勇者、決める
アレンを見ながらレフは、呆れながらもそれだけではなかった。
「召喚されたときからそんなもん持ってるよ。て言うか、無いなんて言った覚えがねえ」
なぜ彼はこんなにもあっさりとこんなことを言うのだろう。もしやレフがアレンに死んで欲しくなくて大怪我をしたのを忘れているのかとまで勘繰った。
オーヴェルは、大抵の男は死ぬ覚悟があるかと訊かれれば事の重大さを理解すると言っていた、ような気がするのだが。レフは内心でかつての勅使を罵る。
しかも、厄介なことにレフは呆れているだけではないのだ。不本意にも、嬉しいと思っている。
本当にもう、独りは嫌だった。
それでも、それだけだろうかと自問する。そう言ったのが誰であっても嬉しいのかと自問すれば、いや違うと確信が持てた。
とにかくレフはふいと顔を逸らす。焦げ臭さが鼻についた。
アレンはレフの反応に少しばかり焦り、言い募った。
「いや、別に軽く考えているわけではなくて」
「アレン」
ユアンが脇からこっそりと呼んで、アレンと肩を一方的に組む形になってぼそりと言った。
「――色恋で世界の命運決めるのはどうかと思うぞ」
アレンはさっとレフを振り返り、聞こえていないことを確認。そして、きっぱり言った。
「それだけじゃないから安心してろ。おまえはどうする」
ユアンはこつんとアレンの額を小突いた。アレンはよろける。今は疲労の余り、全員の動きが鈍くなっていた。
「おまえに召喚に巻き込まれたときから、一蓮托生だっての」
アゼナもラデルもさすがに尻込みしている。アゼナは不気味なものを見るようにアレンとユアンを見ていた。ユアンはそれに気付いて眉を上げる。応える形でアゼナは言った。
「あたし死にたくないからね?」
「だろうな」
ユアンもアレンも頷き、レフは首を傾げた。
「ではアゼナ、掃射を避けるための場所なのだけれど――」
「ねぇレフ」
アゼナは遮り、まじまじとレフを見た。
「レフ、お姉さん裏切って大丈夫?」
問われたレフは瞬きをする。
「――いえ? きっと無傷では済まないと思うけれど」
「いやそうじゃなく」
アゼナはまた遮って、少し複雑な顔をした。
「えっとね、まずね、レフはあたしのことどう思う?」
レフは訝しげな顔をした。
「死にたくないのは当然だと思うけれど……?」
「いやいやいや」
アゼナは大きく手を振り、アレンも同時に、「そっちじゃないと思うぞ」と呟いた。
レフはきょとんとアレンを振り仰いだ後で、アゼナに向き直り、問い掛ける顔をしてからはたと思い当たったようで、ひとつ頷いて言った。
「アゼナ個人のことをどう思うかということなら、好ましく思っているけれど」
アレンは少々冷たい目でレフの後頭部を見た。決して、自分も言われたいと思ったわけではない。
アゼナは続けて質問した。
「レフはお姉さんを裏切って悲しくないの?」
少しだけ驚いたような顔をして、レフは柔らかな顔をした。
「ええ、とても悲しい」
語調は噛み締めるようだった。
「もしわたしが残ることになっても、姉がいなくなるのはとても寂しい」
けれど、と言葉を継いで、その語調は確信が籠ったもの。
「姉に逢えて、それに――大好きと言ってもらえて、その記憶だけでこれから千年は幸せの意味を忘れずにいられると思う」
アゼナは溜息を吐いた。
「……そっかぁ」
それから、アレンの真似をするようによしよしとレフの頭を撫でた。レフはアレンにされたときとは違って、ややたじろいだ。
「アゼナ……?」
アゼナが「ん?」と顔を覗き込むと、レフは腰を屈めて逃げようとしながら言った。
「行先は――」
「いらないよ、そんなの」
アゼナはきょとんとして言った。レフが瞬くと、アゼナは苦笑した。
「あのね、レフはこの世界を残そうとしてるんだよね。で、そのために辛いことをしてるわけだ。そのレフはあたしのことが好きなんでしょう?」
「はあ」
「じゃああたしは一緒にいるよ? それにねえ、あたし下手なことしたら牢屋に逆戻りだし――そもそもアレンに、あ、そもそもはヴェルガードさんにだけど、助けられてから一蓮托生だし」
いかにも理不尽というようにアレンとヴェルガードを見る。
アレンは敢えて他の仲間の意思の確認はせず、レフの気を引くべく咳払いした。
「で、レフ。これからどうすんだ」
レフはアレンを振り返り、迷いなく言った。
「はい。〈記録〉に戻ります」
アレンは瞬きした。
アゼナは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
ユアンも意味を把握しかねているようで、ラデルもヴェルガードも咄嗟には訳が分からなかったようだ。
ラシュカは首を傾げ、唯一リアだけが冷静に前後関係を押さえて質問していた。
「――その〈記録〉ってとこに何か用事があるのね?」
レフは当然とばかりに頷き、アレンは脱力して倒れそうになった。
「なんだ……てっきり帰るのかと」
レフは眉間に皺を寄せた。それでも美貌は揺るがない。
「アレン、わたしを何だと思っているんですか」
アレンは笑って誤魔化した。レフは疲れた目で焦土を見た。
「わたしは今、術式を殆ど持っていません。ただ、他の全てを転移式に統合したので、転移だけは使える状態です。ですので魔法陣を書いて、ここから〈記録〉に飛びます。わたしなら転移で〈記録〉にでも行けます」
レフは上目遣いにアレンを見た。
「……一緒に来ます?」
一瞬たりとも考えることなく、アレンは頷いた。それからはたと気付いてユアンを見る。
「あ、おまえらどうする?」
ユアンはにっこりした。
「あのな、レフは俺ら込みで来るかどうか訊いたんだと思うぞ」
レフはこくりと頷いた。瞬間、ヴェルガードとラデルが一歩を詰めた。
「行く」
アレンは呆れてそちらを見た。
「おい、分かってんのか。命懸けるってことだぞ」
ヴェルガードは煩げに頷き、ラデルは重々しく頷いた。
「分かってるよ。でも、考えてみてよ。ここでまあ、逃げたとしよう。掃射でやられる可能性は無きにしも非ずだ。どうせ死ぬなら知識欲を満足させてから死にたい」
「――真理だな」
ユアンは頷き、レフを振り返った。
「それで、魔法陣を書くの、体力的に大丈夫か?」
レフは無表情に頷いた。
「持たせてみせる」
そこでレフはラシュカを振り返った。
「その前に――」
ラシュカに近付いて、レフはすっと膝を突いてその心盤を受け取った。重さを確かめるような手つきをした後、レフはラシュカの衣服を控えめに上げ、その心盤を中に突き込んだ。
リアがうっと息を詰まらせた。
ずぶずぶと心盤が体内に戻っていく。ラシュカは眉を顰めているが、痛みからではなく不快感からのようだ。機巧人が人間とは違うと、突き付けるような場面である。
傷一つ残さず心盤が体内に戻ってから、レフは立ち上がり、ラシュカを覗き込んだ。
「ごめんね」
ラシュカは深呼吸してから、ただ首を振った。
レフはそれから自分の心盤を取り出し、何か呟いた。それから眉を寄せ、何度か同じことを繰り返す。しかしやがて呟いた。
「駄目になっている……」
アレンは絶句した。
「なんだと……っ? おまえそれ、大丈夫なのか!?」
レフはアレンを見て、困ったように眦を下げた。少し呆れたようでもある。
「――アレン、わたしは心盤が駄目になったとは言っていません。心盤と、〈記録〉の……あれの連結が切れているということで」
溜息を落とす。
「そもそも心盤が駄目になっていたら、わたしは生きていないのですけれど」
アレンはまだ残っている動揺を隠してへらりと笑った。
「そ、そーだよな、ははは……」
レフは心盤を掌で擦り、修復について独り言を呟き始めた。それから頭を一つ振り、地面に視線を移した。
無言で焦土を見ながら、魔法陣を書くことが出来るだけの平らな箇所を探しているようだった。
機巧兵の自爆の威力は凄まじく、抉れて焼けた地面は、数年では蘇らなさそうだった。少なくとも数十年は掛かるだろう。ここに種が根付き、育ち、地面を覆うまでには。こんな場所で普通に会話しているのが異常だろう。焼かれて固くなり、煙の這う地面。機巧兵の残骸は、遠方に小さな物が転がっている程度か。他は悉く蒸発したのだろう。あるいは粉塵になるまで砕かれたか。
レフは溜息を零し、ぼやくように呟いた。
「一機くらいは残した方が良かったか……」
しばらく視線を彷徨わせ、場所に目星を付けたレフは、そちらに行こうとしてよろめいた。アレンは慌てて怪我のない方の手を支え、苦笑いした。
「ぼろぼろだな」
レフはむっとした様子だった。つんとした声で言い放つ。
「当然です。身体の一部を魔力に変換すれば、誰だってこうなります」
仲間たちが静まり返った。
アレンはレフの手を握った手に力を込めて、声を絞り出した。
「身体の一部を変換したと」
「はい」
レフは気負いもなく答え、アレンは更に掌に力を込めた。
「おまえ、それ――大丈夫じゃないよな? 転移なんてして、持つのか?」
まじまじとアレンを見てから、レフは真顔で答えた。
「身体のどの部位が魔力に変換されたのかは確認できていませんが、命に係わるような損傷は、あなたの剣から戻した力で修復が出来ています。ですから、大丈夫ですよ?」
それより――、とレフは前方を示す。
「あなたも怪我をしているので申し訳ないのですけれど、あそこまで歩くのを手伝ってもらえますか?」
アレンは頷いて、レフの手を引いた。
レフは魔法陣を折り畳むのは避けたいらしく、かなり広い平面に目を付けていた。そこに立って、魔法陣全体をどう収めるかを考えているようだ。
過去に何度か書いていたときは、もっとあっさりと書いていた。それが今は、方角にまで気を遣っているため、出来るだけ条件を整えようとしているのが分かる。やはり、魔力の消耗は相当なもののようだ。
やっと考えがまとまったらしいレフは、傍のアレンを振り返る。
「アレン、何か書くものを持っています? さすがに素手では」
「あー」
アレンは馬車を振り返りながらも懐を探り、短剣を取り出した。肩を竦めながらレフに見せる。
「これは使えるか?」
レフはそれを受け取り、真面目な顔で矯めつ眇めつし、重さを確かめた。それから、典雅な仕草で会釈した。
「お借りします」
それを持って数歩進み、そこで膝を突いて地面を削って陣を書き始める。魔法陣は基本的に行為者が作成するということもあり、ユアンたちは手伝えない。そもそも彼らは転移式を持っていないのだから、陣に魔力を込められないのだ。術式を持ってさえいれば、単独起動が出来なくとも陣の作成は出来るのだが。
レフが黙々と書いていく。途中手を止めて、珍しく自分から空腹を訴えた。恐らく体力的にも限界なのだろう。夕方には完全に手が止まって、その場に座り込んで眠り込んでいた。アレンがそうっと彼女を抱えて馬車の中に下ろし、露天で眠るのを防いだ。
全員が疲れ切っており、口数も少なく、交代で眠っていく。ヴェルガードを最優先で休ませ、傷の手当が出来るようにしようとする。
翌朝、レフは眠り込んだ自分に愕然としていたが、起きるなり魔法陣の作成に戻ろうとした。それを数人がかりで止め、朝食だけは摂らせる。
レフの作業を遠目に見ていたユアンは、感嘆の声を上げた。
「へえ、レフってさすがだな」
アレンは彼に目を向けた。
「何がだ?」
ユアンは陣の方に顎をしゃくった。
「あれは確かに転移式だけど、目的地の標識が地点じゃなくて意識になってるんだよ」
ちんぷんかんぷんだというアレンの顔を見て、ユアンは言い足した。
「普通はどこそこに飛びたいっていう地点を入れる。けどレフは帰還するという意識を入れていてだな、こっちの方が確かに安全だ。飛んだ先が壁の中、なんて事態も避けられる。難易度は高いけど、消費魔力も同じくらいだ」
「とにかくレフがすごいって話だな?」
アレンはそれで納得した。
昼時にレフが傍に寄って来て、無心に食べ物をねだった。
「本当に身体の方は大丈夫なのか」
アレンは繰り返し尋ねたが、レフは取り合わなかった。
「持たせますので心配なさらず」
食べ終わるとすぐに腰を浮かせた彼女だったが、ふとその動きを止めた。小首を傾げ、南側をじっと注視している。
「……どうしたの?」
アゼナが訊き、レフは眉を寄せた。
「機巧兵です」
全員の顔色が変わった。




