港整備
私がエリオの発言を急かすようにじっと視線を向けると――
彼は表面上は社交的な笑みを崩さなかった。
だが、頬や口元の筋肉の微かな強張り、
肩から指先にかけての力の入り方、
そして何より、体内を巡る魔力の流れが“警戒”から“戦闘態勢”へとじわじわ推移していくのが、はっきりと分かる。
怯えているのは間違いない。
それでも表情には一切の亀裂を見せない。
(……ここまで“隠せる”のは、中々の才能ね)
と純粋に感心していると――
『……いや、そんな問い詰め方、“尋問”だからね?』
リカが呆れ半分で文句を言ってきた。
『なんでマティルダは時おり“威圧的”になっちゃうのかな?』
『ただ「興味があるから、ぜひ貴方の口から聞きたい」とかでも成立した話じゃん』
『エリオ君、見た目どおり“打たれ弱い”んだからね。マティルダがちょっとぶつかっただけでも、骨折しちゃうくらいには弱々なんだから。まあ、その弱さも守ってあげないとって保護欲を刺激されて“推せるポイント”ではあるんだけどさ』
好き勝手言っているが、それは聞かなかったことにして――
「さあ、早く説明して頂戴」
私は言葉で改めて催促した。
エリオの反応を待っていると、意図的に大きめの咳払いが会話の流れを断ち切った。
「…………姉上、この話は“場所を変えるべき”かと思います」
口を挟んだのはレオだった。
「あら。どうしてかしら?」
「姉上が彼から引き出そうとしている“新しい商材の情報”というのは、商人にとって“アイデアそのもの”が価値を持つものです」
レオは淡々と理路整然と続ける。
「それを“大人数”の前で語らせてしまえば、その価値は薄れてしまう」
「最悪、そのアイデアを“盗まれる”可能性すらあります」
「ですから、この場ではなく、“当家の屋敷”に正式に招いたうえで、そこで話を伺うべきだと考えます」
どうでしょうか、と首を傾げるレオに、私は少しだけ考え――
「……それも“一理ある”わね」
素直に認める。
「分かったわ。この商材の話は、後日、我が屋敷にて聞くことにする」
そう言ってから、あえて付け加える。
「ただ――その際、リーズ代理。あなたの“同伴を禁じる”わ」
室内の空気がぴんと張り詰める。
「彼と“二人で”話したいから」
「「!?」」
周囲から、小さな驚愕の声と気配が一斉に漏れた。
真っ先に口を開いたのは、やはりレオだった。
「姉上、それはどういう意味でしょうか?」
珍しく、声にわずかな動揺が混じっている。
「どうも何も、“商材に関しての話”をするのに、部外者はなるべく入れたくない――そういう意味だけど」
事実をそのまま返すと、レオは一瞬眉を寄せた。
「ですが、“二人きり”などと……」
(……レオも、この話に“一枚噛みたい”ってことかしら)
鉱石にしろ武器にしろ――どちらもヴァルデン領の“主力産業”だ。
その新しい動きを、嫡男として押さえておきたいというのは、むしろ当然と言える。
「であれば――レオ。あなたも、この商談に“参加”しなさい」
私はレオの提案をあっさり受け入れる。
「ああ、そうね。ついでに“取りまとめ”もお願いできるかしら」
「……なぜ、私が……いや、………………」
レオは何かをぶつぶつと小声で呟いていたが、それは聞かなかったことにする。
「そういうことになったから、“後でしっかりとした説明”をよろしくね」
半ば強引に場を締めくくる。
レオの提案自体は筋が通っていたので採用したが、彼自身にとっては不都合な点があったらしく、未練がましく小さく呟き続けていた。
彼女らにはこれで退室してもらい、こちらもそろそろ帰り支度を――そう考えていた、その時だった。
港の方角から、低く響く奇妙な音が耳に届いた。
地鳴りとも波の砕ける音ともつかない、不吉な振動が窓ガラスをかすかに震わせる。
直後――
ドン、と乱暴に扉が開かれ、数人の役人が顔色を変えて飛び込んできた。
ノックすら忘れているあたり、相当切羽詰まっているようだ。
「マティルダ様、レオルド様、及びお客様方、“急ぎお逃げください”!」
息も絶え絶えに、先頭の役人が叫ぶ。
その声に、先程とはまったく別種の緊張が部屋の空気を一気に支配した。
アヤノが驚いて眉を上げ、リーズが反射的にエリオの前へと一歩出る。
エリオは状況を飲み込めていないのか、目を瞬かせて固まっていた。
私はひとつ、深くため息をつく。
「まずは、状況を教えてほしいのだけれども」
逃げろと言われてそのまま逃げるほど素直ではない。
「その後で、避難が必要かどうかを判断するわ」
「港に、海神が現れたのです!!!」
「はあ?」
思わず間の抜けた声が口から漏れる。
だが役人の様子を見る限り、冗談や誇張で言っているようには見えない。
私は立ち上がり、窓の外へと素早く視線を走らせた。
港の方角――さっきまで足場や資材で整然としていたはずの一帯で、今は人々が我先にと逃げ惑っているのが見える。
作業を投げ出し、道具を放り捨て岸から遠ざかろうとする職人たち。
指示を飛ばすことすら忘れ、同じ方向に走る役人たち。
私は即座に気配探知の魔法を行使した。
意識を港全体へと広げると――そこには確かに“ひときわ大きな気配”があった。
だが、その実態が見えたからこそ――
(……こんな、慌てるようなことかしら)
という感想も同時に浮かぶ。
少なくとも、“この港ごと飲み込む規模の災厄”ではない。
だが放置すれば、「海神の怒りがどうのこうの」と噂が独り歩きし、工事の中断や職人たちの逃散へと繋がるだろう。
(面倒だけど――ここで叩いておくべきね)
そう判断し、私は役人へ向き直る。
「その“海神”のところに、案内して頂戴」
「しょ、しょしょ正気ですか――!?」
先頭の役人が情けないほど裏返った声を上げた。
「私は正気よ。さっさと案内しなさい」
「しかし……危険が……それに、万が一があったら……」
煮え切らない態度をとる役人に対し、私は肩をすくめる。
「じゃあ、私は勝手に討伐に向かうわ」
そう言って応接室の外壁に向けて指を鳴らす。
次の瞬間、魔法で内部構造をねじ曲げ、石壁の一部を音もなく崩し落とした。
砕かれた石材は粉塵一つ立てることなく、すぐさま外側へと押し出され――
そこには港側へ直接出られる抜け道がぽっかりと開く。
「レオ。あなたはこの混乱の鎮静に努めなさい」
「分かりました。しかし姉上、何が起こっているのでしょうか?」
「大型の魔獣が出現しただけよ。討伐難度は“A”くらいかしら」
私は窓越しに感じていた魔力の揺らぎを思い出しながら答える。
「ただ、優秀な魔術触媒になる素材が採取できる個体だから、なるべく傷つけないように討伐する必要がある」
そう言いつつ、探知魔術の精度をさらに一段引き上げる。
「それに――今のままだと、死傷者が出かねないわね」
騒ぎに巻き込まれた作業員たちの位置、逃走経路。
冒険者と思しき気配も数人分、魔獣の周囲でうろうろしている。
「それじゃ、そういうことだから」
短く告げて、私は部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
外に出ると、標的はすぐに識別できた。
それくらい――巨体だった。
騒動の原因は、シードラゴン。
海に生息する龍種の一つ。
だが、その姿は“通常個体”の数倍はあろうかという規模だ。
濃い群青色の鱗が、荒れた海面から巨大な稜線を描くように突き出している。
胴だけで城壁に匹敵する太さ。
波の合間に見え隠れする体表には、いくつもの古傷が白い筋となって走っている。
過去の戦いの痕なのだろう。
(……これは、採取できる素材に期待が持てるわね)
大きく育ち生き延びた個体ほど、魔力の質も密度も高い。
そんなことを考えながら、私は各種補助魔法を重ねがけしながら、一気に距離を詰めていく。
空中浮遊の魔法と風魔法を駆使して、空中を滑るように加速をする。
魔法で重力の方向を全方へと捻じ曲げ、半ば落下をするような速度で、突風のように移動する。
『うわ、でか……シードラゴンって、こんなにデカいモンスターだったの?』
リカの声が半ば悲鳴混じりに響く。
『実物ってなんか、少し禍々しくて迫力あるね。あんなの本当に討伐できるの?』
「私を誰だと思っているの?」
私は淡々と返す。
「討伐するだけでいいのなら、この位置からでも魔法一発で終わるわ」
しかし――
傷をつければ触媒としての能力は著しく落ちる。
さらに近くには、まだ撤退しきれていない冒険者たちがいる。
まとめて吹き飛ばせば手間は省けるが、それでは後処理が面倒だし港の評判にもかかわる。
だからこそ、近づいて正確に仕留める必要がある。
私は逃げまどって人の間を縫うようにして距離を詰めていく。
「氷漬けにでもしてあげましょうかね」
『シードラゴンって、氷耐性かなり高いよ。あと炎耐性にもね』
『雷か風で攻めた方がいいんじゃないのかな』
リカがデータでも読むような調子で口を挟む。
「それでは、傷がついてしまうわね」
私は視線をシードラゴンの喉元に向けながら答える。
「心臓だけを破壊する方法や、呪術で内側から止める手もあるけど――後処理を考えると、氷魔法がベストよ」
シードラゴンが氷魔法の有効射程に入る。
だがその前に、まずは邪魔な冒険者たちを片付ける必要がある。
私は風魔法を行使し、海岸近くで剣を構えていた冒険者たちの足元に強烈な上昇気流を叩き込む。
「うおおおおお!?」
「な、なんだこれ――!」
悲鳴を上げながら、彼らは安全圏へと半ば強制的に吹き飛ばされていく。
雑で強引なやり方だが、日頃から鍛えている彼らであれば多少の打撲や擦り傷で済むだろう。
私は間抜けな声を上げて宙を舞っていく彼らを背後に追いやり、視界の正面に完全にシードラゴンだけを捉える。
『うわ、至近距離で見ると、めっちゃでか……え、これ水中部分も合わせると30メートルくらいはあるんじゃないかな』
『古傷も相まって、めちゃくちゃ怖いんだけど。本当にマティルダ一人で大丈夫なの? こんなの人が勝てる相手じゃないって……』
ビビっているリカを、私は完全に無視し
両手をわずかに上げ、氷魔法を発動する。
海面一帯に魔力が走る。
波頭にまとわりついていた水分が一気に熱を奪われ――シードラゴンの周囲から急速に氷へと変化していく。
ドラゴンもそれを察知したのか、巨大な尾で海をかき混ぜ、即座にその場を離れようと体をくねらせる。
だが、その瞬間を読んでいた私は別系統の魔法を重ねた。
――静止魔法。
時間の流れを縛るように、その巨体の動きを一瞬だけ凍り付かせる。
自分の体が思ったように動かないことに気づき、シードラゴンは一瞬たじろいだ。
が、流石に老齢な個体だけありすぐさま冷静さを取り戻し、私の存在を正確に捉えたのだろう。
ぐおぉぉーーーと海と氷を震わせるような咆哮を上げ――
大きく口を開き、こちらに向かってブレスを放とうとする。
シードラゴンのブレスは、圧倒的な水圧で全てを切り裂く“水刃”だ。
だが。
私は、その口から水が出ようとする瞬間を狙って、氷魔法を叩き込んだ。
喉奥から噴き出した水は、外気に殆ど触れる間もなく、その場で氷へと変質し――逆流するようにドラゴンの口内へと一気に侵入していく。
氷結は舌を、喉を、軟口蓋を、上顎を、次々と飲み込み――あっという間に頭部の内側を氷の楔で満たしていく。
シードラゴンはたまらず身をのたうたせようとしたが
――既に周囲の海は巨大な氷塊へと姿を変えていた。
海面から突き出たその巨体は氷に腰まで埋まり、尾も足も自由を奪われている。
咆哮を上げようにも、ブレスを吐こうにも――口は内側から氷で塞がれており、もはやどうしようもない。
完全に“詰み”の状態だ。
それでも、その巨体に見合う大きな眼だけは、なおも爛々と光を宿し、こちらをじっと捉え続けていた。
(まだ、戦意を喪失していない? どういうことかしら)
私は氷越しに伝わってくる魔力の動きを注視する。
――そのとき。
ドラゴンから、呪術魔法特有の気配が立ち上った。
呪術は強力だが行使には重い代償が必要になる。
そして、その独特の気配は完全に隠すことができない。
(高齢になり、知性を獲得したドラゴンの一部は、呪術を使えるようになるって聞いたことがあるけれど)
目の前のシードラゴンは、まさにその“例外”の個体なのだろう。
「面白いわね、あなた」
私は思わず口元を綻ばせる。
「いいわ。それ、受けてあげる」
意思疎通ができているかどうかは分からない。
けれど、思わずそう――ドラゴンへと言い放った。
次の瞬間、呪詛の塊のような魔力の奔流が、私を覆った。
(つづく)




