姫君が欠けて
痛みがある。
耐えられないほどではなく、あの最悪の経験に比べればましな方だったけれど、この痛みは熱を伴い、素早く体内の暖かさを奪っている。
危険かもしれない。
息が出来ない。鮮烈な光が頭の中に弾け、脳の神経が切れるのではないかと思った。背中一帯、自分のものではないようだ。
このまま眠ってしまえば、楽になれると知っていた。
けれどそんなことはできない。何とかして意識を保たなくては。いや、回復の可能性を探らなければ。このままでは頭の回路が――
(――どうなるんだろう――)
彼女はふと、ここ最近で得た言い回しを思い出し、思い描いた。
このままでは頭の回路が、いかれてしまう。
(動かないと――)
どんどん意識が薄れていく。何だろう、この暖かくて、独特の、〈記録〉には無かった匂いのするものは。今自分がしがみ付いている、唯一のものは。
それは盛んに何か言っているけれど、レフの頭の中にはややこしい、己の身体を構成する物質の名前や、欠損した術式などが廻っていて、とても聞き取れない。機巧人は自分のことを、人間よりも遥かに分かっていて、生命にかかわる破損を負った場合、そのことを自己認識するようになっているのだ。経験するのは二度目だが、確実に急所を貫かれた前回に比べ、今回の破損の方が広範囲に亘っているようだ。
(こんなに欠けている――)
回復させなくては。
意識を一旦、戻さなくては。
できない。それができない。油膜のように致命傷が意識に圧し掛かっている。
(――心臓が、止まりそう……)
「レフェアイゼ!」
その声は聞こえた。さながら閃光。
レフの頭の中で、使用者設定が活発に認識動作を開始した。
――登録済みの声紋を照合。声紋が合致。使用者を認識。名称アレン。――
レフは細く息をした。意識が戻りつつある。ああ、そうだ、アレンが危なかったから思わず抱き付いたのだと思い出す。死なせたくなかったからしたことだけれど、また気に病むことをしてしまっただろうか。それでも、声が聞こえるということは無事なようだから。
(良かった……)
薄く目を開けると、アレンの声が一気に鮮明になった。
「レフ! レフェアイゼ! 頼む――」
(――アレン)
呼ぼうとしたけれど、背中の痛みが一気に鮮烈になって声が出ない。それでも伝えなくてはならないことがあるので、レフは心中で詠唱する。
(+【痛覚を遮断】+)
すっと、痛みが消えた。いや、感じなくなっただけなのだが、この場合は十分だ。レフは掠れて小さな声を上げた。
「……アレン……」
笑顔というものがまだあったなら、思わず笑ってしまいたくなるような見事さで、アレンがぴたりと黙った。それから、恐る恐るというような感じで、そっと声が掛けられる。
「――レフ?」
泣きそうな顔だ、とレフは思った。何て顔をしているのだろう。
アレンは少し体勢を変えて、レフはアレンの胸元ですっぽりと抱きかかえられるような格好になった。傷に触らないように彼が気を遣っていると分かって、それもあって心地いいとレフは思った。このままの姿勢で回復したいところだが、そうもいかないと分かっている。そもそも、回復する望みの程度も。
「――アレン」
「喋るな」
アレンが必死の声音で制止した。
「ヴェルガードさんを呼んで――」
レフはアレンの胸に頬を寄せた。アレンが黙る。レフは一瞬で可能性を模索し検討し、最善を選び取った。
「――よく聞いてください……これからこの身体を休眠状態にします……。欠損した部分が大きくて、起きたままでは回復は出来ません……。だからどこかに、この身体を安静にしてください……」
アレンが大きく頷くのがぼんやりと見えた。
機巧兵はレフの大量の血の匂いに反応して、自分がアイゼルトを傷付けたと認識し、動けないでいる。
「……あなたは心盤を持って、次の町に行って――わたしが回復するまで、そうやって今まで通りにしていてください……心盤があれば、剣は機能します、……心盤は、機巧兵を察知したら、それを示してくれます……。ただ、ヴェルガードを傍に残してください……、彼に、わたしの傷を治療するよう頼んでください。――傷が治ったら……、心盤に触れて、わたしの名前を呼んでから、わたしたちの言葉で、休眠を中断と言ってください。そうしてもらわなくては、目が――覚めません……」
アレンの腕に力が入った。レフはとつとつと続ける。
「――わたしの回復が成功する確率は、……五割程度と考えてください……目が覚めても――どこかがおかしいかも知れない」
それでもあなたは、わたしを欠陥品ではないと言ってくれるでしょうか。
声に出せないその問いが、なぜだか不要な気がしてならなかった。レフは辛うじて呼吸する。
この町に対する危険を取り除かなくてはならない。この町はアレンの故郷だ。
故郷は大切なのだと二千年前にフロースが言っていた。二千年経ってもそれは変わらないだろうし、何よりもこれは、許せとすら言う資格がない自分の、精一杯の罪滅ぼしだ。
「――あの機巧兵を片付けて……今ならわたしの血に中てられて、動けないはずだから……」
アレンがレフを抱いたままゆっくりと立ち上がるのが分かった。自分に負担を掛けまいとしているのが分かって、それが嬉しい。せっかく息ができているのにおかしい話だが、その息が詰まってしまうほど嬉しいのだ。
姉に敵対すると決めてから、ずっと混乱して不安だった。どうすればそうでなくなるのか考えたこともあった。どうすれば良かったのか、今はっきりと分かった。
――全て、彼に言えば良かった。それが何の解決にもならないとしても、彼はこんなにも優しいのだから、もっと頼れば良かったのだ
。――そのことを、今頃になって切実に思う。生命が危険に晒されている今になって、彼に全部を打ち明けたいと思っている。
何て身勝手な。そう自身を嘲笑してみるものの、アレンならそれを許してくれそうで、そのことを知っているからいっそう嬉しい。
笑顔というものがまだあったなら、間違いなく微笑していたであろう気持ちに蓋をして、レフは自分自身に命令した。
『休眠せよ』。
アレンはそっとレフを抱き上げ、呼吸を確認した。左腕の付け根を彼女の首の付け根に回し、前腕で膝裏を支え、剣を持つ右手は添える程度。彼女が休眠に入った途端、出血は和らいだ。すぐに殆どなくなったほどだ。
ぎい、い、と音を鳴らす機巧兵を一瞥し、出来るだけ振動を与えないように町の方へ歩く。城門間際になったところで、小さく宣言した。
「+【掃討波】+」
剣をそちらに向け、僅かに動かす。生まれた破壊の大波に、殆ど注意を払いもせずに、そのまま町の中に入った。背後で機巧兵が消失する微かな音を聞き、背中に掃討波の光を感じた。
「アレン!」
声がした。一瞬、誰の声か分からなかった。そんなことはここ十五年ほどなかったのに。
ユアンがこちらによろめきながらも走って来ていた。
「どうしたんだ、何があった。――何で――レフは、怪我したのか?」
動揺も衝撃も露わな声だった。アレンはむしろぼんやりと彼を見て、彼に続いた仲間を見た。そして、抑揚のない声で呟いた。
「――レフは怪我して、休眠に入るって――」
その瞬間、腹が捩れるほどの後悔に襲われた。
どうして町を見捨てなかったのだろう。鞘さえあればレフは怪我をせずに済んだのに。生まれ故郷というだけの町とレフと、どちらが大切かなど、考えるまでもなかったのに。仲間だって、自分の身くらいは守れただろうに。
町を見捨てていれば良かった。
「俺の――せいなんだ……」
アレンは口走って、どうしたら良いか分からず顔を伏せた。
「レフ!」
アゼナの悲鳴が響いた。ラシュカは何も言えずに、ただまじまじとレフを見ている。しかしじわじわと理解が追い着いたのか、今度はみるみる顔色を変えて叫んだ。
「どうして怪我をしたのがあなたじゃないんですか!」
アレンはいっそ共感を覚えて彼女を見た。それはアレンも思っていることだったからだ。何を言われようと良かったのだが、ラシュカはアレンを責めているわけではなかった。
「――何で、わたしでもないんですか……」
「落ち着け」
ヴェルガードが割って入った。アレンを見て、落ち着かせるようにゆっくりと言う。
「俺たちはどうしたらいいんだ。アレン、レフから何か聞いたか?」
アレンは傷に触れないようにレフを抱き締めた。暖かい。大丈夫、と自分に言い聞かせる。
「安静にしなきゃならない。ヴェルガードさんはレフの傍で、治療しなきゃ駄目だ。それから――レフは、俺たちは次の町に行けと――」
ヴェルガードは頷いて、ユアンを見た。
「どこか、安静に出来るところに心当たりは?」
ユアンは迷わなかった。
「俺の家だ。他では正直、この町だから、レフが機巧人というだけでどんな扱いを受けるか――。うちなら、俺の仲間に変なことはしない」
ヴェルガードはまた頷いて、アレンに言った。
「運ぶぞ、アレン。他がレフに触るのは嫌だろう?」
アレンは歩き出しながら、泣きそうな目でヴェルガードを見て、頷いた。衝撃の余り動けなかったラデルが、一足早くユアンの家に行き、事情を説明するために歩き出した。本当は走りたいのだろうが、それほどの体力も残っていない。ヴェルガードはアレンの頭を押さえた。
「しっかりしろ、アレン。おまえの大事な女なんだろう?」
アレンは顔を歪めた。
「……こんな目に遭わせたのに――まだそう思ってていいのかな……」
アゼナが驚いたようにアレンを見て、その傍では、ラシュカが射るような声で言っていた。
「今見捨てたら許しません。レフの目が覚めてから本人に訊いてください」
血塗れのレフを抱いて運ぶアレンは、否が応でも注目を浴びた。しかしどうでも良かった。レフの呼吸は異常なほどゆっくりとしたもので、心拍も同様。アレンは彼女の傷に触れないよう、首の付け根と膝裏を支えるようにして抱いている。ぼろぼろになった左手が痛々しかった。
ユアンの家には話が通っており、既に寝台も用意されていた。アレンはそこに俯せにしてレフを寝かせ、ヴェルガードが傍に跪いて傷の状態を確認し始めた。
アレンはレフの血に塗れたままそこに突っ立って、ただレフだけを見ていた。ユアンがそれに気付き、控えめに声を掛ける。
「アレン、着替えて来い。立ってたってどうにもならない。肩の治療は後でいいか?」
アレンはユアンを見て、頷き、足を引き摺るようにして部屋を出た。
ヴェルガードはそれを確認してから、声を潜めて言った。
「ひどい状態だ。治せるかは分からん」
ラデルが大変きっぱりと言った。
「治せないならレフは自分をこんな状態にしたりはしないと思うよ」
ヴェルガードは虚を突かれたような顔をして、それからふっと笑った。
「――違いない」
それからレフに向き直る。慎重に詠唱を開始した。
「――*【対象を選択:背中の破損】*【異物を除去】*」
ゆっくりと、ぬめるような音を立てながら、レフの身体から機巧兵の刃が抜かれ始めた。それをじっと見て魔力を維持しながら、ヴェルガードは掠れた声を上げた。
「誰か、水。それから口に入れるものを」
アゼナが即座に部屋を飛び出した。すぐに戻って、まずは水を届ける。そのときにはラシュカが食べ物を乞いに行っていた。
かん、と乾いた音を立て、刃が床に落ちた。本来は血塗れのものであるはずだが、ヴェルガードが選択したのは異物だけであり、ゆえに血液はレフの中に残っている。また、かん、と音がする。
かん……
アレンはそこから離れたところでそれを聞いていた。何の音か、何となく分かる。
震える手で心盤の袋を開け、恭しいような手つきで中の心盤を取り出して、覗き込んだ。心盤は今までになく白く曇り、現われる文字も滲んで判別しがたい。しかし何とか読み取る。
――当該機巧人は休眠中。呼吸、心拍、最低回数で維持。意識、なし。出血量推定、四割。内臓に破損あり、脊髄に破損は認められず、肋骨、肩甲骨、原型を喪失した箇所あり。
その文字の背後で白い霧が渦を巻き、形のない像を作っては溶けて流れる。流れては凝る。そしてまた流れる。不規則に、無秩序に、動きだけが繰り返される。
かん……
――術式保全、失敗。所有術式、九割欠損。修復、現時点で不可能。守護者の力、確認……十割保全。
今のレフの状態を、延々と羅列する。修復には悉くが否と出る。そのことが、今レフが死に掛けていることを如実に示している。
肩の痛みは無いも同然だった。今悲鳴を上げたいほどに痛んでいるのは、レフに対する思慕。北方の守護者に対する恋慕。それだけ。
かん……
何回この音は響くのだろう。響く度にアレンの内側を穿って抉る、この音。不思議なくらい乾いて、平然と響く音。
かん……
――体内の異物の除去を確認。損傷の修復……現時点で不可能。体温、心拍、呼吸、維持。
アレンは心盤を仕舞った。レフが元通りになるならば何でもすると、心の底から思った。例えば二度と会えなくなるにしろ、レフが生きている世界とそうでない世界では、生きてみる価値が段違いなのだ。
低くヴェルガードの話し声がする。アレンは一度目を閉じて、自分を落ち着かせてから、血塗れになって使えなくなった服を抱えて、そちらに向かう。心盤の袋を汚したくないので、服と袋は別々の手に持つ。剣は抜身のままで帯に差していた。
アレンが部屋に入ると、ラシュカとユアン相手に話していたヴェルガードがアレンの方を向いた。
「アレン、今話してたんだが、俺の体力の都合で今日はこれ以上の治療は無理だ。早く休んで、明日から専念したいんだが、これからのことは話し合っておいた方が――手に持ってるそれは、何だ?」
最後で口調ががらりと変わった。アレンは両手を見下ろす。
「――レフの心盤……」
「違う、そちらではなく」
アレンは戸惑いの口調で呟いた。
「俺の服……」
「付いてるのはレフの血か?」
アレンはこくんと頷く。途端、ヴェルガードが安堵の息を漏らした。
「そりゃあ良かった。失血が多くてどうしようかと思ってたんだが――そこから血液を抽出することなら出来るからな」
アレンは衣類をヴェルガードに押し付けながら、言った。
「でも足りない……」
ヴェルガードも、血を吸ってずっしりと重くなった衣類に向かって顔を顰める。
「確かにな……だが、ここから得た情報を元に作ろうにも、無い状態から作るのは無理だ。ラシュカの血が使えればいいんだが、ラシュカには人間の血が混じっているからな……」
アレンはユアンの肩を掴んだ。ユアンもはっとした。
「この町にだって機巧人はまだいるはずだ――」
「第一世代だ、いたよな、誰だっけ?」
アレンがほぼいつものように問い詰め、ユアンはアレンの腕を引いた。
「行った方が早い、事情説明して血を貰おう!」
二人が走り去り、ラシュカもヴェルガードも祈りの表情を同じくした。レフが助かるように、そして、もしも機巧人への迫害のせいでその第一世代がいなくなっていれば、この町のせいで死に掛けているレフを想って、アレンが後悔に狂いかねない。
アレンとユアンはユアンの家を出てしばらくしたところでリアに遭遇し、リアが後退るほどの勢いで、第一世代の機巧人の行方を訊いていた。
「確か最近、何人かは出て行ったけど、まだ残りもいると思うわよ。――えっと、三番通りかな……、案内しようか?」
「頼む!」
なぜ捜しているかは分からないにしろ、二人からただならぬものを感じるのだろう。リアも急ぎ足で案内してくれた。
うら寂しくしょぼくれたその家が、アレンたちにとっては希望の塊だった。案内したリアが立ち去りかねて立ち尽くすのを他所に、二人で扉に取り付いて、必死に叩いて声を掛ける。叩く回数がノックの域を超えているし、声も切羽詰まっている。
やがて、内側に人の気配を感じたアレンがユアンを扉から引き離し、固唾を呑んで扉の前で待機した。
細く扉が開いた。貧相な、痩せた男性の怯えた顔が覗いた。
アレンは細かいことは考えられず、思わず扉を掴んで全開にした。ひ、と喉の奥で声を上げた男性は後退る。視線が一瞬、アレンの腰の抜身の剣に向かった。それには頓着せず、アレンは彼を見るなり単刀直入に訊いていた。
「あんた、第一世代?」
男性は思い切り後退り、敵意を剥き出しにした。
「なんだ、おまえたちは。私はこうして静かにしているだけじゃないか、さっきだって逃げなかっただろう、もう放っておいてくれ……!」
「第一世代なんだな!?」
アレンは確信を込めて叫び、今度は彼の腕を掴んだ。
「頼む、助けてくれ」
男性は思い切りその手を振り払った。
「嫌だ! 何で私が人間なんかを助けなくてはならない!」
ユアンが彼を落ち着かせようとしたが、彼は傍らの相棒も落ち着きを失っていることを失念していた。
アレンは一瞬も躊躇わず、その場で膝を突いて頭を下げて、土下座した。
ユアンでさえ一瞬呆気にとられ、しかしすぐに従った。リアが唖然としている。彼女の知っているアレンは、機巧人嫌いの、何があろうと機巧人に頭を下げたりはしない人だったのだから。第一世代の男性も動きを止めた。
「……え?」
アレンは頭を下げたままで言った。
「気が済むなら殴ってもらっても蹴ってもらっても構わない。でも助けてほしいのは俺じゃなくて、連れなんだ。そいつは人間じゃない」
即座にユアンが言い添えた。
「協力してもらえれば、国王に言ってどこか機巧人に優しい処に引っ越しもさせてやれるかも知れない。俺たちは国王に貸しを作ってる最中だ」
「……は?」
男性は混乱したように言ったが、アレンはばっと顔を上げて、必死で言い募った。
「俺の連れは――知ってるかどうか分からんが、リノ・アイゼルトなんだ。今死に掛けてる」
男性の顔色が変わった。アレンは泣きたくなった。知っていた。彼はレフェアイゼ=リノ・アイゼルトのことを知っていた。
彼にレフのことを教えたものに感謝を、そしてそれを育んでくれた全てに。
「立ってくれ!」
男性は悲鳴のように言った。
「悪かった、私が悪かった。それでその方はどこに? リノ・アイゼルトをお助けできるなら何も要らない。頼む案内を」
アレンは立ち上がりざまに彼の腕を取り、引いた。
「こっちだ! あんたが今言ったことを知れば、あいつはきっと喜ぶ」
彼女はとても子どもたちを大切にしているから。
アレンが速く走るよう急かしても、彼は嫌な顔一つしなかった。それどころか謝りさえした。息を喘がせて飛び込んで来た彼らを見て、ヴェルガードはほっとした顔をする。
彼の前には大きめの器が置かれており、その横にはすっかり乾いたアレンの服がある。器の中の赤黒い液体は血液のようだった。ヴェルガード曰く、その中に空気中の一つの成分を溶かし込んでやると、使える血液になるそうだ。
ヴェルガードは説明を始めた。レフの血が足りないこと、第一世代の血を貰って、それを基本にしてレフの血を生成したいこと。
男性は――セドと名乗ったが――、頷いて聴き、取れる分の血を取ってくれと言った。この町に残った第一世代は彼だけなのだそうだ。
「あんたを血の取り過ぎで殺したりしたら、今度は俺がレフに殺されるんだがな」
ヴェルガードは言って、レフを振り返った。
「レフがどれくらい出血したのか分からないしな……」
咄嗟にアレンが答えていた。
「四割だ。そう、レフの――」
心盤に、とは言えず、アレンは語尾を濁したが、ヴェルガードにはそれで伝わった。
「そうか。さすがにそれだけの血を補うのは大変だが、足さないことを思えば、少しでも足しておいた方が明らかにいい。セド、悪いがしばらくここにいてくれ」
セドは跪きかねなかった。
「悪いだなどと――。アイゼルトはこの時代の、機巧人の希望なんだよ」
ヴェルガードは驚いたようにじっと彼を見てから、また「そうか」と言った。
「なら、責任を持って俺が治そう」
□□□□□□□□□□□□□□□□
レフがこのまま進めと言ったことに関して、皆乗り気ではないものの、異議を唱える者はいなかった。
「ただ、戦力が問題だね」
アゼナが言った。
「ヴェルガードさんが抜けるでしょう? そうすると怪我を治すのが得意な人がいなくなるでしょう? あたしたちの頭数が足りなかったら、レフもがっかりすると思うの」
ラデルも思案顔になったが、視線は隣室――つまりはレフの方を向いている。そこでヴェルガードが少しずつ血液を生成しているはずだった。アレンが唐突に席を立って外に出たが、誰も何も言わなかった。最も動揺しているのはアレンのはずだからだ。
「ヴェルガードさんとレフの抜けた穴を補うのは難しいだろう。出来るにしても……」
ラデルは言って、顔を伏せる。
レフの血の匂いが薄く漂っていた。くらくらするほど薫る、アイゼルトの血。
「アレンがいればまあいいんだが、またどこで引き離されないとも限らないしな……」
ユアンが苦く言って、掌で顔を拭う。
レフがこんなことになって、これを皮切りにして次から次へと倒れていくのではないかと、言い様のない理由のない不安が全員の中にある。
誰よりも頼りになったはずなのは、レフだった。
「でもだからってどうするんですか……」
長い間を置いてラシュカが言ったが、彼女はリノ・アイゼルトの言い付けに背くことを恐れているように見えた。
沈黙が落ちた。誰もが頭が麻痺したようになっていて、上手く考えられない。
そのとき、アレンが戻って来た。腰の剣は鞘に収まっており、鞘を召喚しに外に出たのかとも思われたが、違う。なぜなら彼は後ろに顔を強張らせたリアとデイヴを伴っていたのだ。
ユアンを始め、その場にいた全員が呆気にとられたが、アレンは構わず、堂々と宣言した。
「埋め合わせにリアとデイヴを連れて行く」
「はっ?」
アゼナが思わず声を上げた。
「いや、確実な方法ではあるんだけどね、アレン。そうしちゃうと今度はレイファに不都合が出るんじゃないかな?」
アレンは首を振った。
「代わりになる奴もいるらしい。こいつらも了解した」
全員が揃って二人を見て、その強張った顔に遭遇し、ラデルがそっと訊いていた。
「それは――実際に?」
アレンは苦情を受け付けない顔をしていた。
「レフが行けと言ったんだ。行かなかった場合、目が覚めたあいつに怒られる。だったら戦力はきちんと揃えて行くべきだろうが。リアもデイヴも機巧人嫌いだから、ラシュカは嫌な思いをするかも知れないが、そのときは遠慮なく言ってくれ。前々からもう一人魔術師を欲しがっていただろう? 俺たちの中でやっていけるようだったらこいつらのうちどっちかにしよう。今は場繋ぎということで」
ここには治療に当たるヴェルガード以外全員がいたのだが、その全員がまじまじとアレンを見た。彼はいつも通りに振る舞おうとしているが、その実、蟀谷や拳に本心が表われている。――ここを動きたくないという不安も、レフに何かあったらという焦燥も。
レフにもう一度会うためには、これから行く先で死ぬなどということがあってはならないのだと、彼はよく分かっている。
ただ、昔馴染みであるユアンは少し気になることがあり、尋ねた。
「――ちゃんと説得したのか?」
アレンは唇だけで笑った。
「俺を何だと思ってる。嫌と言わせるわけがないだろう」
その表情は、勇者というよりは、力でもって他者を捻じ伏せる、覇者。
勇者を勇者たらしめる姫君が隣にいないので、そうなったのだろう。




