第46話【手を伸ばせば届きそうな幸せ】
あれよあれよという間に、準決勝まで来てしまった。実際、僕が引き分けも許されない展開だってあったけど、何とか1本を奪って代表選までは漕ぎつかれることはなかった。体力の消費具合も、限界までは遠い。つまり、いい状態で光誠学園と向かい合える。そんな、ここまで全戦全勝の僕に対して粉河先生がくれた言葉。それは…
「ほら、また無理な体勢ですっ跳んでる」
おっしゃる通りです。確かに詰めてくる相手に下がって、引き込んだところを無茶な体勢から手を出して一本を奪ってる。否定のしようも返す言葉もないです。でも、これってわざとじゃないから。なんか気づいたらやってた感じ。そう、反応ですよ反応。 頭より先に体が動いたというか、ね。
「わかっちゃいるけど止められないのは、変なお薬と植木等だけだからね」
オクスリって…、酷い例えだ。あとウエキヒトシさんってだれ?
正直、最近の調整稽古で抑えていた分、疲労の蓄積が抑えられていたはずのアキレス腱がシクシクしてる気がする。近いのかな、限界が。でも今日だけ、いや外田くんとの試合が終わるまでなら。
とは言うものの、そこまでの大事にはならないだろう。せいぜいが炎症かな。なんにせよ、一戦入魂。彼と剣道をすることが僕の剣道を知る最大の機会なんだ。 自分の体を労わるのは、そのあとだって間に合うはずだ。
団体礼。普通の学校相手なら流れ作業で済ませるけれど、やはりと言うか、さすがと言うか、光誠はこの時点で圧が違う。体格がいい選手をそろえる中でひときわ上背で見劣りのする、だけれどひときわ眼力の強い外田くん。その目と直接向き合って、それでも眺めるように、適度に集中と分散を配分させるのが僕流。
一度、お互いに頭を下げてから再度向き合う。君が波立たせた僕の心の波紋で、果たして僕の瞳は凪いだのか。それとも君の眼には平常心に映せたのか。不安と高揚感が紙一重にも違わない心境で先鋒戦の行方を見守る。
自分の出番を待つ時間はあっという間に過ぎていった。やはり光誠と章領では選手層の厚さが段違いだ。事前に勝ち点を上げようと言っていた先鋒から中堅まででなにも良いところを出せなかった。先鋒と中堅の下級生タッグにはいいように時間を使われて引き分け。絶対に取りたいと指示されていた次鋒戦でもうちの石原くんが焦って出たところで出端コテを取られた。
あちゃ~。そんなことを考えていたら副将の玉川くん、柴田くんに秒殺です。うーん、柴田くんって当てやすい剣道してると思ったんだけどな。ここまで地力に差があると、中心がちっとも動かないわ、変剣じゃ中心が空いてると思われるわで、オモチャだね。
ま、なんにせよ負け確定。スコアを考える必要がなくなって、思う存分に個人戦が出来ますな。
スルスルと開始線に歩み寄り、開始線でのろっと腰を落として蹲踞に移る。外田くんはズカズカせかせか開始線まで行くと、僕の遅さにイラつきながらも、呼吸を合わせて蹲踞しているのがありありと伝わる。
焦らないで。熱き心はプレーで見せてくれってね。
「はじめっ」
火が付いたように立ち上がる外田くん。彼は蹲踞のときにこっそり左足も白線に付くくらい前に出している。これで半歩リードできる。せっかちが過ぎる1歩目。いきなり始メン、ではなかった。深く僕の間合いに食い込んでいくとカチカチと裏表に動かす。こちらの出方をうかがっているようだ。
「ア゛ァ!」
僕は技を出さずに間合いを潰す。ひょっとして外田くん的には、こっちを誘ってるつもり?圧が怖すぎて、全然技を出す気が起きない。自分の圧の強さを考えた方がいいんじゃないかなって剣道だ。
カチ、カチッ…。ドン!
剣先の触れ合いと、威嚇代わりの踏み込みの音。苦し紛れにコテに逃げたら、打ち終わりのわずかな無防備なところを打たれそう。でもこっちが下がったらムキになって連打で追い込んでくるのかな。案ずるよりも生むがやすし。それ、モノは試しと。
ぐぐっと彼は間合いを詰める。僕は足で距離を取ろうとしつつも上半身は後傾にならず、いつでも技を出せる体勢をキープする。そこで外田くんは手を出してこない。あらら、彼の辞書に我慢という文字がようやく載ったのかな。 大改訂だ。
じゃあ、いい加減こっちから打ってみよう。僕の方がリーチはある。僕からは届いて、外田くんからは届かない距離からの一撃。
「メンッタァ」
外田くんは滑るように右斜め後ろに引いて、まったく体勢を崩さず、僕の十分に届いたはずの一撃を捌く。そこから、僕は厳しい稽古で身に着けた連打を浴びせようとするけど、彼はほとんど中段の構えを崩さず対応。こっちが連打を途切れさせたとたん、一気に攻勢に転じてきた。
あぁ、これだ。これが剣道なんだ、リーチの差がなんだっていうんだ。キッチリした構えと足捌きで、いくらでも対応できるんだと、僕のリーチと体に頼る変態打ちなんて、王道から外れた邪道だということを、これでもかというほどに訴えかけてくる彼の有り様。
まったくもって思い通りにならない、水中に放り込まれたような不自由さ。これはどうしたらいいんだ。
以前の僕だったら、清々しい気分にもなるようなやられ方である。だけど稽古を積んで、ひょっとしたらお母さんとの摩擦も手伝ってか、僕は勝ち負けに飢えていた。 やられっぱなしで、凄かったですじゃ終わらせない。
僕の無理矢理な攻勢が衰えるにつれて外田くんが攻め入る機会が増えていく。彼の思う通り、実際に手立ては尽きかけていた。
だからこそだろう。
「ンメァラアアア!」
完全な意識外からの一撃。理合いも何もない、ただ、打つはずがないだろうというくらい体勢を崩されたと思ったところからあえて繰り出した一発。後傾姿勢から、一気に左足で無理矢理外田くんの方に跳び出す。
この起死回生を狙ったメンに、外田くんは一切防御の姿勢を取れていない。イケる!
ぶつん
耳に入ったのは審判の有効打突の宣告でも、割れんばかりの場内の歓声でもなかった。それはほかでもない僕自身の中から響いた、声ならぬ悲鳴だ。
パァン!
メンに跳んだ自分自身を止められない。慣性が、惰性が空を切った勢いそのままに前進を地面からの招待にまかせる。蹴り足のブレーキが利かない。力の入れ方が?なんだ、すべてが思い通りにならず、重力に無抵抗になる。
体が、沈む、沈む、沈む…




