使用者設定の真実
レフはアレンから視線を外すと、宙を見上げて発声した。
「機巧兵の分布を確認して」
男の声が応えた。
[命令を受理。――映像展開の是非?]
レフは頷いた。
「是」
[待機願う]
しばらくしてから、机の上にぼんやりとした白い光がたなびいた。それはすぐに僅かに曲線を帯びた長方形の形を成し、そこに見慣れない形が浮かび上がった。
縦長の長方形にも見えるが、端は入り組んでいて、所々は突き出しまた所々は抉れている。全体に緑味を帯びた茶色だが、中央よりやや下には砂色一色の箇所がある。その最上端近くと最下端近く、そして左右の端近くと中央に白い光点が瞬いている。そして赤い光点が夥しい数ひしめいていた。上部と下部と左右と中央に多い。他にもまんべんなく点在しているようだ。
「……これなに?」
アゼナが尋ね、レフではなくラデルが答えた。
「大陸――じゃないのかな?」
「えええっ!?」
アゼナが叫び、ラデルはやや怯んだ。
「いや……海岸線に見えるんだけど」
レフはラデルを一瞥した。
「ラデル、合っているわ。これは大陸を、この〈記録〉にある魔力が精査して、俯瞰図を作成したものなの。白い光点は〈記録〉への門を、赤い光点は機巧兵を示しているもの」
全員の目が赤い光点を見て、やがてラシュカが呟いた。
「……多くないですか」
まったくその通りだった。
レフは宙を見上げ、命じた。
「機巧兵の数は? 概数は許可する」
[探知中、――待機願う。およそ四万九千]
レフは更に問うた。
「アゼレルファ――アージェ付近の機巧兵は?」
[探知中、――待機願う。およそ二千機]
レフは険しい顔をした。そのままの顔でアレンを見上げ、危ぶむ調子で言った。
「それだけの機巧兵が束になって掛かれば、わたしの結界も傷を負います。今度は剣の機能を守れないかも知れな――」
「おーまーえーはー」
アレンはレフを遮って軽く小突いた。
「自分が受ける被害を考えやがれ」
レフはちょっぴりよろけ、拗ねたようにアレンを見たものの、反論はせずに頷いた。それから、また宙に視線を向け、言った。
「これから魔力補填を行いたい。準備して」
男の声は一瞬間沈黙し、やはり無機質に言った。
[警告。リノ・アイゼルト。魔力補填は痛覚の刺激が著しく、推奨できない]
アレンが無言で説明を求めた。レフはふう、と息を吐き、全員を均等に見ながら説明を始めた。
「ここには魔力が満ちています。ですからその魔力をわたしの中に入れて、魔力を強制的に補充することが出来ます。
最初にわたしがミリウィアの町を修復できたのも、ここに二千年間留まっていて、その魔力がわたしの中にも浸透していたからです。
ですから実行します」
アレンは彼女の顔を覗き込んだ。
「気のせいかな? 痛覚が何とかって言われてなかったっけか」
レフはふんとばかりに顔を逸らし、溜息と共に言った。
「いいですか、わたしにとっては大抵のものは痛いうちに入りません。それに現在も、いつ苦痛に襲われてもおかしくはないわけですし――万全の体調をいち早く整えることが大切で――」
ここまで言って、一旦言葉を切る。そして、アレンを疑わしそうに見た。
「確認ですが、アレン。わたしが辛くなければ反対はしないのですね?」
虚を突かれた顔をしてから、アレンは頷いた。
「え? ああ、そりゃあ――」
「ならば結構です」
言い切って、レフはアレン以外に眼差しを向けた。
「〈記録〉の中のものに濫りに触らなければ――干渉しなければ、どこへ行っても構わないわ。ここにいてもいいけれど、しばらくは退屈だと思う」
これに即座に反応したのが三人の魔術師だった。速攻で外へと足を向ける。万術の柱を堪能したくて仕方がないのだろう。 必然、その雰囲気に呑まれたアゼナとラシュカとリアはここに残ることになる。
レフは宙に向かって命令を下していた。
「推奨云々を抜かしていないで、準備しなさい」
ややあって、男の声が単調に答えた。
[命令を受理。準備開始――待機願う]
ラシュカはこの内部が気になるのか、万が一にも何かに触れることがないよう、腕を後ろで組んで本棚の間を歩き始めた。目がきらきらしている。アイゼルトの人生の長さに純粋に感動しているようだった。
リアとアゼナは手持ち無沙汰に辺りを見渡している。アレンはアレンで、態度で残留を求められたのは分かるが、なぜなのかと思ってひたすらレフを窺う。
レフは白けた顔でしばらくいたが、男の声に顔を上げた。
[準備完了。開始の合図まで待機]
レフは机の方に足を踏み出し、さも当然というようにアレンを半身で振り返った。
「アレンも。来て?」
使用者までお呼びなのかと、アレンも続く。
レフは向かって左側の椅子に腰掛けた。所作は堂々として、それが自分のための椅子だと知っている態度だった。高く反り返った背凭れに凭れることなく、背筋を伸ばして座り、褥の敷かれた肘掛に両腕を載せる。
いきおいアレンは忠実な騎士よろしく右脇に立つことになった。
そうするとレフを見下ろすことになる。陽光に煌めく銀色の髪が幻想的だと思った。少し解れた髪に陽光が透けて、まるっきり夢の産物であるかのように完璧だ。
がしかし。この立ち位置は大いに役得であるとしても、何をすればいいのか皆目分からない。アレンは無意味に鼻の頭を掻いた。
「あー、レフ。レフさん? 何すりゃいいんですかね?」
レフはすい、と顔を上げ、アレンには答えずに言った。
「……開始して」
無機質な声が応えた。
[命令を受理。開始]
さあっと音を立て、目に見えない波動が〈記録〉内を駆け抜けた。更にそれが逆流してくるような感覚。無意識に身を竦ませていると、男の声がした。
[確認。補填はリノ・アイゼルトの容量八分?]
「いいえ」
レフは即答した。
「わたしの容量上限よ」
[――命令を受理]
その声と同時に、レフの手がひょいとアレンの手を攫って握り締めた。アレンは仰天し、かなりおろおろした。
「え、レフ?」
レフは軽い責めるような眼差しでアレンを見上げた。
「アレン、わたしが辛くないのならと言いましたよね?」
「え? ああ、言った、けど」
レフは掌に力を込めた。
「こうしていれば辛くないんです」
アレンは忙しなく口を開け閉めした。レフの掌はアレンのものよりも少しだけ冷たく、そして遥かに柔らかい。ぎゅっと力を込めてくる指は華奢で、ともすれば折れてしまいそうで迂闊に握り返せない。
しかも、しかもだ。
こうしていれば辛くないだと?
それはどういう意味だと問い詰めたいのをぐっと堪える。しかし、どう捉えようと悪い意味には取れない。ゆえに小躍りしそうになるのもぐっと堪える。
甲高い音と共に吹き抜けの空間の床に光が走った。それが空間に伝播し、レフ目掛けて殺到する。レフの掌に更に力が入った。光がレフの脚に絡み付き、更に球体の籠のようにレフの周囲と外部を区切る。アレンは内側に入っている状態だ。
俯いて左手を膝で握り締め、右手でアレンの手を掴んでいるレフは、微かに震えた。しかし痛みからではない。
(魔力が戻る――)
空っぽだったことを強調するような勢いで、彼女の中に魔力が注ぎ込まれてくる。
乾いて焼けた細胞に水分が与えられて潤うように、彼女の中の傷付いていた部分が急速に癒されていく。瑞々しく生き生きとして蘇ってくる。心盤が一気に回復した。
枯渇した器に注がれる蜜。乾いた大地に沁み込む水。
頭の中に転移以外の全ての術式――失った術式が流れた。レフは自分自身にそれらを修復するように命令し、凄まじい速さでそれらが再び自分のものになっていくのを実感していた。
痛みは確かにある。しかしそれも全く気にならない。これ以上の痛みを何度も経験しているということもあるが、何より今自分は一人ではないと思えることが大きい。
右手に感じる、自分よりもやや高い体温の持ち主は、どんなときでも離れていかなかった。心盤を預かっても、裏切ったりはしなかった。そのことの安心感の方が遥かに大きい。なぜだか握り返されることがなくて、そこが無理強いしてしまったかと思えるところではあるが――。
術式が正常に、素早く修復された。レフは一瞬でその個々の動作に問題がないことも確認する。更に溢れた魔力は体力面に行き渡り、身体を一気に回復させた。傷はまだ残っているが、治癒の術式の試しも兼ねて口内で小さく詠唱する。即座に体内外の全ての損傷が修復された。
ほっとして、対象をアレンにしてもう一度掛ける。最優先にしたのは、やはり無理やり手を握っているという(アレンからしてみればお門違いの心配からくる)罪悪感である。痛みが引いたのに気付いたのか、アレンの手が驚いたようにびくりと揺らされた。それに思わず反応してますます力を込めて握ってしまったのはご愛嬌である。
更にラシュカ、アゼナ、リアにも、体力と傷の回復を詠唱する。距離的にも外の三人には無理なので、必然、後回しである。
そうして消費した魔力分も、間髪入れずに補填される。こうして〈記録〉と接続されている間だけは、レフの魔力は無尽蔵なのだ。レフが宿せる限りの魔力を、命令通り上限いっぱいまで満たすまで、接続は切れない。
アレンは今や少し痛みを感じるほど力が込められたレフの手を、ややぽかんとしながら見ていた。
傷を治してくれたのは間違いなく彼女なので、確かに魔力は回復していっているのだろうけれど、傷が治ったことに驚いて手を揺らせば、ますます力が込められたのだ。
まるで、離れるなと言っているかのようだ。
そう思い、いやいやいやと否定する。都合のよいように解釈していては、そうでないと分かったときに痛い目に遭う。
(きっと、あれだ、何かの都合で使用者がいた方が都合がいいんだ。そうに決まってる、落ち着け俺。もしかしたら好かれてるかもなんて、馬鹿なことを考えるんじゃない。頼られてるなんてもっと有り得ないからな――落ち着け、冷静に、冷静になれ)
細い指がぎゅっと力を込めている様は可愛らしいが、やっぱり折れそうに感じて握り返せない。折れたりしないと分かっているのだが、実際との落差凄まじいことに、レフは外見だけは弱々しく儚げなのである。銀髪が彼女を囲む光を反射して白色を帯びて煌めいている様が、余計にそういう印象を助長している。
いや、内面にもそういった部分は、あることにはあるが――。
レフの膝から下には光が絡み付き、そこから時折火花のように光が跳ねる。そこから魔力が補填されているのだろうと見当が付いた。声を出してもうるさくないだろうかと内心びくつきながら、それでも気になったので、アレンは恐る恐る声を掛ける。
「……レフ? 痛いのは大丈夫、なのか?」
レフはぱっと顔を上げ、不安そうにした。華やかな青い目に、彼女を囲む光が映りこんでいた。何かあったのかとアレンは一瞬恐慌状態に陥り掛けたが、それが表に出る前に、レフが案じるように言った。
「大丈夫――ですけれど。嫌ですか?」
アレンは混乱した。
(痛みは大丈夫なのか。そりゃ良かった。嫌かって、何がだ? 誰に訊いてる? あ、俺か。待て、この状況で俺は何を嫌がればいいんだ? 思いっ切り役得なんだが……)
訝しげなアレンに助け舟を出すべく、レフは繋いだ手を軽く持ち上げた。そして、やっぱり心配そうに言った。
「痛くないなら離せと思っています?」
アレンは意味を理解するよりも前に無意識に首を振っていた。首が一往復したときに、何を言われたのかにはっと気付き、ぶんぶんと勢いを付けて首を振り直す。
「いや、思ってない。断じて思ってない。なんでまた」
レフはほっとしたように表情を緩めた。アレンが眩暈を感じたほど可愛らしい顔だった。それから、やや窺うような目でアレンを見上げる。
「……アレンが」
そこで言い澱まれたので、アレンは鸚鵡返しにする。
「俺が?」
レフはじっと手を見た。
「握り返してくれないもので」
アレンはレフ同様、じっと手を見た。
握り返してくれないもので?
なんだそれは、握ってほしいのか、と問い詰めたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢。折れそうだからなどとは言えないので、アレンは適当に言った。
「いや、痛いんなら握ったら余計に痛くするんじゃねえかなって」
よし、これなら前後の文脈と合うぞと自画自賛。レフもほっとしたような顔をする。硬質な美しさを持つ彼女のことだから、それは水晶の花のような印象を与えた。
「そんなことないです」
応えておずおずと掌と指に力を込めてレフの手を包みながら、アレンは自分に対して自嘲の笑みを浮かべた。その表情に、レフが怪訝な顔をする。アレンは首を振った。
「何でもねえよ」
女の手を握るのは初めてではない。ナンパしたこともされたこともある。それなのに何だ、この初々しい態度。レフの手だって、今まで何度も握ってきたというのに、おかしいくらいに緊張している。
光が跳ねて、レフは一瞬全身を緊張させた。アレンは慌てて掌から力を抜く。
「大丈夫か?」
レフは頷き、じっと手を見た。素早くしかし丁寧にアレンは力を入れ直す。そして、気になって尋ねた。
「なあ、レフ。これって、使用者が接触してるといいとか、そんなことなのか?」
レフはきょとんとした目でアレンを見上げてから、首を振った。アレンの心拍数が上がる。レフは不思議そうに言った。
「いいえ? わたしがアレンの手を握っていると安心するというだけですけれど――」
アレンは真剣に指に力を込め過ぎるのを堪え――
「――迷惑ですか?」
――失敗してぎゅっと握ってしまった。レフが驚いたように目を見開く。アレンは握られていない方の右手で髪の毛を掻き回した。
「全然。全く、爪の先ほども、迷惑じゃない」
レフは安心したような顔をした。
「それは、良かった」
潮騒のような音がした。レフはしばらく耳を澄ましていたが、やがてひとつ頷くと椅子に落ち着き直した。
そして、やや申し訳なさそうに言う。
「もうしばらく掛かりそうです。立っているのは疲れますか? もしそうなら――」
アレンは「もうしばらく掛かりそうです」のところでレフに隠れて右手で拳を握っていた。なのでもちろん、遮って申告する。
「いや、疲れないしこのままで全然いい」
しれっとした顔をよくぞ保てたと思う。レフは明らかに嬉しそうにした。
体力が戻っていっているからだろうか、その顔色は良く、怪我をしてからの顔色がいかに優れていなかったかを再認識させた。同時に湧き上がってくる罪悪感。アレンは顔が曇るのを自覚した。
レフもそれに気付いて首を傾げる。彼女は頭の回転は大変早いので、アレンが手を握らされていること、立ちっぱなしでいることを嫌がってはいないということが、嘘ではない本音だときちんと分かっている。ゆえに、この表情の変化には何か訳があるはずだということも正しく見抜いていた。
「アレン? どうしました?」
アレンは肩を竦めた。
「いや。ただおまえ、顔色良くなったな。良かった」
レフは疑うような目付きになった。
「わたしの顔色が良くなったのは事実と判断できますが、それとアレンと、どういう関係が?」
何気なくアレンを落ち込ませる科白である。
わたしの気分とあなたの気分は無関係――つまり、完全に他人であると線引きされた気分である。アレンはふんと顔を他所に向ける。
「いや、別に」
レフは首を傾げた。言うまでもないが、彼女はそんな含意があって言葉を選んだのではない。ゆえにこのアレンの行動を、アレンの表情が曇ったことの原因をアレンが誤魔化したと考えた。
レフは眉を寄せ、繋いだ手を引いた。アレンはその直前の彼女の動きから全く無意識に行動を予測し、無意識のうちに体勢を整えていたのでよろけることもなかったが、ちょっと顔を顰めてレフを見下ろした。
「なんだよ?」
レフは繰り返した。
「どうしたんです?」
溜息を落として、アレンは観念した。
「はいはい。ただおまえの顔色の良さから、さっきまでおまえがどんな状態だったか再確認しただけだよ。――悪かったなって」
レフは無表情に首を傾げた。
「謝罪の意図が不明です」
アレンは光を透かして外を見ようとしたが、全く見えなかった。これって声も遮断してるのかなと、漠然と思う。
「いやだって、俺たちの内におまえほどぼろぼろになった奴はいなかったんだぞ。無理やりここから連れ出したにも拘わらず――無理させて。しかも俺は庇われたり魔力なかったりで全然役に立ってねえし」
言いながらアレンは赤面した。口に出せば出すほど、何て自分は役立たずなのだろうと実感する。
「おまえの使用者じゃなかったら、俺たちは一機の機巧兵を倒すのにも大変な思いをするわけで」
ここでちらりとレフを見ると、珍しく本気で驚いていた。ぽかんと唇が開いている。それはそれでやはり物凄く可愛いのだが、この場合アレンも見惚れてはいられなかった。
しばらくその顔を晒した後で、レフは思い出したように大きく息を吸い、言った。
「アレン、発言内容に修正があります。
まず、わたしをここから連れ出した判断は正しいものでした。イリセ・アイゼルトに対抗できるのはわたしだけですから、わたしがここに引き籠っていた場合、既に外界は再起不能の被害を受けていたかと。
次にあなたが役立たずという件ですが、それはありません。わたしが庇った一件も、わたしが勝手にそうしたまでで、そもそもあなたが使用者になったのは」
ここでいきなりレフは目を逸らした。アレンは眉を寄せる。
「レフ?」
レフはしばし、猛烈な葛藤に襲われている顔をしたが、やがてそっと言った。
「あの、アレン。怒りません?」
アレンは瞬きした。
「何がだ?」
レフはすうっと息を吸い込んだ。そして、怖いくらい真剣な顔でアレンを下から覗き込む。アレンは思わず一歩下がったが、レフは手を離すどころかいっそう握り締めた。
「アレン、実は使用者は設定のときに拒絶反応を示すことがあります」
アレンは訳が分からずぽかんとした。
「へ?」
レフはますます力を込めてアレンの手を握った。
「その拒絶反応は多く死を招くものです」
アレンはぽかんとしながらも記憶を辿り、レフがアレンを使用者に設定したときに少し驚いた様子を見せたのを思い出した。他にも、誘拐事件のときにアリーが何か言おうとしたのを意味不明の発言で遮ったりしたこともあった。
アレンは思わずにっこりした。
「ふうん、レフさん。その拒絶反応ってどれくらいの頻度で起こるのかな?」
レフは急激に後ろに引いた。しかし答えは正直だった――少々正直過ぎた。
「……九割程度……」
アレンは絶句した。え、待って俺って知らないうちに殺され掛けてたわけ、と自問する。レフはアレンをじっと見ながら自白する。
「わたし、ここを出るのはどうしても嫌だったものですから、折れたことにしてあなたを使用者にすると言ったんです。上手くすれ――もしかしたらあなたを殺せ――あなたが亡くなることもあるかと思って、そうしたらここから出ずに済みますし、盟約に従おうとしたことにはなるかなと思いましたし……万が一――幸運にも上手くいった場合にも、アゼイラの王家がわたしのことを覚えていたのは本当に嬉しかったことですし……」
アレンは思わず突っ込んだ。
「ところどころで本音が出てるぞ」
レフは更に後ろに身体を逸らしたが、手を離すことはしない。アレンは溜息を吐いた。
「いや、俺も、案外簡単に折れたなとは思ったんだよなあ」
レフは断罪を待つ顔になっていた。
「――アレン、ごめんなさい」
アレンはレフを見下ろして、やれやれという顔をしながら――その実死ぬほど緊張して、問いを発した。
「あのさ、レフ――今でも同じことしようと思うか? 例えば今、俺が使用者でなかったとして、使用者にしようと思うか?」
レフはうっと詰まり、アレンがぎょっとした顔をすると同時に言った。
「……思いません」
アレンは懐疑的な顔になった。
「今詰まったろ」
レフは空いている左手を握った。
「だって――」
だって、って。アレンは眩暈を覚えた。レフがアレンに対して口にしたことのない言葉だ。可愛い。その可愛いレフは完全に断罪されている顔をしつつも言い募った。
「アレンには死んで欲しくありませんし、その危険も冒してほしくはありません。けれどだとすると戦力になり得るわたしは、他の誰かで使用者設定を成功させなくてはならないことになります。つまり誰か他の人間を使用者にするということで――それは嫌ですし――」
「ほお」
アレンは思わず言った。レフは目を逸らす。
「わたしの使用者はアレンです」
ああやばい嬉しい、とアレンは思ってその自分に呆れた。殺され掛けていたことが発覚してもまだ、なおいっそう、この機巧人のことが大好きなのだ。
「……怒っています?」
レフは恐る恐るといった様子で尋ね、アレンははあっと溜息を吐いた。頭が猛烈な勢いで回転する。
「俺はこれでも、使用者を設定した機巧人の扱いを聞いてから、かなり申し訳なく思ってたんだ」
レフは項垂れた。
「はい……」
「おまえは殺人未遂をしたと。しかも俺で」
レフの手から若干力が抜けた。
「はい……」
「しかも黙ってたと」
もうレフは目を合わせられないらしかった。
「はい……」
「そんなこんなで俺はおまえに申し訳なく思う必要はないわけか?」
レフはこくんと頷いた。
「はい」
そして、意図的にアレンが威圧感を醸すと、レフはアレンが狙った言葉を吐いた。
「むしろ何か要求してくださって結構です」
(来たあぁ――っ!)
アレンは罪悪感に手を振って下がらせ、鹿爪らしく言った。
「じゃあ、そうだな。――今回の機巧兵と……おまえのお姉さんの一件が片付いた後」
レフは緊張しながら待っている。ちょっと顔色が悪い。アレンはまたしても登場した罪悪感を、今度は瞬殺で埋葬した。そして、科白を締め括った。
「――俺がここに会いに来たとき追い返さないこと」
レフがきょとんと顔を上げた。アレンが予想した返事は。
(え? 会いに来るんですか?)
あるいは欲しい返事は。
(そんなことでいいなら大丈夫です)
そして実際の返事は、アレンの予想したものに近かった。
「え? 会いに来てくれるんですか?」
「…………」
アレンは沈黙し、レフはその硬直には気付かず視線を、光を透かすようにして〈記録〉に当てた。
「いえ、けれど――」
とここでアレンの様子に気付き。
「どうしました?」
と大変可愛らしくのたもうた。
アレンは何とか自力で自分を解凍し、言った。
「あ、いや。けれど、何だ?」
レフは首を振った。そして、全く関係のないと思われることを言った。
「――この〈記録〉は文明継承のためのものだそうです」
アレンは瞬く。
「……そうなのか」
レフは頷きながら、アレンがそれだけしか言わないので、その意図を完全に誤解していた。
彼女はここが、次の世界への文明継承のための施設だと知っている。そのため、イリセ・アイゼルトを下した後には、自分にこの世界を破棄する意図がないのだから、ここを保持する理由は姉たちの想い出を保存するためだけにあると思っていた。ゆえに、転移式が使える自分のこと、いつでもここを訪れられるのだから、このまま外界で暮らすのも良いと考えていた。では、文明継承のためにここがあると聞かされてなお、要求の内容を変えないアレンをどう思うか。
(一生ここに、もう一度戻って居ろと思っている……)
一方のアレンは、文明継承の意味がよく分かっていない。なので、「会いに来てくれる」発言で十分に幸せなのである。
というわけで、アレンはこの話題を打ち切った。
「まあ、そういうことでいいよ。殺人未遂のことは」
レフは少し暗い顔になって頷いた。アレンはどきりとする。そんなことはないだろうと分かっていても、レフが自分に会うのを嫌がっているのかと思ったのである。そこで、レフの顔を覗き込むようにして訊く。
「どうした?」
レフは眉を寄せた。アレンは彼女が、ここで一人でいたことを決して明るい過去と捉えていないことを知っている。そんな彼が、一切が終わったらここに戻れという含意を持った言動を取った自覚があれば、こんなことを言うだろうか。否。言わない。
(ということは……わたしの深読み)
レフは一瞬のうちにその深読みの原因を探り、思わず訊いていた。
「アレン、文明継承の意味を分かっていますか?」
アレンは突拍子もない質問に驚きつつも、ちょっと照れたように笑った。
「いや、実は」
レフは覚えず安堵の息を漏らした。
「そう、ですか……」
アレンはここで文明継承の意味を訊いても良かったのだが、敢え無く黙った。きゃあっという声と、がしゃんという音が被ったからである。
アレンは深く溜息を吐いた。
「……アゼナ……」
レフは冷静だった。
「きっと水差しですね。机の向こう側にいるのでしょう」
アレンはぎょっとした。今の、がしゃんという音は。
「あいつ、割ったなっ!? くそっ、有り得ねえ!」
レフはアレンの手を引く。
「アレン、ここで怒鳴っても聞こえません。それに、水差しでしたら大丈夫です。すぐに直りますとも」
アゼナは大混乱らしく、ああどうしようやっちゃった、レフが怒る絶交されたらどうしよう、と身も世もない嘆き振り。
「あーもう、落ち着いてよ。きっと直るから」
リアの声がして、間があった。それからアゼナの、安心しきった泣き声が聞こえる。
「うわあっ、ありがとうリア!」
どうやらリアが直したらしい。さすがである。
アレンが溜息交じりに笑ったとき、レフが複雑そうな声を出した。
「あの……アレン。この間合いで魔力補填が終わったのですけれど」
アレンは残念に思った。しかし、周囲の光は収まっていない。レフの脚に巻き付いた光が、するすると解除されていっているのみだ。
「あれ? こっちの光は?」
アレンが周囲を示すと、レフはああ、と呟いて説明した。
「こちらはわたしが解除するまでこのままです。――今出て行ったら、確実にアゼナは驚きますよね?」
アレンは喉の奥で笑った。人の気遣いなど、アレンを殺そうとしたレフは絶対にしないだろう。
「ああ。まず間違いなく、レフが自分を怒りに来たと思って寿命が縮むだろうな」
レフは少し迷ってから、提案した。
「もう少し、このままにしておきます? それとも立ちっぱなしはもう嫌ですか?」
アレンはぱっと笑顔になった。レフが手を離さなかったからだ。
「ああ、そうだな。変に脅かしたらまた水差しを割るかも知れねえしな」
はい、と頷いて、レフはもう少し指に力を入れた。
やはり折れてしまわないかとびくびくしながら、アレンもその手をそっと、丁寧に握り返した。




