わたしの目覚めとわたしの意思
目を覚ますと、そこは図書館のわたしの部屋だった。わたしはベッドの上に横たわっていた。
部屋が妙に暗いと思ったら、窓には黒い布が貼り付けられていた。隙間から微かに光が漏れているので、今はきっと昼なのだろう。
ふと横を向くと、銀髪の少女が椅子に座ってわたしを見つめていた。何かを言おうとしているのに言葉が出てこない、そんな表情をしている。
「……おはよう、ねえさん」
わたしはその銀髪の少女―わたしのねえさん―キャロに、そう声をかけた。
ねえさんの瞳から、涙が溢れた。わたしはそっとねえさんを抱きしめる。ねえさんは力強く、わたしを抱き返した。
ねえさん、わたしを探してここまで……。なのに、わたしは。
「ごめんなさい」
必死にその言葉を絞り出した。わたしの声は震え、涙は止まらなかった。
「わたし、ねえさんと約束したのに。ねえさんの事、忘れないって。なのに……!」
「いいの。今はこうして、私を覚えてくれている」
泣きじゃくるわたしの頭を、ねえさんは優しくぽんぽんと撫でてくれた。こんなに優しい、最高の家族との約束を破るなんて。
それだけじゃない。記憶を取り戻した今、処理しきれないほどの膨大な感情が内側から溢れ出してきた。
ずっとずっと、泣いていた。その間、ねえさんは黙ってわたしを抱きしめてくれた。
ある程度気持ちが落ち着いてから、わたしはねえさんにあの後の事を聞いた。わたしがキューちゃんを噛んでからの事を。
「大丈夫。あなたの望んだ通り、事は運んでいる。だから、まだ休んでいなさい」
優しい口調でねえさんはそう言った。
わたしの望んだ通り、か。
そう、今の状況はわたしが選択した結果。
「ねえさん、ちょっと長くなるんだけど、話を聞いてほしいの。今までの、わたしの話」
何も言わず、ねえさんは頷いた。
ゆっくりと、わたしは話し始める。
にいさんの腕が断たれた日からの事。家族のみんなを疑ってしまった事。自分の愚かさが許せなかった事。そんな自分を消し去りたくて、見つけたエキュワスに記憶を差し出した事。
「キューちゃんはあの時、自分の寿命を延ばしたくて、わたしの記憶を奪ったんじゃなかった。愚かなわたしの望みを叶えるために、自分の寿命を延ばした。あの時のキューちゃんの眼は、そんな風に見えたんだ。もしかしたらこの感覚も、エキュワスの魅了のせいかもしれないんだけど……」
さっき泣きながら感じていた事を、改めて言葉にしてみたら、また目頭が熱くなってきた。
「キューちゃんはしゃべらないし、本当の事は分からない。でも、わたしは感じたの。キューちゃんの優しさを。だけど、わたしはそれすらも忘れて……」
記憶を取り戻すために、キューちゃんを噛んだ。
「ねえさんがわたしの家族なのと同じように、キューちゃんもわたしの家族だったんだよ。記憶を取り戻して……キューちゃんを殺して、わたし、ようやく……」
ようやく分かった。
キューちゃんがわたしを魅了していた可能性は、結局否定できない。多分、記憶をなくしてたわたしは、実際キューちゃんに魅了されていたんだと思う。キューちゃんがどんな事を考えながらわたしと一緒にいたのか、それはもう永遠にわからず終い。
だけど、キューちゃんはわたしの望みを叶えて記憶を奪って、空っぽになったわたしに居場所をくれて。キューちゃんがいなければ、ボサノヴァというわたしも、今のわたしもきっといなかった。それは確かな事実。何を考えていたかは関係ない。
「ありがとう、キューちゃん。さようなら」
そうつぶやくと、わたしの頬を涙が流れ落ちる。ねえさんは複雑そうな面持ちでわたしを見守っていた。
ねえさんから、わたしが去った後の家族の話を聞いた。とうさんは表に出さないように努めてはいたものの大いに心を痛めていたという事。にいさんは怒りを露わにしていたが、それはわたしにではなく腕を断たれ妹を追い詰めた自分に対する怒りだという事。腕はいまだ治らず隻腕であるという事。しかし2人は領地を守らねばならず、わたしを追う事は出来なかったという事。だからねえさんがひとりでわたしを探したという事。
みんなに迷惑をかけたくなくて出て行ったのに、結局みんなに迷惑をかけている。どうしてみんな、こんなわたしを見捨てないのか。とうとうわたしは、ねえさんにその理由を聞いてみる事にした。
「ねえさんも、とうさんもにいさんも、どうしてわたしに優しいの?見捨てようと思わないの?」
そう尋ねると、ねえさんはビンタで答えた。わたしの頬が叩かれる音が部屋に響く。ひどい。
「……そんなの、家族だからに決まってるじゃない。家族をかわいがるのに、理由なんている?」
ねえさんはわたしを睨みつけながらそう言う。これは少し本気で怒っている。
認めたくないけど、と前置きしてから、ねえさんは言葉を続けた。
「あなたがあのエキュワスに抱いていた感情も、同じだったんじゃない?……家族、なんでしょ」
あ。
心の底から腑に落ちた。魅了の影響を否定出来ないとはいえ、わたしは本気でキューちゃんを家族と思い、他の何よりも優先して守ろうとしていた。
思えば、ずっと守られる立場だったわたしは、記憶を失ってからキューちゃんを守る立場になったんだ。わたしがキューちゃんを守りたいと思うのと同じように、みんなはわたしを守ってくれた。
これは偶然なんだろうけど、キューちゃんがわたしに教えてくれたんだ。家族のみんながどんな想いでわたしを守ろうとしていたのか。
考えれば考えるほど、キューちゃんはわたしにたくさんのものを与えてくれていた事に気付く。
ねえさんはあまり聞きたがっていなかったが、わたしはキューちゃんと過ごした今までの事を話した。ねえさんに情報を伝えたいという意図はあったが、一番はわたしがキューちゃんの事を思い出したいからだった。キューちゃんにもらった、ボサノヴァの日々を。
「へえ、あの薬局の子供がボサノヴァって名付けてくれたの。でもそのボサボサの髪の毛はなんとかしないとね」
スレイくんとの話をすると、ねえさんは鼻で笑いながらそう言った。この瞬間、わたしはとうとう決意した。ボサボサ頭を脱却すると。
「ふうん、あの眼鏡の女、アレアって言うんだ。……もしかしてあなた、気付いてない?」
アレアさんの話に、ねえさんはそんな質問を返してきた。
「なんのこと?気付く?」
見当もつかない。アレアさんが一体なんだと言うのだろう。
「まあ、気付いてないならいいけど。さしたる問題でもないし」
そう言ってねえさんは話題を変えてしまった。なんだろう。気になる。
「そういえば、あの後シャグラは……」
「言ったでしょ。あなたの望み通りに事は運んでいる」
シャグラの話をしている最中、わたしの中に生じた疑問にねえさんは先ほどと同じ返答をした。
……そっか。最後にもう一度、挨拶しておきたいな。
「……それで、突然ねえさんが薬局からキューちゃんを攫って。後は、知ってるよね」
キューちゃんと一緒に過ごした、ボサノヴァとしての日々を語り終える。わたしもねえさんも、しばらく何も言わなかった。
沈黙を破ったのはねえさんだった。
「帰りましょう。私たちの家族のところに」
ねえさんがわたしの手を握る。包帯が巻かれた、ひんやりと冷たい手だ。だけど暖かい。
「分かっているだろうけど、私もおじさまもあいつも、あなたをとても大切に想っている。……また、一緒に暮らしましょう」
ねえさん。勝手に家出して、記憶を捨てて約束を破って、挙げ句の果てに面と向かって「知らない」だなんてのたまったわたしに、こんな優しくしてくれる。とうさんもにいさんも、きっとこんなわたしを許してくれるのだろう。にいさんはきっと一発ぶちかましてくるけど。
だからこそ、わたしは。
「わたし……帰らないよ」
ねえさんから目を逸らさず、顔を見つめてそう言った。
わたしは決めたんだ。言葉が通じる相手には、はっきりと言葉を伝え、そして言葉を受け取ろうと。
わたしの返答に、ねえさんは目を見開いた。ねえさんがどうしてと言う前に、わたしは理由を話し始める。
「わたしが一緒にいたら、みんなに迷惑がかかる。やっぱりそれは変わらないよ」
「そんなことはないわ」
すぐにねえさんがわたしの言葉を否定する。
それでも、わたしは思っている事を言葉にしていく。
「たとえ、ねえさん、とうさん、にいさんがそうとは言わないでくれても、わたしは思っちゃうんだ。みんなに迷惑をかけているって。迷惑でなくとも、みんなを束縛してしまうって」
キューちゃんを守るため、わたしの行動が制限されていたのと同じように。
「だから、わたしは帰らない。みんなと離れて生きていく」
「……私たち、家族でしょ」
「もちろん。それは変わらないよ」
ねえさんは表情を曇らせる。
「私……怖いの。あなたが、またあなた自身を蔑ろにするんじゃないかって。ごめんなさい、信用していないわけじゃないの。でも……」
暗い、ボソボソとした喋り方でねえさんはそう言った。あの時と同じ表情だった。同族を失った話を、話してくれたあの時と。
そんなねえさんの手を、わたしはそっと握る。
「大丈夫。わたしはもう、わたしを捨てるようなことはしない」
弱々しい顔のねえさんを見つめながら、わたしは言葉を続ける。
「わたし、気付いたんだ。わたしは周りの人に恵まれている。とてもとても恵まれている。とうさんも、にいさんも、ねえさんも。ここに来てからも、スレイくん、グレイさん、アレアさん、司書さんに、マナンさんも。シャグラとは一悶着あったけど……優しくしてくれた。そして、キューちゃん。みんなみんな、わたしにとても良くしてくれた」
今までの出来事をひとつひとつ思い出していくと、みんなの優しさに胸の奥が暖かくなった。
「記憶を返してもらって、記憶をなくしていた頃の記憶と合わさって、わたし、気付いたの。みんなが優しくしてくれたわたしを捨てるのは、みんなの想いを踏みにじる事だって」
キューちゃんのおかげで、それに気付くことができた。
「わたし、もう自分を捨てない。みんなの役に立って、それでいてわたしも幸せになりたい。優しくしてくれたみんなに笑ってほしい。悲しんでほしくない。それが、わたしの責任なんだと思う」
堂々と宣言する。これがわたしの意思。わたしの感じた責任。
次第に、ねえさんの表情に元気が戻り始めた。そして、微笑みながらねえさんは言った。
「私の知らない間に、あなたは強くなったのね」




