㉞ 現代知識チート再び
父からの呼び出しが終わったあと。
『マティルダ、どうすんのさあ! このままじゃ、せっかく集めた聖遺物を“聖女ちゃん”が使えないじゃない!』
リカは頭の中で、延々と騒ぎ立てていた。
「そう焦ってもしょうがないわよ」
私は書類に判を押しながら、淡々と返す。
「それに、“没収された聖遺物”はヴァルデン家の金庫に入る」
「これは逆に言えば、“どんな相手であっても盗めない場所に保管される”ってことでもあるわ」
「つまり、“最高レベルの保護”が約束されたも同然よ」
『いや、言い方ポジティブすぎない?』
「でも――聖遺物は“十個もあれば事足りる”のよね。最悪の場合、新たに集め直しても十分なんじゃないかしら?」
“育成には特定のものが十個もあれば十分”と言っていたのは、他ならぬリカだったはずだ。
『いやそれはそうなんだけどね?』
『でもさあ、狙ったものをピンポイントで集めるのはランダム性が高くて不安だし、なによりいざ“実物”を前にすると、ゲーマーとしては“全回収して最強装備で固めたい”っていうかさ』
『最高効率で育成したいというか、やっぱり“やり込み”したいじゃん?』
『ゲームとは違って“やり直しのきかない”魔王戦なんだから、
できるだけ“全部の予防線”を貼っておきたいっていうか、完璧な育成をしたいというか……』
私は、机の上に置かれた一枚のメモ用紙へと視線を落とす。
そこには、リカが考えた“最高効率で聖女を育成するためのスケジュール案”が、びっしりと書き込まれていた。
一日中、訓練とイベントの予定が詰め込まれた、まさに“過密スケジュール”だ。
「その気持ちは分からなくもないけれどもね。ここまでみっちりと鍛錬する必要は、本当にあるのかしら」
『いや、聖女様はね、虐めたら虐めただけ強くなる、雑草みたいな娘だから大丈夫』
『逆に少しでも甘やかすと、太ったり、虫歯になったり、愛におぼれたりするからね。堕落への耐性が弱々なんだ』
『だから、厳しく管理してあげないと』
妙に自信満々に言い切るリカに対し、
「聖女様には世界のために、我慢して受け入れてもらうしかないようね」
と賛同しながら、私は言葉を続ける。
「まあ、没収まで話が飛んだ原因は――」
「“私がお父様に口答えしたから”、というのもあるでしょうからね」
「今回の“没収された聖遺物を取り戻す件”に関しては、全面的に協力するわ」
『いや完全にマティルダが”その口答えした”のが原因の99%なんだけど』
「仕方がないじゃない」
私はペンを置き、椅子の背にもたれた。
「“庶民と同じ労働をしろ”なんて要求を、真正面から押し付けてきたお父様にこそ、問題があるわ」
庶民労働を要求された私は、当然ながら正面からかなり反発した。
長時間の議論の末――
・新規に、“ヴァルデン家の息がかかっていない人員”を使う形でのビジネスは許可
・ただし、“稼ぐべき金額”は当初の一万倍にする
・あわせて、“既に集めた聖遺物”は一時的にすべて没収する
という、なかなかにえげつない条件で決着したのだ。
『いや、一万倍で納得するのはおかしいでしょ! 桁が跳ね上がってんじゃん!』
『こんなの無理ゲーだよ』
まあ、お父様がここまで条件を盛ったのは、
(単に“私を制裁する”だけじゃなくて、
“貴方の知識”を、もっと引き出したいという思惑もあるのでしょうね)
それに一万倍という条件はとても厳しいけれども――
(まあ、最悪の場合は――“金庫から少しの間拝借”すれば事足りる話だわね)
私であれば、ヴァルデン家の金庫から中身を取り出すなど、
本気を出せば“そう難しいことではない”。
だが、それは、“ただの盗人”に等しい行為である。
(そういう真似は――本当に“最終手段”にすべきね)
そう結論づけながら、私は山積みになった帳簿へと視線を戻したのだった。
◇ ◇ ◇
書類仕事がおおよそ片付いたタイミングで、リカと“庶民向けビジネス”についての議論を再開した。
『マンガとかを、この世界に流行らせるのはどうかな?』
マンガ――絵と文字を組み合わせた娯楽媒体らしい。
リカに概要を聞いた際に、「児童用の絵本と何が違うのかしら?」と尋ねたところ、
彼女は本気でブチ切れた。
曰く、“絵本”と“マンガ”には構造的にも文化的にも天地の差があるらしく、
熱量たっぷりに両者の違いを詳しく語ってくれたのだが――正直、聞く限りでは私にはそこまでの差異はよく分からなかった。
それより、問題は別のところにある。
「マンガを流行らせるのは難しいわね」
「庶民は“簡単な文字”しか読めないし、何より――」
「紙と印刷の技術的に、“庶民でも買える価格”に落とし込むのは難しいわ」
『いい案件だと思ったんだけどなー』
『私の頭の中にある“名作物語”たちは、こうして世に出ることなく封印されちゃうんだね……かわいそうに』
(そもそも”マンガ”は“貴方が考えた”わけではなく、別の作り手のものなのでしょう?)
(この世界にその作り手はいないから訴えられることもないのでしょうけど――倫理的にはどうなのかしらね)
そんなことを考えながらも、私は別の案を口にする。
「著作物で言えば、“音楽”もそうね」
「庶民が“曲そのもの”にお金を払うという文化は、この世界にはまだ存在していないわ」
今のところ、“音楽に金を払う”という行為は、楽団や吟遊詩人など、
“その場で演奏する人間”に対して行うもの、という認識が一般的だ。
これをビジネスとして成立させるには、“文化そのもの”から変える必要がある。
『この前、マティルダが舞ってたコロシアムでさ、ライブとかやったら絶対バカ受けだと思うんだけどね』
「ライブという概念自体は悪くないけれど――あそこを使う場合、当家の役人たちを総動員しないと運営は不可能ね」
「今回のルール上、“私の息のかかった人員”は使えないのだから、現時点では論外だわ」
『いや、現代知識チート、難っ!!』
『もっとこう、ポンと出してポンと儲かると思ってたのにさあ』
『いつ異世界に行ってもいいように、“使えそうな現代知識”いっぱい仕入れてたのに、
簡単に実用できそうなやつは、だいたいもう誰かが先にやっちゃってるし……』
『もう手詰まりだよ』
と、とうとうリカは根を上げた。
「でも、貴方が言っていた、“有刺鉄線”。あれは素晴らしいものだわ」
『いや、それを褒められてもねえ』
『オフ会でサバゲーやってたときに、早口オタク君が延々語ってた内容を、そのまま言っただけだし、そこまですごいものとは思わないんだけどもね』
「いいえ、“魔獣”や“大型の野生動物”が入ってこないようにするための仕組みとして――」
「あれは非常に優れているわ」
「何より“鉄線”を編むだけで作れるから、コストが低いのに、得られる効果は絶大」
「触れた対象に“裂傷”を与えて行動を鈍らせることができるし、自然界において裂傷は最悪死に至る大怪我よ」
「少し知性のある動物や魔獣であれば、二度とそこには近づかないでしょう――実に素晴らしいわね」
私は、地図の上に指を走らせながら想像する。
「これを、牧草地、家畜小屋の周囲に張り巡らせれば――」
「そこそこの魔獣程度なら、“近づく気すら失う”でしょうし、領の境界に張って他領からの魔物の流入も防げる」
『まあね。もともと、そういう用途で発明されたやつだしねえ』
「これなら、“庶民向けビジネス”としても成立しうるわ」
「鉄材は初期投資がかかるけど、構造が単純だから、“鍛冶屋”さえ押さえれば量産可能」
「それに、父が禁止したのは“私の直系の役人や商人の使用”であって――」
「“どこかの鍛冶屋”との新規契約までは、禁じられていない」
自分でも、口元が自然と上がるのが分かる。
『……現代知識チートアイテムが“有刺鉄線”って展開、なんか私的にはモヤモヤするなあ』
「そういうことなら安心なさい」
「有刺鉄線を売っただけでは、目標金額まで“到底及ばない”から」
「他のものも、いくつか考える必要があるわね――」
「庶民からお金を取るとなると、“娯楽品”は難しいし、“贅沢品”なんて論外だわ」
「生活や、生きていく上で“必須”のもの――生命を守るもの、そこが入口になるわね」
『食べ物はこの前やっちゃったしなあ。衣服とか、正直私に作れって言われても無理だしなー』
そこからしばらく、リカが色んなアイデアを出してきたが――
実現不可能だったり、採算が取れそうになかったり、父のルールに引っかかるものばかりだった。
「……このままただ“意見を出し合っている”だけでは、埒が明かないわね」
『同感。やり込んでたゲームの世界のはずなのに、“現実はむずい”よお』
私は机から立ち上がり、窓の外へ視線を移す。
雪はすでに止み、白い衣をまとった屋根が見える。
(……そうね。机上で考えるより――)
「まずは、“市場調査”から始めましょうか」
『市場調査?』
「庶民向けのビジネスをするというのなら、“庶民の暮らし”を見ないと話にならないわ」
「何が足りなくて、何に困っていて、何なら“多少お金を払っても欲しい”のか」
「それを知らずに、ここでいくら案を出しても、机上の空論よ」
『……あー、それはまあ、正論だね』
『でもマティルダが街歩いたら、それだけで庶民パニック起こさない?』
「変装の魔法というものがあるわ」
「それに――最近、“庶民のあいだで”私に関して流れている良からぬ噂、少し気になっていたところだもの。調査するに限るわね」
そう言って使用人に目配せし、私はクローゼットの前へ立つ。
上着を脱ぎ、服のボタンを外しながら、変装の魔法を行使する。
光が一瞬肌の上を走り、輪郭がわずかにずれる感覚。
『あっという間に変身した、魔法ってすご……ってか、かなりのイケメンじゃん』
『てか男に変身!? というか、え、なんで今脱ぐの』
何にどう反応したのか分からないが、リカは妙に興奮して騒ぎ立てている。
「女物の服では、この姿だときついから脱いだだけよ」
と淡々と返すと、謎の呼吸音が聞こえた後に、
『…………ふう、危ない危ない』
『ロシア流格闘術のシステマを習得してなかったら、TSマティルダに興奮してたところだった……』
『なんというか、“レオ様似のイケメン”を持ってくるのは卑怯だよ。っていうか、男に変装する意味あるの?』
「私のイメージから“大きく離す”ことができるわね」
「それに、変装魔法は“変身前と同等の容姿”にしかならないのよ」
「だから、ブサイクが絶世の美男美女になったりはしないわ」
「絶世の美女がふらりと街に出たら――それはそれでかなり目立つし、トラブルの元になるでしょう?」
『“絶世の美女”って自分で言いますか』
「“客観的な事実”よ。自惚れではないわ」
『ちょっとその顔と声で言わないでよ、反論できないじゃん……』
『てか鏡の前から早く離れて。そのイケメン姿だと、私の理性が持たない』
姿見から一歩離れながら、私は肩をすくめる。
「ほんと、貴方って好色よね」
『いーや、私はまだ理性を抑えられている方だよ』
『他の乙女ゲープレイヤーだったら、今この瞬間“鼻血噴いて卒倒”しててもおかしくないレベルだからね?』
「それは、私の容姿を褒めているのかしら?」
「それとも、馬鹿にしているのかしら」
『“鼻血を出して倒れる”って表現、この世界で通じないのか……これは新発見だわ』
やたらテンションの高いリカの声を背に受けながら、私は慣れないシャツの襟を整え、マントを羽織り、鏡を見る。
そこには――少しだけ幼さの残る、端正な顔立ちの青年が立っている。
『いやだから、鏡を見ないでよ。私の理性のこともちょっとは考えて』
リカの謎の抗議が、今日も元気よく炸裂していた。




