信じる勇気とわたしの正体
わたしはグレイさんとの話の後、机の上で眠るキューちゃんのそばにずっといた。
キューちゃんが目を覚ましたのは、時計の針が13時を指した頃だった。お腹が空いてるだろうと思い、イチラの実を食べさせようとしたのだが、「食べ過ぎか何かで胃が荒れた」というスレイくんの見立てを思い出す。どうしようかなと悩んでいたら、キューちゃんは実が入った袋に自分から頭を突っ込んで行った。わたしの迷いなんて関係なく、キューちゃんはむしゃむしゃと木の実にかじりついている。食欲が戻った様子なのは何よりだ。
そんなキューちゃんを眺めていたら、スレイくんが部屋に入ってきた。水の入ったコップを2つ持っている。
「キューちゃん、元気になったんだ!よかったあ」
コップのひとつをわたしに差し出しながら、スレイくんはそう言った。
「スレイくんのおかげだよ。ありがとね」
わたしはスレイくんに微笑みながらそう返した。
「っ、キューちゃんの分の水も用意してくるね」
一瞬だけ目があったけど、スレイくんは言葉通り水を取りに部屋の外に行ってしまった。なんかさっきから、スレイくんの様子がおかしいような気がする。
ふとキューちゃんの方を見ると、中途半端に食べ残したイチラの実と共にぐったりと倒れていた。えっ、ちょっとキューちゃん。思わず焦ったが、同じ苦しそうな表情でも今朝ほどではない事に気付き、少しだけ落ち着きを取り戻した。
薬をもらったとはいえ、流石にそんなすぐにはキューちゃんも回復しない。まだしばらくは、薬をもらえるよう街にとどまった方が良いかもしれない。しかし、それには問題がある。
「おまたせ、キューちゃんのお水……キューちゃん!?」
「あっ、多分大丈夫だよ。急にがっつきすぎただけだと思う。お水ありがとね」
キューちゃんを見て驚くスレイくんに状況を説明してから、水の入ったお皿を受け取る。キューちゃんの横にその皿を置くと、ペロペロと皿の中の水を飲み始めた。
スレイくんは机を挟んで反対側の椅子に座ると、わたしに質問してきた。
「ねぇ、ボサ姉ちゃん。これからどうするの?」
「うん、キューちゃんの具合が良くなるまでは、街に留まろうかなって」
「留まる……って、宿とかに泊まるの?」
「んー、そうしたいんだけど……実は、わたし、お金がなくて……」
そう、街に留まる上での問題。それは泊まる場所がないことだ。わたしだけなら夜通し散歩しているとかでも構わないのだが、その間キューちゃんを連れ歩かなければならない。キューちゃんはわたしと違って、夜は眠って身体を休める必要がある。具合を悪くしている今なら尚更だ。
「なんならおじさんに泊めてもらえば?ボクから言ってみるよ」
「それはちょっと待って。勝手に薬をもらっちゃった上に、お泊まりまでさせてもらうのは、流石に申し訳ないよ」
キューちゃんのための薬については、先程お礼を申し出たら「この前スレイを案内していただいたお礼です、お気になさらず」とグレイさんに言われたので、その言葉に甘えることにした。お金とか持ってないし。しかし、これ以上スレイくんとグレイさんに迷惑をかけるのは、わたしとしても気がひける。
「とりあえず、わたしの方でどこか泊まれる場所がないか探してみるよ。もしかしたら、働く代わりに泊めてもらえるところとかあるかもしれないし」
そうだ、アレアさんは図書館の仕事を手伝う代わりに居候させてもらっていたはず。街にはこれだけたくさんの人がいて建物があるんだし、探せばきっとお金がなくても泊めてくれる場所は見つかるはず。
そんな風にわたしが勝手にひとりで宿探しのモチベーションを高めていたら、スレイくんから鋭い指摘を受けた。
「……ボサ姉ちゃんが宿を探している間、キューちゃんはどうするの?……ここに預けていく?」
あっ。
しまった。そもそも宿を探すための前提が整っていなかった。キューちゃんの安全を確保できない事には、宿を探しには行けない。
スレイくんの言う通り、宿探しの間キューちゃんをここに預けるという選択肢はある。しかし、まだわたしは「万が一」の可能性を恐れてしまっている。スレイくんに助けられ、グレイさんが過去を話してくれても、キューちゃんが眠っている間、わたしはこの部屋を離れる事が出来なかった。スレイくんの事は信じられるし、グレイさんの事も信じたい。信じたいのに、わたしはそれが出来ないでいる。
わたしが考え込んでいると、グレイさんが部屋の中に入ってきた。
「やはり、私の事が信用できませんか」
グレイさんは少しだけ悲しそうな眼をしながらそう言った。どうやら、扉が開いていたせいでグレイさんに声が届いていたらしい。
「……ボサノヴァさん。もうひとつ、私の本音を明かそうと思います。私が一番恐れている事は、あなたに『敵』として見做されてしまう事です」
そう言ってグレイさんは苦笑した。
……なんだか、今日話す中で、全部ではないけど少しずつグレイさんの事が分かってきた気がする。もしかしたらグレイさんは、わたしが思っていたよりもずっと、気の小さい人なのかもしれない。
最初に会った時は、会ってすぐにわたしが脚力を披露してしまったせいで、グレイさんにわたしが人間ではないと見破られた。だからその後は、わたしが敵対しないように様子を見ながら話をしていたんじゃないだろうか。
しかもそのすぐ後、キューちゃんを見られたせいで、わたしは警戒心を露わにしていた。殺気すら出ていたかもしれない。そんな状態の相手と会話するのだから、グレイさんが心の壁を作りながら話していたのも当然だ。むしろ、壁を作ったのはグレイさんではなくわたしだ。あの刺すようなグレイさんの眼差しは、わたしの警戒心がそのままグレイさんから帰ってきていたんじゃないか。
心の中で、グレイさんに対する警戒心が崩れていく。
絶対に安全と、確信が持てるわけではない。でも……。
「……グレイさん、お願いがあります」
「何でしょう」
わたしはグレイさんを信じたい。グレイさんからわたしに向いている感情は恐怖なのか善意なのか、まだわからない。けれど、少なくとも、わたしに対して害意がないのは確かだ。そして、キューちゃんに手を出す事はわたしに手を出す事と同義であると、この人は理解している。
わたしひとりではキューちゃんを守りきれない。昨日から今日で、それを痛感してしまった。キューちゃんを守るために、仲間が必要なんだ。そしてその為には、わたしが仲間になり得る人を信じなければならない。
スレイくんは既にキューちゃんを助けてくれたし、グレイさんもこれからキューちゃんを預かってくれようとしている。あとは、わたしが信じるだけだった。
「わたしが宿を見つけてくるまで、キューちゃんを預かってもらえませんか」
「……任せてください」
グレイさんはゆっくりと、頷きながらそう言った。
「19時までには1度戻ります。もし、宿が見つからなかったら……すいません、一晩だけお世話になります」
「ええ、問題ありません」
カウンターに座るグレイさんは、わたしの言葉にそう答えた。
布を被り、頭と顔を隠す。グレイさんが言うには、街に不法侵入した少女がいるって衛兵さんに怪しまれてるらしいし。実際不法侵入だけど。
時刻は14時になるちょっと前くらい。戻る時間を考えると、宿を探せるのは4時間ほどだろうか。冷静に考えると、一文無しで泊めてくれる宿を探すなんて、無茶なことをしているような気がしてきた。しかし、スレイくんとグレイさんにあまりにもお世話になりすぎている。なんとかして、わたしは泊まれる場所を見つけなくちゃいけないんだ。
そう決意して、わたしはグレイさんの店の外へ、ひとりで踏み出した。
キューちゃんと出会ってから、わたしがキューちゃんから完全に離れて単独行動をするのは、これが初めてだった。そう、わたしはキューちゃんにベッタリだった。わたしの唯一の繋がり、唯一の家族。ただ、今はキューちゃんの他にも繋がりがある。それでもキューちゃんが一番大切なのは変わりない。キューちゃんのためにも、ゆっくりと夜を過ごせる場所を見つけなくてはならない。
結論から言うと、宿探しはあっさり終わってしまった。グレイさんの店――薬局のすぐ近くにある、アレアさんの図書館。そこが今日からわたしとキューちゃんが泊まる場所だ。
薬局を出たわたしは、まず図書館に向かった。アレアさんという前例がいるのだから、わたしも泊めてもらえるんじゃないかと考えたからだ。
図書館の中は、たくさんの本が詰まった本棚がいくつも並んでいた。奥の方には読書用であろう机と椅子がある。陽の光はあまり入ってこなく、薄暗いが、わたしにとってはこれくらいが過ごしやすい。一応、今朝も図書館に入りはしたのだが、その時は荷物の本を置いてすぐに飛び出してしまったので、中の様子はあまり見ていなかった。建物の外観から考えて、この図書館は3階建てか4階建てくらいはありそうだ。きっと、上の階にも同じように本が並んでいるのだろう。
司書のような人が本棚を整理しているのが見えたので、声をかけてみた。早速本題に入ろうと思ったが、図書館の人にいきなり「泊めてください」と頼むのは、少しぶっ飛び過ぎであるように思われたので、アレアさんがいるかを尋ねてみた。アレアさんが間に入ってくれれば、多少話がスムーズに進むはず。
アレアさんは2階で読書机と向き合っていた。机の上にはたくさんの分厚い本が積まれ、そばにはノート、ペン、インク、そしてランプが置かれていた。どうやら相当集中しているようだ。すぐ近くまで歩いても、まったくこちらに反応しない。とりあえず、わたしの方から声をかけることにした。
「あのー、アレアさん?」
「ん……うわぁ!」
アレアさんはわたしに気付くと、驚いて椅子ごと倒れそうになった。倒れる寸前でわたしが支えて事なきを得た。何もそこまで驚かなくても。
「あ……ぼ、ボサちゃん。ごめんね、急に驚いちゃって。お願い、食べないで……」
「いや、別にいいよ……そして食べないって」
なんか妙にアレアさんに怖がられている。多分人間じゃないのは朝の時点でバレてると思うんだけど、どうして今になってこんなに怖がられてるのか。まあいいや、とにかく本題に入ろう。
事情を話すと、アレアさんはすぐに行動してくれた。一緒に司書さんのところに行き、わたしも居候させて欲しいと頼み込む。アレアさんは交渉で間に入ってくれただけではなく、わたしは本をたくさん運ぶ事が出来る、とアピールしてくれた。たくさんの本を持って実演すると、司書さんは大変驚いた顔をした。なんか今日は、驚かれたり怖がられたりばかりだ。
何はともあれ、わたしは能力を認められ、無事に宿泊する部屋をもらえることになった。4階にある部屋で、鍵もついているらしい。これなら、キューちゃんもこっそり過ごすことが出来るだろう。
鍵をもらい、ひと段落ついたところで、わたしはアレアさんに質問をしてみた。
「わたしが来た時、どんな本を読んでたの?」
ふとアレアさんの顔を見ると、怯えたような表情をしていた。今の質問で、どうしてそんな表情をされてしまうのだろう。なかなか返事がもらえないので、話題を切り替えようと思ったところで、アレアさんは口を開いた。
「……ヴァンパイアについて」
ヴァンパイア?あの、夜行性で、陽の光が弱点で、人の血を吸うっていう。そこまで思い浮かべたところで、不思議な感覚があった。そこに何かがあるとわかっているのに、手が届かないような。頭の中の一部にだけ、靄がかかって見えなくなっているような。そんな感覚。
「どうしてヴァンパイア?アレアさんってヴァンパイアの歴史を調べてるの?」
「あ、いや、私の専門はまた別で……これは……」
アレアさんは目が泳いでいる。どうも空気が気まずい。沈黙が続く。しばらくしてから突然、アレアさんは何か意を決したような目をして、わたしに質問してきた。
「あの、ボサちゃん!貴方ってヴァンパイアなの?」
「えぇ、わたしが?」
アレアさんが突拍子もない質問をしたので、思わず変な声でリアクションしてしまった。わたしがヴァンパイア?いやあ、違うと思うけど……。わたし別に昼でも活動するし、陽の光は苦手だけど灰になったりはしないし、何より人の血なんて吸わないし。少なくとも覚えている限りでは。
「あれ……違う?」
「違うと思うよ。なんでそう思ったの?」
どうしてアレアさんがわたしをヴァンパイアだと思ったのか、その理由が気になった。わたしの中じゃ、心当たりがないし。
アレアさんが言うには、まず外見がヴァンパイアのそれらしい。銀色の髪、紅い眼、鋭い牙。そういえば、街に来てからそれなりの数の人を見たけど、銀髪の人も目が紅い人も見ていない。わたしが会話して口の中が見えた人達に、わたしのような牙がある人もいなかった。自分が人間ではないと自覚しているので、多少の違いはあると思って気にしていなかったんだけど。
わたしがヴァンパイアと思われたもうひとつの理由は、その身体能力。本を拾った時の瞬発力や腕力から、人外であると確信を持たれたようだ。
しかし、わたしをヴァンパイアとするなら、おかしい点がいくつかある。
「わたし、別に陽の光を浴びても大丈夫だよ?」
厳密には、少し気分が悪くなるけど。
「うん、そこなのよね。よく言われるヴァンパイアは、陽の光を浴びたら燃えたり灰になったりするはず。だから、夜にしか活動しないらしいんだけど」
話をしている間に、アレアさんは先程読んでたらしい本を持って来ていた。生物図鑑か何かのようだ。
「私、ボサちゃんを見て、一体何者なのか気になったの。今朝運んでもらった本を整理した後、どうしても調べたくなっちゃって。それでヴァンパイアの事を調べてたら、恐ろしい逸話がたくさん出てきて……そんなタイミングでボサちゃんがやってきて……」
ああ、そういうことか。図書館にやってきてからのアレアさんの態度にも合点がいった。わたしとヴァンパイアを紐付けて考えて、それで怖がられたのか。
「あの……ボサちゃん、ごめんなさい。私、失礼なことを……」
「ん、別に気にしてないよ。むしろ、話してくれてありがとう」
アレアさんがヴァンパイアの話をしてくれたおかげで、わたしの持つヴァンパイアの知識に、何か違和感があることがわかった。あの違和感、頭の中の靄の先に、わたしの失われた記憶があるかもしれない。
街に来ることで手に入れたいと思っていた、わたしの記憶の手掛かりを、手に入れることが出来たのだ。
「ところで、ボサちゃんは結局何者なの?」
先程までとは打って変わり、軽い調子でアレアさんが質問してきた。
「実は、わたしもよくわからない。わたし、昔の記憶がないんだ」
流れであっさり記憶がない事を教えてしまったが、まあ悪い事にはならないだろう。事情を知っててもらった方が、今後の会話がスムーズだろうし。
「えっ、つまり……ボサちゃん、記憶喪失?」
「うん」
「えぇぇ、大変じゃない。そんなあっさり流していいほど、小さな問題じゃないよ?」
別にアレアさんに関係する問題ではないのに、アレアさんはだいぶショックを受けてるようだ。
「うーん……昔のことをほんとに何も覚えてない分、喪失感みたいなものがないんだよね。出来るなら記憶を取り戻したいとは思ってるけど、その動機は好奇心くらいしかなくて」
そう言うと、アレアさんは真剣な顔をして、わたしと目を合わせた。
「ボサちゃん。これは私の持論なんだけどね――」
そこまで言いかけたところで、アレアさんは口をつぐんで目を逸らしてしまった。
「ごめんね、今のなし。……ボサちゃん。これからは私たち、同じ屋根の下で暮らすわけだし、困ったことがあったら何でも言ってね。今朝みたいに手伝ってもらうこともあるだろうけど、同じように私もボサちゃんの力になるから。これからよろしくね」
アレアさんはそう言って微笑み、立ち去っていった。
アレアさんが言いかけた持論はどんなものだったのだろう。これから仲良くなるうちに、話してくれるのだろうか。




