帰還
レフは眉を寄せた。
「機巧兵です」
全員の顔色が変わった。
「こんなときにかよ?」
ユアンは悪態を吐いたが、レフは徐々に険しい顔になっていた。
「これは、――人型の」
レフは言い、ふとアレンを見て念を押す口調で言った。
「アレン、今はその剣に付与した一切は使えませんから、無茶はせず――」
アレンは思わず彼女を睨みつけた。
「無茶はせず? おまえが言っても説得力ねぇよ」
レフは言葉に詰まり、目を逸らした後、独り言のように呟いた。
「なぜこんな処に来るのかしら……?」
向こうからごく普通の旅装をした一人の少年が近付いて来る。足取りは迷いなく、間違いなくレフの方を目指していた。
アレンたちが緊張する。レフが加わる前には、今とほぼ同条件だった。とはいえ今は、アゼナとアレンは傷を負い、魔術師たちは魔力が枯渇している状態であり、それを考えると通常の五機分の力を備えた機巧兵を相手にするのは絶望的だった。アゼナでさえかなり切羽詰まった顔をしてその少年の方を見ている。
少年が間合いに入った。アレンたちが動こうとした瞬間、レフが息を呑んだ。そして、隣にいたアレンの腕を思い切り掴んだ。
「行っては駄目」
レフはそれだけ言い、訝しげなアレンには構わず、少年の茶色い目を見た。
「ルイ、どうしてここに? 他国にいるのではなかったの」
ルイと呼ばれたその少年は一瞬立ち止まった。革手袋をした手が握り締められ、その表情がみるみるうちに怒気に染まる。そして彼は、レフ以外は一切視界に入れずに彼女に詰め寄った。
「貴女は馬鹿ですか」
ルイが言った。その気迫に他は口を挟むことが出来ず、レフは怒るでもなく首を傾げる。ルイは彼女を睨み据え、怒りに声を震わせた。
「僕が何て言ったか覚えてますか? 僕の伝え方が悪かったんですか? 何で――何でイリセ・アイゼルトを泣かせるようなことをしたんですか!」
レフはルイをただ見ていたが、返答ではない、反問を口に出した。
「お姉さまがおまえをここに送ったの?」
「僕が頼みました」
ルイは歯を食いしばるようにして答えた。そして一転して、縋るように言った。
「ねぇ、末の北のお姫様。まだ今なら何とかなります。だからお願いです、戻ってください」
レフは頷きもしなければ首を振りもしなかった。ルイは更に言う。
「僕が何て言ったか覚えてますか。楽しんでと言ったでしょう? 何で――貴女は次の世界に渡れるのに。何でそちらに行かないんですか。今度こそ上手くやると、イリセ・アイゼルトも」
レフが遮るようにして問うた。
「次の世界が幾つあると思う?」
ルイは意味が掴めなかったらしく、瞬きした。
「は?」
レフは首を傾げた。
「ルイ。お姉さまは最初からこの世界を見ていなかったと、そう思ったことはない?」
「…………」
「お姉さまの一番大事な人は、ゼアントというのでしょう? 記録で見たことがある。彼のいない世界を、お姉さまが長く続ける気があると思う?」
「――イリセ・アイゼルトは」
低いルイの言葉を遮って、レフは続ける。
「また創って壊すと思う。きっと何度でも繰り返すと思う。わたしはそれに付き合いたくはない。わたしは子どもたちを殺したくないの。前の世界を滅ぼしたときには、機巧人を全部殺したのでしょう? そんなことは嫌。
――新しい世界に行くのなら、それはお姉さま一人になる」
レフは少し考えて。
「……それともお姉さまはまた、『アイゼルト』を創って可愛がるかしら?」
考えるよりも先に手が動いたようだった。ルイの右手が思い切りレフの左頬を叩いていた。レフは簡単によろけて倒れそうになり、踏み止まり損ねたのをアレンが支えた。
ラシュカが怒声を上げた。
「手袋があったから良かったようなものの、機巧兵がアイゼルトに触れるなんて、穢れと知ってのことなの?」
ルイはラシュカよりも大きく怒声を上げた。
「貴女は自分を何だと思ってるんですか! イリセ・アイゼルトが貴女たちを、愛玩するために創ったとでも思ってるんですか!
そんなもののためにイリセ・アイゼルトは泣いたりしません!!」
怒るでもなく、レフは倒れかけて逸れた視線をルイに戻した。その眼差しは透明で、いっそ無関心にも見えたが、違う。レフはルイをじっと見て、呟くように告げた。
「――泣くほど辛いならやらなければいい」
どこか尖った声だった。ルイは少しだけ躊躇った。しかしすぐに、きっぱりと言った。
「それは出来ないと思います」
レフは溜息を吐いた。あのときと――エリーの存在を否認したときと、非常によく似た溜息だった。
「……だったらどうして、守護者を名乗ったりしたの。わたしたちにもそのようにさせたの」
ルイは詰まり、しかしそれは答えを知らないからではなく、言ってはいけないからのようだった。レフもそのことを読み取り、唇を噛む。
「――お姉さまに、離反を翻す意思はないと伝えなさい」
「リノ・アイゼルト!」
ルイは咎めるように声を上げたが、レフは眼差しでそれを黙らせた。だが厳しい眼差しは長くは続かず、すぐに彼女は視線を落とす。
「……けれどお姉さまに、謝罪も伝えておいて」
機巧兵は逡巡するようにそこに立っていた。しかしやがて、レフを説得することは不可能と判断したのか、レフと同じように視線を落として言った。
「――承りました」
うん、とレフが小さく頷くと、ルイは元のようなお道化た仕草で顔を上げ、ねだるように声を出した。
「末の北のお姫様?」
レフは「なに?」というように眉を寄せた。ルイはにっと笑う。
「もう一つイリセ・アイゼルトに伝えることが欲しいんですけど」
訝しげにしながらも、レフは促す。
「なに?」
ルイは人懐こい表情をした。
「あの、ですね。貴女のお姉さんに、嫌いじゃないと伝えさせてください」
レフは一瞬目を見開き、それから非常に柔らかく優しげな、眩しいものを見るような顔をした。そして、震える声で断言した。
「わたしはお姉さまのことが大好きなの。嫌いになれるわけがない――そんなことは有り得ないの」
ルイはひょいと頭を下げた。仕草は軽かったが、その礼は深々とした正式なものだった。
「……ありがとうございます。そのように、お伝えします」
そして踵を返したのを、思わずといった様子でレフが呼び止めた。
「ルイ」
ルイが振り返り、レフはアレンから離れてそちらに近付いた。そして、自分より少し背の低い相手に合わせるようにちょっと屈んで、ゆっくりと言った。
「ごめんなさい、ルイ。姉のこともわたしのことも気遣ってもらった。お姉さまが寂しくないようにしてあげて。それから――」
レフは眉根を寄せて、頼む口調で尋ねた。
「イリセのお姉さまは、レナのお姉さまを殺したの? それだけ確認してもらえるかしら?」
ルイが絶句した。レフは肩の髪を背中に流し、もう一度繰り返した。
「イリセのお姉さまは、レナのお姉さまを殺したの?」
ひゅう、と音を立ててルイが息を吸い込んだ。それから数呼吸して、彼は落ち着きを取り戻す。まったく、どこまでも人間らしい機巧兵である。
「お姫様?」
ルイは言った。
「それは自分でご確認してください」
レフは背筋を伸ばして機巧兵を見下ろした。
「ええ、分かった」
機巧兵は少し探るような顔をした。どうしてそのことを知っているのかを尋ねるような顔でもあった。しかしすぐにもう一度頭を下げて、今度こそ踵を返した。僅かばかりに肩を落として、焦土を歩くその後ろ姿は、やはり機巧兵には見えない。
レフは黙ってそれを見送り、訊かれる前に説明した。
「あれは、姉の近くにいる機巧兵です。ルイと呼ばれているらしいですね、わたしにそう名乗りました」
視線をアレンに当てると、彼は何とも言えない顔をしていた。
「おまえ……」
言いさし、止める。レフは首を傾げ、ああ、と呟いた。
「姉同士が殺し合った件ですか」
アレンは視線を泳がせる。彼の肩越しに他の者たちを眺めてみると、軒並み同じような顔をしていた。レフは首を傾げる。
「イリセの姉がレナの姉を殺したのは多分事実です。事故の側面があったことも認めますけれど、――アレン?」
語尾を上げた彼女の声に、アレンは反応する。
「ん? 何だ?」
レフは真顔で訊いた。
「血縁者が殺し合うのは異常なことですか」
アレンは呆気に取られた顔をし、それからはっとした後、頭を抱えた。
「あー、久々におまえの常識の欠如を見せつけられたわ。
――あのな、親兄弟で争うのは金持ちになればなるほどよくある話だ。
けどまあその場合も、世間からは痛々しい哀れっぽい目で見られるわけよ。分かるか?」
レフは眉を寄せたあと、頷いた。
「はい。公然の秘密と同じ扱いなのですね」
「なんか違う気もするが……まあいい」
アレンは疲れたように言ってから、ふっと笑った。
「うんまぁ、こんなやりとりも久し振りだな。おまえらしいよ、まったく」
レフはきょとんとしてから、なぜか少し嬉しそうに目を逸らした。
口の中で「わたしらしい」と呟くが、それが聞こえた者はいなかった。
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レフはその後すぐに魔法陣の作成を続け、その日の夜中に作成を終えた。
不具合がないかどうかを確認し終えると、さすがにそのまま起動させる体力はなく、前日と違って自力で馬車まで戻り、稀に見る爆睡に入った。
翌朝になって全員の目が覚めても彼女が起きる気配はなく、アゼナの方が先に目を覚ました初めての事例となった。
「疲れてるんだよね」
アゼナは言った。馬車の外で、レフ以外の全員が朝食を摂りながらのことである。
「怪我もあるしね」
ラデルは言って、魔法陣の方をじっと見た。疲労困憊、満身創痍の中でこんなものを書けるなんて、なんてすごいんだ――とその顔に書いてあった。
「そもそも、三千年以上前に機巧人がいたっていうのが多分、物凄く衝撃だったはずなんだ。それを勘付かせなかったんだから相当ってものだろう」
ヴェルガードが溜息交じりに言う。
「――レフにとったらお姉さん以上に大事な存在なんか無いだろうにな」
アレンが抑えた声で呟いた。
「俺たちのところに残るって言ったときに、レフが人間を今のままで残しておきたいって言ってた。多分、それがあって離反したんだ」
そのまま、アレンは未だ意思を表明していないラシュカとリアを見た。
「で? おまえらどうすんだ?」
リアが眉間に皺を寄せた。
「あたしの記憶が選りにもよって機巧人なんかに消されるなんて絶対に嫌。――あ、失礼。
とにかく全力で阻止するためにもここにいるわ。……いやあたしも死にたくないんだけどね」
機巧人嫌いもここまでくるといっそ清々しい。
アレンは苦笑交じりににやりと笑い、ラシュカに視線を移した。
ラシュカはレフに手を突き込まれた箇所をぎゅっと押さえつつ、かなり険しい声で言った。
「――ここにいますよ、大丈夫です」
どうやら、過去に機巧人が皆殺しにされたということが相当の衝撃だったようだ。彼女は迫害されて殺され掛けた経験がある。それを耐えてきたのを、仕切り直すと言わんばかりに全て消去されるなど冗談ではないという気持ちの方が、死にたくないという気持ちより強いようだった。
それに、機巧人をあっさりと破壊して新しい世界を始めようとするアイゼルトに付くよりも、殺したくないと渋るアイゼルトに付く方が、やはり本音として気分がいいだろう。
自分たちが悪意で作られたのではないと、確信したいだろう。
全員の残留が決まったところで、彼らは揃って馬車を振り返った。中からはレフが起きたことを示す物音など一切しない。
「……起こすか?」
こそっとユアンが言い、アレンが渋った。
「いや、でも相当疲れてるだろうしかわいそ――いやいや、眠さの余り転移でしくじられたらどうすんだよ」
ユアンはかなり生暖かい目で親友を見た。確実に後半は即興で思い付いた言い訳だ。本音が見え見えだ。
疲れてるし怪我も治っていないし、起こすのは気の毒だと、明らかに思って渋っている。
ラデルが折衷案を出した。
「あと一時くらい待っていよう」
結果から言うと、彼らは一時と一刻レフの起床を待ち、それからようやくアゼナが馬車に乗り込んで、「レフー、レーフーっ、起きてー、もうお昼ーっ」と叫んでレフを叩き起こした。起きたはいいのだが、レフは日の高さを見て呆然とし、相変わらず人に比べて感情の起伏の乏しい顔でがっくりと頭を抱えた。
可愛いので良しとしよう、と、ラシュカとリア以外は思った。ラシュカはアイゼルト相手にそんな感想は不遜だと思っているし、リアの方は言わずもがなである。
全員の残留を聞かされながら、レフがさっさと朝食を終え――というか、彼女の様子からすると慌てて口に入れるだけ入れ――、ちょっと咽ながらも、レフは謝ってから指示をした。
「おっ――お待たせしました。まず、馬車と馬を陣の中央に入れてください」
焦げた土を抉って書かれた魔法陣は、それ自体が魔力を帯びるため、起動するまでは容易なことで消えたりはしない。
ヴェルガードが主になって馬車と馬とを陣の中央に誘導する。馬たちは落ち着かないようだったが、誘導に従って取り敢えずは大人しくなった。さすが王宮の馬である。
「ユアンはそこの角に立って。ラデルはここの角に。ヴェルガードはそこの――円が書かれているところに立って。リアはその隣の標識が書かれているところに。アゼナは馬車の傍の、――」
「あ、ここ?」
「そう、そこに立っていて。ラシュカは一番端の角に行ってくれる?」
レフは魔力を持っている全員の立ち位置を指示し、アレンには言った。
「あなたは陣の内側ならどこにいていただいても結構です」
「扱い雑だな」
アレンは言ったが、本気ではない。アレンは欠片たりとも魔力を持っていないので、当然の扱いなのである。
レフは神経質に全体を見渡してから、陣に入る前に心盤を取り出した。
「H`sWKij」
その詠唱の意味を、アレンだけが解する。――封鎖を解除。
レフは顔を上げ、吹き付けた一陣の風にふわりと舞った銀色の髪の一房を鬱陶しげに押さえながら、ラシュカにまで届くように少し声を張った。
「安全には十分配慮したけれど、不測の事態も考えられるわ。その場合は各自で離脱の術式を詠唱して。あなたたちの魔力はわたしよりも弱いけれど、今この状態のわたしの書いた陣だから、完全に離脱は出来なくても身体がばらばらになることは避けられるはず。落ち着いたら回収するので、そこで待っていて。
アレンとアゼナは、危ないと思ったら魔術師の誰かと一緒にいてください。出来ればわたしと一緒にいるのが安全なので、アレンは近くにいてください。アゼナはそこにいて。
――円滑に転移が成功する確率の方が高いけれど」
「りょうかーいっ」
元気よくアゼナが拳を突き上げ、アレンも頷いた。魔術師たちは緊張の面持ちである。レフはもう一度全体を見て頷いてから、言った。
「わたしが中に入ると起動します」
その頷きに、付き合いの深い者たちは――リア以外はほっと安堵の溜息を漏らす。あれは、失敗を予期したときの顔ではない。だから、大丈夫だ。
レフが優雅な仕草で中に入った。
瞬間、光景が捻れ、一箇所に吸い込まれたように見えた。代わって別の光景が目前に勢いよく迫ってくる。覚えのある感覚だ。視界が暗くなり、全身が圧迫された。その光景に向かって身体が引き摺られていくような感覚があり、一瞬、意識が危うくなる。
すうっと、清涼感のある風が額を撫でた。圧迫から解放され、行為者のレフ以外が大きく息をする。レフもやはり相当参っているのか、全く平気というわけにはいかず、今までにないことにふらりとよろめいた。が、自力で立て直した。
一日あの焦土にいて、鼻が麻痺していたのか、慣れていたのか。とにかくアレンにとっては以前に来た時よりも、格段に空気が澄んでいる気がした。燦々と降り注ぐ陽光が、柔らかな眩しさで目を細めさせる。
転移が成功している。そこは風に吹かれて白く波立つ草原、万術の柱の内側だ。
草原の中央には、この世に有り得べからざるほど真っ白な壁と金の装飾を持つ、円筒形の息を呑むほど美しく壮麗な建物――〈記録〉がある。扉の分厚い硝子が陽光に透明な輝きを宿していた。
馬が驚いたように嘶く。同時に、声が上がった。
「――綺麗……」
アゼナだった。感動に頬を上気させ、辺りをくるくると回りながら見ている。
風が吹き、草が一斉にそよいで柔らかな音を奏でた。風はなぜか〈記録〉の壁面に沿って吹き降ろしてきたようで、〈記録〉を中心に同心円状に白い波が広がっていく。
「……これは、すごい……」
ヴェルガードも感嘆の声を出し、ラデルとユアンに至っては最早声もない。
レフは眩暈を堪えるように蟀谷を押さえ、その手を下ろすと、一瞬の迷いもなく〈記録〉の方へ歩を進めた。他も、慌てて後に続く。
扉に続く三段の階段は、今し方レフとアレンがここを出て行ったばかりであるかのように何の変化もない。違うのは、その傍のイリセの門から見える外界の、その景色の季節。レフは一切それに頓着せず、黄金の棒を握ってその扉を押し開けた。
ふわりと、独特の甘い香りが鼻をくすぐった。紙の匂いだ。視界は暗くなり、毛足の長い絨毯に足音が殺される。視界いっぱいに、本棚の列が映った。
何も変わっていない。
レフが〈記録〉内部に足を踏み入れると同時に、無機質な男の声が何もない空中から響いた。
[帰還を確認。お帰りなさい、リノ・アイゼルト]
アレンとレフ以外の全員がぎょっとして、辺りを見渡した。あるのはただ、重厚な本棚ばかり。
「防御壁の状態を確認」
レフが気のない声で問えば、男の声が単調に、反射の速度で答えた。
[良好]
レフはやはり退屈そうに続けて問うた。
「劣化の程度を確認」
[存在を否認]
レフは頷き、歩きながら更に訊いた。
「リノの区域の状態は」
男の声に一切の変化はない。
[良好。防御壁の解除による弊害はなし]
「わたしがここを封鎖してから、その封鎖が解除された履歴は?」
男の声は一拍を置いてから答えた。
[検索完了。一件。リノ・アイゼルトによる本日の解除]
レフはほっとしたようだった。
「それ以外にはないのね?」
[肯定]
それから今度は、男の声が逆に問うた。
[リノ・アイゼルトの現在の状態を走査。術式破損、身体破損、体力の低下、魔力の枯渇を確認。半年以上の休息を推奨]
具体的に述べられた状態に、アレンを始めとして全員がレフに注目する。レフは白けた顔だった。
「却下。黙りなさい、把握している」
指示通り、男の声は沈黙した。
「えーっと、レフ。この声なに?」
アゼナが気味悪そうに尋ね、レフは首を傾げた。
「さあ。わたしもよくは。けれど、便利なの」
十数分を掛けて、天窓の下、吹き抜けの空間に辿り着く。レフがぴたりと足を止めた。
そこには無人の机と、空っぽの五脚の椅子。水差しも紙の束も鵞ペンもインク壺も、一切何も変わっていない。変わったのは、そこにもう黒い袋がないということ。
誰もいない場所に、ただ燦々と陽光が降り注ぎ、机でつやつやと照り返され、水差しで幾百の滴のように煌めいている。千年一人で見続けた光景を、レフはじっと見ている。ここに自分がいないのを、どこか不思議に思っているような顔だった。
アレンも同じ光景を見て、あのとき自分を見た銀髪の少女を思い出していた。そしてふと思い立ち、レフに訊く。
「――で? 結局俺って役立たずか?」
レフはアレンを振り返り、大きく目を見開いた。
――どこから来たのか言いなさい。そこにただ立っているのでは役立たずなの。
それが、レフが初めてアレンに掛けた言葉だった。レフは不意に表情を緩め、ゆるゆると首を振る。
「いいえ。――よく覚えていましたね」
アレンは苦笑した。
「そりゃあな。初対面であんなこと言われたら印象に残るわ。――それに、おまえも覚えてたわけだしな」
二人は知らない。ここがゼアントが息を引き取った場所であり、ユヴィリアイゼを現在も縛る約束の成された場所であることなどは。
二人が知っているのはただ、ここは二人が初めて出会った場所だという、そのことだけだった。




