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港の整理


 馬車の扉を開くと、そこは一面の海だった。


 冬の薄曇りの空の下、鉛色を帯びた水面が、どこまでも広がっている。

 波は比較的穏やかなはずの海域なのだが、今は冬特有の“しけ”で、

 低くうねるように押し寄せては、岸辺の岩を白く洗っていた。


 港や工場を整備するため、この一帯の建物や障害物は、あらかた更地にしてある。

 おかげで、海岸線を遮るものは何もなく、

 左右の果てまで、なだらかに湾曲する海岸線と、

 そこに砕ける波の白さが、一望できた。


 吹きつける風は、刺すように冷たい。


 鼻腔に入り込むのは、鉄と油ではなく、塩と潮と、わずかな海藻の匂い。

 さきほどまでいた実験場とは、世界がまるで違う


 ヴァルデンの城下町から、ここまで馬車を走らせて、およそ二時間。

 途中で馬を換えながらの強行軍でなければ、普通の馬車なら三~四時間はかかる距離だ。


 ここは元は、漁師町だった。


 だが、数年前――

 「税金が払えない」と、集団でヴァルデン家にデモ活動モドキを起こしたため、

 私はその“漁港ごと”領主権限で没収し、

 漁師たちには、別の海岸線に新しい漁港を与えて、そちらへ“移転”させた。


 今、私の目の前に広がるこの場所は、

 そうして空いた、かつての漁村跡――いまは、ただの更地だ。


(この場所は“港”としては優秀だけど、“漁港”として使うには、漁礁から離れすぎていて効率が悪かったのよね)


 魚のよく集まる岩礁地帯までの距離、

 荒天時に船を避難させる入り江の有無、

 帰港後に鮮魚を町へ運ぶ陸路。


 そういったものを総合的に見れば、

 “ここ”を漁師たちから取り上げ、“別の海岸線”に新しい漁村を作らせたのは、

 極めて合理的な判断であったであろう


 だが実際は


(移転させるのに、過激な反対活動をする者を見せしめで何人牢にぶち込む必要があったのよね)


 徹底的に冷徹に対応した結果、ようやっと民側が折れ、渋々移転をしていった。

 そのため、暫くの間は関係性は冷え切ってしまっていたが


 今では新しい漁港の方が漁獲高も収入も安定しており、

 毎年、“謎の珍味”がヴァルデン家に献上されるくらいには、関係も修復している。


 そんなある意味で因縁の土地なので、強制退去騒動後には訪れることなどなかったが、いま――。


『うわー、海だーーーーー!』


 指輪から、リカのはしゃいだ声が響く。


『冬の海って、なんかそそるものがあるよね』

『後ろには高い山、目の前には海……うん。観光地としてもいいね』


 振り返れば、遠くの内陸側には、雪を被った山々の稜線が幾重にも連なり、

 白と濃紺のコントラストが、冬の淡い空にくっきりと浮かび上がっている。


 山裾からこちら側にかけては、まだ何も建っていない、広々とした平地が広がっていた。

 ところどころに測量用の杭や、下見の目印となる旗が立っている。


 ここに、これから工場群と倉庫群が建ち並び、

 その先に、船が発着する大きな港が形を成していく――その“前段階”だ。


 はしゃぐリカはひとまず無視し、

 私は意識を、完全に“仕事モード”へと切り替える。


 ここに来たのは、潮風を浴びて遊ぶためではない。


 ――新たな「港」と「工場地帯」の建設予定地。

 その配置と工事の進捗に、“問題がないかどうか”。


 それを、紙の上の報告ではなく、この目で確認するためだ。


 馬車の前方には、既に数人の役人たちが整列して待っていた。

 皆、ヴァルデン家の紋章入りの外套をきちんと着込み、刺すような海風にも姿勢を崩さず直立している。


 私が御者台から一段降り、最後に地面へと片足を下ろした瞬間――

 彼らは一斉に腰を直角に折り曲げ、深々と頭を下げた。


 地方に配置している役人たちなだけあり、本邸付きの文官たちと比べれば、所作はややぎこちない。

 礼の角度が微妙に揃っていなかったり、タイミングが半拍ずれていたりと、細部に粗さはある。


 けれど、ここでそれを責め立てるほど、私は短慮ではない。


「皆。面を上げて頂戴」


 声をかけると、順番に顔が上がる。

 海風で赤くなった頬、緊張でやや強張った表情、それでもこちらを真っ直ぐに見ようとする視線。


 視線が完全にこちらへと向くのを待ってから、私は口を開いた。


「出迎え、感謝するわ」


 一拍置いて、続ける。


「それと、“漁港の整備”ご苦労様」


 背後の海では、冬の波がどしゃりと打ち寄せ、白い飛沫が舞っている。

 岸壁予定地には、仮設の足場や資材置き場がすでに組まれている


「今日は、“港の建設に問題が発生していないか”を確認するために、私が“わざわざ直々に”出向いた」


 そこで、わざと少しだけ声の調子を変える。


「この意味が、分かるかしら?」


 一番前にいた、まだ若いが背筋のしっかり伸びた役人が、即座に一歩前へ出た。

 片膝を地面につき、臣下の礼を取ってから、はっきりと答える。


「はい。このプロジェクトは、“最重要案件”ということでございます」


 悪くない理解だ。


「正解よ」


 私は満足げに笑顔を作ったあと、表情だけをすっと引き締める。


「だから――“視察は手を抜かない”から、覚悟をしておきなさい」


「「「はっ!」」」


 海風に負けない、張りのある返事が返ってくる。


 役人たちの顔には、緊張で張りつめた空気がありながらも、

 どこかに「やってみせる」という決意の色も、確かに宿っていた。


 ◇ ◇ ◇


『いやー、ようやっと視察が終わったね。案内してくれた人、最初会った時よりも“10歳は老け込んで”たね』

『ちょっといじめ過ぎたんじゃない』


 港の一角――私をもてなすためだけに、急ごしらえで建てられた小さな応接室で、

 窓の外に広がる冬の海を眺めながら、私は紅茶を口にしていた。


 テーブルの上には、高級感が少しある焼き菓子と、魚を使ったこの地方独特の軽食が並べられていたが、

 食するに値しないため紅茶だけを楽しむことに集中している。


 そんな折、いつもの調子でリカの声が頭に響いた。


 使用人たちに一瞥をくれ、

「席を外して」と目で合図を送ると、彼らは静かに一礼し、部屋から下がる。


 扉が閉まり、この小さな応接室に私一人だけになったことを確認してから、ようやく口を開く。


「仕方がないじゃない。……“粗だらけ”だったのだもの」


『いやー、マティルダの要求水準が高すぎるだけでさ。みんな滅茶苦茶頑張ってたと思うよ』

『あと、“気になるからって”理由で、辺り一面を更地にするのはやりすぎ。役人の人もそうだけど、遠くで様子を眺めてた職人さん、めっちゃくちゃビビってたじゃん』


「“邪魔な岩場”や、変に傾斜がついていた地面を地ならししただけだわ」


 そう言いつつ、窓の外に視線をやる。


 さっきまで小高い岩や、歪な丘が点在していた海沿いの一角は、

 今や見事なまでに平らな更地になっている。


 私が魔法で一息に“削り取り”、“押し固め”、“均した”結果だ。


 港の将来の姿を想像するなら、

 後々の拡張も考慮して「いまのうちに地形を矯正しておく」のは、合理的な判断だ。


『いや、規模感がバグってるんだよなあ』


 リカが、呆れ半分、感心半分といった声を出す。


『“東京ドーム”くらいの面積を更地にするのを、指先ひとつでボンボンやるのは、さすがにヤバいよ』

『本気の実力を見せつけたいのは分かるけど、規模がレベチだと、尊敬じゃなくて“畏怖”されちゃうからね』


 私は、ふっと笑った。


「あの程度が、“私の本気です”って?」


 紅茶のカップをソーサーに戻し、

 窓の外の港予定地を、じっと見つめる。


「その気になれば、この港町くらい――“地図上から消す”ことくらい、できるわ」


『……マティルダが言うと、“冗談に聞こえない”ところが怖いんだよな』


 リカは本気で身震いしているらしく、声がわずかに引きつっていた。


 そうやって他愛のないやりとりをしていると――


 コン、コン、と、扉を叩く音が響く。


「姉上、失礼します」


 少し間を置いて、レオが、一人の役人とともに静かに入室してきた。


「あら、レオ。お疲れ様」

「随分と時間がかかっていたようだけど、そっちはどうだったの?」


 今回の視察は、施設規模があまりに大きいため、

 “港側”を私が、“工場側”をレオが、それぞれ分担して見ることになっていた。


 私の方も、海底の地形から波の入り方、岸壁の設計や倉庫の配置まで、かなり細かく見て回ったつもりだが――

 それ以上の時間をレオが費やしていたので、何かトラブルがあった可能性も考えていた。


「いえ。大きなトラブルはありませんでした」


 レオは、きちんと扉を閉めてから、私の向かい側へ歩み寄る。


「優秀な方が、工場側の設備や物流網、居住区の整備などを統括しておりましたので」

「“ほぼ完璧”と言っても過言ではありませんでした」


「ふーん、そう」


 評価としては上々――ということらしい。


「……それよりも、姉上」


 レオは、わずかに眉をひそめた。


「港の方から、時折“轟音”が響いてきたのですが……何が起きていたのでしょうか」


「問題を片付けていただけよ」


 さらりと答えると、彼は表情をさらに険しくする。


「……《隕石魔法メテオストライク》が何回か発動しているのが見えたのですが。魔獣でも出たのですか?」


「ああ、それは“デカい岩”を粉砕するのに使っただけよ」


『重力魔法とか空間魔法も使って、大規模工事したよね』


 リカがいちいち余計な補足をしてくる。


「……大魔法を、そんな容易く使用しないでください……」


 レオはこめかみを押さえ、深く息を吐いた。


「地方の平民は、姉上の使う“頂上魔法”など知りませんからね」

「こちら側では、“海洋神の怒りだ”という噂が広まりかけて、ちょっとしたパニックが発生しましたよ」


「そのトラブルは、解決したの?」


「まあ、私が魔法を行使することで、その場は何とか収めました」


 そこで、一拍置いてから続ける。


「ただ、その“海洋神の言い伝え”は、この地方に古くから伝わる話でして……」


 曰く――


 豊漁と穏やかな海を司る神が、不興を買うと、

 海がひどくしけたり、大津波を起こして港や町を飲み込むのだとか。


(確かに――この湾の形状からすると、“津波”が発生しやすそうね)


 私は窓の外に目を向ける。


 外洋からのうねりが、湾の奥へと集まりやすい地形。

 波のエネルギーが、逃げ場なく押し寄せる場所には、古い時代から“そういった物語”が生まれる。


(帰りに、そこも少し“整地”しておきましょうか)


 湾口の一部を削り、外洋の入り口を整地すれば、

 「神頼み」ではない安全性を確保できるはずだ。


 そんなことを考えていると――


「そうでした、姉上」


 レオが、ぽん、と手を打った。


「姉上に“ぜひともお会いしたい”という方を、お連れしていたのでした」


「そんな気分ではないわね」


 正直、今日は朝から動き回っていたので

 知らない相手の顔を見る余力は、あまりない。


「そう言わずに。姉上とも“面識”がありますので」


 レオは穏やかに続ける。


「加えて、工場側の工事が順調なのは、“彼女の働き”によるところも大きいので」

「ねぎらいの意味も込めて、面会してあげてください」


「ふうん。そこまで言うのであれば――いいわ。通しなさい」


 私が了承すると、レオはすぐそばに控えていた使用人に目配せをする。


 使用人が一礼し、扉の外へと消えていく。

 ほどなくして、ノックの音が再び響き、扉が静かに開いた。


 そこから通されたのは――


「ご無沙汰しております、マティルダ様」


 丁寧な礼とともに、一歩、床をしなやかに踏む。


 黒髪をすっきりとまとめ上げ、

 雪のように白いシャツと、動きやすさ重視の黒地のズボン。

 余計な装飾はないが、その立ち居振る舞い一つ一つが、

 彼女がただの商人ではないことを物語っている。


 背筋の伸びた、スタイルの良いその女性は――


 白鷺商会の代表を務める、アヤノであった。

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