エナドリ
「太古から存在するからこそ、厄介なのよ。人間は昔から甘味を好んできた。それが安価になり、誰でも大量に摂取できるようになれば、話はまったく変わってくるわ」
「砂糖は良質なエネルギー源です。毒になるとは考えにくいのですが」
『私がいた世界じゃ、甘いものの摂りすぎで病気になる人が大勢いたからね』
リカが、珍しく真面目な口調で続けた。
『人間って甘さの誘惑に弱いんだよ。安ければたくさん使うし、甘い方が売れるから、作る側もどんどん入れる。その結果、身体を壊す人が続出したの』
「どんな物質でも、過剰に摂取すれば毒になり得るわ。そしてこの発明は、その過剰摂取を容易にする」
私は大瓶の中で揺れる甘味料を見つめた。
「良くも悪くも、時代を飛び越えた技術よ。扱いを誤れば、下手な毒よりも、多くの人間を蝕む可能性があるわ」
私の言葉を聞いた瞬間、バートンの目がいっそう輝いた。
「時代を飛び越えた技術……! それほど素晴らしいものだったとは。寝ずに研究した甲斐がありましたわ!」
どうやら、警告の部分は耳に入らなかったらしい。
改めて見ると、彼女の目の下には濃い隈が刻まれている。頬も少しこけ、立っている姿にも微かなふらつきがあった。
「勤勉なことね。ただ、頭脳労働には休息も必要よ」
「マティルダ様より賜ったご恩を返すには、これでも足りません。それに、この疑似ポーションを飲めば、眠気など吹き飛んでしまいますから」
「そう。だからこそ、ほどほどになさい」
「ご心配には及びません。マティルダ様のために死ねるのであれば、それは大変名誉なことでございます」
会話が、まったく噛み合っていない。
これは自発的な休息を期待するだけ無駄だろう。強制的に研究から引き離す必要がある。
私はため息をつき、何気なく部屋の中を見回した。
そのとき、研究室の隅に積み上げられた大量の木箱が目に留まった。
「……そういえば、あの箱は何かしら?」
「あちらでございますか?」
バートンは、何でもないことのように答えた。
「疑似ポーションを詰めた箱でございます」
「……何ですって?」
「マティルダ様が、安価に作るようお命じになりましたので。量産が必要になると考え、あらかじめ製造しておきました」
私は木箱へ歩み寄り、そのうちの一つの蓋を開ける。
中には、同じ形の小瓶が整然と並べられていた。どの瓶にも薄い琥珀色の液体が満たされ、栓と封蝋まで施されている。
「何本あるの?」
「現在、三千本ほどでございます。瓶詰めと封蝋まで済ませておりますので、いつでも出荷可能ですわ」
「出荷……」
「はい。まずは兵士と冒険者を対象に試験販売を行う予定ですので、最低でもこの程度は必要かと判断いたしました」
言葉が出なかった。
この疑似ポーションは、まだ試作品のはずだ。
そう考えながら、私は過去の記憶を探った。
――試作品を作れ。
私は、そう命じただろうか。
いや。
バートンには、疑似ポーションを開発しろ、安価に作れるようにしろと伝えただけだ。
試作品に留めろとも、量産は承認後に行えとも言っていない。
つまり、これは命令違反ではない。
ただ単に、私の指示が曖昧だっただけだ。
「……バートン」
「はい、マティルダ様」
すべて廃棄して、研究をやり直しなさい。
そう告げかけて、私は言葉をのみ込んだ。
ここで成果を否定すれば、バートンは自分の失敗を取り戻そうとして、今以上の無茶をするだろう。
今ですら、私の命令に応えるために寝食を削っているのだ。失望させたと思い込ませれば、次は本当に命を削りかねない。
彼女は、そういう人種だ。
ならば、否定するのではなく、まず成果を認めたうえで止めるしかない。
「よくやったわ」
私がそう告げると、バートンの目が大きく見開かれた。
「原料費を抑え、製法を確立し、量産まで実現した。その成果は評価に値するわ。何か褒美を取らせましょう」
「いえ、そのような! 滅相もございません」
バートンは慌てて頭を下げた。
「マティルダ様より、そのお言葉を賜れただけで十分でございます。それこそ、わたくしどもにとって最高の栄誉にございます」
「いいえ。褒美はきちんと受け取りなさい」
この女に金品を与えても、おそらく研究費に変わるだけだ。
研究器具を贈れば、さらに働く。
希少な素材を与えれば、眠らずに調べ始める。
地位を与えれば、責任感から自分を追い込む。
ならば、与えるべき褒美は一つしかない。
「そうね。研究所の職員全員で、南国諸島へ休暇に行ってきなさい」
室内が静まり返った。
物陰から様子をうかがっていた研究員たちが、一斉にこちらを見た。疲れ切っていた顔に、かすかな希望が浮かぶ。
しかし、バートンだけは困惑したように眉を下げた。
「……大変ありがたいお話ではございますが、わたくしどもは研究こそを生きがいとしております。研究をしていない時間など、拷問にも等しいものでございますわ」
背後の研究員たちの表情が、一斉に絶望へ変わった。
どうやら、そんな殊勝なことを考えているのはバートンだけらしい。
「そう。休暇では納得できないのね」
「まことに申し訳ございません」
「ならば、特別任務を与えるわ」
「特別任務……でございますか?」
予想どおり、バートンの目に再び光が宿った。
「南国諸島には、この辺りでは手に入りにくい果物や菓子が数多く存在するそうね」
「はい。そのように聞き及んでおります」
「あなたには現地へ赴き、それらの甘味をすべて実食してもらうわ。そして味、香り、食感、材料、保存性について調査し、帰還後に再現方法を考案しなさい」
バートンは息を呑んだ。
「まさか……新たな甘味の研究を、わたくしにお任せくださるのですか?」
「ええ。重要な任務よ」
私は大真面目な顔で言い切った。
「現地の料理を十分に食べ、景色や気候も観察すること。食事ごとに報告書を一枚作成しなさい。ただし、研究器具の持ち込みは禁止。現地での実験も認めないわ。あなたが行うのは、あくまで実食と観察だけよ」
「承知いたしました! 必ずやご期待に応えてみせますわ!」
背後の研究員たちの顔に、再び生気が戻った。
「それから、護衛――いえ、現地調査の監督役として中隊長率いる兵士団を同行させるわ」
中隊長の戦闘能力は、S級冒険者にも引けを取らない。
それに、彼は大の食事好きだ。
南国諸島へ着けば、名物料理を求めてバートンを引きずり回してくれるだろう。研究を始めようとすれば止め、食事を抜こうとすれば無理にでも席へ着かせるはずだ。
「なお、この任務の達成条件には、規則正しい睡眠と一日三度の食事も含まれるわ。違反した場合、調査報告書は受理しない」
「睡眠まで、任務に含まれるのでございますか?」
「現地の食文化を正確に評価するには、味覚と判断力を正常に保つ必要があるもの。疲労した状態での調査結果など、信用できないわ」
「なるほど……。さすがはマティルダ様。そこまでお考えになっていたとは」
バートン本人さえ任務だと思い込み、素直に休むのなら、それで目的は達成できる。
「出発は三日後。それまで新規の研究は禁止よ。引き継ぎと旅支度だけを行いなさい」
「承知いたしました!」
バートンは再び片膝をつき、深々と頭を垂れた。
「この命に代えましても、必ずや南国諸島の甘味を解明してまいります!」
「……”命を大事に”と命令をするわ」
やはり、最後まで会話は噛み合わなかった。
私は机の上の甘味料と、部屋の隅に積み上げられた三千本の疑似ポーションへ視線を戻す
「あれは私の方で、販売網を構築して販売しておくわ」
「休暇から帰って来たら、忙しくなるだろうから、しっかりと羽を伸ばしてきなさい」
「では、各位、行動を開始しなさい」
「はっ!」
研究所からそれはそれは威勢のいい返事と、敬礼の音が響き渡った




