姫君、甘える
落ち着いても、レフはアレンから離れようとはしなかった。
ただ、いつものような淡々とした声で頼んできた。
「アレン、わたしの心盤を出してください」
アレンは狼狽えた。ここにはリアもいればラシュカもいる。もっとも、ラシュカは自分の心盤を握り締めていて、レフの心盤には注意を払わないだろうけれど。
「おい――ここじゃまずいだろ」
しかし、レフは声を大きくした。投げ遣りな、自棄になったような声だった。
「もう、いいんです。もういい」
「は?」
アレンが訝しげに声を上げると、レフは一旦アレンから離れた。心盤の袋に手を掛け、そして、はっきりと言った。
「わたしの欠陥はもうわたしの心盤にありません」
「えっ?」
アレンのみならず、ユアン、アゼナ、ラデル、ヴェルガードの声が揃った。
「ど――どういうことだよ……?」
アレンの問い掛けに、レフはまるで彼を睨むようにしながら答えた。
「姉が、自分の心盤に移しました。姉はいつでも好きな時にそれを使うことが出来ます」
事情を知る全員の顔色が変わった。特にアレンはレフの肩を掴んで言い切っていた。
「レフ、おまえ何してんだ。そんなことならさっさとイリセ・アイゼルトにつけ。あんなのを使われたら――おまえ……」
レフは眉を顰めた。
「アレン」
「何だよ」
アレンは訊き返し、レフは更にそこに問いを重ねた。
「アレン、わたしに『約束』の定義をどう教えたか覚えていますか」
勿論覚えていた。アレンは思わず乾いた笑い声を上げた。
「あのな、レフ。そんなことよりもおまえ――」
レフは首を振った。
「大丈夫ですから」
しかし語尾が震えていた。彼女は言葉を重ねる。
「大丈夫なんです」
それはまるで疑問のような響きを持っていた。それでもここから動く気はないようで、だからこそいっそう不安そうだった。
アレンは口を開くべきなのかどうなのかも分からず、全員が揃って呆然とレフを見ていた。レフは首を垂れ、辺りにはまだ爆発の熱が残っているというのに、その様子は寒々しかった。
本当に寂しそうだった。
「大丈夫なんだな」
アレンは思わず言っていた。レフが顔を上げ、力なく頷いた。
「……ええ」
迷った挙句、アレンはレフの銀色の頭に手を置いた。レフが軽く目を瞠る。アレンは微笑もうとしたが、瞼の裏にはレフの苦しむ姿が焼き付いていて、笑えたものではない。ただ少し顔が歪んだだけだった。
「怖がるなよ?――俺が守ってやるから」
出来もしない勝手なことを言うなと言われると、半ば予想していた。アレン自身がそう思ったからだ。言いながら、何を言っているいるんだ自分はと、自己嫌悪にも似た感想を抱いたのだ。
しかしレフは表情を緩めた。雪解けのような印象を受けた。彼女は穏やかに、ただ一度ゆっくりと頷いた。心盤の袋から手を離し、その手をすとんと下ろす。
かつて彼女は国を守った。人を守った。
彼女が親しみを籠めて「可愛い国王陛下」と呼んだエドリアル王はそのことを感謝し、またそれはレフ自身が望んだことでもあった。
いつでも彼女は輪の外側で、内側にいる人々を、力を尽くして守ったのだ。
北方の守護者である彼女はそれを当然だと思っていたけれど。
誰が無敵のアイゼルト、大陸最強の戦力の一人に向かって、守ってやるなどという大口を叩くことを考えただろう。失笑しても良かったというのに、レフは不思議と嬉しかった。
リノ・アイゼルトではなく、レフェアイゼを大切にする勅使。
今はもう死んでしまった、最初の勅使の言葉を思い出して、レフは我知らず彼に向けての言葉を内心で綴っていた。
――オーヴェル、あなたの願いは叶ったわ。
彼女の目の前で、心配そうに彼女を見るアレンに、出来れば笑い掛けたかった。笑みを忘れた彼女にそれは出来なかったが、温かい気持ちが胸の奥から湧き出してくる。
彼は、アレンは、レフを輪の外に置きたがらない。信じろと言ってくれた、守れと言ってくれた、そして今、守ると言ってくれた。
それがどんなに嬉しいか、彼にどうやって伝えようか。
レフは下ろした手を持ち上げて、自分の頭に掌を置くアレンの頬にその手を当てた。
アレンはたじろいだように目を瞠り、自分の手を引っ込め、かっと頬に血を上らせた。
「な――、ど、どうした?」
レフは少しだけ考え、途中で考えるのが面倒になって、アレンの首に腕を回して抱きついた。
アレンは一瞬、目の当たりにしたユアンが笑いそうになるほど狼狽したが、すぐにレフの身になって考えたのか、銀色の後頭部をぽんぽんと優しく叩いて声を掛けた。
「ごめんな、辛いよな。ごめんな、おまえに頼ってばっかりで。寂しいよな。痛かったよな。悲しいよな。ごめんな――」
本音を言えばそんな気持ちばかりではなかったが、レフはしばらくアレンに甘えるように体重を預けていた。
それから、ぽつりと呟いた。
「アレン、ありがとう」
アレンが不自然に硬直した。
甘え過ぎたかと、レフは身を起こし、アレンの顔をじっと見る。アレンは心持ち赤い顔をして、拳を口元に当てて何か考え込んでいたが、すぐにレフの視線に気付いて首を傾げた。
「どうした?」
「いえ……」
レフは返し、深呼吸した。まだ喉の奥で血の味がした。
唇を噛み、そして顔を伏せて、彼女は呟いた。
「――事情を説明します」
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