わたしの家族と森の迷子
白い毛玉が朝の森を駆ける。その後を追うわたしは、頭に大きな布を被っている。白い毛玉――キューちゃんは前を走り、わたしとの距離が開くと足を止め、わたしが追いつくのを待ち、近づくとまた駆け出す。わたしも足の速さにはそれなりに自信があるけど、キューちゃんには敵わない。日課のかけっこはいつもキューちゃんの勝ちだ。
程なくして、ゴールに辿り着いた。周りを木々に囲まれた、静かな湖。船を浮かべて遊ぶには少し小さいけど、水浴びをするには最適な場所。
被っていた布、それから着ていた服を近くの木にかけて、キューちゃんとわたしは水浴びを始めた。
わたしが布――もといタオルを頭から被っていたのは、日光が苦手だからだ。日光を浴び続けていると、頭がぼーっとしてくる。
ついでに言うと、水も正直好きではない。泳げないからではない。泳げる。試してはないけど泳げるはず。なんというか、流れる水の中にいると、だんだん具合が悪くなるのだ。
どちらもきっと体質的に合わないのだろう。
かといって身体を洗わないのは不潔だ。臭うのもベトベトするのも嫌いだ。だから水は我慢する。
それで、なぜ日光の出ている時間に水浴びに来たのかと言うと。
「きゅうーん!」
キューちゃんがわたしの近くに向かって、木の上から回転飛び込みを決めた。小柄なキューちゃんとはいえ、木の上から飛び込むと流石に飛沫が上がる。わたしはその飛沫をもろに顔に受けた。
○
キューちゃん。わたしの家族。
どれくらい前になるだろう。ふと気付いた時、わたしはひとりで森の中の洋館にいた。そうなる前のことはよく覚えていない。
よくわからないまま館の中をうろついていたら、大量の布の上で丸くなり、穏やかな表情で眠っている生き物がいた。白い体毛。長い耳。ふさふさの尻尾。記憶にはない、初めて見た生き物のはずなのに、懐かしさみたいなものを感じた。
「かわいいなあ」
思わず口から言葉が漏れた。その気持ちよさそうに眠る様子を眺めていると、なんだかこちらまで幸せな気持ちになった。
しばらく眺めていると、白い生き物は目を覚ました。最初は寝ぼけていたのか、わたしを見つけても平然としていたが、程なくしてわたしを二度見した。目と目が合う。わたしとしては特に目的もなく眺めていたつもりだったのだが、白い生き物は何やらわたしを見定めるような視線を送っていた。
お互い無表情なにらめっこの後、わたしを敵ではないと認めたのか、白い生き物はゆったりと館の外へ歩き始めた。特にすることもなかったわたしは、生き物の後をついていくことにした。
館の外は深い森になっていた。日当たりは悪く少しジメジメしている。館の正面からは何処かへ続く石造りの道が伸びていたが、かなり植物に侵食されていた。白い生き物はそんな道は無視して館の横から森の奥に進んでいく。こちらは整備されたことなど一度もなさそうな獣道。
白い生き物は歩きながらしばしばこちらを振り返っていた。わたしが付いてくるのを確認するかのように。
石の上の苔に足を滑らせたりしながら歩みを進めていくと、周りの景色が変わり始めた。周りに甘酸っぱい香りを漂わせ、そこらじゅうの木に小さな赤い果実が実っている。一口サイズよりちょっと大きいくらいの小ささ。
白い生き物は木に登り、果実の1つをくわえると、私の顔へ向かって飛び降りてきた。顔から生き物をはがして向かい合う形で抱えると、先ほどの果実を潰さずにくわえたままでいた。
「くれるの?」
生き物は言葉に頷いたりはしなかったが、果実をくわえたまま私の反応を待っているようだった。別にお腹が空いているわけではないけれど、わざわざここまで案内してくれて、果実を取ってきてくれたのだ。これを断るなんてとんでもない。
私は生き物の顔を私の顔に近づけて、その口にくわえられた果実にかじりついた。
○
「おいしいねえ、キューちゃん」
水浴びを終えたわたしとキューちゃんは、赤い果実の群生地までお食事兼収穫に来ていた。別にわたしは食事をしなくても大丈夫なのだけれど、この果実の味は大好きだ。何より、わたしの大切な思い出がここにはある。そして今も、新しい思い出が生まれ続けている。キューちゃんと過ごすこの時間は、他の何よりもかけがえのないものだ。
キューちゃんが夢中になって果実を食べている間、わたしは持ってきていた巾着の中に果実を集めていた。これはキューちゃんのお弁当になったり、わたしが飲むジュースになったり、大雨とかで外に出れない時の非常食になったりする。まあそんなに保存は効かないんだけど。
十分な数の果実を集め、キューちゃんもたらふく食べて満足したのかまったりと丸くなっていた頃。遠くから足音が聞こえた。音は少しずつ近づいてくる。この足音は二足歩行のものだ。この森の住人で二足歩行をするのは、わたしくらいのもの。森の奥の奥まで行けば熊もいるけど、この辺りでは見かけない。それに普段の熊は四足歩行だ。つまり、森の外から二足歩行の何者か、おそらく人間が来た。
「キューちゃん、ちょっと我慢してね」
わたしはキューちゃんを頭に乗せて、先ほどタオルに使った大きな布をその上から被った。そこまで不自然に頭部が膨らんだりはしていないはず。たとえ怪しまれても、キューちゃんが見られなければそれでいい。
初めは、足音の主を確かめずに早くこの場を離れるつもりだった。しかし、どうしても近づいてくる人間の目的が気になってしまった。この果実の群生地に人間が訪れることは滅多にない。わざわざこんな森の奥まで来なくても、街の方には十分な食べ物があるはずだからだ。たまに来る人間といえば、酔狂な果物好きか、不運な迷子か、獲物を探しに来た狩人。もしも、キューちゃんを捕らえに来た狩人だったら、また……。
結局、わたしは近くの茂みに隠れ、誰が来るのかを確かめることにした。間もなくして、その姿が見えてきた。小さな子供だ。男の子だろうか。その表情はすっかり怯えきっていた。うん、狩人ではなく迷子のようだ。迷子、か……。
「おじさーん……どこー……?」
そんな気はしていたが、一緒に来ていた保護者とはぐれてしまったらしい。
……どうにも、放っておくことは出来なかった。とりあえずわたしは、被っていた布を取って、頭の上に乗せていたキューちゃんをそばに降ろした。
「ごめんねキューちゃん、わたしから離れすぎない程度に隠れてついてきてね」
キューちゃんにそう伝え、わたしは迷子の男の子に近寄った。
おじさんという言い方から、保護者は直接血の繋がりがあるというわけではないのかもしれない。でも、親しい相手――「家族」と離ればなれになってしまうのは辛いことだから。そう思うと、この男の子を無視して帰ることは出来なかった。




