姫君、説明する
レフは淡々と、まずはリアのためにアイゼルトのこと――自身の背景を簡単に説明し、先程の女性がレフの姉であることを告げた。そして、彼女が機巧兵に一切の命令を下していること。
「――驚いていませんね」
レフは憮然としてアレンを見た。アレンは曖昧に笑う。
「え――まあ。ちょっと疑ってた――」
レフは美しい目元を険しくした。
「……どうして言ってくれないんです?」
アレンはレフを覗き込み、少々偉そうに言い返した。
「お互いだろ。おまえもすぐに言わなかった」
レフは視線を泳がせ、感慨もなく頷いた。
「そうですね。――姉の、いえイリセ・アイゼルトの目的ですが」
彼女は顔を伏せ、それからその場の全員を見渡した。右手の指先に軽く銀髪を絡ませて、呟くように言う。
「イリセ・アイゼルトはこの世界を終わらせようとしています。この世界もそのようにして彼女ともう一人が始めたそうです」
唖然とした沈黙が訪れた。代表してラデルが呟く大きさで訊き返した。
「何だって? その始まりは――三千年前のこと?」
この世界は不可知の力によって三千年前に創られた。幼児でも知っている常識である。それなのにレフは、こくりと頷く。
「ええ。わたしも聞いたときには驚いたのだけれど、そうみたい。普通は人類が誕生してからこの水準の文明を築くのに、数万年は掛かるのだそうよ」
存在しないはずの時間軸を示され、アレンたちは凍り付く。レフは淡々と続けた。
「前の世界を破壊して、記憶を奪って、三千年前に世界が始まったことにしたのですって」
「なんのために?」
ヴェルガードが少し眉を寄せて訊いた。レフは驚くほど透明な目で彼を見る。
「その世界が駄目になっていたから」
無関係なことを解説するようにきっぱりと、彼女は言った。
「だから新しく作り直したの。この世界も駄目になったと、管理者であるイリセ・アイゼルトが判断した」
そこで視線を全員に滑らせて。
「今この世界が滅べば、あるいはその方が長い目で見ればいいのかも知れない。あなたたちはまた新しく誕生する世界での方が、幸せに生きていけるのかも知れない」
レフはアレンを含めた全員に話すときには、必ず敬語を使っていた。それが今、他に対する口調で話している。
そのことはアレンに、初めて会った時のことを思い出させた。状況も話している内容もまるで違う。それなのにあの、〈記録〉の中で背筋を伸ばして座り、無関心にこちらを見ていたレフェアイゼが、どうしようもなく想起されるのだ。ミリウィアを破壊すればいいと、あっけらかんと言っていた、自分は強いと断言した、彼女を。
「だからあなたたちが機巧兵を放置しようと、何ら気に病むことはないの。機巧兵は文明水準の高い処を集中して襲うはずだから、逃れようと思うなら安全だと思われる場所の見当くらいは付けてあげる。どのみち、もうすぐ大掃除が――機巧兵による遠距離一斉掃射が始まるのだけれど。それからうまく生き残った者たちに、記憶消去の術が掛けられるはず」
はぁ、と息を吐いて、彼女はまた少し咳き込んだ。血を吐かなかったからいいようなものの、アレンは思わず腰を浮かせた。
「おい、大丈夫か」
掛けた声への返答は、レフの胡乱な視線だった。アレンがたじろぐと、レフは苛立ったような声音で言った。
「アレン、話を聞いていますか。今はわたしのことよりも考えることがあるのではないですか」
思わずアレンは断言した。
「ない」
レフの唇が半開きになった。
ユアンが唖然としてアレンを見て、何か言おうとして思い留まる。
アゼナはきょとんとしており、その隣でラデルはアレンを物珍しげに凝視していた。
ヴェルガードは大きく感情を表わすことが少ないにも関わらず、このときばかりは思い切り呆れた視線でアレンを見ている。
ラシュカもリアも、ひたすら瞬きを繰り返していた。
レフは怪我のない方の手で額を押さえた。そうしてしばらく考えていたが、顔を上げると溜息と共に呟いた。
「――お気遣いありがとうございます。けれど今は、わたしの話の方を重視してもらいたいのですが」
「今にも倒れそうなんだが」
アレンは言った。
確かにレフは顔色も悪く、出血も多い。出血はアレンもアゼナも同じだが、そもそもレフは怪我が治ったばかりなのである。ただ、包囲陣のせいで魔術師が全員魔力を振り絞っており、誰も治療が出来ない状態なのだ。特にラシュカは心盤を取り出されたこともあって、衝撃は相当なものだろう。
レフは面倒そうに首を振った。
「大丈夫なので、気にせずにどうぞ」
そして全員に向き直り、話を続けた。
「――わたしは姉に敵対すると決めたので、これからそのための行動を取るけれど、あなたたちに同じことは求めない」
「質問、いい?」
言ったのはリアだった。機巧人嫌いの彼女が自発的にレフに声を掛けるとは、かなりの驚きである。レフが首を傾げると、解れた銀の長い髪が肩を滑って陽光に煌めいた。
「なに?」
「生き残れたとして、記憶は本当に全部なくなるの?」
レフは目を瞬いた。
「そうでしょうね」
彼女は自分自身が考えながら、といった様子で答えた。
「イリセ・アイゼルトならその規模の魔術も使えるでしょうし、そもそも三千年前創世説に対する反対論議が起こっていないことからも、そのように考えるのが妥当でしょうね」
「どのくらいの?」
リアは訊いてから、言葉が足りなかったと察し、言い直した。
「どれくらいの記憶を失くすの? えと、例えば家族を家族と認識はしていられるの?」
レフは少しだけ顔を歪ませた。あの偽物の笑いを浮かべたのだ。
「わたしは前回の記憶消去の後に創られたから、断言はできないけれど、伝聞の情報によれば、『言葉も仕草も忘れるくらい』といった程度のようね」
間違いなくリアの表情が嫌悪に染まった。しかしアレンはリアにではなくレフに声を掛ける。
「なぁ、レフ」
レフはアレンに顔を向けた。視線は少し泳いでからアレンに定まる。
「――なんでしょう?」
アレンは顔を顰めた。
「おまえ、この間俺たちに頼っていいか訊いてなかったっけか。それが何で今はどっちでもいいってことになってんだよ?」
ああそういえば、とユアンもレフを見る。レフは不機嫌に顔を逸らした。
「それは――」
少し言い澱んで。
「――もう頼りました。だからイリセ・アイゼルトはここにいないでしょう?」
口を開こうとしたアレンを遮るように、レフは言葉を続ける。
「今はわたしはとても――弱っています。ですからどうしても他の協力が要る状態です。
しかしわたしは回復の手段を考えましたし、上手くいけば万全の状態に戻れます。そうすれば互角とは言わないまでもイリセ・アイゼルトに少しは対抗できますし、何より――」
焦げた匂いを運ぶ風に少し眉を寄せて髪を押さえて、レフは言う。
「次にイリセ・アイゼルトに会えるのは、恐らく大掃除のときです。あの人がそれまでにまたわたしのところに来るとは考え辛い――そういうことはしない人です。
掃射くらいはわたしは防げますし、その後、記憶消去の前にわたしのところに来て、〈記録〉に連れ帰ろうとすると思います」
手を蟀谷にあてがおうと挙げたとき、その手の傷がずきりと痛んだらしく、ぴくりと動きを止める。それから何事もなかったかのように手を下ろし、レフは無表情にアレンたちを見た。
「大掃除のとき、イリセ・アイゼルトはこの世界を滅ぼすわけですから、もう手加減をする理由がありません。ですから、今度は怪我では済まなくなりますよ? そういうことです」
目を逸らし、溜息交じりに。
「……ああでも、さっきも手加減をしていたわけではないのね……」
アレンも溜息を吐いた。
「……手加減どころじゃなかったって?」
レフはきょとんとアレンを見た。
「――意外と分かっていますね?」
「意外とってなんだよ」
言いながら、アレンは目を細める。
レフはゆっくりと立ち上がり、少しふらつきながらも焦土と化してところどころが抉れた、かつて平原だった地面を見渡した。辿って来た道も吹き飛ばされ、石の欠片が散乱しているのみ。
レフはそこに視線を滑らせながら、淡い抑揚のある声で言った。
「あなたはそういう人です。最初に言ったでしょう? もう少し考えのある人かと思ったと。つまりあなたは考えなし。腕は立ちますし優しいですが、直情的です」
少し間を取って。
「それに一目でわたしの技量が分からなかった人間が、姉の力量を見抜けるとは思えませんし」
アレンはうっと詰まった。
「――いや、だっていかにもお姫様って感じの華奢な女の子が機巧兵のことを、小さいだ碌な抵抗にならないだと言ってたら、まあ常識が邪魔してよくは見られないっていうか」
レフは首を傾げた。しかし、いかにもいい喩えを貰ったというように、一度大きく頷くと、周囲を華奢な手で示した。
「あのときのわたしは、見栄を張ったのでも誇張したのでもありません。そしてその小さな機巧兵たちがこんなことを引き起こせるわけです――引き起こさせたのはわたしですけれど。
では、分かりますか?
イリセ・アイゼルトが全力を出せば、こんなものではないの。生態系を残すためにも派手な破壊は慎まれると思いますけれど」
地面にはまだ黒煙がたなびいている。レフは首を傾け、穏やかに言った。
「だからわたしが、機巧兵を放置しても気に病む必要はないというのは、死ななくてもいいということなの。つまりこのままわたしといると言うなら――」
珍しく多弁なレフは言い澱む。アレンはそう言うつもりだったので、レフに向かって微笑み掛けた。
「俺はそう言うつもりだが?」
レフは呆れたように息を吸い込み、自分の科白を完結させた。
「――殺される覚悟はあるかと訊かなくてはならなくなるのですけれど」




