姫君、倒れる
アレンと機巧兵の間に割って入ったレフは、間一髪で今までとは規模の違う火炎を防いだ。
しかし押されて、レフ自身の体力も大幅に削られる。しかも火炎の中に、これまでには無かった固体の感触もあった。防御し切れなかった部分が、防御を展開した本人ではないアレンを傷付けた。
「レフ!」
痛みがあるだろうに気にもならないようにアレンが声を上げ、レフは極めて事務的に言った。
「細かい事情は省きますが、これは今、かなりの援助を外部から受けています。ですので力量としては、機巧兵の分を超えているかと――アレン、痛みはどのくらいですか」
左肩を負傷したアレンは、質問の部分を聞いておらず、混乱したようだった。
「よりによって今!?」
レフは俯いた。
「きっと、わたしのせいです。これはわたしの力を知っていますから、警戒したのでしょう」
顔を上げ、淡々と言う。
「ユアンたちをもっと下がらせてください。出来れば町の中に。今、体力のない状態でこれに見付かると危険です」
アレンは頷き、振り返ってユアンに合図を送った。ユアンも訳が分からなかっただろうが、周りを促して従ってくれる。
「どうするんだよ?」
アレンは自分のことはそっちのけで、今押されたレフに怪我が無いか、視線のみで大急ぎで確認しながら訊く。
レフが答えようとしたとき、またしても機巧兵が軋んだ音を立てた。
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レフが怪訝そうな顔をした、次の瞬間彼女の魔力が溢れて地面を削った。アレンは慌てて跳び退る。
「レフ!?」
レフ本人も混乱した様子で後退り、自身を抱き締めるようにした。
千の鈴がひっきりなしに鳴らされているような音がする。それらはレフの魔力が溢れて――垂れ流しにされている音だった。
「どうした――」
「……魔力干渉、です」
レフが答えたが、それはいつもの彼女の口調ではなく、混乱と焦燥に満ちた口調だった。
「機巧兵がアイゼルトの魔力に干渉するなんて……」
呟いたレフは、予想以上に状況が厳しいことを認めざるを得なかった。この機巧兵は、レフが想像した以上にイリセ・アイゼルトの支援を受けている。
そしていくらレフの魔力が規格外とはいえ、垂れ流しにしていては長くは持たない。
レフの周囲の地面が抉れ、アレンは更に後退らざるを得なかった。
「レフ、このままだとおまえが――」
「わたしよりもこの機巧兵です」
レフはアレンの言葉を遮り、魔力を収めようと苦心したが、機巧兵はそれを頑なに阻んでいる。それどころか垂れ流される魔力の勢いが増し始めた。
レフの脳裏を真っ赤な光が走る。
彼女の魔力は迸る向きを変え、上空に向かって噴き上がっていた。きらきらと輝く光の柱が真っ直ぐに蒼穹に放たれ、頭上高くで屋根のように広がる。その規模も眩しさも、数十人の魔術師の魔力が意図して噴き上げられているかのようだ。周辺の町の人々は、振り仰げばそれを見ることが出来ただろう。尋常ではない量の魔力がレフから奪われていく。
アレンがレフのただならぬ様子に剣を握る手に力を込めた。
「レフ、取り敢えずおまえの周りがとんでもないことになってる。【掃討波】で一回散らすぞ、いいな?」
レフは頷いた。
「お願いします」
アレンが撃つ掃討波がレフの魔力を掻き消すと同時、ようやっと機巧兵は魔力干渉を止めた。しかしそれは機巧兵側になんらかの不都合があったからではなく――
「アレン」
レフは何かに迷ったようだったが、言った。
「――城壁の一部を諦めれば、向こうに回って【掃討波】が撃てます」
アレンも割り切った。ここで町を全て守り切ろうとすれば、逆に自分たちの命が危うい。
「じゃあ、おまえが転移して――」
「出来ません」
言下にレフが言った。アレンは呆然とする。
「何だって?」
レフはアレンを見上げたが、今まで見たことがないほど意固地な表情だった。
「転移の術幅は大きいものです。今の魔力干渉がわたしの魔力をかなり奪いました。あと一度しか出来ません」
アレンは眉を寄せた。機巧兵がレフにそこまでの影響を及ぼしたことに驚いたのが半分、レフの発言を訝しんだのが半分だった。
「――それでいいんじゃないのか」
レフは首を振る。
「いいえ。わたしが離れているときにあなたの方にあの火が来たらどうするんです」
アレンは息を吸い込んだ。そんなことを言われて、嬉しいのが半分と呆れたのが半分だった。
「あのな、そんなもしものことを言っている場合じゃないだろ、――っ!?」
語尾に被って火炎が襲った。
レフがまたしても防ぎ、アレンは己の不甲斐なさに泣きたくなった。頼ってばかりだ。
勇者だなんだと言われて、そう在るならば為すべきことを、少しも為していない。
「い――今から鞘を呼ぶから」
アレンは慌てて言ったが、レフはごく冷静に首を振った。
「いえ、必要ありません」
アレンが問い返す顔をすると、レフは言い切った。
「今の防御で魔力が削られました。イアドとかいう、あれに思ったよりも魔力を割いていたようですね。もう転移が出来ません。防御ならばあと数回」
皆まで聞かず、アレンはレフの腕を引いた。弾みにずきんと傷が痛んだが、気にしていられない。
「じゃあ二人で走るぞ。鞘は呼ぶ。おまえは守らなくていい。――+【召喚・鞘】+」
空を切って鞘が飛んできた。アレンはそれを危なげなく捉え、一言言った。
「ごめん」
レフがきょとんと首を傾げる。
「色々間違えて、こんな風に追い詰められたんだな」
レフは少し考えて。
「いいえ、アレン。間違えたのは多分わたしです――イアドに機巧兵を呼ばすのではなかった。もっと早くに城壁を諦めると決めていれば、こうはならなかった」
「けど」
走り出しながらアレンが、それでも町を思ってくれたことは嬉しいのだと、そうさせたのは自分だろうと言い募ろうとすると、アレンに僅かに遅れながら、レフが遮って断言した。
「アレンには避けられないことでした。――わたしの使用者を選ぶ目は確かです」
絶句して、アレンはレフを見下ろした。レフの生真面目な顔には一切の嘘はなく、華やかな青い目は素朴な煌めきを宿していた。
それが、息が詰まるほどの嬉しさをアレンに与えているなど、気付いてもいない。
「俺は三流じゃなかったのか?」
やっとのことで言ったのはそんなことだった。レフは早くも少し息を上げながら、首を傾げて考えるように答えていた。
「そんなことも言いましたね。前言は撤回です」
後は、ひたすら走るだけだった。
何度も加えられる攻撃を鞘の防護で防ぎながら、あと少しで回り込めるというときになって、アレンは足を止めた。
「ちくしょ……、このままじゃ攻撃を受けながら町を背にすることになっちまう」
レフははあはあと喘ぎながら、アレンの後ろから町を見て、当然とばかりに言った。
「しばらくわたしが――全体を守って、みます」
アレンは一瞬だけレフを顧みて、呟いた。
「頼む」
もう一度走り出す。レフの防御が淡く白い色を呈して町に被さり、機巧兵が乗り上げるようにしている城壁を除いて全域に亘った。アレンたちを狙った火炎が幾つもその膜に当たり、その度にレフが顔を顰める。
城門を潜って、町の内側から撃ちたいところだが、それではレフが持たない。恐らく体力も、アイゼルトとしての力も少しは余裕があるだろうが、魔力が持たないのだ。だから、城壁に背中を付けるような格好で、機巧兵のぎりぎりの近くから撃つのが最善だ。
機巧兵はなかなか止まらないアレンに苛立ちを覚えたかのように啼くと、旗のように見える部分を切り離し始めた。それぞれ拳大の刃や球体になって、風切り音を立てて飛んでくる。相変わらず火炎も、その中に混じる固体も降ってくる。レフに出会ってからの、最大の窮地だった。
アレンも息が上がってきた。自分とレフを守ることと、この後どう動くかを考えて神経は磨り減っている。
レフに至っては、もう十分に魔力を使っている上に魔力干渉で魔力を奪われ、その上で更に町全体の防御をこなすという、並みの魔術師なら十人では利かない仕事をして、まだ立っているだけで十分異常である。恐らく鞘に付与した防護を自身でも使ってのことと思われた。
機巧兵は軋む音を立て、攻撃を倍加した。さすがにこれでは立ち止まらざるを得ない。暴風雨の中にいるように、身を竦めて耐えるのみだ。機巧兵とて永遠に攻撃をし続けられる訳がないのだ。
一時のようにも感じる時間の後、ようやく攻撃が止んだ。アレンは鞘を除け、あとは一気に走り抜けるしかないことを自覚した。そうでなくては、いよいよレフが持たない。
「あとは、俺が」
アレンは上がった息の中で言い、レフも自分の限界は知っているので頷いた。その瞬間、一瞬ではあれ二人は無防備だった。飛んできた拳大の球体は、害意の塊のようにその状態のアレンを軌道に捉えていた。
アレンが動くには、一旦レフを押し遣ってから鞘を構えなければならなかった。それでは間に合わない。アレンは一秒にも満たない間凍り付いたが、そこにレフが割り込んだ。レフが伸ばした左手の中で球体は、それ自身が驚いたように失速し止まったが、しかしレフの手は既に血塗れだった。
「――レフ!」
こんな声がまだ出たのかというほどの大声がアレンの喉から発せられた。機巧兵が静止した。
レフは自分の傷には見向きもしなかった。傷からはぼたぼたと血が流れている。球体を落とすようにして捨てた彼女は機巧兵を睨み据えて、低く、まるで姫将軍のような声音で言っていた。
「――身の程を弁えろ」
機巧兵が怯んだかのようだった。それはあるいは、レフのずたずたになった掌から指から滴る、間違いのない彼らの主と同じ香を持つその血のせいかも知れない。
アレンはレフの手首を握り、少しでも止血しようとしたが、レフはそれを丁寧に外した。
「防御も、もう。アレン、行って」
震えながらではあったが、アレンはその通りにしようとして――
機巧兵がそれに反応して撃孔を二度唸らせた。
一発目が町の方へ飛んだ。レフの状態を反映してか町の防御は薄くなっており、この一撃を受ければ粉々になるだろうということは火を見るより明らかだった。それにその方向は、ユアンたちがいるであろう方向でもなかった。彼らの防御を期待できない。
だからアレンは咄嗟に鞘を投げ付けた。
狙い違わず、鞘はその攻撃に先んじて回り込み、半円状に広がる防護の壁を出現させた。跳ね返された攻撃が眩しく照り輝いた。
二発目がアレンとレフの方へ飛んだ。どちらに当たるかは咄嗟には分からない。アレンが避けるには、まず鞘を投げた反動から身体を戻さねばならない。
寸分の迷いもなかった。躊躇もなく、怯えもなく。
レフがアレンを庇うように抱き締めた。焼かれたというよりは斬られたように、レフの身体が跳ねるのをアレンは直に感じた。身体が後方に傾いて、憎いほどに青い空が見えた。
銀髪が視界を彩るように流れて、アレンの時間が停まった。
レフはアレンにしがみ付いて、二撃目を立て続けに受けた。今度はあの、拳大の刃だった。背中に刺さって、貫通しないのがいっそ不思議なほどだった。それが幾つも突き刺さる。レフがアレンから顔を背けて血を吐いた。肺か胃が傷付いたのだろう。背後で町を覆っていた防御が砕け散った。
濃く、残酷に、血が薫った。
レフは――アイゼルトは、血の匂いまでも、くらくらするほど美しく出来ている。
「――レフ?」
やっとアレンは動けた。恐怖の余り機巧兵のことさえ忘れた。
「レフ? レフ!」
レフは動かない。息をしているのかさえ分からない。血がどくどくと流れている。ただアレンにしがみ付く指に力が入っているような気がして、アレンは必死に名前を呼んだ。
嫌だ。耐えられない。
レフの傷に手を当てると、それが真っ赤に染まった。アレンの服も血塗れになっている。止血がほぼ不可能であることが、殴りつけられるようにして分かった。
認められない。嫌だ。
「レフ!」
彼女は自分の、一番大切な人だ。彼女に何かあるなんて考えもしなかったけれど、もし、これが彼女との別れなら、――俺は一生俺が許せない。
頼むから死ぬな。まだ死んでいないことは分かっている。剣に付与されたものたちが活きていることくらい分かる。おまえあっての今の俺だ。俺が俺たるために、おまえがどうしても必要なんだ。死ぬな。約束しただろう、おまえは俺の隣にいなくては駄目なんだ。
おまえが隣にいてくれないと、俺は駄目なんだ。
自分が今どうしているのかが分からない。レフに押される形で座り込んでいるのだろうけれど、地面も感じられなければ上下の感覚も危うい。ただ脳裏にはレフだけがいる。レフのことしか考えられない。後悔とか、機巧兵に対する怒りなどもまだ感じられない。レフのことだけ。レフのこと以外、今はどうでも良かった。
卑怯なくらいの悲痛な声が出た。こんな声は出したこともない。こんな気持ちになったこともない。ただ、いまにも逝ってしまいそうな彼女を引き留めたいと、それしか考えられなかったのだ。
「レフェアイゼ!」




