最愛の人
アーデット高地は一面の荒野だった。
広い広い、見渡す限り広がる高地は、本来ならば綺麗に地平線が望めるはずだったが、今は黝い機巧兵たちがひしめいていて、地平線は欠片も見えない。
そんな高地の中央に立って、ユヴィリアイゼは、砕いた機巧兵の破片を地面に埋め込むようにして書いた魔法陣の中からそれを無表情に眺めていた。切れ切れに浮かぶ雲に太陽が隠れて、束の間、辺りが影になる。
――が、唐突に銀色の光が差し、機巧兵たちがその光を反射し、鈍く輝いた。ユヴィリアイゼは顔を上げ、思わずといったように苦笑した。漆黒の目を細め、複雑な表情でそちらを見遣る。愛しげな、でも、困ったような表情で。
銀の光は妹の――レフェアイゼの力の特徴だ。そしてこの威力は、間違いなく掃討波のもの――ただし、掃討波にしてはかなり小規模だが。
つまりこれは、本人が撃ったものではない。
「まったく」
ユヴィリアイゼは呟いた。その視線は、掃討波が開いた道を通って現われた、妹とその使用者に向けられている。
「やんちゃが過ぎるわ、レフェアイゼ」
□□□□□□□□□□□□□□□□
ひしめく機巧兵の数は予想を遥かに上回っており、アレンはさすがに表情を固くしていたが、それはレフも同じことだった。
「アレン、振り切って」
レフは囁いた。
躊躇いなく振り抜いた掃討波の、その銀の大波に洗われた先に、レフが焦がれ、追い求め、恨み、愛した、イリセ・アイゼルトの姿が見えた。
「アレン、行きましょう」
レフは一歩を踏み出しながら言い、僅かにアレンを振り返った。
「露払いも頼みます」
アレンが頷いた。その瞬間、レフが掃討波を放った。
ユヴィリアイゼはシェリアイゼ=レナ・アイゼルト固有の力の嵐壁でそれを弾き、凛と透る声を上げた。
「レフェアイゼ、下がりなさい。やるだけ無駄よ?」
「それはどうでしょう」
呟くや、レフはユヴィリアイゼのすぐ傍に転移した。流れるような動きでユヴィリアイゼが振り返る、それよりも一瞬早くレフの魔力が爆発した。至近距離で爆発すれば、自分よりも劣る魔力とはいえ無事では済まない。ユヴィリアイゼはやむなく転移し、その結果、二人の位置関係が変わった。
魔法陣の中にレフが立ち、その外側にユヴィリアイゼがいる。レフは素早く動き、ユヴィリアイゼに近付くようにして魔法陣のすぐ外に出た。
レフが魔法陣を破壊することなしに掃討波を撃つための位置関係。
アレンは掃討波を連発し、機巧兵を消し飛ばしながらレフの様子にも気を配っていた。いつ名前を呼べばいいのか、それを計るために。
ユヴィリアイゼは眉を顰め、溜息を零した。
「――予定が早まっちゃったじゃないの」
機巧兵たちが一斉にユヴィリアイゼの方を向いた。ユヴィリアイゼはまたしても放たれた掃討波に、軽く体勢を崩しながらも動じることなく声を上げた。
「リノ・アイゼルトの使用者は敵。排除なさい。それから大陸全土に向けた掃射を始めなさい」
それを聞くや、レフが大声を上げた。
「同族を撃て!」
途端、耳を劈く大音響が上がった。
大多数の機巧兵はユヴィリアイゼの命令に従い、アレンに撃孔を向け、あるいは大陸全土に向けて破壊を撒き散らすために撃孔を空へと向けている。その中には、撃孔を筒の先に着け、その筒をするすると伸ばしているものもある。
しかし百数十機の機巧兵が、間髪入れずにそれらの機巧兵を撃っていく。同族同士が撃ち合う、凄絶な光景が一挙に作り出された。
「あら」
ユヴィリアイゼは驚いたように目を見開いたが、その仕草はどこかお道化ていた。
「どうしたのかしら。レフェアイゼ、あなた二千年前の記録をこじ開けたの?」
「ええ」
レフが頷くと、ユヴィリアイゼは声を上げて笑った。
「まあ、ご苦労なことね。再会の挨拶もなしで、わたくしは悲しいわ。――それに、こんな状態だときっと、あなたの使用者は生きてはいられないと思うのだけれど?」
レフは首を傾げ、それから事もなげに言った。
「大丈夫ですとも」
彼女の放った鋭利が、ユヴィリアイゼの鋭利に弾かれて潰れた。
周囲は地獄絵図。あちらこちらで爆炎が上がっている。ひしゃげてまだなお動こうとする機巧兵。完全に潰れ、仲間に踏み潰された機巧兵の上を、まだ傷のない機巧兵たちが大挙して通って行く。その度にぎしぎしと耳を聾するような音が上がり、甲高い機巧兵の悲鳴も混じって耳が潰れる。
そんな中で、ユヴィリアイゼの予想に反し、アレンはまだぴんぴんしていた。
四方八方機巧兵に囲まれて、遠慮なしに掃討波を何度も振り切る。その度に何十機と機巧兵を消し飛ばしているのだが、機巧兵は一向減る様子が無い。
[Txxxkxd//Txxxkxd. HaxjxxxxShxnkxxxrxxxb]
数十の撃孔が向けられる。アレンは身を伏せて標的を小さくすると、全身のばねを使って一機の機巧兵に取り付き、その筐体をよじ登り、剣を構え直した。
「+【鋭利】+!」
刀身を銀の波が洗う。その剣で思い切り機巧兵を刺し貫いた。機巧兵は軋むような音を立てて硬直し、動かなくなる。どうやら運よく一撃で核を破壊できたらしい。
動かなくなった機巧兵から飛び降りる勢いを利用して、もう一機の上に飛び乗る。その機巧兵は複数の輪を重ねたような外見をしていて、アレンの重みを感じ取るやもがき、アレンを振り落とそうとする。アレンは両足で、馬に乗るときの要領で身体を固定し、振り回されることを利用して掃討波を連発した。銀色の爆発がそこかしこで起き、爆心地の機巧兵が数機まとめて消し飛ばされ、その余波を受けた機巧兵が半壊して動かなくなる。
「さあ、どんどん来い!」
アレンは叫んだ。大陸に向けて掃射しようとする機巧兵に向けて何度も何度も掃討波を放ち、挑発するように笑いながら怒鳴る。
「おまえらの相手はこっちだ!」
目がおかしくなりそうだ。万単位の機巧兵に囲まれて、本当に、何の悪夢だと言いたくなるような境遇だけれども、これは夢ではないし、夢だとしても純粋な悪夢ではない。
機巧兵の火炎が掠った腕はひりひりと痛むし、さっきから乱暴に機巧兵に飛び乗ったり飛び降りたりしているので、さすがに打撲が出来始めて痛む。痛みがあるのだから夢ではない。
それに夢であったとしても、姿は見えないけれど確かにレフがいるのだから、世の中捨てたものじゃない。
一見人に見える少女が飛び掛かって来た。身のこなしからして機巧兵だ。アレンは至近距離で彼女を叩き切ろうとし、しかし少女はその手首を思い切り掴んできた。
「しゃらくせえっ!」
アレンは叫び、少女を投げるようにして機巧兵に叩き付けた。同時に鋭利を起動し、空いた左手に剣を持ち替え、少女の首を叩き斬る。返り血が派手に上がり、一瞬目の前が真っ赤に染まった。
顔を拭い、馬乗りになった機巧兵に向けて、つまりは自分の身体の下に向けて掃討波を放つ。消え失せるように破壊された機巧兵という足場を失い、落下しながら猫のように体勢を整える。地面に着地、そのまま掃討波で辺りを薙ぎ払う。
数十機の機巧兵がまとめて蒸発し、束の間、周囲に穴が開いたように機巧兵が失せる。また間合いを詰めてくる機巧兵たちに剣を構え直したその瞬間、――
レフの悲鳴が上がった。
アレンは無意識のうちに叫んでいた。
「レフェアイゼ!」
□□□□□□□□□□□□□□□□
ユヴィリアイゼの決断は早かった。何度も掃討波を撃たれ、掃射を邪魔され、確かにレフを敵と見なすとすぐ、己の心盤に手を伸ばして、レフの心盤から移したレフの苦痛の命令を使った。
一瞬の硬直、それからレフは崩れ落ちるように頭を抱えると悲鳴を上げた。苦痛と嫌悪のありったけが込められた悲鳴に、ユヴィリアイゼが辛そうな顔をして、しかし次の瞬間その表情が一変した。
思わず苦痛の命令を破棄し、息を荒げて立ち上がろうとするレフを信じられないものを見るように見る。
「レフェアイゼ、あなた――」
声が震えたのは、戸惑いのせいでも悲しみのせいでも衝撃のせいでもない。
「何を考えているの!」
怒りのせいだ。
ユヴィリアイゼの膨大な魔力が、形を与えられることもなく爆発した。感情に任せた最も大雑把な爆発が、しかし凄まじい威力で唸る。ユヴィリアイゼを中心として爆風が巻き起こり、レフは何とか耐えたものの機巧兵の数機が煽りを喰らって大破した。レフでは、魔力で機巧兵を屠ることは出来ない。そのことからも分かる、両者の差。
「何のつもりでこんな小細工を! 妹といえども許しがたい! 〈記録〉は、あれは――」
ユヴィリアイゼが息を吸い込む。レフは咄嗟に防護を全開の出力で展開したが、ユヴィリアイゼの絶叫と共に巻き起こった最大級の魔力爆発に、その防護に罅が入った。
「――あれはわたくしとゼアントのもの! 何のつもりで傷付けた! ゼアントのことを覚えているのはわたくしだけなのに、あそこがその唯一の保管場所だったのに――、どうしてゼアントまで巻き込んだ!」
ばきばきと音を立ててユヴィリアイゼの周囲の空間が歪む。漆黒の光の霞が漂い、その軽やかな動きとは対照的な、全アイゼルト中最重量の攻撃力を誇る、イリセ・アイゼルト固有の力、重力鎚が起動された。
まともに喰らえばレフの心盤は粉砕される。そしてレフも死ぬ。レフは心盤を抱え込み、自身ではなくアレンがいる方向を座標として指定して、防護をもう一度構築した。そして、自身の指揮下にある機巧兵に大声で命令を下した。
「アレンの盾になって!」
同時に、掃討波を撃つ。最大級の掃討波を喰らい、重力鎚の威力が削がれる。しかしまだ十分に強力で、レフは身を伏せて心盤を庇った。轟音と共に重力という強力無比な威力が降り注ぎ、防護に注いだ力が侵食されるのが分かる。
その重圧が終わり、顔を上げると周囲の様相は一変していた。
魔法陣は無傷であるものの、ユヴィリアイゼを中心として円形に大地が抉れている。レフが庇った部分と、機巧兵たちがいるところを除いて広がるその破壊の痕が、ユヴィリアイゼの力の大きさを如実に表していた。機巧兵たちの間ではあっても、アレンがいるはずのところには重力鎚の痕跡があり、レフの指揮下の機巧兵がひしゃげていた。もし、あの下にアレンがいるとすれば――、しかし機巧兵が間に合わなかったとしたら――
心臓が止まったかと思った。レフは苦痛の命令と直後の防護により体力が削がれたことなど忘れ、立ち上がって真っ先に呼んだ。
「――アレン! アレン!」
返事がない。聞こえなかったのだろうか、それとも――
一瞬棒立ちになったレフを、我に返らせたのはその彼の声だった。
「大丈夫だから前を見ろっ!」
はっとして、すんでのところでユヴィリアイゼの鋭利を受け流した。ユヴィリアイゼとは距離があり、鋭利は至近距離での攻撃のための力だ。しかしその大前提を無視するようなその威力。第二弾の鋭利が、実態を持った刃のようにレフの防護と噛み合って、戦況は一気に膠着した。
□□□□□□□□□□□□□□□□
レフの防護と、その命令を受けた機巧兵によって庇われたものの、アレンも無傷とはいかなかった。
(こりゃ、折れたな……)
左腕を一瞥しながら思う。咄嗟に右腕を庇えたのは僥倖だ。左腕の前腕から痛みが広がり、動かそうとすると激痛が走った。心中にヴェルガードの顔が浮かぶが、彼はここにはいない。
レフを怒鳴り付けるようにして我に返らせ、自身も早く動かなければならないが、足場は一気に悪くなり、それもあってか機巧兵たちも動かない。
自分に覆いかぶさるようにして重力鎚を受け、大破して動きを止めた機巧兵を複雑な目で見てから、アレンはそろりとそこを這い出した。
戦場はおかしいくらいの静けさと、緊迫した空気。機巧兵たちは軒並み動きを止めており、それは二人の決闘を見守っているようでもある。
(――いや)
決闘ではない。
ユヴィリアイゼとレフの一騎打ちの戦況は、一見膠着して見えるが、その実両者に差がある。
ユヴィリアイゼは遠距離からの力の行使で、しかも怒り狂った力押しの攻撃だ。それに対しレフはそれを間近で防ぎながら、頭を使って攻撃の受け流し方を考え、実践し、状況を打破しようとしている。つまり、レフは全力で膠着状態を維持している状態であり、何か一つでも間違いがあれば一気に押し切られるだろう体勢なのだ。
(やばいぞこれ……)
レフが後退り始めた。銀色の防護が明滅し始め、夜空の色の鋭利がそれを噛むように押し切っていく。
レフの頬から血が飛んだ。
ユヴィリアイゼの鋭利からは守られているレフであっても、鋭利が空気に影響し、鎌鼬が発生すれば当然ながら怪我をするのだ。
アレンは咄嗟にユヴィリアイゼに向けて掃討波を撃った。ユヴィリアイゼは怒りの余り視野狭窄を起こしており、寸前になってそれを防いだ。それでもアレンの方は見もしない。
レフの防護に掛かる力が緩んだ。
「横に躱して【防護】を解除しろ!」
アレンが叫んだ。
レフは左側に飛び退り、右側に鋭利を受け流すようにして防護を解除した。漆黒の刃が花弁が舞うようなひらひらとした動きを見せながら空気に溶けるように消えていき、その穏やかな動きとは対照的な硬質な音がした。
ぎんっ、と大気を震わせる。
真紅の光の霞が辺りに柔らかく漂う。
何かとんでもないものが来るということは本能で察知できたので、アレンはレフがまた防護に体力を割くことがないよう、機巧兵たちの中に隠れるように飛び込んだ。
次の瞬間、方向の特定もせずに吹き荒れる、無数の力の矢が雨のように降り注いだ。ユヴィリアイゼが呼吸をする度に威力を上下させながら、その力の範囲はレフの周囲に一点集中させる。
セレアイゼ=ゼア・アイゼルトの固有の力、矢雨息。三千年生きてきたレフでさえ、実際に見るのは初めてだ。
心盤を庇いながら、レフは耐え切れずに吐き出した。
「お姉さま、駄目です。――ゼアのお姉さまはわたしを可愛がってくださいました。そのお姉さまの力でこんなことをしないでください」
真っ赤な髪に、灰色の目の、最後に去った姉。ラシュカの遠い母であり、レフが誰よりも詰り、責め、求めた相手。
真紅の力の雨の中で、レフは必死に姉の姿を求めた。
――お姉さま。
ユヴィリアイゼはゼアントの記録が傷付けられたことに怒り狂い、妹であろうと容赦せずに攻撃を加えてくる。
漆黒の長い髪に漆黒の星のような目。レフが知る誰よりも美しく、慕わしく、頼るべき彼女の姿。
妹たちの憧憬を一身に受けた、妹たちの怨嗟の対象であり続けた、中央の守護者。
ゼアントが愛した、ゼアントを愛した、ただ三千年の想いのためだけに生きている、誇り高く悲しく空しい、この世界で最も長い年月を生きたもの。
――わたしを見て。
――ゼアントではなくわたしを、あなたが創ったわたしを。
――あなたの苦痛を持つわたしを、 あなたの、三千年の恋慕の子である、思い慕う守護のわたしを。
――あなたの最愛のゼアントの娘である、わたしを見て。
――わたしを見て、お母さま。
それでもわたしたちを壊そうと思いますか。
ああ、見えた。
あの姉だ。記憶にある限り変わらない、いつも凛として自分の足で立っている、あの姉だ。レフが手を伸ばしても届かない、遥かな高みにたった一人でいる人だ。
いつでもレフを助けてくれた人だ。いつでも案じてくれた人だ。優しい声で名を呼んで、応えがあると嬉しそうに笑う人だ。抱き締めてくれれば暖かく柔らかい、そしていつでもレフを庇護してくれるはずの人だ。
その人の庇護を跳ね除けて、その人に仇なして、そんなことをした妹を、見限るでもなく敵として、一切の迷いなく戦っている。
冷たい怒りを瞳に湛えて、一番大事なもののために戦っている。
譲れないものは何かをきちんと分かって、弁えて、そのために今、妹を相手取って戦っている。
――ああ、そうか。
もう、見てくれていますか。
それでもゼアントが一番大事だと、あなたは分かっているんですね。
あなたの心の中心を占めているのは、いつだって彼で、他のことは余った心の余白で考えているだけのこと。
いつだって一貫して、最も大切なものはゼアントなんですね。
轟然と響く矢雨息の猛威に耳がおかしくなりそうになる。姉の姿を見て目までおかしくなったのか、視界が揺れて、絶えず歪んだ。
余りにも真っ直ぐな、迷いのない姉を見て。
いや、この人は母なんだろう。
真っ赤な視界はまるで血で溢れているようで、立っているのが不思議なほどの重圧が圧し掛かってくる。迎撃するべきだと分かっているけれど、掃討波ですら起動させる余地がない。心盤を庇うことで精一杯だ。それももう長くは保たないだろう。戦闘色最強のアイゼルト、それはただ、掃討波の威力と、他のアイゼルトの力に対する防護壁の存在というだけのことなのだ。このままでは心盤が砕ける。それは死を意味する。
駄目だ。記憶消去の魔法陣がまだ残っているのに。何とかしなければならない。しかしどうやって。
思わず蹲った、その体勢が崩れる。レフは一層心盤を引き寄せ、襲い来る衝撃を覚悟した――、
――銀の光が澄んだ瞬きを宿し、一直線に駆け抜けた。
唐突に矢雨息が消え失せ、レフは訳が分からず顔を上げる。その目が剣を振り切った直後のアレンの姿を捉えた。
助けてくれた……。
レフは思わず息を吸い込み、直後のアレンの声ではっとした。
「レフ! 前だ! ぼさっとしてねえで何とかしやがれ!」
そんな声ですら嬉しくて。
嬉しくて、涙が出る。




