幸運の薬とその材料
キューちゃんの身体は白い。だから、天気が悪い日なんかはすぐに泥で汚れてしまって、その汚れがとても目立つ。けれど、水浴びをして汚れを落とした後は、見惚れてしまうほどその毛並みは綺麗だ。耳は長くて、機嫌によってピンと立ったりぺたんと倒れたりする。尻尾はフサフサで、キューちゃん最大のモフりポイントを持っている。触るととても気持ちいい。結論として、キューちゃんはとても可愛い。
「どうだいボサちゃん、心当たりはあるかい?」
シャグラから薬の材料となる動物の情報を聞いて、わたしは固まってしまっていた。わたしの記憶の中で、与えられた情報と最も一致する動物はキューちゃんだった。そもそもの情報が確定ではないのだから、実際はキューちゃんではないのかもしれない。
だけど、キューちゃんが薬の材料となる動物だと考えると、これまでの出来事の辻褄が合う。幸運の薬だなんていう凄い物の材料になってしまうのなら、そしてとても希少な存在になっているのなら、あの時の狩人がリスクを冒してでもキューちゃんを狙いに来た理由としては納得できる。そして、グレイさんがキューちゃんを知っていた理由にもなる。薬師という職業を考えれば、薬の材料となる動物を知っていても不思議ではない。
わたしは、シャグラの求める薬の材料の在り処を知っている。
「ごめん……思い当たらない」
嘘をついた。シャグラの方を見つめることが出来ない。
「そっかあ。ま、そう簡単にゃ見つからんよ」
シャグラはへっちゃらそうな声色でそう言った。へっちゃらそうにはしているが、少しは残念に思う気持ちもあるだろう。
誰かのために旅をするシャグラの姿には心を打たれた。力になりたい。クッキーも美味しかったし。しかし、シャグラにキューちゃんの事を話したらどうなってしまうのだろうか。わたしの家族だと話せば、見逃してくれるだろうか?シャグラは優しい人だ。多分。
でも、シャグラが幸運の薬を届けたい人は、きっとシャグラにとって大切な人だ。わたしがキューちゃんを大切にしているように。キューちゃんを助けるために、他の誰かの大切な人を奪わなければならない、そんな状況になった時、わたしはどうするか。もしかしたら、他の手段を探すっていう優しい選択肢もあるかもしれないが、そんな選択肢が選べない状況なら。たとえば、手段を探すような時間がなかったら。わたしは……キューちゃんのために誰かを犠牲にする。実際にそうした。
シャグラがわたしが思っているよりもずっと聡く、優しい人間である可能性もある。そうだとしても、シャグラにキューちゃんの事を話すべきではない。キューちゃんを危険に晒したくはないし……シャグラと敵対だなんて、絶対にしたくない。
「ボサちゃん、そろそろ寝ないのかい?だいぶ夜も更けて来たが」
懐中時計を見ながらシャグラがそんな事を言う。そういえば、この館には時計がない。
「大丈夫。わたし、眠る必要ないから」
そう返答する。シャグラもすでにわたしが人間ではないことは薄々勘付いているだろう。森の奥で料理も知らずひとりで暮らす少女に、今更不眠属性がついたところで怪しさはそう変わらないだろう。変に話を合わせて、眠る振りをするのも厄介な気がするし。
「そっか。俺ゃあそろそろ眠くなって来たよ。ランプ、消すぜ」
そう言ってシャグラはランプを消し、毛布にくるまった。
「うん、おやすみ」
いつもの静かな夜が、また始まった。と、思ったが、シャグラのいびきが予想以上にうるさい。キューちゃんの様子を見に2階に上がって来たというのに、普通にいびきの音が聞こえる。これは同じ部屋にいたらかなり不快だろう。
シャグラは夜が明けたらどうするのだろう。旅の道具や食料、そして情報を集めるために、街に向かうのだろうか。街にはスレイくんやグレイさんがいる。2人は約束を守ってくれるのだろうか。
……仮に、2人からキューちゃんの情報が漏れてしまったとしたら?2人が約束を破るつもりがなくても、なんらかの形でシャグラがキューちゃんの事を知ってしまう可能性はあるかもしれない。そもそも、この館に人が来ていないだけで、あの時の狩人が街に情報を残している可能性だってある。
マイナス思考に陥りながら、キューちゃんの部屋に入る。キューちゃんは今晩も穏やかな表情で眠っていた。キューちゃんのそんな表情を眺めていると、わたしの中に暖かさが広がる。さっきまでのマイナス思考で重くなった心が癒される。
そしてシャグラのいびきが聞こえてくる。森の中でこんないびきをしていたら、眠りを妨げられて機嫌の悪くなった動物に襲われるんじゃないだろうか。よく今まで無事で済んだものだ。わたしは後どれくらいの時間、このいびきを聞き続けるのだろう。
時間、か。さっきシャグラが懐中時計を取り出した時、わたしは今まで時計を見ずに暮らして来た事に気付いた。キューちゃんとの生活は、日が昇ったかどうか、キューちゃんが目覚めたかどうかが時間の区切りで、厳密な時間の単位は必要なかったし。
思えば、わたしの記憶にはあっても、キューちゃんと出会ってから全く生活の中に現れなかったものは意外とある。時計もそうだし、本や文字だってそうだ。さっきシャグラが手帳を取り出した時は、特に意識することもなく、書かれている内容を理解できた。文字を読む能力は、記憶を失くしても持ち続けていたらしい。
そうか、記憶を失くしても持っていたもの。今まで、記憶を失くす前から持っていたものなんて、何もないと思っていた。この身体と服以外には。
だけど、わたしは本当に何もかも忘れたわけではない。文字を読むことは出来たし、時計のことも知っていた。そうやって、わたしの知っているものと知らないものを確かめていけば、いずれ記憶を失くす前のわたしが見えてくるんじゃないだろうか。
でも、どうやってそれを確かめていく?この館と森にある情報だけじゃ、確かめられることはもうない気がする。シャグラみたいに、外から誰かが来ない限りは。
それなら、わたしが外に行けばいい。街まで行けば、この館にはないものがたくさんある。それらを見て行くうちに、もしかしたら記憶の手がかりが見つかるかもしれない。手がかりにならないと思ってたこの服も、見る人が見れば何か分かるかもしれない。あと、キューちゃんの情報が出回ってしまっているのかを確かめたい。キューちゃんの話がどこからも聞けないのならそれでいいし、誰かキューちゃんを狙う人がいるのなら、どうするべきかを考える事が出来る。
そこで、すぐそばからボトッという音がした。寝返りを打ったキューちゃんが毛布の山から落ちたようだ。キューちゃんは気にせず眠り続けている。わたしはキューちゃんを抱え、毛布の上にまた乗せた。
わたしが街に行くとして、キューちゃんはどうするのか。わたしがここに来る前、キューちゃんはわたし無しで暮らしていたはずだし、わたしが居なくても大丈夫なのかもしれない。全力で走ったらわたしよりも速いんだし。
でも、万が一の事を考えてしまう。キューちゃんが眠っている時。キューちゃんが足に怪我をしてしまった時。そんな時に、キューちゃんが襲われてしまったら。その事を考えると、キューちゃんを置いて行く事は出来なかった。キューちゃんを連れて街へ行くのは論外だ。あまりに危険過ぎる。だから、わたしは街へは行けない。わたしの昔の記憶よりも、今のキューちゃんとの時間の方が大切だ。
外がうっすらと明るくなり始めた頃。いびきが聞こえないことに気付いたわたしは、シャグラがいるはずの部屋を見に行った。目を覚まし、小さな瓶の中身を見つめているシャグラが、そこにはいた。
「おはよう、シャグラ」
「ようボサちゃん、おはよう」
シャグラは挨拶を返しながら持っていた瓶を荷物の中にしまった。わたしは、夜中の思索の中で思い浮かんだ疑問をシャグラに投げかけた。
「シャグラは、その……薬を届けたい人を置いて来て、心配じゃないの?」
「おう、どうしたんだ突然」
シャグラは大切な人のために旅をしているが、その大切な人を連れず置いてきている。わたしがキューちゃんを置いて行くことが出来ないのは、キューちゃんが狙われているからだから、シャグラの場合とは違うかもしれない。だけど、シャグラの考えが聞きたかった。
「そうだな……たまには顔を見たくなるが、俺の他にもそいつを気にかけてるヤツがいるからな。俺がいなくても、ヤツが何とかしてくれるさ」
シャグラは微笑みながら、そう答えた。
この後どうするか尋ねたところ、やはり街に向かうとのことだった。朝のうちに街に着いて、出歩いてる人たちに話を聞いてみたいらしい。
「街へは館の前の道を進んで行けばそのうち着くよ」
「あのガッタガタの道かい?骨が折れそうだねえ」
そんな事を言いながら、シャグラは荷物を背負い館の扉を開けた。
「ボサちゃん、どうもありがとよ。縁があれば、また会おうぜ」
「ううん、わたしからもお礼を言わせて。あなたと話せて楽しかった。あとクッキーも美味しかったよ」
「おう、また会えたらご馳走してやんよ。そんじゃあな」
そう言って、シャグラは館を後にした。わたしは、館の前の道を進むシャグラをしばらく見つめていた。
○
荒れ果てた道を歩きながら、小さな瓶を眺めた。その瓶の中には、少しばかりの動物の体毛が入っている。日に照らすと輝く、美しい白色の毛だ。
「この森をうろつく中で、白い動物は1度も見かけやしなかった。なんらかの理由で色が抜けちまっただけって可能性もあるが……まさかぁ、な」
そんなことをぼやきながら、手帳にメモを記し、歩みを進めた。




