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エリオ


 エリオと《エナドリ》の販売条件を詰め終えた頃には、すでに日が傾き始めていた。


 販売価格は一本につき銀貨一枚。初回出荷分は三千本。


 一人当たりの購入本数には上限を設け、購入者については、年齢や職業、購入目的、購入本数を細かく記録させる。買い占めや転売を防ぐため、当面の販売先は冒険者ギルドや工房、港湾組合など、購入者の身元を確認できる組織に限定する。


 また、商会連合から不当な圧力を受けた場合に限り、ヴァルデン家の名を出すことも許可した。


 そして、三千本すべてをヴァルデン領外で販売するよう、厳命しておいた。


「承知いたしました。まずはハーウッド家の交易路に沿って、複数の都市へ少量ずつ配分いたします。販売場所を分散し、購入者にも細かな記録を取らせれば、買い占めや過度な混乱も避けられるでしょう」


「あくまで、必要としている者へ売りなさい。同じ人物が短期間に大量購入できないよう制限も設けること。それから、目先の利益に釣られて価格を吊り上げることは許さないわ」


「無論でございます」


 エリオは持参していた帳面へ、私の提示した条件を一つずつ書き留めていく。


 その筆には、少しの迷いもなかった。


 ここへ来たばかりの頃には、資材の調達に奔走してきた疲れが顔に滲んでいたというのに、今の彼はまるで別人だった。


 新たな商機を得たからというだけではない。


 商人としての信念や闘志に、何かが火をつけたように見えた。


「販売計は三日以内に提出いたします。輸送経路、販売先、担当者、それに商会連合から妨害を受けた場合の対応まで、こちらで整理しておきます」


「期待しているわ」


「必ず、ご期待に添えてみせます」


 エリオは深々と頭を下げた。


 そして立ち上がった彼の顔には、ここへ来たときには見せなかった、晴れやかな笑みが浮かんでいた。


 商談そのものは、完璧だった。


 三千本もの在庫を抱えたときにはどうしたものかと思ったが、彼ならば滞りなく処理してくれるだろう。


 ヴァルデン領外で販売するよう命じた以上、仮に予想外の騒ぎが起きても、領内の産業や住民へ直接的な影響が及ぶことはない。


 購入者の記録も残させる。過剰摂取を防ぐための販売制限も設けた。薬商会からの妨害に対する備えもある。


 抜かりはない。


「それでは、失礼いたします」


 エリオは大切そうに空瓶を懐へ収めると、足取りも軽く部屋を後にした。


 扉が閉まり、彼の気配が廊下の向こうへ消えていく。


 これで一件落着。


 そう考えながら、私は冷めかけた紅茶へ手を伸ばした。


『――いやいやいや。全然、一件落着じゃないからね?』


 頭の中に、リカの呆れきった声が響く。


 聞こえなかったことにして、紅茶を口へ運んだ。


『ちょっと、無視しないでよ。三千本の《エナドリ》ってさ、もともとはバートンさんが勝手に作っちゃったものを、どう処分するかって話だったよね?』


「そうだったかしら」


『そうだよ! それなのに途中から、薬業界の改革だとか、腐敗した商会連合への対抗策だとか、すごく派手な話になってたじゃん!』


「結果として社会の役に立つのだから、何も問題はないでしょう」


『問題はあるよ。マティルダってば、《エナドリ》の危険性をエリオ君にほとんど話してないじゃん』


「長期摂取による影響は不明だと伝えたわ」


『それだけでしょ! 疲労感だけを誤魔化して無理に動けてしまう可能性とか、試飲した人たちが早くも次を欲しがっていたこととか、開発者本人が《エナドリ》を飲みながら徹夜で三千本も作ったこととか。そのあたりは、きれいに黙ってたよね?』


「伝える必要がある情報は伝えたわ。販売本数も制限させるし、体調の記録も取らせる。問題が発生すれば、すぐに販売を中止できる体制も整えたでしょう」


『いーや、やましさ満点だね』


 リカは断固として譲らなかった。


『販売先も、わざわざヴァルデン領外に限定してるし。飲んだ人の年齢や職業、体調の変化まで記録させるんでしょ? それってどう見ても、領外の人たちを使った大規模な人体実験じゃん』


「言いがかりね。市場調査と安全確認よ」


『名前を変えても、やってることは変わらないからね?』


「領内で販売すれば、余計な混乱が生じるかもしれないでしょう。影響を分散させるために領外へ流すだけよ。合理的な判断だわ」


『問題が起きたとき、ヴァルデン領が直接被害を受けないようにしただけじゃん』


「危機管理と言って頂戴」


『開き直った!』


 頭の中で、リカが騒ぎ立てる。


 まったく、口うるさい。


 安全性を重視し、問題があればすぐに販売を取りやめられる体制まで整えたのだ。無計画に商品をばら撒くより、よほど責任ある対応のはずである。


『それに、エリオ君からも指摘されてたじゃん。甘味に慣れてない庶民へ、こんなに甘いものを安く売ったら、それだけで大変なことになるって』


 商談の途中、エリオは《エナドリ》の薬効だけでなく、その異常な甘さについても懸念を示していた。


 砂糖が高級品であるこの世界では、庶民が口にできる甘味など限られている。果物や蜂蜜ですら、日常的に味わえるものではない。


 そんな人々へ、安価で強烈な甘味と覚醒感を同時に与える飲み物を売れば、薬効とは関係なく、それ自体を求めて人々が殺到する可能性がある。


 エリオの指摘は、もっともだった。


「その点については解決したでしょう。最初は水か炭酸水で薄めて販売する、ということで決着したじゃない」


『解決してないよ。それは一回に飲む量が減るだけで、むしろ飲みやすくなって消費量が増えるかもしれないじゃん』


「原液のまま飲むよりは刺激が弱くなるわ」


『そういう問題かなあ? それに炭酸水で割ったら、もう完全に甘い炭酸飲料だよ。薬として売るって話はどこに行ったの?』


「炭酸飲料?」


『そうか、この世界にはまだないのか。いや、これもう絶対に流行るやつじゃん!』


 リカの声が、一段と大きくなる。


『それに、そんな危険物をエリオ君へ、ほいって丸投げしてさ。作るきっかけになった人間としての責任を――』


「それを言うのであれば、リカ。あなたも同罪ね」


『えっ』


「私に《エナドリ》の存在を教えたのは、ほかでもないあなたでしょう」


 口うるさかったリカが、一瞬で沈黙した。


「疲労回復にはカフェインと糖分を組み合わせればいい。味を調整し、炭酸を加えれば飛ぶように売れる。そう教えたのは誰だったかしら?」


『ぐっ……。で、でも、こんな甘さがこの世界に浸透していないなんて思わなかったしさ』


「エリオに話を持ちかける前、依存性について説明したのもあなたよね」


『うっ……。でも、それはマティルダがあれだけ危険視してたから、上手く処理してくれるものだと思ってたし』


「事情が変わったのよ。砂糖の依存性よりも、粗悪品のポーションが市場に溢れていることのほうが問題だと判断した。だから方針を変えたの」


『まあ、それは分かるんだけどさ。というか、最初の話から変えないでよ』


「『現代知識チートで無双するわー』と、あなたが最初に思い描いていた展開どおりだと思うのだけれど?」


『現代知識チートは、人体への影響があるかもしれないものを無責任に売り出す話じゃないから。それに、ジャガイモから甘味料を作ってしまう天才がいるなんて、私は知らなかったし! バートンさんはゲームに出てこなかったんだから!』


「では、私も薬の流通を独占している商会連合の存在など知らなかったわ。条件は同じね」


『いーや、違うね。それに、どう考えても別の商会と戦うような変な流れに入った時点で、軌道修正するべきだったよ』


 その後も、口論はしばらく続いた。


 リカはリカなりの倫理を持ち出し、私は現実と実益を根拠に反論する。途中からは、互いに同じ主張を言葉だけ変えて繰り返していた気もするが、どちらも引くつもりはなかった。


 だが、いくら言い争っても、すでに商談は成立している。


 まさに無駄な時間だった。


「けれど、エリオと強固な関係を構築できた。この点については、文句はないのではないかしら」


『……まあ、それはそうだね』


 先ほどまでの勢いが嘘のように、リカの声が落ち着いた。


『それに、エリオ君なら上手く捌いてくれそうだし。三千本を変な売り方をして大混乱を起こすような真似はしないと思う。それに、記録もマティルダが要求した以上に細かく作ってくれるよ』


「随分とエリオを高く評価しているのね」


『まあね。ゲームでは、チートキャラの一角だったからね。エリオ君は戦闘能力こそ低いけど、それ以外の能力がすごく高いんだよ。特に、商品の割引効果と鑑定効果は彼にしかない特殊能力だったからね』


「商品の価値を見抜けるということかしら」


『そうそう。ダンジョンでアイテムを拾っても、最初はどんな品か分からないことがあるんだけど、エリオ君に見せれば希少度も効果も判明するの。呪われた装備や偽物も見抜いてくれるし、商店で買い物をするときも大幅に割り引いてもらえるんだよ』


「父親同様、目利きができるのね」


 エリオの父もまた、商人として優れた観察眼を持つ人物だ。


 エリオが《エナドリ》を一口飲んだだけで、味や薬効だけでなく、市場へ与える影響まで即座に計算し始めたのも、その能力の片鱗なのかもしれない。


『それだけじゃないよ。交易イベントでも大活躍でさ』


 リカの声が、急に明るくなった。


『エリオ君を攻略する場合、一緒に新しい商材を作るイベントがあるんだけど、そこでの指示がもう、すっごく的確なの。仕入れ先の選び方から値段交渉、宣伝方法まで全部考えてくれるし、主人公が提案に失敗しても、上手く立ち回って自然に立て直してくれるんだよ』


「それなら、今回の仕事にも適任というわけね」


『そうなの! でも、そのイベントの途中で敵対商人から妨害を受けるんだよ。倉庫へ火をつけられたり、輸送中の商品を狙われたりして、最後には雇われたならず者に襲撃されちゃうの』


 先ほどエリオが語っていた、薬の商会連合による妨害工作とよく似ている。


「その敵対商人というのは、薬を扱う商会なの?」


『うーん、ルートによって扱っている商品が変わるんだ。薬だったこともあると思う。でも、相手の商会名までは、ゲームには出てこなかったような……』


「……そう」


 少々、気になる情報ではある。


 ゲームと現在では、すでに状況が大きく変わっている。それでも、似た事件が起きる可能性は否定できない。


 エリオにヴァルデン家の名を使う許可を与えたのは、正解だったかもしれない。念のため、護衛を増やすよう伝えておくべきだろう。


 私がそう考えている間にも、リカの話は続いていた。


『それでね、襲撃されたときは、主人公がエリオ君を守りながら戦うことになるの。エリオ君って戦えないから、最初はすごく悔しそうにするんだけど、主人公が怪我をすると、助けに来てくれるんだよ』


「戦えないのに?」


『そう! でも、そこがいいの! 自分の力不足をよく分かっているのに、勇気を振り絞って、アイテムと話術を駆使しながら主人公が立て直すための時間を稼いでくれるんだよ。それで戦いが終わったあと、主人公を巻き込んでしまったことを謝るんだけど――』


 リカの声が、明らかに浮つき始める。


『気になっている女の子の前で弱いところを見せちゃった、って顔をするエリオ君が、もう本当に良くて……! 悔しいけど安心もしていて、それでも格好をつけたいから、少し目を逸らしながら「次は私があなたに危害を加えないよう、優秀な護衛を厚く配置します」って言うんだよ!』


「結局、金で解決するのね」


『商人なんだから、それでいいの! 自分にできないことを理解して、できる人へ正当な対価を払うのは立派な才能でしょ? それに、そのあとの表情差分が――』


 そこから先は、もう止まらなかった。


 照れた表情がいかに貴重であるか。通常時の営業用の笑みと、主人公へ向ける笑顔にどのような違いがあるのか。


 攻略後には商品の割引率がさらに上昇することや、誕生日に贈る品によって反応が細かく変わることまで、リカは延々と語り続けた。


 先ほどまで《エナドリ》を領外へ流すことの倫理を厳しく追及していた者と、同一人物とは思えない。


「いつも思うけれど、長いわ。もっと要点だけを教えて頂戴」


『これでも省略してるんだけどなあ。もっともっと語りたいことは山ほどあるよ』


「もう結構よ。けれど、エリオはあなたの好みだったということ?」


『まあ、攻略対象は全員推してたから、そうとも言えるけど……。ティア1ってわけじゃないかな。というか、メインの攻略対象以外にも魅力的なキャラはいっぱい居たしさ。顔推しとキャラ推しもあるし、格付けはあまりしたくないなあ』


「そう。余計なことを聞いたわ。忘れて頂戴」


『なに、その反応! 本当に推しって感情にはいろいろあるんだから。たとえば、エリオ君のエモいイベントだとね――』


 もうやめて、と言ったつもりだった。


 しかし、リカの話は再び始まってしまった。


 私は彼女の無駄話を聞き流しながら、机の上の紙へ、リカから得た有用な情報だけを書き留めていく。


 ゲームのエリオは、交易の最中に敵対商人から襲撃を受ける。


 単なる恋愛イベントの一つとして片づけるには、現在の状況と符合しすぎている。今回の取引が、その出来事を引き起こす可能性もあるだろう。


 もっとも、エリオ本人の能力については、リカも太鼓判を押している。


 ならば、三千本の処理は彼に任せても問題ないだろう。


 問題があるとすれば、その後の商会連合の動きだ。


 彼らは《エナドリ》を単なる安価な活力剤と見るのか。それとも、自分たちの利権を脅かす敵と判断するのか。


 エリオは自信ありげな笑顔で帰っていったが、こちら側でも打てる手は打っておくべきだ。


 それに、私が依頼した仕事でエリオに万が一のことがあれば、彼の実家であるハーウッド家との関係も悪化しかねない。


『それでね、エリオ君の告白場面では――』


「リカ」


『何さ。今ちょうどいいところを解説してるのに』


「話の続きは、またの機会にして頂戴。それよりも、襲撃イベントについて詳しく教えて」


『いや、商会名までは分からないんだけど』


「妨害の手段とタイミング。それから、ならず者たちの特徴、武器、年齢や外見について、分かる範囲で教えてちょうだい」


『そこは、語っても面白くないというか……』


「忘れてしまったということね」


『いや、私は攻略情報のまとめサイトを運営してたからね。戦闘イベントの内容も、ちゃんと頭に入っているよ』


「それなら、さっさと教えて頂戴。その情報が、あなたの大好きなエリオを助けることになるわ」


『……そう言われたら仕方ないか。教えてあげる。まず、妨害イベントはね――』


 三千本の過剰在庫を処分するだけの話だったはずが、気づけば薬業界の利権争いへ片足を踏み入れてしまっている。


 だが、後戻りするつもりはなかった。


 商談がエリオの命取りにならないようにするための後始末くらいは、こちらで引き受けてやるべきだろう。

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