冒険者ギルド
ギルド長は、机の上に置かれた依頼書へちらりと視線を落とした後、恭しく頭を下げた。
「依頼に関しては、事前に承っております。ヴァルデン家からの正式な依頼ということもあり、冒険者の割り振りもすでに完了しております」
「仕事が早いのね」
「恐れ入ります。本日、マティルダ様がいらっしゃると聞いておりましたので、念のため、該当する者たちには待機を命じております。依頼内容に変更がないようでしたら、すぐにでも出立させる準備は整っております」
「あら。では、その依頼を受ける冒険者は、今ここにいるのね」
私がそう言うと、ギルド長はわずかに言い淀んだ。
「いえ、全員ではございません。ノクティル領の調査、ならびに領内の魔獣分布調査を担当する者たちのリーダーは、今この場にはおりません」
「そう」
私は特に気に留めず、依頼書の内容を思い返した。
今回、冒険者ギルドへ出した依頼は、大きく分けて二つ。
一つは、ノクティル領周辺の調査。
もう一つは、領内における魔獣の生息域と被害状況の確認。
そして、海域に関しては別途、シードラゴンの生態調査を依頼している。
「依頼内容そのものに変更はないわ」
ギルド長が安堵したように息を吐きかけたところで、私は思い出したことを付け加えた。
「ああ、そうそう。魔獣調査組に関しては、後ほどこちらから資材を渡すわ」
「資材、でございますか?」
「有刺鉄線よ」
ギルド長は聞き慣れない言葉に眉を寄せた。
「有刺鉄線……ですかな? 申し訳ありませんが、聞いたことがございません」
「棘のついた鉄線よ。柵や杭に張り巡らせて使うの。魔獣の侵入防止には、それなりに役立つはずだわ」
「棘のついた鉄線……」
ギルド長は想像を巡らせているのか、顎に手を当てて考え込んだ。
「なるほど。侵入そのものを防ぐだけでなく、接触を嫌がらせるためのものですな」
「ええ。ただし、設置場所は慎重に選びなさい。人や家畜が不用意に触れる場所に張れば、別の被害が発生するわ」
「承知しました。魔獣による被害が多い地点を優先し、後ほど担当者へ指示しておきます」
「お願いね」
魔獣の発生源を完全に消すことは難しい。
ならば、被害の多い場所を把握し、侵入経路を絞り、被害を減らす仕組みを作る方が現実的だ。
「それで、もう一つの調査ね」
私は依頼書の別項目を指先で軽く叩いた。
「シードラゴンの調査を担当する冒険者を呼び出して頂戴」
「かしこまりました。では、こちらの来賓室でお待ちください」
そう言って、ギルド長は私たちを別室へ案内した。
通された部屋は、いかにも貴人を迎えるために整えられた来賓室だった。
磨き上げられた長卓。
壁に掛けられた大きな絵画。
金糸の刺繍が施された重そうなカーテン。
無駄に曲線の多い椅子。
そして、必要以上に輝く燭台。
どれも高級品ではあるのだろう。
だが、統一感がない。
高価なものをとにかく並べれば格式が出るとでも思っているのか、部屋全体が妙に落ち着かない雰囲気になっていた。
(全くもって悪趣味な部屋ね)
私は椅子に腰を下ろしながら、内心でそう評価した。
母もここまでセンスが悪いわけではないので、おそらくギルド長が気を遣った結果なのだろう。だが、努力の方向がだいぶずれている。
しばらく待っていると、扉が叩かれた。
「入れ」
ギルド長の声に応じて、複数の冒険者が室内へ入ってくるや否や、彼らはなぜか一斉に床へ膝をついた。
いや、膝をついただけではない。
そのまま両手を床につき、深々と頭を下げた。
完全な土下座だった。
「…………」
私は無言でギルド長を見る。
ギルド長もまた、目を見開いたまま固まっていた。
どうやら、彼の指示ではないらしい。
室内に、何とも言えない沈黙が落ちる。
このままでは話が進まない。
「全員、面を上げなさい」
私が命じると、冒険者たちは一斉に顔を上げた。
その動きだけは妙に揃っている。
「まずは、依頼を受けてくれたことに感謝するわ」
「はっ!」
返事まで揃っていた。
妙な迫力まである。
「ただ、そこに跪いたままでは大変でしょう。特別に、私の対面に座ることを許可するわ。こちらへいらっしゃい」
そう促したのだが、先頭にいた男が、さらに深く頭を下げた。
「お心遣い、恐悦至極に存じます」
「なら、座りなさい」
「ですが、マティルダ様と対面に、対等な位置で座るなど、そのような畏れ多いことは私どもにはできません。どうか、このままでいさせてください」
「…………」
私は彼らの顔を順に見る。
恐怖で震えているわけではない。
むしろ、目が輝いている。
忠誠心。畏敬。感激。
そういった感情が、どういうわけか過剰に混ざっている。
私は少しだけ首を傾げた。
彼らにここまでされる覚えはない。
『あ、思い出した』
リカの声が響いた。
『どこかで見たことがあるなーって思ってたけど、この前のシードラゴン騒動のときに、マティルダが後ろに吹っ飛ばしてた人たちだ』
そう言われて、私も彼らの顔に見覚えがあることを思い出した。
確かに、以前シードラゴンが現れたとき、その場にいた彼らを、騒動に巻き込まれないようまとめて後方へ吹き飛ばしたのだ。
『あと、先頭のリーダーっぽい人は、唐揚げラーメン屋の前で土下座してた人だね』
リカの補足で、ようやくそのことも思い出した。
別に、感謝されるほどのことをしたつもりはない。
だが、彼らの様子を見る限り、どうやら私との間に何らかの認識の差があるらしい。その点は気掛かりではあるが、従順であるなら問題はない。
「そう。では、そのままでいいわ」
「はっ!」
冒険者たちの返事が、また揃った。
ギルド長の頬が引きつっている。
私は気にせず、本題に入ることにした。
「今回の目標は、シードラゴンよ。ただし、討伐ではないわ。依頼内容は生態調査よ」
冒険者たちの目が、わずかに揺れた。
「周辺海域におけるシードラゴンの生息域、確認された個体数、出没する時期、行動範囲、餌場。そのあたりを調べて頂戴」
「はっ!」
先頭の男が、気持ちのよい返事をする。
だが、そこでギルド長が恐る恐る口を挟んだ。
「マティルダ様。失礼ながら、一つ確認してもよろしいでしょうか」
「何かしら」
「シードラゴン調査の目的は、いったい何でございましょう」
ギルド長は慎重に言葉を選んでいた。
逆らう気はない。
だが、ギルドを預かる身として、聞かずにはいられない。
そんな顔だった。
「さすがに、密猟を目的としているとなれば、ギルドとしても簡単に頷くわけにはまいりません」
その言葉に、部屋の空気が一瞬だけ重くなる。
冒険者たちは動かない。
だが、彼らの意識がこちらへ集中したのは分かった。
シードラゴンは希少な魔獣だ。
素材としての価値も高い。
鱗、牙、骨、血、内臓。どれも高値で取引される可能性がある。
だからこそ、ギルド長の警戒は当然だった。
「私が知りたいのは、生息域と個体数よ。今後、港を増設する際に、彼らの縄張りをあまり侵さないために必要な情報なの」
本当は、あのシードラゴンの番を探しているのだが、建前上はそう言っておく。
「そうでありましたか」
ギルド長は、ほっと肩を下ろした。
「しかし、シードラゴンは浅瀬にはあまり近づかず、人前にもめったに姿を見せないと聞きます。調査には、ある程度の時間が……」
冒険者のリーダーらしき男が、ギルド長の言葉を遮るように口を開いた。
「その点は、私どもに考えがあります」
「お聞きになりますか」と言いたげな顔をしているので、私は顎をしゃくって続きを促した。
「密猟者を捕まえ、彼らから情報を聞き出すのです」
「良い考えだけれど、その肝心の密猟者をどうやって見つけるのかしら?」
「私の情報網で、すでにある程度の目星はついております。それに、シードラゴンを討伐するには、海へ逃げられる前に最大火力を短時間で叩き込む必要があります。ですので、大型の船、大人数の密猟者、そして大量の物資が必要になるはずです。張り込んでいれば、容易に捕縛できるでしょう」
なかなか悪くない案だ。
「その方針で問題はないわ。ただ、相手が人間になる以上、こちらも頭数が必要ね。依頼内容を変更し、頭金も増額するわ」
「ありがとうございます」
「そして、少し手助けをしてあげる」
「手助けですか?」
「ええ。シードラゴンの保護を謳った法令を出すわ。密猟に対する罰則も強化する。理由はそうね……『益獣としての利用価値が高く、人類と共存可能な存在だから』とでもしておきましょうか」
「それでは、密猟者がいなくなってしまうのでは?」
ギルド長が口を挟む。
「いいえ。法令の施行までに猶予を設けるのよ。そうね、半年ほどで設定しましょうか。法令が施行されれば、密猟者たちは活動を続けにくくなる。そうなれば、彼らは猶予期間のうちに、できるだけ多くの獲物を確保しようとするはずよ」
「焦った密猟者が、無理に動き出すという寸法ですね」
「ええ。ただし、こちらから無用に追い立てる必要はないわ。証拠を集め、彼らの動向を確認し、シードラゴンを傷つける前に捕縛しなさい」
「承知いたしました」
ギルド長が慌てて口を挟んだ。
「しかし、マティルダ様。密猟者を捕縛するとなれば……」
「分かっているわ。依頼内容を変更し、調査に加えて密猟者の監視と捕縛を含める。報酬は、成果に応じた出来高制にするわ」
「……承知いたしました」
「では、各位。行動に移りなさい」
私がそう告げると、冒険者たちは一斉に頭を下げた。
「はっ!」
声が重なり、来賓室の空気が震える。
彼らが依頼内容を十分に理解したと判断した私は、立ち上がり、来賓室を後にした。
今回の依頼に、不備はない。
調査の目的も明確にした。
そう思っていた。
まさか、この依頼が後になって、想像もしなかった大騒動を引き起こすことになるとは――。
そのときの私は、まだ知る由もなかった。




