美味しい料理と旅人の目的
「ねぇ、それ……食べるの?」
思わず尋ねてしまった。熊が集めていた、丸くて硬い、茶色の木の実。食べてみたらあまりに渋くて、新しい食べ物を求めるわたしの心をノックアウトしたあの木の実。
「ああ、もちろん。ドングリも案外悪くないんだぜ?」
ドングリ。シャグラは木の実をそう呼んだ。もしかしたら、シャグラとわたしは味の好みにかなりの隔たりがあるのかもしれない。そうでもなければ、あんな渋い木の実を食べるだなんて言うはずがない。心の中でちょびっとだけ、シャグラの料理に期待していたのだが、あまり好ましい結果にはならなそうだ。
「やだ……ドングリおいしい……」
シャグラの作ったドングリクッキーを食べながら、わたしはそう呟いた。あの木の実がここまで形を変えて、さらには味まで変わってしまうなんて。
シャグラはドングリを調理する前に、ドングリを水に浸け「あく抜き」というものをやっていた。その時点で、すでにシャグラの料理はわたしの想像を超えていた。それからドングリの皮剥きを手伝わされた後、シャグラはそのドングリをカナヅチで砕いてしまった。そんなことをしたら食べづらくなってしまう、そう思っていたのだが、シャグラは別の白い粉や水、油などを加え、それらが混ざったものをこね始めた。粉々になったドングリと白い粉が水と油によって、泥団子みたいにひとつの塊になっていた。
もうこの塊の時点で食べれそうなのに、シャグラはさらに調理を続けた。こねた塊を薄く引き伸ばして、一口で収まるサイズに切り揃える。そしてこれらをフライパンでじっくりと焼いた。ある程度待ってからひっくり返すと、裏面はこんがり小麦色に焼けていた。鼻腔をくすぐる香りも漂い始めた。
「ボサちゃん、このクッキー食ってみるかい?」
シャグラがわたしの様子を見て聞いてきた。
「そんな食いたそうな顔をされちゃあ、食わせねえわけにゃあいかんよ。泊めてもらう恩義もあるしな」
そう言われてしまっては、断るのも失礼だと思い、いただくことにした。わたしがそんなに食べたそうな顔をしてたなんて、まるで食べさせてくれとねだっていただなんて、そんな事実はないはずなのだ。
心の中で理由と言い訳を並べながら、クッキーの1枚を口に運ぶ。サクッとした食感とともに、ほのかな甘みが口の中に広がった。そこに、あの時感じたような渋みはどこにもなかった。
こうしてわたしはシャグラのクッキーの虜になってしまった。
みすぼらしくて、黄ばんでいて、そして馴れ馴れしいシャグラを最初は疎ましく思っていた。なのに、今ではそんな感情は消えてしまっている。美味しいクッキーをご馳走してもらっただけで。館に置いといた赤い果実を分け与えてしまっている。わたし、簡単に人を気に入りすぎなんじゃないだろうか。
なんだかシャグラと仲良くなりたくなったわたしは、長机の部屋に戻ってから色々と話を聞いてみることにした。
「シャグラはどうして旅をしているの?」
わたしが食べ過ぎてしまったせいで、半分くらいの数しか残っていないドングリクッキーを、ちびちび齧りながらシャグラは答えた。
「どうしても欲しい薬があるんだ。幸運の薬ってやつなんだが」
幸運の薬。一体どんなものなんだろう。聞くと、シャグラは説明してくれた。
「飲むと、まず気分的に幸せになれる。ちーっとおっかない言い方をすると、多幸感が得られる。そして、物凄く運が良くなるらしい。やろうと思ったことが何でも上手くいくんだと」
「なんだか凄く都合のいい薬だね。実在するの?」
「実在する」
ふと出たわたしの疑問に、シャグラは即答した。そして言葉を続けた。
「今じゃあ材料が貴重になっちまってかなりのレアものなんだが、俺がガキだった頃はまだそれなりの数があった。狩人や兵士なんかに、ここ一番ってタイミングで持たせるんだ。無事に帰ってこれるようにってな」
シャグラはそこまでしゃべって水筒の中身を飲み、一息ついた。
幸運の薬、かあ。やろうと思ったことが何でも上手くいく。手掛かりのないわたしの記憶探しも上手く行くのかな。
「材料が貴重になったって言ったよね。何が材料なの?」
「ある動物の生き血だ。昔はたくさんいた動物らしいんだが、乱獲の結果ほとんどいなくなっちまったらしい」
「絶滅したわけではないの?」
「わからん。今まで聞いてきたそいつの目撃情報も、昔の話だったり胡散臭かったりで確かなものがないからな」
そう言ってシャグラは手帳を取り出した。そこにはびっしりと文字が書き込まれていた。いつ、どこで、どんな話を聞いて、結果どうなったか、それをどう考えるか、細かくメモされていた。自分の見た目には全く気を遣ってなさそうな髭と服装なのに、目的の事柄にはここまで真剣に向き合っているなんて。
「どうして、そんなに本気で幸運の薬を探しているの?」
「どうしても薬を飲んで欲しい人がいるんだ。その人は心を病んじまっててな。何をしても笑ってくれねえ。幸運の薬を飲んで、それをキッカケに快復してくれねえかなって」
そう語るシャグラの目は、窓の外、どこか遠くを見ていた。手帳を見るに、シャグラは心の底から必死で幸運の薬を求めている。そしてそれは、シャグラの言う「その人」――きっと、家族か何か、大切な人のためだ。そうでなければ旅までして必死で薬を探したりしないだろう。
シャグラのその真っ直ぐな姿勢を見てると、何か力になりたいという気持ちが芽生えた。しかし、わたしは幸運の薬なんてものは今まで知らなかった。役に立つ情報は持っていない。
「ごめん、シャグラ」
「おいおい、急にどうしたってんだ、ボサちゃん」
口から謝罪の言葉が漏れていた。
「わたし、あなたが訪ねてきた時、ロクでもない奴が来たんじゃないかと思ったの。偏見であなたのことを、悪い、嫌な人間だと……」
「よしてくれや、実際俺ぁロクでもないさ」
シャグラは頰をかきながらそんなことを言う。手帳をしまうと、今度はシャグラの方から質問してきた。
「ボサちゃんは、なんでひとりでここに住んでるんだい?」
まあ、質問されるだろうなとは思っていた。人里離れた森の中、何か理由がなければこんな辺鄙な場所で一人暮らしする人はそうそういない。キューちゃんがいるからひとりじゃないし、わたしは人じゃないけど。
「……わからない。気付いたらひとりでこの屋敷にいた」
正直な答えを返していた。シャグラの話を聞いて、そして自分がシャグラの力になれないと認識した今、適当な嘘で誤魔化そうとするのはなんだか憚られた。
「寂しくないのかい?」
シャグラはそっとそう聞いてきた。キューちゃんがいるから寂しいとは思ってなかった。この前までは。
「最近は、寂しいかな。たまには人と話したくなるよ」
見知らぬ旅人を突っぱねずに館の中に入れたのは、キューちゃんに会わせないよう誘導するだけでなく、危険な夜の森に人を放置したくなかっただけでもなく、わたしが誰かとおしゃべりしたかったというのもあったかもしれない。
そういえば。
「ねぇ、さっき言ってた動物ってどんな動物なの?わたし、幸運の薬は知らなかったけど、その動物なら見たことあるかも」
「お、本当かい?嬉しいねえ」
そう言うと、シャグラは改めて手帳を取り出し、右手にはペンを構えた。
「とりあえず見た目から行くか。まあ俺も実物を見たわけじゃねーから、合ってるかはわからんが」
今まで見た色んな動物の記憶を掘り起こし、シャグラの情報と一致する動物を思い出せるようスタンバイする。
「体毛は白。大きさは人の膝下に頭が来るくらい。ウサギみたいな長い耳を持っているが、尻尾はウサギみたいな短いのじゃなく、キツネみたいな長めでフサフサしてるやつ。そして目の色は青い。らしい。」
そこまで話すとシャグラはわたしの様子を伺った。
「どうだいボサちゃん。見覚えはあるかい?」
その時のわたしは、多分無表情を保てていたと思う。心の中では、想像したくもない推測によって、身体の内側から先まで冷たくなって行くような感覚があったが。




