白い毛と銀色の頭髪
大人の熊を背負うのは初めてだったが、流石に少し重さを感じた。
今はまだ陽が高いものの、街に辿り着く頃にはおそらく陽は沈んでしまうだろう。まあ、今日中には戻れるだろうし問題はない。
熊の頭蓋骨は思いの外硬かった。一度殴っただけでは熊も絶命せず、殴ったわたしの左手も痛みを感じた。柔らかい部位を狙えばもっと簡単に殺せたはずだが、薬の材料にする関係上、臓物は可能な限り破壊したくなかった。だからわたしは、頭を殴られてフラフラしている熊の顔面を、もう一度全力で殴った。熊の首は折れ、顔は背中の側を向いた。
この熊が、ドングリを食べた日に見かけた熊と全く同じ個体かどうかはわからない。今日初めてわたしと出会った個体かもしれない。だけど、この熊は、最後までわたしに殺意を向けていなかったように感じた。もちろん、最初の一撃は奇襲になるように、こちらの気配はギリギリまで隠していた。それなのに、なぜだか……敵とみなしていなかったわたしに、この熊は突然殺されてしまった。そう感じてしまう。どうしてわたしは、こんなことを考えているのか。
ぼんやりと考えながら街の方角に歩いていたら、わたしとキューちゃんの館が見えてきた。だいぶ街の近くまでやってきたようだ。
その時、異変に気付いた。館の中から物音がする。
わたしとキューちゃんがいない間に、他の動物とかが住み着いてしまったのだろうか。しかし、館の中から聞こえる足音は、二足歩行のものだった。動物ではない。おそらく人間。どうして人間が、館の中にいる?とりあえず、あまり良い予感はしない。わたしは熊の死体をその場に置き、館の中を探ることにした。他の動物や虫が死肉を貪りに来てしまう可能性があるため、あまり時間はかけないようにしよう。
足音は館の2階の方から聞こえてくる。足音の主に警戒心を抱かれるのも嫌なので、静かに近づいていくことにした。玄関の扉をゆっくり開き、音を立てないよう慎重に階段を登る。しかし、わたしの意思とは裏腹に、ボロボロのこの館はわたしが歩く度にギシギシと音を立てた。聞こえていた足音が途端に動きを止めたので、きっと気付かれてしまった。まあいい、普通に人間の前に現れよう。攻撃されてもわたしなら容易に躱せるだろうし。
足音の主はどうやらキューちゃんが寝床としている部屋にいるらしい。……よりによって、その部屋にいるなんて。一体何者なんだろう。耳を澄まして人間の動向を気にしながら、わたしは部屋の出入り口に立った。
中にいた人間は、壊れた家具を壁にして、わたしのいる出入り口の方に何か武器のようなものを向けて待ち構えていた。鈍器や刃物には見えないし、多分なにかを射出するタイプの武器だろう。
人間はヨレヨレの帽子と外套を纏っていて、しかし髭はちゃんと剃っていて……
「シャグラ、何してるの?」
部屋の中にいた人間はシャグラだった。
「んへぇ、ボサちゃん、なんでここに」
シャグラはわたしがここに来たことが余程驚きだったのか、変な声をあげながら武器を下ろした。
「なんでって、ここわたしの住処だし。で、シャグラは何をしていたの?」
わたしの問いに、シャグラは頭をかきながら目をそらす。少し間を置いてから、
「あー、うん、ちっとな、忘れ物をしちまったような気がしてな」
と言った。まあ間違いなく嘘だろう。すかさず追及してみる。
「2階にはシャグラ来なかったよね。なんで2階を探しているの?ここ、わたしのスペースなんだけど」
厳密にはわたしとキューちゃんのスペースだ。忘れ物っていうのは嘘だろうし、シャグラはきっと何かを探していたのだろう。わたしの眼差しを見て、シャグラは堪忍したかのような顔をしてから、本当のことを語り始めた。
「例の薬の材料が、この辺に住み着いてんじゃねえかと思ってな。……ボサちゃんにはワリいんだけど、留守の間に館を探させてもらってた」
やっぱりか。シャグラがこんなところで探し物をするとなれば、それしかないと思っていた。
シャグラは持って来ていたで荷物の中から、小さな瓶を取り出した。中身は空……いや、少しだけ、白い毛が入っている。
「この白い毛はな、この前ここに泊めてもらった時に見つけた。真っ白な毛だが、この森じゃあそんな白い動物は見かけなかった。街に行って聞いてみても、この森で白い動物を見たって話は聞かねえ。……ボサちゃん、この館に、白い動物はいるか?」
サーっと、血の気の引くような感じがした。
まさか、シャグラがあの時点でキューちゃんの手掛かりを手に入れていたなんて。シャグラが街に留まっていたのは、お金を稼ぐという目的も嘘ではないのだろうけど、おそらくは森でキューちゃんを探すためだ。メモにあれだけびっしりと情報を記すくらいだ、少しでも手掛かりがあれば、納得するまでキューちゃんを探すだろう。
上手く、誤魔化すことは出来ないだろうか。
「その毛、わたしの髪の毛じゃない?」
キューちゃんの白い毛とわたしの銀髪、色合いとしてはそう変わらない。そうだ、本当にわたしの髪という可能性もある。
「この毛はいかにも動物の体毛って感じのモサモサっぷりだ。いくらボサちゃんの髪がボサボサだからって、こうなるとは思えねえな。この毛はそんな長くねえし。それともボサちゃん、こういう毛生えてんのか?」
なんてことを言うんだこいつは。顔が熱くなるのを感じる。ダメだ、キューちゃんの毛を誤魔化す言い訳が思いつかない。
一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。それから、静かだけど重い声で、わたしは話し始めた。
「……わたしから教えられる情報はないよ。シャグラには、どうか幸運の薬を手に入れて、大切な人に届けて欲しいと思っている。だけど、この場所とわたしの周りは探らないで。わたし、シャグラと敵対したくない」
正直な気持ちを伝える。
遠回しにわたしの周りに薬の材料があると教えてしまっているが、教えなくてもシャグラは諦めがつくまで調査を続けるだろう。でも、シャグラが無事でなければ、シャグラは大切な人に薬を届けることは出来ない。だから、わたしと敵対しないで。わたしに貴方を殺させないで。
シャグラはしばし黙って、頭をかいて、ため息をついてから口を開いた。
「しょうがねぇな。とりあえず今日は帰るよ。お邪魔したな、ボサちゃん」
館の外に出ると、もう陽が沈みかけていた。開けた場所では眩しい西陽も、周りを木々に囲まれた森では隠れてしまっている。
「ええぇ……ボサちゃん、そいつを背負っていくのかい?」
わたしが背負った熊を見て、開口一番シャグラはそんな事を言った。
「うーん、台車とかあれば良かったのかもしれないけどね。まあ、森の道はガタガタだから車輪が壊れちゃうか」
「いやそういう話じゃねえんだが……まあいいや」
あれ、なんか会話が噛み合ってない……?この辺りは種族の違いからくる認識の差だろうか。そんなに気にしていなかったものの、こんな感じのズレた会話を今までもしてしまっていたのかもしれない。
シャグラと共に街への道程を進んでいく。くたびれたその背中を眺めながら、考え事をする。シャグラは本当に諦めてくれたのだろうか。昨日、再会出来た時は純粋に嬉しかったが、今となっては再会しない方が良かったのかもしれないと思い始めている。もし再会していなければ、シャグラはわたしが館にいると思い込み、今日みたいに館を漁ることはなかっただろう。
というか、今日また会ってしまったのが一番良くなかった気がする。会話の中で、わたしの側にエキュワスがいるという確証を与えてしまった。わたしのミスだ。シャグラが内心諦めておらず、これからわたしの側を調べ始めるとしたら、どうするべきだろう。
一番簡単な方法ははっきりしている。あの狩人たちのように、シャグラを殺す。そうすれば、キューちゃんを探し、その情報も掴んでいる人間はいなくなる。だけど、それは最悪の一手だ。もうわたしはシャグラに情が移っている。そんな手段は取りたくない。
どうか、どうかお願いだから。キューちゃんの事は諦めて。
関所に着く頃には、すでに星と月が夜空に輝いていた。時計塔の針は7時を回った辺りを指している。
関所に着くまでの間に、シャグラとは口裏を合わせておいた。わたしは「初めて」この街に入る狩人であると。わたしの方でできる事はやったはず。あとは、グレイさんがちゃんと根回しをしてくれているかどうか。
関所はあっさりと通ることが出来た。思っていた通り手荷物検査はされたので、キューちゃんを連れた状態で通らなかったのは正解だった。
検査中の衛兵隊が妙に厳戒体制だったのは、わたしが普通に熊を背負っていたからだろう。隠すつもりは元からないが、わたしが人外である事がどんどん知られていく。初めて会った時のグレイさんや、司書さんのように、人外に対して警戒心を露わにする人は少なくない。わたしがこの街で過ごすなら、そのように警戒心を向けられるのはもはや避けられない事だろう。
普通の人間だと思われていればそんな事はないのかもしれないけど、今度は初対面のシャグラみたいに子供扱いされるかもしれないし、何より正体を隠すのは面倒くさい。
衛兵の話によると、シャグラが持っていた小さな武器はジュウと言うらしい。あんな小さな武器では小動物くらいしか倒せないと思っていたが、衛兵の警戒っぷりを見ると、人間に対してもある程度の脅威になる武器のようだ。わたしはまだまだ知らない事だらけだ。
関所を出ると、なんだか畏まった服装の男性がわたしに話しかけてきた。
「はじめまして、私は商人マナンの遣いです。ボサノヴァ様ですね?お話はグレイ様から伺っております。これからあなたをマナンの元にご案内いたします。そこで、そちらの熊を買い取らせていただきます」
男性は落ち着いた口調で淡々と用件を話した。グレイさんから聞いていたマナンという商人の名前が出てきたため、おそらく信用して問題ない。そこでシャグラがわたしの耳元に囁いてきた。
「マナンってあのマナンか?この街を実質牛耳ってるっていう」
「そうなの?お世話になってる人に紹介してもらっただけだからよく知らない……」
そうシャグラに囁き返す。これからわたしが会おうとしてる人は、そんな凄そうな人なのか。
熊を背負ったまま、男性の後をついていく。わたしの後には何故かシャグラもついてきていた。何でも一度マナンを自分の目で見ておきたいらしい。別に今ついてこられてもキューちゃんと鉢合わせることはないだろうし、男性からも許可をもらっていたので問題になることはないはず。
街の壁沿いに歩いていくと、やがて倉庫のような建物に着いた。この辺りは人の住居やレストランなどがあまりないようで、人通りが少ない。建物の中に入ると、男性は
「それではマナンをお呼びします。こちらで少々お待ちください」
と言い残し、建物の奥へ行ってしまった。わたしとシャグラだけがその場に残された。とりあえず熊の死骸をその場に降ろすと、シャグラが話しかけてきた。
「そういやさっき言ってた世話になってる人っつーのは、なんて人なんだ?」
どうしよう。ここは素直に答えるべきだろうか。シャグラにグレイさんの事を教えると、今以上にキューちゃんに繋がる手掛かりを与えてしまう気がする。だけど、かつて幸運の薬を作っていたグレイさんの話は、シャグラがキューちゃん以外の方法で幸運の薬を手に入れるための手掛かりにもなるかもしれない。一応この後グレイさんのところに行く予定だし、そこで話を通せばグレイさんからキューちゃんの事が漏れる可能性は潰せるか。
「グレイさんっていう薬師。図書館の近くにお店がある。前に森で偶然出会ったの」
結局、話してしまった。シャグラには、どうかキューちゃん以外の方法を見つけてほしい。キューちゃんに危害が及ばないなら、わたしもできる事は協力するから。
「ふぅん、薬師、ねぇ。その人、もしかして幸運の薬に詳しかったりしねぇか?」
うん、やっぱりそういう食い付き方するよね。シャグラにグレイさんの事を説明していく。グレイさんのプライバシーを侵さない程度に。これできっと、明日の朝にもシャグラはグレイさんに話を聞きに行くだろう。
そこで、建物の奥から何人かの人が現れた。先頭に立っているのは、わたしより少し高いくらいの背丈で豪華そうな服を着た女性で、後ろには大きめの体格の男性3人と、先ほどの男性がいた。大きな男性たちはこれまた大きな刃物を持っていた。物騒だ。
「大変お待たせ致しました。こちら、商人マナンでございます」
そう紹介された女性が堂々とした口調で喋り始めた。
「はじめまして、ボサノヴァさん。あたしがマナンです。今日はこのような立派な熊を提供していただき、どうもありがとうございます」
そう言って右手を差し出して来たので、握手に応じる。想像よりも堅い手だった。てっきりアレアさんみたいな柔らかい手だと思っていたんだけど。
「あたしの後ろにいるでかいのがこれから熊の解体をします。……あの、そちらの貴方は?」
シャグラの方を見ながらマナンさんが尋ねる。
「こりゃ失礼、私ゃあシャグラと言いまして、旅をしながら今はこの街で料理人をさせていただいてます。本日はマナンさんへご挨拶に伺おうと、勝手に着いてきさせていただきやした」
帽子を取りながら、シャグラはそう挨拶した。初対面のシャグラもこんな口調だったな。なんで敬語が中途半端なんだろう。
大きな男性たち3人によって、熊がどんどん解体されていく。その様子を見ていたら、マナンさんが話しかけて来た。
「あの熊、銃創とか切り傷はなかった。打撃だけで斃したの?やっぱり素手?」
さっきとは打って変わってフランクな口調だった。これはわたしの方も畏まってしゃべる必要はないのかな。
「うん、素手。もう気付いてると思うけど、わたし人間じゃないの」
マナンさんの顔を見ると、面食らったような表情をしていた。あれ、人間だと思われてた?それとも敬語の方が良かったかな。
「ふうん。まあ、あたしとしては問題なく取引出来るなら、ヒトでもネコでもミジンコでも構わないけどね。今日はこの後どうするの?宿は決まってる?」
「図書館に泊めてもらってるよ。手伝う代わりにって」
「図書館?あれ?でも街に入ってからここに直行して来たよね。いつ図書館に行ったの?」
しまった、ボロが出た。焦りで身体が熱くなる。この人、街の権力者みたいだけど、昨日街に不法侵入していたのだとバレたらまずいんじゃないだろうか。いや待った、グレイさんに口利きしてもらったと嘘をつけば言い逃れ出来るのでは……。
「あはは、冗談よ。グレイから話は聞いてるから。別に何か企んでるわけじゃないなら、不法侵入なんてあたしは気にしないよ」
笑いながらマナンさんはそう言った。からかわれた。ちょっとだけ不満げな表情をしてみたら、頭をポンポンと撫でられ、
「あんたなかなか可愛らしいね、気に入ったよ。何かあったらあたしに話して。力になるよ。あと、あたしからも何か頼むかもしれないから」
と言われた。そういえばこの人、わたしを人外と認識しているのに、あまり警戒している様子が見えない。よほど度胸があるのか、取引相手なら本当にミジンコでも何でも関係ないのか。
シャグラはマナンさんから街についての話を聞いていた。その中にはグレイさんについての話も。ただ、わたしが聞いていて気になるような情報はなかった。この熊の肉をレストランに出したいみたいな話はあったけど。
「はい、これが今回の報酬です。それからこっちがグレイへの贈り物。悪いんだけど、グレイのとこまで届けてもらって良い?薬の材料」
マナンさんからそう言われ、2つの袋を手渡しされた。1つは中に硬貨が詰まった、わたしへの報酬。もうひとつは何重かに包装された熊の内臓。これがきっと流行病の薬の材料なのだろう。
「今日はどうもありがとうございました。また機会があれば、よろしくお願いします」
そう言ってわたしはマナンさんに頭を下げる。
「ええ、よろしくね。あんたみたいな可愛らしくて言葉遣いも丁寧な子は大好きだよ」
マナンさんはウインクしながらそう返事をした。この人、一体いくつくらいなんだろう。街の権力者って言うからにはそれなりの年齢を予想していたんだけど、見た目や振る舞いからはアレアさんと同じか、もっと若く見える。次の機会で聞いてみよう。
建物を出て、シャグラと別れた後、まっすぐグレイさんの薬局に行こうとしたのだが、ここから薬局までの道がわからないことに気付いた。昨日か今朝通った道を見つければ分かるんだけど、この辺りは今日が初めてだったからさっぱりだ。なので一度建物に戻って、道案内をお願いすることにした。マナンさんには笑われ、あの畏まった服装の男性に案内してもらうことになった。恥ずかしい。
道すがら、男性にマナンさんについて聞いてみた。曰く、マナンさんは大商人だったお父さんの跡を継いで、今の仕事をしているらしい。お父さんは身体が弱ってしまって、あまり外に出られないそうだ。気になっていたマナンさんの年齢だが、20代くらい、という曖昧な答えしか得られなかった。これは若いのだろうか。スレイくんが11歳で、グレイさんが40過ぎって事を考えると、若いような、そこまででもないような。
やがて、見覚えのある通りに辿り着く。歩いているうちに薬局が見えてきた。男性にお礼を言って、薬局に向かおうとした、その瞬間だった。
薬局の扉から、1つの影がすごいスピードで飛び出した。切りそろえられた綺麗な銀色の髪、月明かりの下でもよく見える透き通った白い肌、そして一瞬だけこちらを見つめた瞳。その瞳は紅かった。まるでわたしのように。
お客さん、にしては少し時間が遅い。それに、まるで逃げるかのような飛び出し方だった。
……薬局に何かがあったんだ。
わたしは薬局に向かって駆け出した。




