼の大騒動がなかったかのように、その場は和やかな歓談に包まれた。
本来であれば、ここでエリオとゆっくり話をしておきたかったのだが――
彼は完全に私を恐れており、何より“レオにべったり”だった。
どうやら、私がドラゴンと格闘しているあいだ、
レオは民衆の沈静化に奔走し、見事に場を収めてみせたらしい。
その姿にすっかり憧れてしまったのか、
エリオは晩餐中ずっと、積極的にレオへと話しかけに行っていた。
そのため、私はエリオを諦め、
アヤノとリーズとで、今後の港と工場運営について詰める場とした。
晩餐会がお開きになり、客室へと戻る。
さすがに“風呂を借りる”のは遠慮し、
今回はリフレッシュの魔法で身を清めるにとどめたあと――
さて、そろそろ就寝しようかと思ったところで、ふと違和感に気づく。
屋敷の中にあるはずのアヤノの気配が、ない。
気配をたどると、どうやら“港の方角”にいるようだったので、
様子を確かめに行くことにした。
◇ ◇ ◇
今宵は満月であり、夜道は歩きやすかった。
白い月光が、雪と海面を淡く照らし出し、
街灯の少ない港への道すら、ぼんやりと輪郭を浮かび上がらせている。
港までたどり着くと、そこにアヤノの姿があった。
冬の冷え込みが骨身に染みるはずの空気の中、
彼女は薄着のまま、波打ち際に立っている。
周囲には、うっすらと魔力の気配が漂っていた。
(アヤノも“魔術師”で、気温操作の魔法を使っているのね)
それよりも――
日中、氷漬けになっていた“あのドラゴン”と、
まるで旧知の友人とでも接するように向かい合い、
何か言葉を交わしている様子の方が、よほど目を引いた。
アヤノは気配に気付き、振り返る。
昼には見せなかった、素直に驚いた表情を浮かべた。
そんな彼女に、私は肩をすくめて声をかける。
「あら、逢引の邪魔をしてしまったようね」
「見なかったことにして、立ち去ってあげた方がいいのかしら?」
「こんばんは。……っと言っても、先程までご一緒していましたね」
「マティルダ様は、いつ来ていただいても歓迎しますよ」
「それに、逢引ではありません」
「だって、この水神様は“メス”ですもの」
「あなた、ドラゴンの性別が分かるの?」
ドラゴン種はオス・メスの判別が難しく、専門家でなければ見分けがつかない。
中でもシードラゴンは“判別が難しい種”として有名だ。
どのくらい難しいかというと、
シードラゴン同士ですら判別を誤り、同性間で求愛行動をとってしまう個体がいるくらいだ。
そのため、“同性愛のシンボル”として語られることもあるドラゴンなのである。
「はい。私の生まれ故郷には、海神様と言葉を交わすための“特別な言語”があるのです」
「それで、ある程度お互いにコミュニケーションが取れるのですよ」
魔法と言語を組み合わせた、“表現”で言葉を交わすらしい。
シードラゴンと話した結果――
「この海神様は、推定二百年以上もこの海域に住んでいる、“この一帯の主”のような存在であったそうです」
「そして、日頃はもっと沖の方を縄張りとしているそうですね」
「ふーん。そこまで情報伝達ができるものなのね」
「水神様は非常に賢いのですよ。年月を重ねたものは人並み、いや、それ以上の知恵を持つと言われています」
「その知を生かし、自身の海域が荒れないように“管理”する」
「その結果、“水神”として、人々から崇められるのです」
「ですが、私としては――水神様よりも、マティルダ様の方が“神様”に近いと思いますね」
「御身に宿っている力は、もはや“人の身”を超越しています」
私とアヤノの会話内容が気になったのか、
頭を近づけてきたドラゴンに、アヤノがあの“特殊な言葉”で何かを告げる。
するとドラゴンは、その巨大な首を、大きく縦に振った。
「本当に知性があるのね」
「まあ、今後、そんな私に“力を使わせないように”しなさいと、言っておいて頂戴ね」
アヤノは、ドラゴンに耳打ちするように短く告げる。
ドラゴンは、平伏するように、さらに深く首を下げた。
「『絶対に逆らいません』と仰っています」
「それを“信じる”とするわ」
その後、しばし他愛もない談笑を交わしたあと、
ふと気になっていたことを尋ねる。
「そういえば――どうしてこの水神は“港を襲撃した”のかしら?」
「それはですね、“沖に超強大な魔術が使用された気配がしたから”、確認しに来たようです」
『“超強大な魔術”って、絶対にマティルダの整地したアレじゃん』
リカの突っ込みに、私は心の中でだけ肩をすくめる。
「水神様……シードラゴンは、自身の“縄張り”で大きな異変が起こると、それを“確かめに来る”生態があるのです」
「今回も、“放置すれば海がどうなるか分からないほどの力”が何度も行使されたので、様子見に来た……ようです」
「ふーん。“様子見”ね」
「それと、もう一つ理由があるそうです」
「もう一つ?」
「はい。“この港を作ること”に、興味があったそうです」
アヤノは、波打ち際を一度見やる。
「ここは、もともと海流の向きや海底の形状の関係で、“自然と船が集まる場所”であったようです」
「ですが、“浅瀬と岩場が多く”、大型の船を停めるような港にはならなかった」
「そこで今回、人が“自然に手を加え”、その流れを自分たちの都合の良いように作り替えた――」
「それが“気に食わなかった”と?」
「いいえ、そんなことはありません。むしろ“その逆”です」
アヤノは首を横に振る。
「“地形をどう変えると、どういった海流の動きになるのか”」
「“その地形は、どうやって作られたのか”」
「――それが、“気になった”ようです」
「なかなかに知的好奇心旺盛なのね、“水神様”は」
「ええ、その通りです」
アヤノは、どこか誇らしげに続けた。
「それに、マティルダ様の魔法によって整備された“港の跡”を見て――非常に感心しておられました」
「『実に素晴らしい』と、そして『自分でもやってみたい』、はっきり仰っていましたよ」
「やる気があっていいわね」
私は思わず口元を緩める。
「じゃあ、今度“港工事の専門家”を派遣するから、その知識を吸収しなさい」
「そして、その知識を生かして“この一帯の整備”を命じるわ」
そこで、軽く肩をすくめて付け加える。
「……そうね。“無償で”というわけではないわ」
「褒美は出してあげる。何か望むものはあるかしら」
アヤノはシードラゴンの鼻先に近づき、何事かを耳打ちし、返答を受け取る。
「『要らない』と言っています」
「仮にも“神”と評されてるんだから、遠慮するんじゃないと伝えなさい」
ドラゴンは、どこか気まずそうに目を逸らしながら、再びアヤノに言葉を送る。
「『“番”が欲しい』そうです。それも『なるべく“カッコよく強い個体”が良い』……と言っています」
『うわ、このシードラゴンも“パートナー”が欲しいんだ』
『シードラゴンの“イケメン”って、どんな感じなんだろうね』
リカのどうでもいい感想が頭の中で響く。
あなたといい、アヤノといい、水神といい――
どうしてメスというのは、こうも“イケメン”を求めるのか。
(……全く理解ができないわね)
月明かりの下、私はそんなことをぼんやりと思うのだった。




