エナドリ
研究所を後にして自室へ戻ると、待ち構えていたようにリカが声をかけてきた。
『それで、あの三千本のエナドリ君たちはどうするつもりなの?』
「…………」
私は答えに詰まった。
正直なところ、まだ何も考えていない。
売ろうと思えば、売ること自体は難しくないだろう。原料の大半はポーション製造時の残液と、ジャガイモから精製した甘味料だ。容器代や輸送費を含めても、一本あたり銅貨一、二枚で十分に利益が出る。
疲労が和らぎ、眠気が飛び、しかも甘くて飲みやすい。
商品として見れば、売れない理由を探す方が難しい。
だが、売れるからといって、売ってよいとは限らない。
あれには、人を惹きつける強い甘味と覚醒作用がある。試飲した者たちが次の一本を欲しがる様子を思えば、庶民の間で無制限に流行させるのは危険だった。
さらに、人体への影響も十分には検証されていない。
年齢や性別、体格、魔力保有量によって作用が変わることも考えられる。
一般に流通させるには、さらなる人体実験が必要であろう
だが、
(、、、、正直、面倒ね)
正式にやるには販売対象を限定し、購入記録と摂取後の経過報告を義務づける。医師か薬師の監督も付け、異常が出れば即座に中止させる必要があるのだが、
恐らく、愛飲する人数に対して医師や薬師の数が足りていない
最も手っ取り早い解決策は、三千本すべてを破棄することだ。
しかし、その選択にも問題があった。
まず、バートンがどのような反応を示すか予想できない。
表面上は従順に命令を受け入れるだろう。
だが、その翌日には「より安全で、より高性能な疑似ポーションを完成させればよいのですね」と解釈し、研究員全員を巻き込んで不眠不休の改良に着手しかねない。
恐らく、かなり高い確率でそうなる。
そして何より――。
「捨てるのは、あまりにも惜しいわね」
『まあ、そう言うと思ったよ』
リカの呆れた声を聞き流し、私は椅子へ腰を下ろした。
あの疑似ポーションは、使い方さえ誤らなければ、新たな薬として十分に価値がある。
本物のポーションより効果は弱いが、その分だけ安価に量産できる。軽度の疲労や、緊急時の覚醒補助に用途を限定すれば、高価なポーションを使えない者たちの助けになるだろう。
問題は製品そのものではない。
用法も用量も定めず、欲望のままに飲める状態で市場へ放つことだ。
私は小さく息を吐き、背もたれに身体を預けた。
「そうね。優秀な商人に任せましょうか」
『優秀な商人?』
「エリオという男がいたでしょう。彼、商人としては優秀なのよね?」
『うん。めちゃくちゃ優秀だよ。彼を攻略するルートだと、資金が本当に倍々で増えていくからね。安く仕入れて高く売るだけじゃなくて、人脈を作ったり、市場そのものを育てたりするタイプ』
「なら、適任ね」
『いやいや、ちょっと待って』
即座にリカが制止してくる。
『今の話を聞く限り、そのエナドリ――じゃなくて疑似ポーションって、かなり危ない代物なんだよね?』
「ええ。少なくとも、今の段階で自領の民を使って大規模な試験を行いたいとは思わない程度には危険ね」
『それをエリオ君に押しつけるのは、どうなのさ』
「押しつけるわけではないわ。安全性の検証と、適切な運用方法の確立を委託するのよ」
『言い方を変えただけじゃない?』
「未開拓市場に画期的な商材、多少の危険性があったとしても商人としては真っ先に飛びつきたくなるようなものだとおもうけれど」
『エリオ君、食いつくとおもうんだけどさ。最初の“自領では実験したくない”って発言が、ものすごく引っかかるんだけど』
「危険性も含めて彼には説明するわ。まあ、エリオならば、適した協力者を集め、危険を説明したうえで契約を結ぶ程度のことはできるでしょう」
『それでも、危ないものを人に飲ませることには変わりないよ』
「あなたの世界では、この程度の危険物が平然と市販されていたのでしょう?」
『うっ』
「しかも、庶民どころか、あなた自身も愛飲していた」
『……それを言われると弱いなあ』
「眠れなくなると分かっていながら、夜に飲んでいたとも言っていたわね」
『あれは、乙女ゲーの限定イベントが悪いんだよ、フルコンプするには徹夜前提の難易度を設定した運営が悪いんだって』
「その乙女ゲーって娯楽なのよね、そのために毒物を摂取するとか、貴方もバートンや私のことを悪くは言えないわね」
『正論で殴らないでくれる!?』
それからしばらく、私たちは疑似ポーションの扱いを巡って言い争ったが最後には、半ば自分へ言い聞かせるように
『うん。まあ、エリオ君なら上手くまとめてくれるでしょ。商人としての嗅覚は化け物じみてるから、大事にはならないはず、多分』
と呟いた
「ずいぶん信頼しているのね」
『彼のルートで散々助けられたからね。そういった問題は、だいたいエリオ君に投げれば何とかなるっていうか』
「では、決まりね。では早速、指示書をつくりましょうか」
私は机へ向かい、新しい紙を一枚取り出し
エリオへ求める条件を書き出していく。
『この強引なやり方なんか、嫌な予感がするなあ』
『それにエリオ君、引き受けてくれるかな?』
「無理にでも引き受けさせるのよ」
『うわぁ、お手柔らかにね。なんかエリオ君、遠くで急に寒気を感じてそう……』
その呟きだけは、妙にあり得そうだった。




