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病気の家族と街の人

 完全に順風満帆な生活なんてそう長くは続かない。どこかで必ず歯車が狂う。少しずつ少しずつ、この世の全ては変化し続けているのだから。


 シャグラを見送ったあの日から何日か経った頃。キューちゃんが体調を崩した。朝はいつもとそんなに変わらない様子だったと思う。元気に鳴いていたし、元気に走っていた。

 異変が現れたのは、夕方、館に戻る時のことだ。キューちゃんが昼に食べたものを戻してしまった。キューちゃんと出会ってから、こんなことは初めてだった。初めてなので、どうすればいいのかもわからない。いつもの果実を持ってくるべき?水を飲ませた方がいい?そっと寝かせておいた方がいい?一緒にいればキューちゃんを守ることが出来ると思っていたのは、わたしの驕りだった。この状況で、わたしは無力だった。

 とりあえず水を飲ませた後、キューちゃんは自分から寝床に向かおうとした。しかし、その足取りは覚束なく、わたしがキューちゃんを寝床まで運んだ。



 部屋の窓から月明かりが差し込む。今はキューちゃんも落ち着いて眠っている。しかし、心なしかいつもより苦しそうな顔に見える。具合を悪くしているのはキューちゃんの方なのに、わたしが精神的に焦っていた。館に戻ってから、キューちゃんの看病をしていた以外の記憶がない。なんだか凄く疲れた気分だ。一息入れるために、赤い果実のジュースを作ることにした。

 果実を絞りながら、物思いにふける。どうしてキューちゃんは体調を崩してしまったのだろう。朝は元気そうに見えたが、もしかしてその時点ですでに異変があったのだろうか。それとも、わたしの見ていないところで何か変なものを食べてしまったのだろうか。キューちゃんは今わたしが絞っているこの果実以外、滅多なことでは口にしない。それでも、気まぐれで何かを食べたとか、果実の中に別のものが混じっていたとか……。

 ダメだ。考えたところで原因はわからない。それに、原因がわかったところで、対処法がわからなければ何の意味もない。今わたしが考えるべきなのは、キューちゃんを助けるためにはどうすればいいか、だ。明日の朝、起きたらすっかり元気になっていた、という可能性もなくはない。しかし、そんな都合の良い展開になるとは思えないほど、さっきのキューちゃんは具合が悪そうだった。

 少し記憶を掘り返してみたが、やはりわたしには医療の心得はない。意識してないだけで知識は残っていた、みたいな展開を期待していたのだが、そうはいかないらしい。つまり、わたしの力では、キューちゃんは助けられない。

 いや、そんなはずは。何か出来ることはないのだろうか。わたしひとりでは、キューちゃんを守りきれないのだろうか。

 ふと気付くと、必要以上にたくさんの果実を絞っていた。コップから真っ赤な果汁が溢れてしまっている。一度、頭を落ち着かせなければダメだ。今の状態では、同じような思考を繰り返すだけだ。

 ジュースをこれ以上零さないように、コップを置いたまま口を近づける。行儀が悪い。啜るようにジュースを飲むと、口の中に酸味が広がる。酸っぱい。これで頭が冴えてくれるといいのだけど。

 持ち運んでも溢れない程度の量までジュースを減らしてから、わたしはコップ片手に館の中を歩き始めた。キッチンを出てすぐのところには長机の部屋がある。シャグラを見送ってからも、相変わらずこの部屋は使っていない。シャグラだったら、こんな時どうすればいいか分かるのだろうか。シャグラ、シャグラ……そういえば。


「俺の他にもそいつを気にかけてるヤツがいるからな。俺がいなくても、ヤツが何とかしてくれるさ」


 シャグラは別れ際の質問に、そう答えていた。シャグラは自分ひとりではなく、誰かと共に大切な人を助けようとしている。自分で薬を探し、誰かに大切な人を見守ってもらっている。仲間がいるんだ。

 キューちゃんを守り、助けるという点で言えば、わたしはひとりだ。しかし、わたしひとりではキューちゃんを助けられない。わたしひとりでは。それなら、仲間を作ればいい。


 考えが1歩進んだが、進んだけど。キューちゃんを守ってくれる、仲間。誰がいる?わたしの見知った相手は、片手で数えられる程度にしかいない。キューちゃん、スレイくん、グレイさん、シャグラ。それでおしまい。

 シャグラはキューちゃんを守るどころか狩ろうとしている。キューちゃんの事に関しては、頼ることは出来ない。そもそも、何処にいるかが分からない。この前は街に向かったが、もう別の場所へ向かってしまったかもしれない。

 スレイくんとグレイさんは、きっと街に行けば会える。問題は、信用できるかどうか。スレイくんは恐らくキューちゃんに手を出そうとはしない。グレイさんはどうだろう。キューちゃんの事を知ってはいたが、キューちゃんを捕まえようとするかは分からない。信用という点で、グレイさんは何とも言えない位置にいる。

 しかし、グレイさんは薬師だ。わたしの知っている人の中で、今のキューちゃんを助けられる可能性は一番高い。というか、キューちゃんを助けるならもはやグレイさんを頼るほかない。


 正直、怖い。あの人と話していると、心が見透かされてるような気分になる。だけど、今は四の五の言ってられる状況ではない。わたしの心よりもキューちゃんの方が大切だ。決まりだ。わたしはキューちゃんを連れて街へ行く。


 館の前の道を進んで行くと、街に着くことは知っている。一度道を辿って見に行った事がある。しかし、街の中に入ったことはない。遠くから様子を見ただけだ。その時は、なんだか嫌な予感がしたのだ。実際、そこで街へ行っていたらうっかりキューちゃんの情報を漏らしてしまっていたかもしれない。キューちゃんを秘密にするべきだと分かったのは、その後のことだったのだから。


 キューちゃんを連れて街に辿り着いて、真っ先に向かうべきはグレイさんのところ。しかし、具体的な場所は知らないから、街の人に聞いてみるしかない。今の時刻は夜。今すぐ向かっても、場所が分からず時間を無駄にしてしまうだけだろう。無意味に待ち続ける時間は、キューちゃんの身体に不要な負担をかけてしまうかもしれない。

 そういえばシャグラは、人の多い朝のうちに街に着きたいと言っていた。その言葉を信じるなら、朝頃街に着くように向かうのがベストであるはず。


 方針は決まった。朝に到着するように、キューちゃんを連れて街へ向かう。

 キューちゃんを連れ出すというのなら、街にいる人たちにキューちゃんを見られないよう、何か方法を考える必要がある。ただ、残念ながらこの屋敷には大したものは置いていない。そのため、キューちゃんの寝床に使っている布の山や、果実を集める時に使う布袋でやりくりするしかない。

 わたしの格好は大丈夫だろうか。今まで会った人たちは特に大きなリアクションを見せていなかったし、恐らくは大丈夫だろう。ただ、キューちゃんを隠すのと日光を防ぐため、身体全体を覆うように布を被っておきたい。そうなるとやはり、街の人には怪しまれるのではないだろうか。いや、もう多少怪しまれるのは仕方がない。街に着いたら少しでも早くグレイさんのところに辿り着き、キューちゃんを助ける手伝いをしてもらう。そのためならわたしは、何だってしてやる。何だって。


 東の空が白み始めた頃。わたしはキューちゃんを風呂敷に包んで背負い、その上から身体全体を覆うように布を纏った。一応、風呂敷から頭が出せるようにはしてある。そして、キューちゃんに振動による負担を与えないよう注意しながら、しかし急ぎながら、街への道を進み始めた。


 道なりに進み、館から離れるに連れて、だんだんと周りが明るくなってきた。日が昇り始めたのもあるが、館の周りよりも木々の密度が低くなってきたことが大きい。やがて、道は完全に開け、森の外へ出た。目の前には草原が広がり、少し先には街を囲う壁と、街へ入るための関所が見える。そして壁の向こうには、大きな時計塔があった。

 進みながら、街に入る方法を考える。そう、関所の存在を忘れていた。街には入ったことがないし。普通に入って通してくれるだろうか。だが、関所を普通に通ろうとすると、荷物を確かめられるんじゃないか?それはまずい。キューちゃんを見られる可能性を考えると、関所は通らない方がいいだろう。強行突破なんて以ての外だ。街の人に警戒されてしまったら、グレイさんの居所を確かめるのが困難になる。壁のどこかを飛び越えるしかない。関所で何か手続きをしないと、街の中で不都合があるかもしれないが、この場合はどうしようもない。


 森の入り口でそんなことを考えていると、背中の辺りでモゾモゾと動きを感じた。木陰に入り風呂敷を広げると、キューちゃんが目覚めていた。キューちゃんは状況が把握できていないのだろう、困惑のような表情を浮かべている。


「おはようキューちゃん、狭いところにしまっちゃってごめんね。」


 そう言いながら、わたしは持ってきた布袋から赤い果実を取り出し、キューちゃんの口元に運んだ。果実を食べようとするキューちゃんの動きは、やはり弱々しい。1つ食べることが出来たので、もうひとつ差し出してみたのだが、食べようとしない。水は問題なく飲めたが、食欲はあまり出ないようだ。


「今から街に行ってね、グレイさんに会うよ。そこで、キューちゃんを治すためのお薬をもらうの。揺れるからあまりいい気分じゃないかもしれないけど、キューちゃんはゆっくり休んでてね」


 言葉を理解してか理解せずなのか、キューちゃんは広げた風呂敷の上で丸くなった。わたしは再びキューちゃんを風呂敷で包んで背負った。


 さて、壁を越えるとして、どこから侵入するか。壁を越えるところが見られるのはあまり良くない。関所を強行突破するよりはマシだろうが、結局警戒されてしまうだろう。関所の周りは人がいるだろうし、関所から距離がある地点にとりあえず向かおう。

 街の周りの草原は、それなりに起伏がある。街の、特に関所の方からは見つからないように気をつけながら、起伏の影に隠れて壁のそばまで辿り着いた。そこまで来ると、街の中から音が聞こえてくる。たくさんの人の足音。話し声。ぱかぱかと、馬か何かの足音も聞こえる。ここを越えてしまうと、すぐに人に見つかりそうだ。そう思い、壁沿いに進んで音の少ないエリアを探した。

 しかし、進んでみてもまた新たな音が聞こえ始めてくる。これは恐らく、確実に人に見つからない場所は見つけられない。そう判断したわたしは、意を決して、ジャンプして壁の上に手を掛けた。少しだけ顔を覗かせる。やはり、ある程度の人はいる。

 もしや、朝になる頃に街に来るのは失敗だったのではないだろうか。もっと早い時間なら、こんなに人目を気にせずあっさりと街に入れたかもしれない。いや、過ぎたことは考えない。ここまで来たら、行動あるのみだ。

 人通りが少なくなって、こちら側に向いている視線が少なそうなタイミング。そこで壁を乗り越えた。乗り越えたら、音がたくさん聞こえる方に向かって走り出した。これで、きっと上手い感じに紛れる事ができたはず。

 侵入した地点からほどほどに離れ、スピードを落とす。落ち着いて周りを見てみると、そこら中に人がいた。ここは市場だろうか、パンや果物、野菜なんかを売っている露店がたくさん出ている。老若男女、様々な人が、食べ物を売り買いしていた。

 ……少し固まってしまった。こんなにたくさん人を見たのは記憶がある範囲では初めてだし、活気も凄いし。これが、街。いやいや、気圧されてる場合ではない。早くグレイさんの居場所を突き止めなくてはならない。近くにいる人に話を聞こう。

 どの人に聞いてみるか……と辺りを見回すと、両手にたくさんの荷物を抱えた人が目に入った。あれは……本かな?あまりにたくさん抱え過ぎて、顔がよく見えない。重さも結構なものだろう、足取りはフラフラしている。何かにつまづいたら、たちまち大惨事に……あっ。つまづいた。

 何冊もの本が舞い上がる。反射的にわたしの身体は動いていた。本が散らばって落ちてしまう前に回収。本を両手で回収しきってから、つまづいた人の事を思い出した。が、完全に転ぶ前になんとかもう片方の足で踏ん張っていたようだ。


「あっ、あっぶな……って、本が!……あれ?……えっ」


 その人……今ようやく顔が見えたその若い女性は、散らばったはずの本を持っているわたしを見て、驚いた表情を見せていた。そのまま眼鏡の奥の目をパチクリさせて、中々次の言葉をしゃべらない。とりあえず、こちらから口を開くことにした。


「あの、大丈夫ですか?」

「あ……はい、私は大丈夫です。その……本を拾っていただきありがとうございます。ああ、持たせてしまってすいません。わたしが持ちますね」


 そう言って女性は手元に残った数冊の本の上に、わたしの持っている本を乗せるようジェスチャーで示した。しかし、このまま本を返すと、恐らく同じことの繰り返しだろう。ただ、わたしも早くグレイさんの居場所を知りたいし……そうだ。


「すいません、薬師のグレイさんをご存知ですか?」

「え?グレイさんならウチの近所ですけど……」


 しめた。これは都合が良い。


「わたし、グレイさんのところに行きたいんですけど、道がわからないんです。この本を持ちますので、案内してもらえませんか?」

「ええっ、いいんですか?……わかりました、ではお言葉に甘えさせていただきます……」


 よしよし、これでグレイさんのところまで案内してもらえる。正直、道を教えてもらうだけだと迷ってしまわないか不安だったので、案内してもらえるのはとてもありがたい。これくらいの荷物、わたしなら重くとも何ともないし。


 女性の顔が見えなくなるほどたくさんの本も、こうして2人で持てばそこまでの量ではない。重さだけなら全部わたしひとりでも問題ないのだが、そうするとわたしが女性の姿を見れなくなるので、ある程度は女性にそのまま持ってもらうことにした。そういえば、この人の名前を聞いていない。


「わたし、ボサノヴァって言います。お姉さんのお名前、伺ってもいいですか?」

「あ、はい、私アレアって言います。よろしくね、ボサボサちゃん」

「……ボサノヴァです。ボサでいいです」


 また間違われた。わたしの滑舌が良くないのか、そんなにわたしの髪はボサボサなのか。今気付いたが、フードのように頭に被っていた布が少し外れて、首から上を隠せていない。さっき走った時か、本を拾った時に外れてしまったのだろう。道理でさっきからなんとなく頭がクラクラするわけだ。


「アレアさんは、どうしてこんなに本を持ち運んでるの?」

「あ、はい。ウチの図書館に本を寄贈してくださるって方がいて、その本を受け取った帰り道だったの」


 なるほど。そういうことだったのか。でも、それなら……


「どうしてカバンとか、こう、荷物を運ぶものを持ってないの?」

「あー、それはね、私のうっかりで……私はほんの2、3冊寄贈して頂けるのかなと思って今朝方向かったんだけど、実際にはこんなにたくさん寄贈して頂けるってことだったみたいで……事前に数を確認しなかったのが失敗だったね」


 そして気合いで運ぼうとして、あんなことになったと。一旦出直して、準備してくれば良かったんじゃないのかな……。ただ、この量の本を同時に抱えてたんだから、この人もなかなか力持ちだ。ぶちまけそうになったけど。


「ウチの図書館、ってアレアさんは図書館勤めなの?」

「あ、うん。まあ図書館勤めというより、図書館暮らしみたいなものかな。」

「図書館暮らし?家族で図書館やってるとか?」

「あ、いや。わたし、歴史の研究をしていて……それで、図書館で朝から晩まで本を読んでるの。そんな事を毎日続けていたら、司書さんに『お手伝いしてくれるなら居候してもいいよ』と言って頂けて……。今ではこうして図書館のお手伝いをして、ご飯と寝泊まりの場所をいただきながら、毎日読書に勤しんでるの」

「へえー、歴史の研究かあ」


 歴史、歴史。つまりは過去の記録。そんな本を読めば、わたしの記憶の手掛かりも見つかるだろうか。


「あ、見えてきたよ。この先右手に見えるあの大きな建物が図書館。その2個奥の建物が、グレイさんのお店だよ」


 それを聞くと、わたしはすぐに走り出した。アレアさんを置き去りにして。まずは図書館に入る。入ってすぐのところに机があったので、そこに持っていた本を置き、図書館を出る。


「アレアさん、どうもありがとう!本はそこの机に置いたよ!」


 アレアさんの方を向いて大声でそう伝え、わたしはグレイさんの店へ駆けた。



 銀髪の少女は、私にお礼を告げ、すぐに薬局に向かった。銀髪、紅い目、見た目に相応しくない怪力、運動能力、そして話す時に見え隠れするあの鋭い牙。その特徴は、たしかに夜の支配者の物だ。しかし、彼女はこの日光の下、頭部を晒し続けていた。彼女……ボサちゃんは一体何者なのだろう。そんな疑問を抱えながら、図書館に帰ると、すぐに本の山が目に入った。ああ、ボサちゃん。今からまたここに来て、本の分類も手伝ってくれないかな。

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