㉘エスト・ハーウッド「飼いならされた幸福 エンド(中)」
交渉にあたって――
かの令嬢は、早々に“本性”を見せてきた。
まずは、礼儀の面から、静かに、しかし容赦なく切り込んでくる。
妻の配慮不足――いや、正しくは「ヴァルデン領の慣例を私が伝えてなかったゆえに犯してしまった無礼」について、
淡々と指摘された。
言い方こそ丁寧だが、“逃げ道”は一切残さない詰め方である。
そして、それだけでは終わらなかった。
どんな手段を使ったのか、まるで見当もつかないが――
ハーウッド家が今までに抱えていた“借金”の借用書が、
すべて――“すべて”である――ヴァルデン家の手元に集められていた。
それはつまり。
今まで、あちこちの金融機関から借りていた借金が、
“ヴァルデン家一ヶ所”に集約されてしまった、ということだ。
借金時の担保として差し出していた品や権利も多い。
実質的には、当家のあらゆるものがまとめて“人質”に取られた形となる。
それだけでも、背筋が冷たくなる話なのに――さらに追い打ちがあった。
どこから手に入れたのか、全く見当もつかないが――
当家が“ぼったくっている”……
いや、厳密に言えば、
・代金の踏み倒しをしている貴族
・過剰な値切りを強要してくる富豪
・貴族という立場を利用し、理不尽な交渉を押し付けてくる相手
そういった者たちに対して、
「商人として礼を尽くす価値無し」と判断し、
意図的に“足元を見て”商売をしていた先のリスト――
それを、令嬢は手にしていた。
それも、写しではない。
あろうことか、当家の“ごく一部の者”にしか共有していない、
内部資料そのもの――原本を、である。
(……これは、完全に“言い逃れできない”)
そう悟った。
ここで嘘を重ねても、
こちらの信用をさらに損なうだけだ。
私は弱みを晒す覚悟を決め、
事実であることを認めたうえで――
「どうか、この内容だけは、外部には漏らさないで頂きたい」
と、懇願した。
すると、マティルダ様は。
表情ひとつ変えず、紅茶を一口含み――
まるで天気の話でもするような、ごく自然な調子で、こう言った。
「それは――“あなたたちの今後”によりますわね」
なんでもない世間話でもするような口調で放たれたその一言が、
私には、底知れない恐怖として突き刺さった。
すでにこの場の“主導権”は完全に奪われている。
こちらの弱みどころか、
心臓を鷲掴みにされ、いつでも握り潰されてもおかしくない状態だというのに――
マティルダ様本人は、どうにも「ハーウッド家そのもの」には、さほど興味がないように見える。
まるで、なにか“別の目的”があり――
そのための“人質”として、ハーウッド家を握っているだけ――
そんな印象を覚えた。
とはいえ、現実として。
この“得体の知れない令嬢”が、その気になれば、
ハーウッド家をどうとでも出来てしまう状態であることには、変わりない。
一体、何を命じられるのだろうか。
考えただけで、体がカチコチに固まる。
本当に、この時は――
「死ぬ方がまだマシだ」と思えるくらいのことを、
命じられるのではないかと、本気で怯えていた。
だが。
死刑宣告までを覚悟していた私に、令嬢が最初に口にしたのは――
予想とは、まるでかけ離れた問いかけだった。
「どうして、こんな借金を抱えているのかしら」
静かで、淡々とした声音だった。
その質問に、私は――
もはや隠し通せる状況ではないと悟り、
借金に至るまでの事情を、正直に説明した。
すると令嬢は、
私の拙い説明の中から“問題点”だけを的確に抜き出し、
それらを一つひとつ整理していった。
その手際は、まさに“完璧”だった。
(この方も、妻のような……いや、妻以上の“天才”だ)
そう思わずにはいられなかった。
あらかた状況の整理が終わると、
令嬢はテーブルに備え付けられた小さなベルを鳴らし、人を呼んだ。
しばらくして扉が開き――
そこに現れた人物を見て、私は目を疑った。
大陸最大ともいわれる銀行の総帥。
私も、かつて一度だけ、王都の夜会で挨拶を交わしたことがある。
その顔と名前を、間違えるはずがない。
――いや、ヴァルデン家が運営している銀行なのだから、
関わりがあってもおかしくはないのだが。
それでも、“こんなベル一つで呼んでいい存在”ではない。
大陸全土の各地に支店を構えており、その影響力は、大陸有数といっても差し支えない人物だ。
その男が――当然のような顔で部屋に入り、
何のためらいもなく、マティルダ様の前に片膝をついた。
「ご用件を」
簡潔なその一言が、その立場の差を雄弁に物語っていた。
(なんていうお方を跪かせているんだ――!)
内心の叫びが喉元まで込み上げたが、必死で飲み込む。
――この令嬢の前では、
“王都の銀行総帥”ですら、ただの“駒”に過ぎないのだと。
この場において、一番格の低いのは間違いなく私だ。
総帥が片膝をついたのであれば、自分も倣って跪くべきかと一瞬考えたが――
マティルダ様に「やめなさい」とでも言うような視線で静かに制され、
結局、私は椅子に座ったまま動けずにいた。
なんとも、“生きた心地のしない”空間だった。
そんな中でも、マティルダ様は少しもブレることなく、
銀行総帥に向かって、先ほど私が説明した借金の構造や、
貴族からの踏み倒しの実態を、簡潔に、しかし要点だけを押さえて伝えた。
そして――まるで当たり前のように。
今後は、我々ハーウッド家を“ヴァルデン家の庇護下にある商会”として扱うよう、
金融面での枠組みを整えることを、その場で指示したのだ。
ありがたい提案ではあるのだが、当然、私一人の判断で決めていい話ではない。
というより、話の規模が膨大で、とても令嬢一人の思いつきで決めてよい種類のものではない。
そのため、何とか検討や調査の時間を設けたく、
「少し持ち帰って相談を――」と恐る恐る意見したが、
この場で即断するよう、穏やかな笑みとともに促された。
ここで異を唱えると、二人の不興を買うだろう。
――そしてどちらの不興を買っても、ハーウッド家に未来はない。
なにより、この令嬢には、それを実行できる“格”と“手札”が、実際に揃っている。
仮に話が本当なのであれば伯爵家の庇護を受けられるというのは、
長い目で見れば、当家にとって“計り知れない利益”となる。
(問題は――)
喉の奥がきゅっと締まり、胃のあたりに鈍い痛みが走る。
(その“代償”に、何を差し出せと言ってくるのか、だ)
心臓と、莫大な恩とを、一度に受け取ってしまった。
これでこちらが変な動きを見せれば、いつでも「恩知らずの無礼者」として処分できる。
私は、胃に穴が開きそうな痛みを、必死で誤魔化しながら――
我が家を守るため静かに頭を垂れ、二人の“天秤”に自ら乗るしかないのだと、覚悟を決めた。
私の心の内を知ってか知らずか令嬢は捕食の気配を纏いどこか妖艶に口角を上げたのだった。
(つづく)




