期待
夜が明けるまで、アレンたちはそこに留まるつもりだった。新年から戦闘は嫌だなどと言うようでは税金を使っていられないが、夜間の移動は非効率的である。
アゼナがユアンにもたれ掛かるようにして舟を漕ぎ始め、レフも膝を抱え、そこに額を付けるようにしてうたた寝を始めた。一方で男性陣は、誰が不寝番をするか、無言で押し付け合っていた。
が、その不毛な視線の送り合いを不意に中断して、アレンが夜闇を透かすように自身の背後を振り返った。
「何か近付いてくるぞ。多分――人。四足の生き物の気配じゃない」
焚き火の明かりだけでは、周囲あまねく照らすことは出来ない。ラデルが立ち上がり、煌々と光を放つ魔法陣を目の前に浮かべた。
やがて、荒い息遣いが聞こえてきた。物盗りの可能性も無きにしも非ずだが、問題なく対処できることは火を見るより明らかなので、アゼナやレフを起こすこともなく、アレンたちはその場にじっとしていた。
姿を現わしたのは、この冬に全身を汗で光らせた男だった。質素な皮鎧を身に着けているが、武器の類を持ってはいない――否、空っぽの鞘だけが腰に下がっている。
尋常ではないその様子に、警戒を解いてアレンたちが声を掛ける。
「おいおい、どうした? 何があった?」
男は喘ぎ、肩を上下させながらまず焚き火を、そしてその周囲の人々を見て、アレンのすぐ傍まで来ると、力尽きたように膝を突いた。
「た、助けてくれ……」
アレンは思わず男の後ろを見て、訝しげに眉を寄せた。
「見たとこ追われてはいないようだが、どうした?」
「ガル、シャ、ゼオ――」
男は息も絶え絶えに呟き、ちょうどそのときレフが目を覚まして顔を上げた。アレンは一瞬だけ彼女を顧みてから、男に視線を戻す。
「機巧兵をどこで見た?」
「あっち――あっちだ。護衛をしてた行商人が全滅した――」
アレンたちは唇を噛んだ。レフは険しい眼差しを男に注ぐ。
「――ここから、どのくらいの距離?」
男はそれで初めてレフに気付いたのか、そちらを見て――硬直した。ひ、と喉を鳴らしたその様子から、レフに見蕩れたとか、そのような感情は窺えない。
レフは戸惑ったようにアレンを見上げ、アレンも戸惑っているのを見て取ると、両手を合わせて手首を腹部に当てる。敵意のないことを示しているのだ。
「――驚かせてごめんなさい。あなたが機巧兵を見たのは、ここからどの辺りのこと?」
男は大きく呼吸し、レフから視線を外すと、ぼそぼそと呟いた。
「わ、分からねえが、そう遠くねえ」
アレンはレフを見た。
「レフ? 気付かなかったのか?」
レフも眉を寄せている。
「ええ、全く――」
ユアンが口を挟んだ。
「なあ、あんた、この子を見て怖がってたけど、何でだ?」
男は身震いし、頭を抱えてそれを低く下げた。
「……いたんだよ……」
「え?」
「その女みたいに、この世の物とも思えねえような綺麗な女が、機巧人も行商の奴も、一緒くたにして消しちまったんだよ!」
レフが立ち上がった。
「どんな人?」
言葉に、声に、必死の思いが透けていた。
「髪の色は? 目の色は? 歳は?」
「うううううう……」
思い出すことすら苦痛なのか、男が頭を抱えて呻く。アレンはレフを見て、声を詰まらせた。
「――おまえの……お姉さんの一人、か?」
行商人も一緒に消し飛ばしたという点に納得がいかないが、機巧兵を一人で相手取るなど、アイゼルトか、その使用者にしか考えられないことだ。
「ええ、恐らく」
レフは言い、アレンの腕を掴んだ。
「行きましょう、お姉さまもこの事態に動いているとしたら、合流して力を合わせましょう。アイゼルトが二人いれば機巧兵の掃討も早く片付きます。わたしたちは五人揃えば、世界を相手にしながらお茶を飲んでいられるような姉妹ですもの。お姉さまたちはわたしよりずっと魔術も上手ですもの。会いに行きましょう」
何度も魔術で接触を図ろうとして、その度に失敗した姉。
レフの様子に、アレンは頷いた。
「ああ。――けど、言いたくねえけど、行商の……」
レフは顔を曇らせ、微かに俯いた。
「きっと、イリセのお姉さまかアゼのお姉さまです。このお二人は守護国のために動いたことがありませんから、人間の命を軽く見ていたとしても不思議ではない……」
〈記録〉を出た以上、イリセ・アイゼルト以外がその命を永らえることは不可能であるはずだったが、再会の可能性に、レフは見たこともないほど頬を上気させ、興奮している。
「行きましょう、アレン。お姉さまがいてくれるなら、そんなに頼りになることはないわ」
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震え続ける男を、男が来た方向にある最寄の町、アジェックまで連れて行く。その道中、機巧兵の話は一切聞かなかったが、可能性がある以上、放置するわけにはいかない。
「おっさんの白昼夢だったりしたら笑えねえけどな」
とはユアンの弁であるが、余りにも無邪気に姉のことを言うレフを見ていると、どことなく危うげな気がしてしまう。
夜が明けて辿り着いたアジェックの町は二日後の祭の準備に勤しんでいた。この辺りの町は初春の月四日目に新年の祭がある。それはレイファも同じことで、このままで行くと、デイスの町辺りで祭に遭遇しそうだった。
もっともアレンたちはそんなことを考える余裕もなく、国王から発行された手形の権威を振り翳して町長の居宅に男を預けた。まさかこんな田舎の町長をやっていて、国王の御璽を見る機会に恵まれるとは考えたこともなかったのだろう。頭髪の少なくなってきた初老の町長は、平伏さんばかりにして男を迎え入れていた。
「で、機巧兵の話は聞かない、と――」
ラデルが言ったように、レフも機巧兵を感知してはいない。
通りは飾り付けられ始め、人々の表情もどことなく明るい。機巧兵の気配はまるでない。アゼナは機巧兵のことが気にはなっているのだろうが、それでも機嫌よくあちこちに頭を巡らせている。レフは馬車の中だが、楽しそうな空気に惹かれたのか窓から顔を出す。さながら見知らぬものを見る小動物の風情である。銀色の髪は間違いなく目立つが、引っ込めというのも気の毒なので、アレンは諦めて放置した。祭の色に染まった空気に、レフも少しだけ懐かしそうな顔をして呟いた。
「何かいいことがありそう――」
彼女がそんなことを言うのは珍しいことなので、アレンは意外に思ってレフを見たものだった。余程、姉の一人と再会できるかも知れないというのが嬉しいらしい。
男を預け、彼が見たという機巧兵と、アイゼルトの一人らしき女の話をしながら、町の出口を目指していると、レフが切羽詰まった声でアレンを呼んだ。
「アレン――アレン!」
アレンは顔を上げ、レフの表情が先程とは打って変わって固いものだと確認して、慌てて駆け寄った。
「何だ?」
「機巧兵です」
レフは即答し、アレンは思わず叫んだ。
「いやがったか!」
仲間にこのことを告げようと振り返り掛けたアレンの袖を、窓越しにレフが掴んだ。アレンはレフに向き直る。
「どうした?」
「おかしいんです」
レフはやはり切羽詰まったような囁きを漏らした。
「わたしが機巧兵を感知したのはあなたを呼んだときです。それなのに、今もう機巧兵は町の傍にいるように感じるんです」
アレンの顔色が変わった。
「嘘だろ――おいおまえら、急げ」
仲間たちはこの声に即座に反応し、訳も訊かずに馬の向きを変えてくれた。心強い限りである。
レフは眉を顰める。隠蔽の術を使うには、レフと同程度の魔力が不可欠である。数で賄おうにも、そこまで息の合う人物が集まるものだろうか。
町中で速度も考えず馬を疾駆させ、なおかつ馬車を転がすアレンたちは当然罵倒の対象になったが、アレンたちの進行方向の町の外れの方からは、それよりもなお鋭く、疑念と衝撃の囁きが広まって行っていた。
「ねえ、門の外のあれ、なに?」
「なんか大きくないか?」
アレンたちが町の外に出るのと、まだ少し距離のある機巧兵が撃孔を開くのは同時だった。その機巧兵はアレンが初めて見たモノと酷似しており、だからか、撃ちだしたものは空気の塊だった。
ラデルが防御を詠唱し、庇い切れない余波をヴェルガードとラシュカで防いだ。一機だけならば――と、全員が町の無事を確信した。しかし、まるでそれを嘲笑うようにして、最初の機巧兵の後ろから五機ばかりがずらずらと出て来た。最初の一機とは違って、町ではないどこかに撃孔を向けて、低く歌うように威嚇している。
この状況で心臓が持ったのは、ミリウィアでの経験と場慣れというものである。
町は徐々にパニックの様相を呈し始め、これは後で落ち着かせるために戻らなきゃな、とアレンはどこか冷静に思った。
しかし今回、アレンたちは町から出て来たのである。つまりは元々、町を背にしている。
「下がれ。【掃討波】を撃つ」
アレンは言って、下馬と同時に抜刀した。機巧兵がこちらを見ていないなら僥倖――そう思ったが、そこで動けなくなった。
まだ遠目なので男女の区別も分からないが、機巧兵に囲まれるようにして人が立っている。機巧兵は不協和音を奏でて、その彼あるいは彼女を囲み、ぎしぎしと撃孔を軋ませながら移動していた。
――なぜ、機巧兵に囲まれて人がいる。どうしてそれで殺されていない。機巧兵に囲まれて、しゃんと立っていられるのはなぜだ。
そんな疑問が一瞬のうちに脳裏を巡るも、戦闘の場で深く考えることは愚の骨頂でもある。
「……どうする?」
ラデルが指示を促す声音で言った。アレンは顔を顰め、言い放った。
「撃つわけにはいかなくなった。接近戦で」
分かった、と返答しようとしたラデルを遮るように、アレンの横にレフが立った。いつの間にか馬車を降りていたのだ。そして、遥かに森まで続く景色をじっと見た。機巧兵の黝い影が蠢くのが、新年には似合わなかった。
レフは興味深げな、どこか焦がれるような目でその光景を眺めていたのだが、ぽつりと呼んだ。
「アレン――」
アレンはレフを見た。レフは無表情に戻って、目の前を真っ直ぐに指差した。
「振り切ってください」
アレンは耳を疑った。掃討波を振り切ったら、それこそ周囲は被害を受けるなんて言葉では生易しいような有様になる。それは最初に見たのだ。しかし、唖然としたアレンを、彼は耳が聞こえないのだろうかという目で見て、レフは再度繰り返した。
「聞こえますか、アレン。――【掃討波】で振り切ってください」
アレンはもう一度前方を見てから、覚悟を決めて剣を両手で握った。仲間たちが「まじかよ……」と声を漏らしたが、仕方がない。
アレンは剣を振り上げる。文句の付けようのない綺麗な姿勢で、大上段に構えて宣言した。
「+【掃討波】+!」
振り下ろす剣の切っ先が、眩いばかりの銀の刃を生み出し刻み、周囲を白く巻き込んで、久し振りに見る規格外の大波を放った。
アレンは固唾を呑んだ。他も同じだっただろう。レフを見ると、彼女はなぜだか必死の顔をしていた――
掃討波が機巧兵たちに襲い掛かる。機巧兵では抵抗にならず、容易く消し飛ばされるだろうと容易に分かった。銀の陰影が地面にくっきりと落ちているのが見える。
そして、
掃討波が消し飛んだ。




