薬師とその過去
ようやくたどり着いた。先程見えた時計塔の針は、9時を指していた。そもそもの出発時間が明らかではないが、そこまで時間はかかっていないはず。街に着いてから、背に抱えたキューちゃんはおとなしくしている。たまにモゾモゾとした動きを感じるが、寝返りか何かだろう。寝返りがうてる程度にまだ元気なのは良いことだ。
目指してきた目的地――グレイさんのお店、その扉を開け、中に入る。入ってすぐ、正面のカウンターに、店番をしている子どもがいた。
「いらっしゃいませー……ボサ姉ちゃん!?」
「スレイくん!」
店番をしていたのはスレイくんだった。見知った顔なのはありがたいけれど……。
「スレイくん、グレイさんは?」
「おじさん?おじさんは今お客さんの家に薬を渡しに行ってて……」
なんてことだ。てっきり、この場所に来ればグレイさんに会えるものと思っていた。グレイさんが外出しているという可能性を全く考えていなかった。
「グレイさんはどこに向かったの?」
「ポーラ婆さんの家だけど……ボサ姉ちゃん、おじさんを探しに行くつもり?」
「うん、少しでも早くグレイさんに会わないといけないの」
「でも、姉ちゃんこの街の道わかるの?」
わからない。焦ってグレイさんを探しに行っても、わたしが迷子になって状況が悪化するかもしれない。だけど、いつ戻るかわからないグレイさんを待ち続けるというのも、怖くて出来ない。わたしはどうすればいいのか。そこでスレイくんが口を開いた。
「……どんな用かわからないけれど、ボクじゃ力になれないかな。ボサ姉ちゃんに、この前のお礼がしたいんだ」
グレイさんのいないこの状況、わたしが頼れるのはもうスレイくんだけだった。スレイくんは既にキューちゃんの事を知っているし、キューちゃんを隠さなくて良いという点では安心できる。でも……いや、もう頼るしかない。
「スレイくん、今この建物に、他に人はいる?」
「ううん、ボクとボサ姉ちゃんだけ」
「申し訳ないんだけど、部屋に上がらせて。他の人に知られたくない話なの」
その言葉にスレイくんは頷き、わたしを奥の部屋に案内してくれた。そこでわたしは背中の風呂敷を広げて、キューちゃんをスレイくんに見せ、事情を話した。
「わたしの力じゃどうしようもなくて……で、でも、頼る人もいなくて……」
話しているうちに、わたしは嗚咽を漏らしていた。恥ずかしい。恥ずかしいが、止めたくても止まらなかった。
わたしが話している間、スレイくんは黙ってわたしの話に耳を傾けてくれた。時々キューちゃんの方を見て、首元に手を当てたりしながら。
わたしが話し終えると、スレイくんはわたしの目を見ながらこう言った。
「ボクもおじさんも、お医者さんではないから確かなことはわからないよ。でも、出来ることはする」
そう言うスレイくんの目は、意志を感じさせながら、それでいて優しい目だった。その言葉を聞き、その目を見て、わたしは一層目頭が熱くなるのを感じた。
「多分、重症ではないよ。キューちゃんじゃなくて昔ウチにいた犬の話なんだけど、似たような状態を見たことがある。食べ過ぎか何かで、胃に負担がかかったんだと思う」
そう言いながら、スレイくんは白くて丸い薬と水の入った皿を持ってきた。
「これを飲めば、きっと楽になるよ。さ、キューちゃん。頑張って」
スレイくんはキューちゃんの口元に薬を運ぶ。キューちゃんはなかなか口に薬を入れようとしない。それを見ると、スレイくんは強引にキューちゃんの口に薬を入れ、水を飲ませた。
「ちょっ、スレイくん!!」
「ご、ごめんボサ姉ちゃん!でも、この薬を飲んだ方が、絶対良いんだ。ごめんよ、キューちゃん」
キューちゃんはスレイくんから離れ、わたしの近くに来ると、そこで丸くなり目を瞑った。薬を無理に飲まされたせいで具合が悪くなったりはしていないようだ。
キューちゃんは机の上で寝息を立てている。わたしはスレイくんと久しぶりの会話をしていた。
「3年くらい前までね、ボクの家で犬を飼っていたんだ。ダブっていう名前なんだけど」
3年前まで。までってことは、今はもう……。
「ボクが生まれる前からウチにいた犬だったんだけど、身体があまり強くなくてさ。よく具合を悪くしてたんだ。その度に獣医さんに診てもらって、必要な薬をおじさんに用意してもらったんだ。その頃に、今日のキューちゃんみたいになったことがあって」
スレイくんはなんとか微笑もうとしていたが、その目は寂しさを隠せていなかった。
「ボサ姉ちゃんにとってのキューちゃんは、きっとボクにとってのダブなんだよね。また困ったことがあったら、ボクにも話してほしいな」
そう言ってスレイくんは今度こそわたしに微笑んだ。スレイくんは優しいな。
「あの日、偶然会ったのがスレイくんで良かったよ。キミに出会えて、わたしとキューちゃんは幸福だね」
わたしも思わず微笑みながら、そう言葉を返す。すると、スレイくんは顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
「ボ、ボク店番しなくちゃ……!」
そう言ってスレイくんは店先に戻っていった。部屋にはわたしとキューちゃんがふたりで残された。
眠っているキューちゃんの横で椅子に腰掛けながら、お店に来る前の事を思い出す。
アレアさん、すぐそこの図書館で歴史の研究をしてるって言ってたな。あとで図書館に行ったらまた会えるかな。図書館の本っていうのは、わたしも読んでいいのだろうか。お金を請求されないといいんだけど。というか、キューちゃんの薬もお金かかるのかな。お金は持っていない。グレイさんが帰ってきたら、謝らないとなぁ……。
そんな事を考えていると、店の扉が開く音が聞こえ、続けて人の声が聞こえてきた。
「ただいま。スレイ、店番ご苦労さま」
グレイさんの声だ。
「おじさんおかえり!実はね、今……」
「お久しぶりです、グレイさん」
部屋から顔を出し、説明しようとするスレイくんを遮って、わたしの方から挨拶した。スレイくんに全部話させるのはなんとなく気が引けたし。
「……ボサノヴァさん」
グレイさんは、両目を大きく見開いていた。わたしがいるとは思わなかったようだ。
「突然すいません、実は……」
グレイさんにこれまでの経緯を話す。キューちゃんが体調を崩した事、自分ではどうしようもなくグレイさんを頼りに来た事、スレイくんが薬を用意してくれた事。
「お金も払わず勝手にお薬をいただいてすいません。でもわたし、お金を持っていなくて……」
「それは構いません。この前のお礼です。ですがボサノヴァさん」
お金を払わなくていいことにホッとする間も無く、グレイさんは険しい目でこちらを見る。
「な、なんでしょう」
「いくつか話があります。まずひとつ。ここに来るまで、顔を隠したりはしていましたか?」
「あっ……途中から隠していませんでした」
「街中で、少し噂になっています。見慣れない銀髪の少女を見た、という話と、関所の人間はそんな少女通していない、という話が合わさって。……衛兵には気をつけてください」
顔を知られたくないからではなく陽が嫌だから顔を隠していたのだが、まさかそんな事になっていたとは。関所を無視して侵入したのも良くない影響が出ている。あまり手荒な事態に発展しないといいんだけど。
「それから……あの動物についての話をしたいです。」
「……キューちゃんの、ですか。……わかりました」
グレイさんの方から、キューちゃんの話を振って来るのか。どんな話をするのか、正直不安だ。この期に及んで、わたしはまだグレイさんを信用しきれていない。しかし、敵と決まっているわけではない。わたしが信用できていないだけで、グレイさんも味方という可能性はある。
「スレイ、もうちょっと店番を頼まれてくれないか。私はボサノヴァさんと大事な話がしたい」
グレイさんはそうスレイくんに告げ、わたしを奥の部屋……今、キューちゃんが眠っている部屋に案内した。そして、声が外に漏れないようにか、扉を閉める。キューちゃんの眠る机を挟んで、わたしとグレイさんは対面になって椅子に座った。
「さて、ボサノヴァさん。あなたは、この動物の事をどこまで知っていますか」
グレイさんは、わたしに鋭い視線を向けそう問いかける。わたしがキューちゃんについて知っている事。グレイさんは何故そんなことを聞くのだろう。その理由はわからないが、ここは素直に答えることにした。グレイさんがわたしの様子を伺うのと同じように、わたしもグレイさんの反応を見たい。
「キューちゃんは……水浴びが好きで、夜は眠って朝に起きて、毎日この赤い木の実を食べていて」
そう言いながら、わたしは巾着の中からいつもの木の実を取り出した。
「イチラの実ですか。たしか、森の奥に群生地がありましたね」
「はい。ただ……わたしが知ってるのはそんなキューちゃんの好みとかだけで、大事な事はわかりません。今回だって、キューちゃんの身体に何が起こっているのか、どうすれば良かったのか、わたしは何もわからなかった」
冷静に考えてみると、本当にわたしはキューちゃんの事を知らない。なんて動物なのか、何歳くらいなのか、同じ種族の仲間はどうしたのか、なんであの館にいたのか。これらがわからないのは、わたし自身についても同じだけど。
「この子とは、いつから一緒にいるのですか?」
グレイさんは質問を続ける。
「……実は、住処に時計とかそう言ったものがなくて、具体的な時期はわからないです。ただ、出会ってから今日まで、この木の実が見つからなかった時期はないです」
そう考えると、キューちゃんと過ごした時間はそんなに長くないのかもしれない。この木の実……イチラの実がどういう生態なのかは知らないが、1年中ずっと木の実をつけているという事はないだろう。あれ、そうだとしたら、木の実がない時期のキューちゃんはどうするんだろう。
「イチラの実は夏の盛りから秋の終わりまでの時期で実ります。そして今は、もうすぐ秋が終わるという頃合いです。……ボサノヴァさん、貴方はその前、いつ、どこにいたんですか?」
話がわたしの事に移った。キューちゃんに会う前となると、記憶らしい記憶は残っていない。ここで誤魔化すメリットも思いつかないので、これも正直に答えることにした。
「わたし……キューちゃんに会う前の記憶がないんです。厳密には、キューちゃんに会う直前、あの森の館にいたのが思い出せる最初の記憶です」
「……やはり、そうですか」
やはり?今しゃべった情報で、グレイさんの頭の中で何かの歯車が噛み合ったのだろうか。
「私が初めてこの子を見た時、ボサノヴァさんは異常に警戒心を強めていましたね。何か、不安なことがあったのでは?」
てっきりわたしの事を掘り下げられるんじゃないかと身構えていたのだが、話題がキューちゃんの事に戻った。だが、この話題こそが本命だ。
「……キューちゃんは、これまで何度か狩人に狙われています」
グレイさんの反応をよく観察しながら、わたしは話し始めた。とりあえずこれだけだと、グレイさんは特に驚いた様子はない。
「最初はどうして狙われるかわかりませんでしたが、狩人たちが必死にキューちゃんを狙うので、その人たちにとってキューちゃんは余程価値があるのだと思いました。スレイくんとグレイさんに会った時も、2人が狩人たちのようにキューちゃんを狙うんじゃないかと考え、ああして警戒を強めていました」
狩人たちを殺してしまった事は言葉にしない。あの時の感覚を思い出したくないのはもちろんだが、あの事実を隠蔽したい気持ちがわたしの中にあるのだと思う。グレイさんは黙々とわたしの話を聞いている。
「この前、ある旅人がわたしの住む館に来ました。キューちゃんを見つけさせないよう誘導してたんですけど……その時、旅人の口からキューちゃんが狙われる理由を聞きました。初対面だったグレイさんがキューちゃん……の種族を知っていた事にも合点がいきました。」
そこで、グレイさんの表情が少し変わった。そして口を開く。
「……では、もう知っているのですね。この動物、エキュワスは、幸運の薬の材料になります。それが理由のひとつとなり、かつて乱獲され、今やその姿を見る事はほとんどありません」
エキュワス、それがキューちゃんの種族。すぐそこで眠っているキューちゃんを見つめてみる。キューちゃんが薬の材料になるっていうのは、シャグラの話を聞いた時点では推測の域を出ていなかったけど、今こうして、グレイさんの言葉によって推測から事実になった。
「わたしは、キューちゃん……エキュワスという動物について、これ以上は知りません。グレイさん、わたしにエキュワスについて教えてもらえませんか」
グレイさんに教えを請う。
わたしがエキュワスという動物に詳しくなれば、自力でキューちゃんを助けられることが増えるはずだ。それに、一緒にいるのだから、もっとキューちゃんの事を知りたい。グレイさんは少し考えるような仕草を見せてから、わたしの頼みに返答した。
「……今、全ては話せません。順を追って、少しずつ教えます」
「どうしてですか?」
思わず食い気味になって聞いてしまった。
「理由があります。最後まで話を聞いていただければ、その理由もわかります。とりあえず、今日のところは私からエキュワスについて教える事はありません」
「……そう、ですか」
グレイさんは少し俯きながら、わたしの問いに答えた。その答えに、わたしはこれ以上噛み付こうとは思わなかった。グレイさんと揉め事を起こしたいわけではないし、待っていればいずれ話してくれるようだし。
「グレイさんはキューちゃんを見る前に、エキュワスを見たことがあったんですか?」
ふと思いついた疑問が口から出た。エキュワスについての質問というよりはグレイさんについての質問なのだから、これには答えてくれるだろう。グレイさんは少しだけ、苦そうな表情をしてから、質問の答えを語り始めた。
「あります。何匹も。……20年以上も昔、まだエキュワスの数が少なくなかった頃。わたしは依頼されるがまま、捕らえられてきたエキュワスを殺し、幸運の薬を作っていました」
これはわたしの中では予想していた答えだ。しかし、予想外だったのは、それを語るグレイさんの表情だ。今まで見たグレイさんの表情で最も苦しそうな顔をしている。
「薬を作る過程で生き物を殺す事自体は珍しくありません。生きる為に他の生き物から命を奪う事、それ自体は自然だと考えています。しかし……あれは、過ぎた殺しでした」
語り続けるグレイさんの手は震えていた。
「幸運の薬は薬の範疇を逸脱しました。必要ではないのに消費され、その為に必要以上の生産が求められる。つまり、エキュワスを犠牲にする。ヒトは生きる為だけではなく、自分たちの快楽の為にエキュワスを殺し続け、そして私はそれに加担し続けました。その結果、エキュワスという種は、絶滅寸前にまで追い詰められました。その段階に至ってようやく、私はやり過ぎに気付きました。……私は未だに、その愚かな過去と折り合いがつけられずにいます」
グレイさんはそこまで語ると、一度深呼吸してから、わたしと目を合わせた。
「私はもう、必要を超える薬のために生き物の命を奪いはしないと誓いました。故に、私があなたの家族に危害を加える事はありません。私を信じていただけますか」
真っ直ぐと、わたしの瞳の奥を見つめながら、グレイさんはわたしにそう問いかけた。
わたしは今日まで、グレイさんの事がわからなかった。そして、怖かった。何を考えているか分からないから。今日だって、こちらが質問されている時に、わたしの言葉からわたしの意図以上の事を知ったような素振りを見せていたから怖かった。
だけどこうして、グレイさんは自分の過ちという苦い過去を話してくれた。普段見せないであろう表情とともに。まだグレイさんの事がわかったわけではないけれど、わたしはグレイさんの事を前よりは信じたくなった。




