㉗「ある鍛冶師の話(後)」
しかし、私はそういった“貴族社会との婚姻”というものを、
どこか遠い世界の出来事のように感じていた。
というのも、私の“男性としての評価”は最低の一言に尽きた。
顔も対して良くない、
才能があるわけでも弁が立つわけでもない。
エスコートどころか女性の扱い方すらよく分かっていない
そのため、どれほどこちらが大金を積もうとも、
「エストと婚約したい」と名乗りを上げる貴族は、一人として存在しなかった。
本来であれば、私の代は――
存在しない貴族”と婚姻したことにしてしまい、
形式上の「後ろ盾」だけを得る、”名前だけ貸す”形での婚姻をする計画で進んでいた。
――あの時までは。
私の“鍛冶師としての腕”が、家中に、そして一部の得意先に知られるようになるまでは。
◇ ◇ ◇
私の技量が「相当なものだ」と分かると、
突如として私との婚姻に名乗りを上げてきた貴族がいた。
あまり良い噂は聞かない家柄だったが――
「名前だけ貸す」のと、「血縁関係を結ぶ」のとでは、
その繋がりの“深さ”に雲泥の差がある。
両親は、私の意思の確認すらせずに、それを喜んで受け入れてしまった。
そして、その婚約相手というのが――
王都にある学園で、好き放題に男漁りや犯罪行為を繰り返していた、
実家からも“ほぼ勘当された”令嬢だという。
性格はプライドが高く、傲慢で、自己中心的。
「性格の悪さを煮詰めて固めたような、最悪の権化」とまで評されている人物らしい。
そんな令嬢と婚約させられた、というだけでも地獄だというのに――
挙句の果てに、私が“自棄を起こさないように”という名目で、
私の不在を見計らって、妻を私の専属から外し、
遠い別荘に住んでいる祖母たちの使用人へと異動させられた。
物理的な距離そのものを、強制的に引き剥がされたのだ。
彼女には、“別れすら告げられない”まま。
ある日を境に、ただ姿が消えた。
そして後日、私には婚約相手の貴族から”妻との接触を禁止とする”という理不尽な命令書まで届いた
◇ ◇ ◇
――私は、この世界に、心底絶望した。
必死に努力を重ねた末に、ようやく報われたと思ったら。
その直後に、再び“別の地獄”へと叩き落とされたのだ。
一瞬だけ“幸せ”というものを味わわせておきながら、
そこからさらに深い場所へと突き落としてくる、この世界そのものを、憎んだ。
そして私は――自分の“才能”を呪った。
この鍛冶の才能さえなければ、
私はこんな面倒ごとに巻き込まれずに済んだのではないか、と。
才能さえなければ。
この、“石を見抜き、形を与える力”さえなければ――
失うことはなかったのではないか、と。
いつも一緒にいてくれていたから気付かなかったが、
私は彼女に精神的に大きく依存していた
彼女に褒めてもらいたくてここまで頑張った
熱心に応援をしてくれたから今まで心が折れなかった
見守ってくれていたから前に進む勇気がでた
皆、私の事を馬鹿にする中、彼女だけはずっと味方でいてくれた
私の唯一の理解者であった
彼女と“恋人”になりたかった。
それが決して叶わぬ願いだとしても――
どんな形であれ、彼女の“傍にいたかった”。
だが世界はそれすらも、許されなかったのだ。
行き場のない怒りを抱えた私は、自暴自棄になった。
鍛冶台の横に立てかけてあった、鍛冶用のハンマーを手に取り
自分の手ごと、この才能を叩き潰してしまおう――本気で、そう思った。
覚悟を決めて思いきり振り上げたその鉄の塊は、
振り下ろす瞬間、まるで“何かの魔法でもかけられた”かのように、
鍛冶用の手袋からすり抜けてしまい――
私の手に、届かなかった。
「……っ」
今まで、数え切れないほどこのハンマーを振るってきたが、
こんな“すり抜ける”という現象は一度たりとも経験がなかった。
感じた違和感の正体を確かめるべく、手袋に何か問題があるのかと思い、外して裏返してみる。
そこには、拙い刺繍で、こう縫い込まれていた。
――“努力は決して裏切りません エスト様頑張ってください”。
この手袋は、妻からプレゼントとして渡されたものではない。
しかし、この刺繍は――間違いなく、妻の手によるものだ。
つまり。
「ちゃんと使ってください」と言っても、
いつまでも新品のまましまい込んでいる私に業を煮やし――
私の使っている手袋の中に、自分のものをこっそり混ぜたのだろう。
そして、その“妻の手袋”は――
“まだ努力をやめる時ではないですよ”と、
そう言っている気がした。
思えば。
鍛冶においては、才能に恵まれていたがゆえに、
私は、今までのような「血のにじむ努力」などしていなかった。
最初から“ある程度できてしまう”ということに、
どこか胡座をかいていたのだ。
その手袋を、ぎゅっと握りしめる。
――まだ、諦めてしまうには早い。
私はそう、決意を新たにした。
それからというもの。
私は、ひたすらに鍛冶の腕を磨いた。
昼夜問わず。
食事も睡眠も、必要最低限だけに抑え。
ひたすらに、様々な素材と向き合い、
あらゆる意匠と機構を試し続けた。
周囲の職人たちや、家の者たちは口を揃えて「頑張りすぎだ」と止めようとしたが――
そのたびに、完成した成果物を見せて、彼らの口を黙らせた。
やがて。
私が作ったものが、少しずつ話題になり始めた。
交易商や一部の貴族の間で、「ハーウッドに“天才職人”がいる」と噂され――
とうとう、「王家に献上する品を作らせたい」という話が持ち上がったのだ。
◇ ◇ ◇
私は、その献上品の作成に、全身全霊で取り掛かった。
王に腕を認められれば――
その褒美として、“妻にもう一度会いたい”という願いを叶えてもらえるかもしれない。
そう思ったからだ。
献上品はネックレス。
王が“王妃に贈るため”のものだと聞かされた。
私は、その一本を作るために、心血を注いだ。
石を選び、地金を調整し、デザインを幾度も描き直し――
彼女に似合うものは何か、彼女が笑う顔を想像しながら、ひたすらに手を動かした。
そうして作り上げたネックレスは――
自分で言うのもおこがましいが、どこか“輝いて”見えた。
それは単に、宝石の反射が美しいというだけでなく、
自分の中の“何か”が、確かにそこに刻まれていると感じられる一品だった。
◇ ◇ ◇
王へ献上する日、異例のことに“謁見”が許された。
本来、平民の職人など、わざわざ王の前に呼ばれることはない。
だが、「天才職人の顔を見てみたい」という王のわがままにより、
謁見の場が設けられたのだと後から聞かされた。
案内された大広間には、王と、その周囲を固める大貴族たち、
そして高官たちが居並んでいた。
場違い感と緊張で、とても“生きた心地”はしなかった。
そして、視線の端に――
私の婚約相手の父親の貴族、すなわち“義父にあたる男”の姿を見つけた時には、
心と頭がどうにかなりそうになった。
それをグッと堪え、私は震える膝を懸命に押さえつけ、
これまで何度も頭の中で繰り返してきた“謁見の作法”をなぞりながら、
王へとネックレスを献上した。
それを、侍従を通して受け取った王は――
宝石の煌めきを確認し、細工を眺め、しばし沈黙した後、
「これは……素晴らしい」
と、はっきり言った。
「今までに見たこともない出来栄えだ」
大広間に、その声がよく響いた。
それを聞いてか、義父は――
まるで自分の手柄であるかのように、周りの貴族たちへ向けて言いふらし始めた。
「見たか、あれは“我が家を婿入り先に選んだ”からこそ育った職人よ」
「我が家が目をかけてやったからこそ、これほどの品ができたのだ」
などと、ほとんどが噓偽りの言葉を、延々と吹聴していた。
しかし、私は平民であり、しかも謁見の場にいる身。
その場で義父の言葉に異を唱えることなど、出来はしない。
ただただ――王に向かって、礼法通りに平伏しているだけだった。
◇ ◇ ◇
しばらくの後、王から感謝の言葉を賜り――
続けて、こう問われた。
「何か、望む褒美はあるか」
ここしかない、と思った。
私は、今回のネックレス作成に至る経緯と、
“妻に一度会いたい”という願いを、勇気を振り絞って伝えた。
それを聞いた義父は、「噓偽りだ!」と大声で騒ぎ立てた。
だが――そのざわめいた空気を、一声で断ち切った男がいた。
「我が王よ、そのネックレスを、少し見せてはもらえぬか」
如何にも“大貴族”という風格を持った、上座近くに座る男であった。
その一言で、周囲の空気がぴたりと静まり返る。
王も、その男には一目置いているのだろう。
短く「よい」とだけ答え、侍従を通してネックレスを渡した。
男は、それを丁寧に手に取り、
しばらくの間、黙って眺めていた。
「……何とも、“真っ直ぐな想い”が籠った品だ」
やがて、感慨深げにそう口にした。
「これを作った男の気持ちが、
”青くてまっすぐな恋情”がそのまま形になっているようだ。
――これを作る男が、虚言を口にするとは、我には思えん」
それに対して義父が何かを言いかけては辞めを繰り返すように、口をもにょもにょと動かしていた。
すると、その大貴族は、ちらりと義父に視線を向け、
「何か異議があるならば、事の真実を徹底的に調べてもよいぞ」
「ただ、調べる“ついで”に、お主の不正の証拠がどれほど出てくるか――
我は非常に興味があるがな」
と、さらりと言い放った。
それを聞いた義父は、完全に黙り込んでしまった。
その後、義父は謁見の場から“退席を命じられた”。
◇ ◇ ◇
沈黙の落ちた謁見室で、王は口を開く。
「……お主の願いは、よく分かった」
こちらを見据え、続ける。
「そなたの願いを叶えられるよう、我も全力を尽くそう」
そして、手元のネックレスへと視線を落とし、
「それと――このネックレスだがな」
少しだけ、苦笑するような表情になった。
「この想いの詰まった品は、ワシではなくそなたの思い人が受け取るべきものだな」
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
「ゆえに、こうしよう」
王は、楽しげでもあり、厳粛でもある声音で告げた。
「そなたの願いの“代償”として――
このネックレス相当の品を、再度献上することを要求する」
そう告げられ、謁見はそこで終了した。
◇ ◇ ◇
その後は――正直、色々と大変だった。
まず、
“渾身の出来”であったあのネックレスに“相当するもの”を再度作る――
という課題は、想像以上に骨が折れた。
一度、自分の持てる全てを注ぎ込んだあとで、
それと同等以上のものを、もう一度生み出せと言われるのだ。
素材選びから、意匠、魔術的な仕掛けに至るまで――
何度も図案を破り捨て、何度も炉の火を落としそうになった。
それでも、私はハンマーを振るい続けた。
――彼女に、もう一度会うために。
幾度もの試行錯誤の末、どうにか王の満足する一品を完成させ、
正式に献上を終えた頃。
私は、妻に――もう一度、会うことが出来た。
久しぶりに見た彼女は、
以前より少しだけ大人びた表情をしていた。
それでも、パンを差し出してくれたあの頃と変わらない、
穏やかな笑みを浮かべ私を出迎えてくれた。
気づけば私は、その再開の流れで――
ほとんど勢い任せに、プロポーズをしていた。
その時のことは、正直なところあまりよく覚えていない。
胸の鼓動はうるさいほど早く、手のひらは汗で濡れ、
口から出てくる言葉も、上手く整えられたものではなかった。
ただ、自分の思いを、ありったけぶつけたことだけは覚えている。
どれほど彼女に支えられてきたか。
どれほど彼女の言葉に救われてきたか。
どれほど彼女の笑顔が、自分にとっての拠り所だったか――。
そして、最後に。
「僕には、君が必要なんだ」
と、半ば泣きつくように言ってしまった。
我ながら、なんとも締まりのない、格好のつかないプロポーズだったと思う。
それでも、彼女は――
眩しいほどの笑顔で、はっきりと頷いてくれたのだった。
当人同士で婚約を決めてしまった、と言ってもいい。
当然、ハーウッド家の者たちからは、
「何を勝手なことを」と大変なお叱りを受けた。
そこから、顔を合わせたことすらない貴族令嬢との“婚約破棄”にこぎつけるまでに、
相当な交渉や舌戦と根回しが必要だった。
向こうの家は、当然ながら大激怒であったし、
こちらの両親も、最初は「せっかく手に入れた貴族の縁を失う気か」と猛反対した。
だが、王から「褒美として本人の願いを叶える」と宣言されてしまっては、
さすがの両親も、真っ向から逆らうことは出来ない。
王の後ろ盾と、私自身の“職人としての価値”を盾に、
なんとか押し切る形で、正式な許しを得ることができた。
――私の願いは、叶ったのだ。




