エリオ
「“売れすぎてしまう”――それは、この《エナドリ》を嗜好品として販売した場合の話ね」
「しかし、薬効もあり、薬としても十分に……」
エリオは空瓶を見つめたまま、何やらぶつぶつと呟き始めた。
「嗜好品ではなく薬……回復効果……冒険者にも手が届く価格……既存の流通を介さず、我々に販売を……」
先ほどまで狼狽していた彼の表情から、徐々に困惑が消えていく。
代わりに浮かび上がったのは、商人が点在する情報を一本の線として結びつけたときに見せる、確信に満ちた顔だった。
「――そういうことですか」
エリオが、はっとしたように顔を上げる。
「この《エナドリ》は、活力と回復効果をもたらす薬として販売する。そして、その本当の狙いは――現在、薬の流通をほぼ独占している商会連合を潰すことにあるのですね?」
ん?
そんな話だっただろうか。
私の目的は、あくまで作りすぎてしまったエナドリを、体よく処分することだ。その結果、使用者にどのような影響が出るのかを確認できれば、それで十分だった。
既存の商会を潰すなどという計画は、まったく考えていなかったのだが。
とはいえ、ここで即座に否定するのも得策ではないだろう。
「……どうして、そう思ったのかしら?」
できるだけ感情を表に出さず、静かに問い返す。
「少し前に、レオルド様からお聞きしたのです。現在、マティルダ様が冒険者のために大規模な改革を進めようとなさっている、と。その目的は、彼らの命を守ることにあるとも伺っております」
「あなた、レオと交流があるのね」
「はい。港の一件以降、年齢が近いこともあり、随分と懇意にしていただいております」
エリオはわずかに姿勢を正し、記憶をたどるように続けた。
「そのレオルド様が、こう仰っておりました。『また姉上は大きなことを始めるつもりらしい。しかし、姉上のなさることは、結果が出るまで常人には真意が分からぬものがほとんどだ。貴殿も恐らく、そのときには巻き込まれるだろう。今のうちから覚悟しておくように』と」
『レオ様も、だいぶマティルダの扱いが分かってきたんだね』
リカの感心した声が頭の中に響く。
(人を自然災害か何かのように言うのはやめてほしいのだけれども)
もっとも、その忠告を受けたエリオが、今日の話を必要以上に深読みしたらしいことは理解できた。
「それで、あなたは私が何をしようとしていると考えたわけ?」
あくまで冷静に先を促す。
「現在、正規のポーションは非常に高価です。その原因の一つが、特定の商会連合による流通の独占にございます」
エリオは空瓶を机上へ戻すと、商人らしい理路整然とした口調で説明を始めた。
「彼らは薬師からポーションを買い上げ、それを傘下の商会や認可した店にしか卸しません。――その結果、中抜きを繰り返し、最終的には本来の価値をはるかに上回る価格で販売しております」
「薬師が直接販売することはできないの?」
「不可能ではございません。ですが、彼らに逆らえば必要な薬草や瓶が手に入らなくなります。そればかりか、嫌がらせを受ける場合もあるようなのです。そのため腕のよい薬師であっても、商会連合の庇護を失えば商売を続けることは困難です」
薬の販売経路だけでなく、原材料の調達から容器まで押さえているということか。
思っていた以上に根深い。
「そのうえ、粗悪品を高値で売りつけることも常態化しております。特に狙われるのは、新人の冒険者です」
エリオの声に、わずかな苛立ちが混じった。
「ランクの低い冒険者には、ポーションの良し悪しなど分かりません。古くなったものに色水を混ぜ見た目だけ整えたものを新鮮だと偽ったり下級ポーションを中級と偽り高値で売りつける行為が横行しているのです」
「ギルドは取り締まらないのかしら?」
「明確な毒物であれば処罰されますが、多少なりとも薬効が残っている場合は、品質の差として処理されることが多いのです」
そして何より、とエリオは続ける。
「冒険者にとって、ポーションは命を守る品です。『ここで買わなければ次は売らない』と脅されれば、たとえ不公平な条件でも応じるほかありません。いつしか、粗悪品を掴まされることすら“新人が受ける洗礼”として扱われるようになってしまいました」
「随分と悪趣味な風習ね」
『ポーションのアタリ、ハズレは、ゲームでもあったな。中級以下のポーションには、結構な確率で粗悪品が混ざっていて、ハズレだと全然回復しないんだよね。目利きのできるエリオ君みたいな人をパーティーに入れておけば防げるんだけど、まあ、中級以下のポーションは聖女様の魔法の下位互換だから、あまり困ることはないけども』
リカが、ふと思い出したように語る。
しかし、この世界におけるポーションの問題は、相当に根深いようだ。
ポーションは人々の生活に欠かせない品である一方、品質のばらつきが大きい。粗悪品を掴まされても、購入者がそれを見抜くことは難しい。しかも、命に関わる場面で使われることが多いため、品質管理の不備はそのまま死傷者の増加につながり改善が必須であるが
「商会連合の勢力はあまりにも大きいのです。表立って非難すれば、薬を卸してもらえなくなる。それを恐れ、冒険者ギルドでさえ強く出られないのが現状です」
エリオは、そこから薬を扱う商会連合がいかに腐敗しているかを語った。
当初は商人と薬師を守るために作られた相互扶助の組織だったらしい。しかし勢力が拡大するにつれ、内部では利益と権益が優先され、今では薬師の側にも品質より売り上げを重視する者が増えているという。
ハーウッド家も過去に独自の流通経路を築こうとしたが、仕入れ先へ圧力をかけられ、断念せざるを得なかったらしい。
なるほど。
エリオが普段とは違い、妙に血気盛んな理由もそれか。彼にとってこれは、単なる新商品の取り扱いではない。かつて自分たちを市場から締め出した相手へ、一矢報いる機会でもあるのだ。
「マティルダ様は、それらを解決しようとなさっている」
一通り語り終えたエリオは、確信に満ちた眼差しを私へ向けた。
「そのための武器が、この《エナドリ》というわけですね」
「……武器、ね」
「はい。既存のポーションより回復効果は低いとはいえ、覚醒作用と滋養強壮作用を備え、何より銀貨一枚で購入できる。高価なポーションを買えない新人であっても、最低限の備えを持って依頼へ向かえるようになります」
エリオの声には、先ほどまで以上の熱がこもっていた。
「しかも、製造も流通も既存の商会連合に依存しない。彼らが供給を絞ろうと、価格を吊り上げようと、この薬には影響しない。安価で確かな効能を持つ競合商品が市場に出回れば、彼らも粗悪品を高値で売り続けることはできなくなります」
彼はそこで一度言葉を切り、深く頭を下げた。
「そして、あくまで表向きはハーウッド家をその争いに巻き込まぬよう、本当の目的を伏せておられたのでしょう。我々が事情を知らなければ、問われた際にも、ただ依頼された品を販売しただけだと答えられますから」
いや、その薬業界の事情を私は今、初めて聞いたのだが。
しかし、商会連合の腐敗ぶりは確かに看過できない。
冒険者の生存率を高めるために装備や依頼制度を見直しても、肝心の回復手段を一部の商人に握られたままでは、改革の効果が薄れてしまう。
それに、こちらが何も仕掛けるつもりはなくとも、《エナドリ》を銀貨一枚で販売すれば、既存の薬商会と競合するのは避けられない。ならば最初から反発を想定し、対策を講じておいた方がいいだろう。
「少しだけ正解、と言っておくわ」
「少しだけ、でございますか?」
「すべてを説明する必要はないでしょう?」
あえて曖昧に微笑む。
意味ありげに振る舞っておけば、向こうが勝手に深遠な意図を読み取ってくれるはずだ。
「だから特別に、商会連合から妨害があった場合は、先んじてヴァルデン家の名を出すことを許可するわ。本当は、向こうが難癖をつけてきてから対処する予定だったのだけれどね」
もちろん、そのような予定もつい先ほどまで存在しなかった。
だが、エリオの話が事実なら、ヴァルデン家の後ろ盾を最初から明示した方が、仕入れ先や販売店への露骨な圧力を抑えられるだろう。
ただし、
「名を出すのは、正当な商取引を妨害された場合に限るわ。こちらから既存の店を脅したり、無理に販売先を奪ったりすることは認めない。証拠もなくヴァルデン家の威光を振りかざすことも禁止よ」
「承知しております。あくまで先方が不当な手段に出た場合の盾としてのみ、お名前をお借りいたします」
エリオは深々と頭を下げた。
そんな彼に少しだけ笑顔を作りながら
「よろしくお願いするわね。しかし、ここまで私の考えを読んだこと、素直に称賛するわ。」
そう伝えたところ
『えっ?商会とバトルするみたいなそんな話しだたっけ?バートンさんの暴走の後始末をするって話だったような』
「やはり、そうでございましたか。だからこその、この価格と効能、そしてこの大量の本数なのですね。三千本――確かに、現在の市場へ揺さぶりをかけるには、ちょうどよい量です」
三千本になったのは、バートンが命じてもいないのに勝手に量産したからだ。
だが、それまで計算のうちだったと思われているらしい。
訂正したところで話が複雑になるだけなので、黙っておくことにする。
「しかし、意図を理解したうえでも申し上げますが、やはり銀貨一枚では安すぎるかと存じます」
エリオは再び空瓶を手に取り、名残惜しそうに眺めた。
「製品そのものの価値だけで考えれば、金貨二枚から三枚。いえ、その味と希少性まで含めれば、それ以上でも販売は難しくないでしょう。まず富裕層へ高値で売り、その利益で量産体制を整えてから価格を下げる方法もございます」
「却下よ」
私は間を置かず答えた。
「安価なのは、それを必要とする者が買えるようにするため。冒険者が一度の依頼へ持っていくことをためらう価格では、作った意味がないわ」
「ですが、富裕層向けの商品と庶民向けの商品を分ければ、利益を確保しつつ――」
「少なくとも、この三千本の価格を変えるつもりはないわ」
値段を上げれば、試験販売の対象が富裕層に偏ってしまう。欲しいのは希少な甘味を口にした貴族の感想ではなく、薬を飲んだ人がどうなったかの記録だ、そのターゲットは体を酷使している冒険者が望ましい。
「それに、金貨を払える者だけに効果を及ぼすというのであれば、既存のポーションと何も変わらないでしょう?」
その言葉に、エリオはしばらく沈黙した。
やがて納得したように目を伏せる。
「……承知いたしました。銀貨一枚を厳守いたします」
随分と感銘を受けているようだが、そこまで高尚な理由ではない。
むしろ、原価を知っている私からすれば、すでに相当なぼったくりをしているのだ。
《エナドリ》一本の製造費は、現時点でも銅貨一枚程度だ。ジャガイモ由来の甘味料を量産できるようになれば、原価はさらに下がるだろう。
それを銀貨一枚で売るのだから、こちらとしては十分すぎるほど利益が出る。
それが金貨二枚や三枚に化けるとなれば、もはや商売ではなく錬金術である。
「ただし、販売記録は徹底して頂戴。購入者の職業、年齢、使用目的、購入本数。それから、飲用後に体調の異常が出た場合は、必ず報告させること」
「薬としての追跡調査でございますね」
「ええ。一人につき一度に販売する本数にも上限を設けるわ。買い占めや転売を防ぐため、当面は冒険者ギルド、港湾労働者、工房など、身元と使用目的を確認できる場所に限って卸しなさい」
「薬商会との競合を抑えながら、実需のある層へ直接浸透させる……」
エリオがまた別の意図を読み取り始めた。
これ以上は訂正するだけ無駄だろう。
「それと、生産量は月一万本が上限だわ」
「月一万本、でございますか?」
恐らく廃液の出る量から考えて、月に一万本程度が限界になるはずだ
「承知いたしました。その条件で販売計画を作成いたします」
「お願いするわ」
エリオは空瓶を胸元へ抱え、決意を固めたように深く頷いた。
その目には、新たな商機を見つけた喜びだけではない。これまで太刀打ちできなかった巨大な商会連合へ挑む、戦士のような闘志が宿っている。
『また大変なことになりそうだね』
リカの呆れた声が響く。
私は答えず、彼が手に持っている瓶へ視線を向ける。
しかし、たかが三千本だ。
市場全体からすれば、取るに足らない数にすぎない。
――ただし、その三千本が既存の常識を打ち壊すには、十分すぎる量であることを、このときの私はまだ正確には理解していなかった。




