エリオ
「こちらが、お約束の品の納品書でございます」
そう言ってエリオが差し出した書類には、以前注文していた鉄をはじめとする各種資材が、契約で定めた数量どおりに納品されたと記されていた。
ざっと内容を確認する。品目も数量も間違いない。それどころか、調達が難しいと聞いていた資材まで、すべて揃っている。
「ご苦労さま。ただ、全量を期限内に揃えるのは難しいという話ではなかったかしら?」
「ヴァルデン家には多大なご恩がございますので、ほかの何よりも優先して手配いたしました。その結果、どうにか間に合わせることができました」
口調こそ平静だが、その顔には隠しきれない疲労が滲んでいる。
そして、彼の言葉は嘘ではない。ハーウッド家へ潜入させている者からの報告とも一致している。実際に彼は、ほかの取引の予定まで調整し、こちらへの納品を最優先にしたらしい。
「まあ、そこまでしてくれたの。なら、支払いには多少色をつけるよう伝えておくわ」
「いえ、大変ありがたいお話ではございますが、お受けすることはできません」
エリオは即座に首を横に振った。
「ただでさえ破格の条件を提示していただいたうえ、これほどの大口注文でございます。こちらにとっても、十分すぎるほど利益のある取引でした。そのうえ追加の報酬まで頂戴するわけにはまいりません」
ずいぶんと強く拒むものだ。
商人として、最低限の品性は備えているらしい。貪欲な商人ならば、口では恐縮しながらも、結局は受け取る道を選ぶものだ。だが、彼は本心から受け取るつもりがないように見える。
「私が受け取りなさいと言っても?」
「我々ハーウッド家は、互いに対等な立場で取引を行うことを理念としております。どうか、その大義をご理解ください」
なるほど。上手い言い方だ。
受け取れという私の言葉に直接逆らうのではなく、家の理念を理由に辞退している。そして、こちらもハーウッド家の掲げる大義そのものを否定するわけにはいかない。
これでは、私が引くしかない。
「そう。そこまで言うのなら、契約書に記された額だけを支払うわ」
「ありがとうございます」
エリオの表情が、わずかに緩む。
もっとも、追加報酬を受け取らないというのであれば、別の形で渡せばよい。
「では、その代わりと言っては何だけれど、仕事を引き受けて頂戴」
「仕事、でございますか?」
「ええ。新しい画期的な商材を、あなたの商会で取り扱ってもらいたいのよ」
「新しい商材……。扱うというのは?」
「私のところで開発した活力剤の販売を依頼したいのよ」
「薬の販売ですか?」
エリオは、わずかに難しい顔をした。
「ハーウッド家でも薬を扱っていないわけではありません。しかし、ポーションをはじめとする薬の流通は、特定の商会連合が強い影響力を持っておりますので……正直なところ、我々の得意分野とは申せません」
話を聞く限り、ある商会連合が薬の流通利権をほぼ独占しており、ほかの商人にはポーションを満足に卸そうとしないらしい。
「我々のような非加盟の商会にポーションを卸してくれるのは、王都か、ヴァルデン領内の一部の薬屋くらいです。他領や他国では、店の敷居すら跨がせてもらえないことも珍しくありません。それほど徹底しております」
なかなか世知辛い業界のようだ。
「それなら、かえって都合がいいわね」
「都合がいい、ですか?」
「ええ。この活力剤――ひとまず《エナドリ》とでも呼びましょうか。薬効があること自体に疑いの余地はないのだけれど、長期的な摂取による影響には、まだ不明な点が残っているの。だから、販売には慎重にならなければならない。今ある商流に乗せて広めたくはなかったのよ」
「しかし、薬効は確実にあるのでございますよね?」
エリオが、わずかに身を乗り出した。
その反応の速さに少々気圧されながらも、私は頷く。
「ええ、そこは保証するわ。覚醒作用と滋養強壮作用に加えて、通常のポーションの十分の一程度だけれど、肉体を回復させる効果も確認されている」
「それだけの効果があるのなら、販売には何の問題もないかと存じます」
あまりにもきっぱりとした返答だった。
「薬の市場では、効果があるかどうかすら定かでない品を、絶大な効能があると謳って販売することさえ、半ば黙認されています。確かな薬効があり、即座に命を脅かす毒物でないのなら、販売上の問題はまずございません」
「長期的な摂取によって身体が蝕まれる可能性については、どう評価しているの?」
「まず、それを直接取り締まる法律が存在しません。問題が表面化した時点で、摂取量の制限や販売方法の見直しを行えばよろしいかと」
エリオは、少しも迷うことなく続ける。
「そもそも、正規のポーションですら、過剰に摂取すれば死に至ることがあります。しかし世間では、『そこまで飲んだ者が悪い』という認識です。用法を明示して販売する限り、売り手が責任を問われる可能性は低いでしょう」
なるほど。
法的には問題がなく、市場も倫理より効能を優先する。それが、薬品商売の常識というわけか。
先ほどまで疲労を滲ませていたはずのエリオの目が、今では異様なほど輝いている。
「……ずいぶんと熱心ね。そんなに、この《エナドリ》を売りたいのかしら?」
「ええ、もちろんでございます」
即答だった。
「飲むことで眠気を払い、活力を引き出す商品というのは、それだけでも新しい概念です。確実に需要がございます。そのうえ滋養強壮作用と回復効果まで備えているのであれば、薬としての価値は相当なものになるでしょう」
エリオは興奮を抑えきれない様子で言葉を重ねる。
「売り込む必要すらございません。効果を一度実感させれば、客の側から『どうか売ってくれ』と頼み込んでくる――そのような商品になり得ます」
「……そう」
商品価値を見抜く目は確からしい。
ただし、この反応を見る限り、何の制約も設けずに彼へ任せれば、あっという間に各地へ流通させてしまいそうだ。販売を依頼するとしても、数量や購入者、用途の記録は義務づけるべきだろう。
「ですが、マティルダ様のお言葉を疑うわけではございませんが……そのような夢のような薬が、本当に実在するのでしょうか」
「それが、実在するのよ」
私はテーブルの上に置いてあった小瓶を指し示した。
薄い琥珀色の液体が、室内の明かりを受けて揺れている。
エリオは瓶へ目を向け、ごくりと喉を鳴らした。
「不躾なお願いであることは承知しております。可能であれば、試飲させていただけないでしょうか」
「いいわ」
私は小瓶を彼の前へ滑らせる。
「ただし、それを飲んだなら、《エナドリ》の試験販売を引き受けてもらうわ。もちろん、私の定めた条件には従ってもらう。加えて、そちらでの生産や、他の商会への転売は認めない」
そして、彼の目を見据えた。
「それでも飲むかしら?」
エリオは考えるような素振りを見せた。
だが、恐らく答えなど最初から決まっていたのだろう。
「承知いたしました」
意を決したように瓶の封を切り、中身を一息に飲み干す。
直後、彼の目が大きく見開かれた。
「――美味しい!?」
薬効ではなく、最初に出てきた感想は、味に対する驚きだった。
「マティルダ様、これは本当に薬なのですか? 新しい甘味菓子や飲料ではなく?」
「薬効のある飲み物よ」
「しかし、この甘さは……薬としてではなく、甘味飲料としても十分に売れてしまいます」
エリオは空になった瓶を明かりへ透かし、底に残った一滴すら惜しむように見つめる。
「この薬効に、これほどの甘味を出すために使われた砂糖の量まで考慮すれば、金貨三枚……いえ、ポーションに似た回復効果まであるのなら、さらに――」
完全に商人の思考へ沈み込みかけている。
このまま放っておけば、市場価格と希少価値を掛け合わせ、とんでもない価格を提示しそうだ。
私はその計算を遮るように告げた。
「定価は、一本につき銀貨一枚を想定しているわ」
エリオの動きが止まった。
空瓶を持ったまま、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。
「……今、何とおっしゃいましたか?」
「銀貨一枚よ」
聞き間違いではないと示すため、もう一度はっきり繰り返す。
エリオはしばし絶句した後、愕然とした表情で空瓶と私の顔を見比べた。
「それでは――売れてしまいます」
「ええ。だから、あなたに頼むのよ」
「いえ、そうではなく……」
彼は空瓶を握りしめ、商人らしからぬ切迫した声を上げた。
「それほど安ければ、売れすぎてしまいます」
(続く)




