エナドリ
研究所へ足を踏み入れた瞬間、バートンが床に片膝をついた。
「マティルダ様、お待ちしておりましたわ」
恭しく頭を垂れる彼女を見て、私は小さく息を吐く。
午後一番に訪れるとは伝えてあった。こうして待ち構えているだろうと思い、予定より少し早く来たつもりだったのだが――どうやら、彼女が待ち始めたのはつい先ほどではないらしい。
膝の部分についた埃。
わずかに強張った肩。
そして、普段よりも浅い呼吸。
おそらく午前中から、ずっとこの姿勢で待っていたのだろう。
相変わらず、忠誠心が高すぎる。ここまでくると感心を通り越して、もはや鬱陶しさすら覚える。
もっとも、目を輝かせながら私を見上げているとはいえ、形式上は不敬に当たる行為ではない。待つなと命じていたわけでもない以上、咎める理由もなかった。
「面を上げて頂戴。それと、毎回そのような仰々しい出迎えをする必要はないわ」
「承知いたしました。以後、善処いたします」
バートンは穏やかに微笑み、立ち上がった。
善処する、か。
おそらく次に訪れたときも、同じ姿勢で待っていることだろう。とはいえ、注意したという事実だけで今はよしとしておく。
「今日ここへ来たのは、例の疑似ポーションについて確認したいことがあるからよ」
「はい。何なりとお尋ねくださいませ」
私は同行させた使用人から試作品の小瓶を受け取り、机の上へ置いた。
透明な瓶の中で、薄い琥珀色の液体が揺れる。
「まず、性能については評価しているわ。通常のポーションには遠く及ばないけれど、疲労感の軽減と覚醒作用は十分に確認できた。味についても、試飲者から好評だったようね」
「誠に恐縮でございます」
「皆、口を揃えて『甘くて絶品だった』と言っていたわ」
「お気に召していただけたようで、何よりでございます」
「ええ。だからこそ、気になるのよ」
私は小瓶から視線を上げ、バートンの目をまっすぐに見据えた。
「この甘さの正体は何かしら」
「砂糖でございます」
「普通の砂糖ではないわね」
即座に否定すると、バートンの笑みがわずかに深くなった。
「屋敷で管理している砂糖の出納記録は、すべて確認したわ。商会の搬入記録も調べさせた。けれど、この研究所へ大量の砂糖が運び込まれた形跡はない」
私は瓶を指先で軽く弾く。
「これほどの甘さを出すには、少量では済まないはずよ。何を使ったのか、正確に答えて頂戴」
「……そうでございますね」
バートンは、少し考えるように目を伏せた。
「成分としては、砂糖に近いもの――とご説明すべきでしょうか」
「どういう意味かしら」
「結論から申し上げますと、ジャガイモから甘味料を精製いたしました」
室内が静まり返った。
私は聞き間違いを疑い、しばらく彼女の顔を見つめる。
「もう一度言って頂戴」
「ジャガイモから、砂糖に似た甘味料を作りました」
バートンは、さも当然のことのように答えた。
「砂糖は非常に高価でございます。しかしマティルダ様は、疑似ポーションを安価に量産できるものにせよとお命じになりました。そのため、薬効成分には、本来なら廃棄されるポーション製造後の残液を利用するという、実に素晴らしい着想をお示しくださいました」
「そうね」
「でしたら、わたくしも研究所長として、さらなる費用削減を実現しなければ名折れでございます。そこで試行錯誤を重ねた末、ジャガイモに含まれる成分を分解し、甘味へ変換する方法を確立いたしました」
バートンは近くの棚から、いくつかの容器を取り出した。
乾燥させたジャガイモの粉末。
白く濁った液体。
そして、粘り気のある透明な液体。
彼女はそれらを机に並べながら、精製の工程を説明していく。
まず、ジャガイモを細かく砕いて水にさらし、底に沈殿した白い粉を取り出す。そこへ特定の薬品と酵素を加え、加熱しながら分解する。最後に錬金術式で不純物を除去し、甘味の強い成分だけを濃縮するのだという。
説明を聞き終えたところで、頭の中にリカの素っ頓狂な声が響いた。
『うわっ、デンプンから糖を作ったんだ!』
『何それ』
私は表情を変えず、心の中で問い返す。
『要するに、水飴とかブドウ糖液みたいなものだよ。私の世界でも、トウモロコシや芋のデンプンを分解して安価な甘味料を作ってたの。砂糖の代わりに使えて、大量生産にも向いてるんだ』
私は平静を装いながら、机の上に並べられた容器を見つめた。
――なんてものを開発しているのよ。
砂糖は、この世界では高級品だ。
輸送費や精製費がかかるうえ、生産できる地域も限られている。小袋が金貨で取引され、庶民が日常的に使えるような代物ではない。
それを、領内のどこでも育てられる安価なジャガイモから作ったという。
「原料と完成量の比率は?」
「こちらをご覧くださいませ」
待っていましたとばかりに、バートンが大きなガラス瓶を運んできた。
中には蜂蜜よりも透明で、わずかに黄色がかった粘性の液体が満たされている。
「あのジャガイモ一袋から、おおむねこの大瓶一本分を精製できます」
「……一袋から、この量になるのね」
「はい。甘味の強さは濃度によって調整できますので、疑似ポーションに使用する際は、ここからさらに薄めております」
ジャガイモ一袋の価格は、豊作時なら銅貨一枚ほど。
一方、この瓶に入った甘味料が蜂蜜と同程度の価値を持つと仮定すれば、金貨二枚から三枚で取引できる可能性がある。
銅貨一枚が、金貨数枚に変わる。
まさしく錬金術だった。
だが、目先の利益だけを見て飛びつくわけにはいかない。
「バートン」
「はい」
「これを、どこまで試験したの?」
「甘味の確認でしたら、研究員全員が――」
「味の話ではないわ」
私は彼女の言葉を遮った。
「短期的な毒性、継続摂取による影響、加熱した際の変化、ほかの薬品と混合した場合の反応。それらをどこまで調べたのかと聞いているの」
バートンは小さく首を傾げた。
「研究員は皆、今のところ健康でございます。生成時に毒性のある薬液は使用しておりませんし、既知の有害物質が残留していないことも確認済みです」
「今のところ健康、ね」
その言葉だけでは、長期的な安全性の証明にはならない。
「製法を知っている者は?」
「わたくしを含め、三名でございます」
「その三名には守秘誓約を課しなさい。それと、当面は外出時に護衛を付けるわ」
「護衛、でございますか?」
「ええ。とんでもない発明をしてくれたからね」
「承知いたしました。しかし、それほど重大な発明なのでしょうか?」
バートンは心底不思議そうに首を傾げた。
「たかが甘味料ですわ。殺傷能力はなく、何より甘味は、人類が太古から利用してきたものではございませんか」
確かに、即座に人を害するような毒性はないのかもしれない。
だが、私の直感が告げている。
これは危険な発明だ。




