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五方の守護者  作者: 陶花ゆうの
4 姫君が姫君に願うこと
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中央対北方

 レフは威嚇のため、もうひとつ掃討波を放った。 

 ユヴィリアイゼの遣う嵐壁がそれを掻き消した。


「【剣戟域】でも使われたらお終いだわ」


 レフは呟き、アゼナに「行って」と促した。


 機巧兵の大群に一人で突っ込むのである。怯えて半狂乱になってもおかしくないはずなのに、アゼナの返事はいつもと変わらなかった。

「うんっ。じゃあまた後でね」


 ユアンたちも離れていく。ユヴィリアイゼはやはり、気にもしていなかった。ただレフだけを見ている。



 レフはラシュカに向き直った。


「――ごめんね」

 囁くような謝罪の後、レフはラシュカの衣服を控えめに押し遣り、腹部に手を突き込んだ。

 うっ、とアレンが眉を顰める。ユアンが顔を背けた。ラシュカは唇を噛んで堪えているが、顔色は蒼白。素手で皮膚を突き破ることなど不可能だ。しかし機巧人の場合、それを可能にするときがある。


 心盤を取り出すときだ。


 腹に手を突っ込んだレフはしばらくして、血塗れの手を引き抜いた。同時に、じゅくじゅくと音を立ててラシュカの傷が完治する。心盤を取り出す際に発動する、どの機巧人にも刻み込まれた治癒式である。


 レフは手に、小さな半透明の板を握っていた。レフの心盤より随分小さいが、形状は同じだ。レフはそれを持って、小さく詠唱する。



「ChkrNHnnbnnWJ`tSy」

 ――力の半分を譲渡せよ



 ラシュカが絶叫しようとして声を奪われたような音を喉から出した。彼女の心盤が華やかに輝き、一瞬後、光の奔流がレフの心盤に殺到した。それが終わると同時に、堪りかねたようにラシュカが己の心盤をひったくった。レフはそれを容認し、もう一度囁くように謝った。


 ラシュカは首を振り、顔を上げ、はっきりと言った。


「わたしも包囲陣の方へ行ってきます」


 レフは頷き、ユアンに告げた。


「ここにいて、わたしの指示通りにして。わたしの指示をみんなに伝えて」


 ユアンは一瞬、レフの血に塗れた手に視線を遣ったが、すぐに頷いた。

「おう」


 レフは自分の心盤を取り出した。ユヴィリアイゼは首を傾げた。まるで子どもの頑張りを見ているような顔だった。



 レフは己の心盤に命じた。

「術式を補充」


 ユアンがぎょっとしたようにレフを見下ろし、アレンは意味が分からずに立ち尽くした。レフは姉を見ながら、宙に手を滑らせた。



 中空に白く、意味の分からない文字や記号が躍った。それぞれが円や菱形を成して塊り、一見魔法陣のようにも見える。レフはそれらを眺め、更に掌を動かして数を増やした。彼女を雌蕊として周囲に白い花弁が咲いたかのようにも見えた。


「何してんだよ!」

 ユアンが叫んだ。レフはちらりと彼を見て、久しくなかった高飛車な態度でぴしゃりと言った。

「うるさい」

「体外で術式を組み立てるなんて自殺行為だ!」


 ユアンは食い下がって喚き、アレンの顔色も変わった。レフが組もうとした魔法陣が異常に眩しい光を撒き散らしながら消滅し、ユアンは険しい顔をする。


「術式が不完全燃焼を起こしてる。レフ、無理だ!」


 しかしレフは相手にしない。素早くやり直してしまう。


「ほら、姉を見て」

 彼女は言った。


 ユヴィリアイゼは顰め面でレフを見ている。レフは面白がるような口調で言った。


「心配していないでしょう。だからわたしは大丈夫なの」



「けど!」

「馬鹿にしないでと言っているの。わたしは機巧の盟主の資格もある最後の一人よ。他と一緒にしないで!」


 レフは苛立ったように叫び、しかしアレンは顔色を失っていた。


 それはあくまで、彼女が万全の体調であればの話だ。今の彼女では、何が起こるか分からない。しかしレフは術式の群れを眺め、中の一つに手を触れた。



 レフの頭の高さ、術式よりもやや上に縁のぼんやりとした鮮明な映像がぱっと浮かんだ。左右と正面に、三つ。それらはばらばらな視点から、この平原を俯瞰していた。中の一つにアゼナの姿も見える。機巧兵を映しているのだ。


「アレン、姉の正面に撃って」

 レフが言い、アレンは剣を振った。やはり防がれる。


 ユヴィリアイゼが攻勢に転じた。アイゼルトの力ではない、魔力で攻撃を仕掛けてくる。術式に当て嵌めることもない、素のままの魔力が純粋な力になっている。こんなことは、破格の魔力が無ければ出来ない。


 レフが顔を上げ、防護を展開した。半円状に広がった銀の膜が魔力を受け止めて波紋を広げるも、揺らぐことなく防ぎ切る。



 レフは映像を見上げており、三つの間をその視線は忙しなく行き来する。


 アレンはその映像が今や、一機一機の刻印の部分を大写しにしていっていることに気付いた。


「アレン、左手の機巧兵に」

 レフの声で、アレンはそのように撃つ。機巧兵が数機まとめて消し飛んだ。しかし一向に減らない。


「何機いるんだ一体――」

 アレンが歯噛みすると、レフが滑らかに答えた。

「三百六十七機」


 ユアンもアレンも絶句した。レフは左手の映像を見て少し嬉しそうにした。


「――見つけた」

 その映像を固定する。レフがその映像に左手で触れ、その手を上に跳ね上げると、一つの映像が二つに分かれた。固定された映像を映す方は上へと滑らされ、残った方は今までと同じく目まぐるしく機巧兵の刻印を次々に映していっている。


「アレン、アゼナを手助けに行ってください」

 レフが言い、アレンは一つ頷いて駆け出した。



 機巧兵の中に躍り込む。鋭利で切り裂く。掃討波で消し飛ばす。一対多数の中、鮮血が散った気もしたが、誰の血かは敢えて考えないでおく。目の前には機巧兵の黝い筐体だけが見える。ここまで集結しているのを見るのは初めてだが、全体を捉えようとするのは止めた。ただ眼前のことだけを考える。

 やっと姿が見えたアゼナはかなり消耗していたが、アレンを見て笑うくらいの元気は残っていた。しかしあちこち傷だらけだ。


「なぁんだ、来てくれたの?」

「おう」

 アレンは機巧兵に囲まれながら笑った。

「ここまで大量にいると、もう見慣れてくるな」




 レフの周囲の映像は、頭上に挙げられたものの方が最早多く、六枚になっていた。ユアンは体外で術式を構成することが無茶だと知っているため、いつ倒れるかと思っていたが、驚くことにこの華奢な少女は、アイゼルトの力を行使しながらまだ立っていた。


 魔力よりも遥かに勝る、ユヴィリアイゼのアイゼルトとしての攻撃は無論、レフに打撃を与えられない。他ならぬユヴィリアイゼ自身がそう決めたのである。しかし、レフの心盤にその守護はない。ゆえに心盤に打撃を与えれば、レフに打撃を与えることと同義となるのである。

 しかもレフは包囲陣を作るために待機している五人を庇う形で防護を展開していっている。こうなると条件からして互角、力量を考えればユヴィリアイゼの方が遥かに有利である。レフの心盤には傷こそ無いものの、全体に白濁して文字ももう浮かんでいない。ユヴィリアイゼの方は本体も心盤も未だ無傷であり、手加減をしているどころか、どこか手遊びのような感も受ける。


 頭上の映像が十枚になったところで、レフは術式と映像を背後に押し遣って前に出た。心盤を握り、滑らかに詠唱していく。



「SbtNJtsshkWT`g`Sy」

 ――全ての術式を統合せよ



「-TRANSFER-WSht`」

 ――転移式を指定




 心盤が輝き、レフの指示を実行する。レフの後ろに浮かんでいた白い術式たちが溶け合い合わさり一つになって、レフの中に没入した。レフはユアンに声を掛けた。


「ユアン、アレンに伝えて。包囲陣起動と同時に掃討波をイリセ・アイゼルトに向かって撃ってと」


 ユアンが返事もせずに指示に従う。レフは更に言う。


「包囲陣を準備して」


 ユアンの合図で四人が一線を引く。ユアンがそれを整えた。ユヴィリアイゼはすかさず破壊しようとしたが、レフが掃討波を撃って止める。

 掃討波を脇から喰らい、防いだユヴィリアイゼが体勢を崩す。レフは呟いた。


「手加減なんてものではありませんでしたね」


 同時にユアンの用意した包囲陣に、強引に自分の術式を組み込む。――感覚から言えば、捻じ込むという方が正しいか。

 ユアンたちのうち誰一人、転移を単独で為し得る者はいない。だからこそ、包囲陣の大原則――その中の最低一人が単独起動できる術式しか扱えないという原則――を曲げようとしているのだ。


「ユアン、術式は転移」


 それだけ言って、術式を定着させ起動させるために、残った全ての魔力を注ぎ込んだ。転移の術幅は、ユアンたちの包囲陣で支え切れるものではない。だからレフは自分一人が転移するよりも多くの魔力を注ぎ、維持し、導かなければならない。


 消耗が激しい。



 刺すような目でユヴィリアイゼがレフを見た。レフもそれを受け止めた。

 漆黒と青の、二千五百年前までは毎日合わせていた目が、かつてとは全く違う温度で合わさった。


(ねえオーヴェル。あなたが望んだのは休日だったっけ……)


 もうはっきりとは思い出せない優しい彼の顔が脳裏いっぱいに広がった。




 ――休日にね、女房に叩き起こされるまでぐーすか寝ていたいんですよ。あ、女房って何って……そうですね、レフェアイゼさんがいつかなりたいと思う、かも知れないものですよ。――




 ユヴィリアイゼが己の固有の力、重力鎚を起動した。レフは迷わず掃討波と防護を合わせて迎撃。掃討波で威力を散らし、防護で押さえ込み一切の効力をレフ自身へと導く。



 ユヴィリアイゼを囲むようにして引かれた四本の線。



(オーヴェル。守ってみせる、守ってみせるから。それがフロースへの謝罪にもなるでしょう? そう考えていいでしょう?)



 そう思ったとき、不意にオーヴェルの顔が遠ざかった。いや、現実すらも一歩退いて――





◇◇◇





 レフは懐かしい顔を見ていた。余りのことに声が出ない。そこには艶やかで柔らかな雪色の髪を豊かに流し、鮮やかな紫の虹彩の大きな目を持った、一人の少女が立っていた。背景は断崖。頭上を遥かに切り裂く峻嶮の崖。


 少女は――千五百年前にいなくなった三番目の姉、シェリアイゼ=レナ・アイゼルトは薄く笑った。傷心と嘲笑の入り混じった顔をして、それは確かに、胸が痛むほど確かな姉の表情。


 西方の守護者は静かに言った。



「もう何もしてほしくない。答えてくれるだけでいい。――あたしは、あたしたちは、そんなことのために命を捧げさせられた人たちのために戦ったの?」



 答えるのはユヴィリアイゼ。その声は低く、絶対零度の冷ややかさだった。


「……そんな、こと?」


 シェリアイゼは何かが裂けるような、そんな悲痛な笑い方をした。

「だってそうでしょ? あたし、これでも必死だったんだよ。戦死者なしに保ったんだよ。セレアイゼもレフェアイゼも頑張った。

 レフェアイゼなんてさ……頑張ったのに裏切られて、大怪我までしてさ、こっちが辛くなるほど泣いてさ。それでもまだ謝ってたんだよ。……それなのに、なに? あれが予行? ふざけないでよ」


「ふざけてない」

 ユヴィリアイゼは低く言った。

「どうしてそんなことを言うの、シェリアイゼ? わたくしが約束を守ろうとすること、それはそんなに悪いことなの。長い目で見れば死者だって少ない。なのに、なぜ?」



「……やくそく? それ(・・)なに(・・)?」



 シェリアイゼはぽかんとしてから、はっとしたように言った。


「長い目で見れば? なにその言い方。あたしたちは、今の人たちのために頑張ったんだってば。それなのに何で、全部無視するようなことしようとするの? なんで、そんな昔のことに拘ってるの?」


「昔じゃない!」


 ユヴィリアイゼが叫んだ。


「ゼアントのことはわたくしが絶対に忘れない。彼は風化したりしない。軽んじるようなことは妹とはいえ許さない」


 シェリアイゼの紫の目、煙らない、眩しいばかりのその目が、興味津々といった様子で姉を覗き込んだ。好奇心に溢れているようなのに絶望した、そんな矛盾した眼差しだった。



「ねえ、答えてよ。もう何も要らない。だからあの子が――ジョシュが死んだ理由だけ教えて」


 それは彼女を(いざな)った、勅使の名だった。


 レフはそれを憶えている。シェリアイゼがどんなに喜んで勅使の要請に応えたのか、それをはっきりと憶えている。



 ユヴィリアイゼは答えなかった。それはあるいは自制だったのかも知れない。しかし背を向けた彼女を、シェリアイゼは思わずといった様子で引き留めた。


『お姉さま、駄目』


 レフは囁いた。どちらに向けた言葉かは分からない。



 次の瞬間、ユヴィリアイゼが振り返った。右手が鋭利な動きで空を斬った。その途端、目が眩むような金色の満点の輝きが真昼の空を覆って陽光にも勝って煌めいた。

 まるで流星群。夜空よりずっと近い処を流れる。



 レフは悲鳴を上げた。少なくともそうしたかったのに、身体は締め付けられたように動かなかった。これを、レフは知っている。辺り一面覆い尽くし、全てを切り裂いて抹消していく、この力の名を知っている。


 ケステアイゼ=アゼ・アイゼルトの――東方の守護者の剣戟域。



 シェリアイゼには嵐壁があった。だからこそユヴィリアイゼも思い切ったのだろう。それなのにシェリアイゼは、少しの間頭上を見上げてぽかんとしてから、視線を正面に戻してにっこり笑った。


 何もかも全部解けたと言わんばかりの清々しい、何もかも全部終わったと言わんばかりの痛々しい、そんな笑顔。


「――そっか。そうなんだ」



 レフは目を見開いた。



 姉は剣戟域を歓迎するように両手を挙げた。


「こんにちは、アゼの姉さま。こんな処にいたんだね、あたしたち寂しかったのに」


 一礼するように腰を屈めて、姉は千五百年の生に終止符を打たれることを受け入れた。





◇◇◇





 レフは我に返った。ユヴィリアイゼは怪訝そうにしている。


 今恐らく、レフは彼女の記憶を垣間見た。力と力がぶつかり合ったことと、今のレフの状況が、かつてのシェリアイゼに近いこと、そしてつい先程ユヴィリアイゼがレフの心盤に触れたことが原因だろう。



 心盤に姉が触れて何をしたのかを思い出して、レフは不安と恐怖に息を詰まらせた。

 しかしそんな暇はない。



 転移式に莫大な魔力を払う。それはラシュカから引き出したものよりも遥かに大きい値であり、レフは己の身体を魔力に変換していっていた。咄嗟のことで部位の特定までは出来ず、腕や脚は嫌だな、と曖昧に思った。


 包囲陣が一気に輝いた。



「*【焦点:中央の守護者】*【全魔力統合】*【術式展開:転移】*【焦点に集中】*!」


 ユアンが叫ぶように詠う。ユヴィリアイゼは包囲陣を叩き壊そうとして、しかしアレンの放った掃討波に阻まれる。さすが場数を踏んでいるだけあって、間合いも位置も完璧な一撃である。しかも機巧兵の相手をしながらとは、さすがに背筋が寒くなるような強さである。



 捻じ込んだ術式が軋んだ。レフはそれを固定するために、また新たに魔力を絞り出す。先日の負傷のせいで殆どの術式と魔力を失っていなければ、こんなことにならずに済んだのだが。魔力はとっくに使い切り、身体の方もぼろぼろだ。



 ユヴィリアイゼが眉を寄せ、本気で包囲陣を解除しようとした。


 させられるわけがない。



 レフは一歩を踏み出して、両手で空気を押し出すようにして、二千年ぶりに最大級の掃討波を、彼女に与えられた理不尽なまでに最強の力を放った。






 銀の光が澄んだ瞬きを――






 音が消えた。無音で周囲を巻き込んで、白い雲気を従えた銀の三日月が螺旋状に渦を巻き、レフの意思に従ってその標的をただ一人に絞って、光さえも己の中に閉じ込めて威力を乗算しながら瞬きの間に突き進んだ。


 それが通る短い道筋が、完膚なきまでに消し飛ばされて抉れる。砂埃さえも上がることを許されず、一瞬で消されてむしろ空気は澄み切っている。



 ユヴィリアイゼが全力を嵐壁に注がざるを得ない状況。転移しようにももう遅い。最大の掃討波は主の意思に従って術式さえも喰らうからこそ最強なのだ。



 イリセ・アイゼルトは己の手加減を悔いただろうか。




 嵐壁が轟然とその白い全容を現し、掃討波にぶつかって甲高い音を奏でた。掃討波は速度を落としたものの威力を保ち、凄まじい音と光と共に絶対の防御を打ち破ってしかしそこで霧散した。


 ユヴィリアイゼがよろめいた。レフェアイゼが喀血した。



「*【解放】*!」


 ユアンが叫ぶように詠唱した。



 爆風が起こった。嵐壁と掃討波が衝突したことで起こった膨大な量の力が、転移式では転移させ切れずに空気に変換されて吹き荒れている。

 ごうごうと耳を聾する風の音。肌を打つ空気の波。



 包囲陣が輝いた。


 空間を歪ませ、異なる土地に繋げようとする。


 ちらちらと光の漣が走る。

 術式に従って、魔法陣が正確無比にその効力を発揮する。


 輝きが更に強まる。目を刺す凄まじい光。魔法陣から溢れて空間を蹂躙し、暴力的なまでに視界に痛みをもたらす、眩し過ぎる光線が空気の中を縦横無尽に侵略する――



 輝きが収斂したとき、そこに黒髪のアイゼルトはいなかった。

 転移式が成功したのだ。




 ぎいい、ぎい――と、数百の機巧兵が唸り声を上げた。



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