時計塔とヴァンパイア
ボサノヴァさんが街に戻ったと言う報せが届いて、そろそろ2時間ほどだろうか。おそらく、既に熊の解体は終わって、お金と薬の材料を持ったボサノヴァさんがここに向かっている頃だろう。
店の片付けをしながらボサノヴァさんの到着を待つ。店の奥では、スレイが勉強をしながらエキュワスの様子を見ていた。今日の昼頃から今まで、エキュワスはずっと大人しくしている。本来のエキュワスは毎日のように広範囲を駆け回り、結構な運動量をこなす筈なので、これは異常なことだ。当然、体調を崩していたのと関係はあるだろう。
……私は、このような状態のエキュワスをかつて見た事がある。
やはり、私の推測は間違っていないのだろう。あのエキュワスは、ボサノヴァさんを……。
そこで、店の扉に吊るされたベルの音がなった。閉店の札をかけておいたはずなのだが。
扉の方を見ると、銀髪の少女が立っていた。ほんの一瞬、ボサノヴァさんと錯覚したが、別人だ。切りそろえられたストレートの銀髪、今まで一度も陽を浴びてないのではと思わせるほどに白い肌、そして紅い瞳。
まさか。
「エキュワスを差し出して」
少女は冷たい声でそう言った。しゃべる口には長い牙が見えた。間違いない。この少女は、ヴァンパイアだ。
「……何のことでしょう」
「とぼけないで。奥の部屋にいるのでしょう。後でエキュワスを失ったあの子に殺されるのと、今私に殺されるのと、好きな方を選びなさい。私はどちらでもいい」
少女の鋭い眼光に睨まれ、私はすっかり竦んでしまった。この少女は、一体どこまで知っているのだ。少なくとも、ここにエキュワスがいること、そしてエキュワスとボサノヴァさんの関係を知っている。
いや、今大事なのはそこではない。この後の対応に、私とスレイの命が懸かっている。この少女の眼は本気だ。
「わかりました。……スレイ、ちょっとこっちにおいで」
奥の部屋にいるスレイを呼ぶ。やってきたスレイは、私と銀髪の少女を交互に見つめ、何が何だか分かっていない様子だった。
「ありがとう。あなたの選択は正しい」
そう言って少女は奥の部屋に向かった。
「待って!その部屋には」
「スレイ、何も言うな!」
律儀にボサノヴァさんとの約束を守ろうとするスレイを抑える。その誠実さは正しく、素晴らしいものだが、正しさだけで生きていく事は出来ない。
「おじさん、どうして!約束を破るの!?」
「そうだ」
失望したような瞳でスレイが私を見つめる。今は分かってくれなくても良い。いずれ分かる時が来れば良い。ここで約束を守ろうと必死になったところで、私もスレイも犬死にしてエキュワスが奪われるだけだ。同じ奪われるなら、当然命を守れる可能性がある方を選ぶ。
奥の部屋から少女が戻ってきた。小脇にはエキュワスを抱えている。2、3歩だけ歩いたところで、少女の表情が険しくなった。
「あの子が、戻ってきた」
あの子。文脈から考えるとボサノヴァさんだろうか。
「……私は時計塔で待つと、あの子に伝えて」
少女はそう言い残し、エキュワスを連れ店の外へ出て行った。
○
何が何だか分からなかったが、キューちゃんが拐われた事だけは理解できた。グレイさんが約束を破った事とか、スレイくんが泣きながら謝っていた事とか、マナンさんの遣いの男性が衛兵に連絡しに行ったとか(キューちゃんの事は伝えていない)、色々あるけど今やる事はひとつだけだ。時計塔に行き、キューちゃんを取り戻す。
建物の屋根を飛び移り、時計塔にまっすぐ進んでいく。街のどこからでも見える大きさの建物だ、道を覚えていないわたしでも直行できる。
キューちゃんを攫ったヤツ……グレイさんの話を聞いても、わたしが見た姿から考えても、間違いなくヴァンパイアだ。この街にヴァンパイアがいたなんて。
でも、どうしてキューちゃんを攫ったのだろうか。目的は何なのだろう。わざわざ自分の居場所をわたしに伝えるよう言い残したのだから、わたしに用があるのだろうか。それなら、何故普通に話しかけない?どうして時計塔に誘導する?いずれにせよ、キューちゃんを巻き込んだ時点で、あいつはもうわたしの敵だ。
しかし、気掛かりなのは相手がヴァンパイアというところだ。わたしは今まで、自分より弱いものとしか戦った事がない。ヴァンパイアは恐らく、わたしと同等か、それ以上に強いのだろう。……ダメだ、不利なのはわたしだ。わたしはキューちゃんを人質に取られている。下手に手を出して、キューちゃんに害が及ぶ危険は犯したくない。大人しく、敵の要求に従うしかない。
時計塔の一番高いところ。階段状になっている四角錐。そこに銀髪の少女が腰掛けて待っていた。見た目の年齢は、わたしとそう変わらない。すぐそばにはキューちゃんが丸くなっている。
「ちゃんと来てくれたのね」
「キューちゃんを返して」
わたしは少女を睨みつける。一方、わたしを見つめる少女の瞳は、どこか寂しげだった。
「昨晩、この街でようやくあなたを見つけて。近くに人間がいたから様子を見ていたの。そしたらこのエキュワスと一緒にいたものだから。驚いたわ。ねぇ、私、キャロよ。覚えてる?」
覚えてる?まさかこの少女は、記憶を失う前のわたしの知り合いなのだろうか?……いや、関係ない。今のわたしにとっては、この子は見知らぬ敵、そこにいるキューちゃんが救うべき家族。それだけだ。
「知らない。キューちゃんを返して」
そう答えると、キャロと名乗ったヴァンパイアは瞳だけでなく、表情までも寂しそうにした。
「……やっぱり。ねえ、私の話を聞いて。そしたらこの子を返してあげる。聞かないなら、この子を殺す」
言い終わる前には、先ほどまでの寂しげな表情は消え、冷たい残酷な表情が現れていた。本気だ。キューちゃんの命が懸かっている以上、わたしに選択肢はない。
「わかった。だけど、約束は守って」
「ありがとう。あなたとの約束、破るわけないよ」
なんだか、キャロがわたしにかける言葉には、特殊なものを感じる。この子は一体何なのだろう。記憶を失う前のわたしにとって、そんなに大切な人だったのだろうか。
「まず確認。今のあなたは、記憶を失っている。もっと言うと、この子と出会う前の記憶がない。合ってる?」
「……合ってる」
記憶がないことは、キャロの事を覚えていないのだからバレてもおかしくはない。だけど、どうして記憶の範囲がバレているの?
「どうして記憶の範囲がわかったか考えてるでしょ?それはね、私はあなたの記憶喪失の原因を知っているから」
うそ。でも、どうしてこいつがそんな事を知っているの?……こいつの言葉は、本当に信じられるの?
「あなたが記憶を失っている理由。それはこの子よ。このエキュワスが、あなたの記憶を奪った」
「……は?」
何を言っているの?キューちゃんが記憶を奪う?そんなこと、あるわけ……。
ふと、脳裏にグレイさんの言葉が思い浮かぶ。今日聞いたエキュワスの知識。エキュワスはある行動によって寿命を延長する。そしてその行動は、わたしにとってショッキングなものである。
「エキュワスは生き物を魅了する能力がある。その能力を使って、他の生き物に自分から記憶を提供させて、自分の寿命を延ばすための糧にする。あなたはね、寿命を延ばそうとするこのエキュワスに、魅了されて記憶を奪われたの」
「……嘘だ。嘘だ!!」
声を張り上げる。喉が痛くなるほどに。こんな大きな声を出すのは覚えている限り初めてだ。息が荒くなる。だけど、言葉とは裏腹に、こいつの言葉を否定できない。……魅了、記憶喪失。あまりにも、わたしの状況と一致し過ぎている。状況と一致しているだけなら、こいつの作り話であると断じることも出来たかもしれない。グレイさんの話とも辻褄が合ってさえいなければ。
「じゃあ、なに?わたしは、キューちゃんに魅了されて、利用されてるとでも?」
声が震える。視界がぼやける。ああ、わたし、涙を流してる。
「そうよ」
キャロは冷たく、そう返事した。
キャロの言った言葉が真実だとするなら、わたしの今までは何だったのだろう。
エキュワスは他の生き物を魅了する能力を持っている。わたしがキューちゃんに抱いていた好き、家族という感情。これは作り物だったのだろうか。わたしの内から芽生えた感情ではなく、キューちゃんによって植えつけられた感情だったのだろうか。
今までのわたしの行動原理は、キューちゃんが全ての中心にあった。それがもし、キューちゃんによって作られた感情によるものであったなら、今までのわたしはキューちゃんの人形に他ならない。
呆然としているわたしをよそに、キャロはさらに言葉を続ける。
「エキュワスは足は速いけど、戦闘能力は低い。そして眠る時は無防備。その点ヴァンパイアはね、都合がいいの。強くて、眠る時に守ってくれるから。昔は、あなたみたいにエキュワスに利用されたヴァンパイアが他にもいた」
彼女の言葉を何一つ否定出来ない。彼女の言葉は筋が通っている。わたしは、キューちゃんを守るために利用されていたのか?
ただ、ひとつ引っかかったところがある。
「わたし、ヴァンパイアなの?」
わたしはヴァンパイアの特徴を持ってはいるが、ヴァンパイアにはありえない特徴も持っている。彼女は、わたしの正体を知っているのではないか。
「……それは、記憶を取り戻せばわかるわ。この子を噛んで、殺して。少しでいいから、血を飲むの」
そう言って、キャロはキューちゃんを抱えてわたしに近づき、キューちゃんを手渡した。
キャロの言葉を聞いた後でも、キューちゃんを抱く事が出来て喜ぶ自分がいる。これは、本当にわたしの感情なのかな。
気がつくと、キャロは何処かに消えていた。
キューちゃんを取り戻したわたしは、グレイさんの薬局に戻っていた。わたしとグレイさんの他には、衛兵が2人と、なぜかマナンさんがいる。スレイくんは夜なので家に帰したらしい。
キューちゃんを抱えていたのに、グレイさん以外の人間がいることがわかっていたのに、わたしは薬局に入ってしまった。キューちゃんを見て、衛兵2人は珍しい動物がいるなあくらいの反応だったが、マナンさんはかなり驚いた様子だった。
わたしが薬局に戻ってきた理由は、グレイさんに話を確かめるためだ。キャロの言葉が嘘であってほしい、その一心だった。
時計塔での一部始終を話し終え、グレイさんがキャロの話を否定してくれるのを期待した。しかし、グレイさんは黙りこくったままだ。つまり、グレイさんの知る情報とキャロの話した言葉は矛盾しない。
「おそらく、そのキャロってヴァンパイアが、昨日噂になってた銀髪の少女ね。衛兵隊、すぐにでも街の主要施設の警備を強化しなさい。この薬局と近くの図書館にも見張りをつけること」
マナンさんが衛兵に指示を出している。どさくさに紛れて昨日の銀髪の少女の噂がすべてキャロのものにされている。元からキャロが噂の発端である可能性はあるが、わたしへの疑念を和らげようとするマナンさんの気遣いかもしれない。指示を受けた衛兵2人は、薬局の外へ出て行った。
グレイさんを見つめ、改めて確認する。
「グレイさんの言っていたわたしがショックを受けるっていうのは、この事だったんですか?」
まだ、明確な肯定はされていなかった。少しでも否定の可能性があるのなら、それにすがりたかった。
「……その通りです。魅了のことも、記憶のことも、いずれ話そうと思っていました」
グレイさんは、一番否定して欲しかった事を肯定してしまった。
「キャロと名乗ったヴァンパイアの話に加えて、話す事が2つあります。ひとつは、エキュワスは何故か人間の記憶は奪わないこと。エキュワスの危険な能力を知りながら、私がエキュワスを預かることを了承した理由はそれです。……もうひとつ。」
グレイさんはそこまで言ってから一呼吸置いた。そして、重苦しい表情で続きの言葉を口にした。
「ボサノヴァさん、あなたのエキュワスは、残りの寿命があまり残っていません。ここ数日の衰弱は、それが原因です」
……そんな。
なんでグレイさんはそんな追い討ちをするんだ。いや、時間があるうちに話さなくてはならない事なのはわかる。
「グレイさんは医者じゃありませんよね?どうしてそんな事がわかるんですか?」
グレイさんの言葉を否定したい。どこかで事実であると認めている自分がいるとしても。
「前に話した通り、私は昔、多くの幸運の薬を作り、その数だけエキュワスを見てきました。材料として運ばれてくるエキュワスには、ボサノヴァさんのエキュワスと似た状態の個体も含まれていました。だから分かるのです」
そこまで聞いて、もはやグレイさんの言葉を否定しようとする活力は湧いてこなかった。
「またエキュワスに記憶を提供すれば、あのエキュワスは元気になるでしょう。ボサノヴァさん、知るべき事を知った上で選択してください。あなたの記憶とエキュワス、どちらを取るか」
今のわたしには、2つの選択肢がある。ひとつは、今持っている記憶を犠牲に、キューちゃんを助ける事。キューちゃんとの思い出、街の人たちとの思い出、それらの記憶を全て捨て去って、わたしを魅了して利用していたかもしれないキューちゃんを助ける。
もうひとつは、キューちゃんを助けない事。キャロの言っていた通り、キューちゃんを噛んで血を飲めば、記憶を取り戻せる可能性がある。残った血から、シャグラの求める幸運の薬を作れるかもしれない。わたしを利用していたかもしれないキューちゃんは死ぬ。
図書館に戻ると、入り口のあたりで司書さんと衛兵さんが話していた。近くにはアレアさんもいる。さっきマナンさんが図書館に見張りをつけると言っていたし、その関係だろう。迷惑をかけることになった原因はわたしにあるんだし、わたしからも事情を説明するのが筋というものだろう。
キューちゃんを抱えたまま、司書さんとアレアさんに事情を話した。先に衛兵さんから話を聞いていたのもあって、2人ともそこまで驚いた様子はなかった。しかし、説明の後には気まずい沈黙が訪れた。
しばらくしてから、アレアさんが口を開いた。
「あの、ボサちゃんは、これからどうしたいの?」
「……え?」
わたしが、どうしたいか。
正直なところ、キャロの話もグレイさんの話もショックが大き過ぎて、受け入れたくない、考えたくない、と思っているわたしがいる。聞いた話をそのまま繰り返して説明するだけなら出来るが、その話を飲み込んだ上で、この先どうするかの決断は、下したくない。
先のことなんて、考えたくない。
わたしは、アレアさんの問いに答えずだんまりを続けた。
司書さんは悩んだような表情を見せた後で、今日はもう遅いから部屋で休みなさいと提案してくれた。おそらく、まだわたしへの恐怖心が拭えていないだろうに、司書さんはそんな気遣いをしてくれた。その恐怖心が行動理由なのかもしれないけど、その行動は今のわたしには優しいものに感じられた。
2人のことはまだそんなに知らないけど、2人とも優しい人なのは確かだ。
とりあえず、司書さんの提案を受け入れ、夜が明けてから話の続きをすることになった。
部屋に戻り、ベッドの上にキューちゃんをそっと置く。今は目を瞑り寝息を立てている。
ねぇ、キューちゃん。あなたが、わたしの記憶を奪ったの?わたしのあなたへの気持ちは、あなたに作られたものなの?
キューちゃんは言葉を使わない。だからそんな問いかけをしても、答えてくれたりはしない。わたし自身で判断して、決断しなければならない。
キューちゃんを助けるか、殺すか。




