わたしが二千年待った人
アレンは全く表情を動かさなかった。
仲間たちは意味が分からなかったようで沈黙している。あるいは、アレンに口を挟まないでいてくれるつもりなのかも知れなかった。
「――何でまた?」
アレンは訊いた。レフは顔を上げもせず、平坦に説明を始めた。
「長姉は三人のアイゼルトを作ってから末のわたしを作りました。そのとき、わたしで、不死を実験したそうです――全てイリセの……長姉から聞いた話ですが」
アレンは内心で首を傾げた。〈記録〉の中にいる限り、レフは不死だ。そしてそれは他のアイゼルトにも共通するはず。ということは、イリセ・アイゼルトはレフに、〈記録〉の外における不死を与えようとしたのか。なぜそんなことをしようとしたのか。
「勿論、〈記録〉の外ではこの身体はいつか死にます。姉にもそれは変えようがなく、だから姉は、心盤の形でわたしを生きさせようとしました。わたしの身体が使い物にならなくなれば、心盤のみが生き永らえるように。そのために姉は、わたしの心盤に、感情や感覚を与えようとしました。心盤の本来の機能を大幅に上回るようなことでした。実験は失敗して、わたしは感情も感覚も二つ持つようになりました。それでも、身体が死ぬと同時に心盤も死ぬと姉は一目で分かったそうです」
レフは無意識に心盤を撫でた。
「わたしは二つの感情にも感覚にも耐えられませんでしたから、姉は心盤に付与したものを取り払ってくれました。殆ど全て取り払えたのですが、一つだけ残ってしまいました。それが、苦痛でした。――もっとも、誕生時のことでわたしが覚えているのは、苦痛を感じたことだけなのですけれど。それからわたしの心盤は、常に苦痛に晒されるようになりました」
綺麗なレフの顔の左右対称さが崩れて醜く見えた。彼女が笑っている。己を嘲るようにして笑っている。
「どんなに力を尽くしても、これだけは取り払えませんでしたので、姉は別のことをしました。心盤に直接手を触れて、然るべき意思を持たなければ、わたしは心盤の苦痛を感じずに済むように。ただ心盤の苦痛は……本当に混じり気なしの苦痛ですから、姉はわたしが心盤を誰かに渡さずに済むように、ありとあらゆることをしてくれました。――戦闘色を強くしてくれたりだとか。それでわたしの心盤のその機能を、苦痛の命令と呼んで、絶対に知られてはならないと言いました。他の姉でさえ、わたしの心盤に触れたら容赦なく責めてくれました」
アレンは首を傾げた。そもそもそんなことがあるのかとも思えるが、それを無視しても、おかしい。
「――レフ。それをさっき使われていたのなら、何であいつらはそのこと知ってたんだ?」
レフは蔑むような顔をした。他の誰でもなく自分自身を蔑んでいる。
「わたしの子供の一人にだけ教えました。その子孫が、エリー――先程の、あの子です」
アレンは一瞬戸惑った。エリーの存在は頭の中で希薄になっている。それから猛烈な怒りに襲われた。
あの機巧人はレフの信頼を裏切り、あまつさえ彼女に耐え難い苦痛を負わせ、追い詰めたのだ。しかも彼女が大切にする機巧人たちを出しにして。
「訊くことじゃなかったな。悪かった」
アレンは残った理性で呟いた。更に、レフが〈記録〉から出ることを渋ったことを思い出す。
姉を失った彼女は、外界で己を苦痛の命令から守る盾を持たなかったのだ。それなのに引き摺るようにして連れ出してしまった。
「それに、〈記録〉から出してすまなかった」
レフがアレンを見た。少し驚いたようにしていて、それは、
(貴女をお連れするべきではなかった)
彼女の脳裏で懐かしい声がする、そのためだった。
アレンは落ち着きを取り戻してから、黙り込んだレフを見た。
「その苦痛の命令ってのが、おまえが欠陥品だっていう根拠?」
「……はい」
レフは小さく答えた。アレンは仲間たちを見て、その全員が疑問の表情を浮かべているのを見た。ラデルが言い難そうに訊く。
「それをされたとき、レフが物凄く苦しいのは様子から想像できる。だが――なぜ、欠陥?」
レフは目を見開いた。
「他の機巧人に、こんな致命的な欠点がある?」
「欠点じゃなくて弱点だろう」
ヴェルガードがぼそりと言った。ユアンとアゼナが思わずといったように頷き、アレンがまとめた。
「つまりだ。俺たちは誰もおまえを苦しめようなんて思ってないし、おまえがそういう弱点を持っていようが拘らない。というかむしろ、全員で守ることができる。それに――もし今回みたいなことになりそうだったら、前以て俺に心盤を預けとけ。俺はおまえの使用者だから、おまえを苦しめる理由がない。いいな?」
レフはアレンを見るだけで、返答をしない。アレンは重ねた。
「いいな? 俺を信じられるな?」
レフは瞬きすらせずアレンを見て、呟いた。
「――有り得ない」
アレンの息が止まった。他の者も凍り付く一方で、レフはアレンだけを見ていた。久々に――そう、初対面のとき以来初めて、使用者としてのアレンではなく、人間としてのアレンを見ていた。
「信じられるか? 有り得ない。わたしがわたしで信じられると判断したもの以外で、あなたであるというただそれだけを理由に信じろと? ここまで効果的に徹底的にわたしを追い詰められる事実を知られていながら、それを他言されないと、利用されないと、信じろと?」
しゃがみ込んでいたレフは立ち上がり、アレンを指差した。
「わたしのための二人目の勅使。わたしがどれだけあなたを待ったと?」
レフは片手を髪に突っ込んだ。初めて見る、荒い身振りだった。
「オーヴェルは、わたしのための初めての勅使はいい人だった。わたしが守るべきものを教えてくれた。わたしが守った人たちはいい人だった。――わたしが殺した人も、すごくいい人だった」
その目を見て、アレンは初めて、レフが三千年生きてきたということを真に理解した。
一人の人が生きるには余りにも長い時間。一人が抱えるには余りにも重い記憶。この場にいる誰も、レフがどんな人生を生きてきたのか知らない。
「わたしが〈記録〉に戻ったとき、どんなに辛かったと?」
恐らく、自分が今面と向かっている人間が誰で、何を知っていて何を知らないのか、そういったことが頭から抜け落ちているのだろう、レフは詰るように続けた。
「もう守らない、もう何も守ったりしない、そう決めたのよ。そんなことがこのわたしに許されるはずがないと。オーヴェルがわたしに教えてくれた、エドリアルが感謝してくれた、そんなわたしの好きなことなの、国を守るのは、人を守るのは。でもわたしは、わたしを信じてくれた人を殺したのよ。あの人もわたしを殺すつもりでわたしを刺した。でもわたしは死ななかった! もう一度会ってちゃんと話したいけれどそれも出来ない! あの人が命より大切にしたものを差し置いて、他の何を守れるの。だったらもう二度と守るものか――わたしがあの人を殺したのよ――」
レフの言葉とは思えないほど混乱し、レフの言葉とは思えないほどに自己嫌悪に満ちたその言葉に、全員が微動だに出来なかった。
レフがあっさりと町を壊滅させようとしていたのを、機巧人さえ良ければそれでいいという態度を取っていたことを、その理由を、欠片とはいえ察したのだ。
国を、人を守ることを諦めても、己の立場を利用して、せめて機巧人だけでも守ろうとしたのだ。
「それを、あなたが引きずり出したんです」
レフは一転して囁くような声音で言った。間違いなくアレンだけを見ていた。
「アレン、あなたが、わたしに守れと言ったんです」
アレンは大きく呼吸した。
「俺が、そうしたかったから。でも俺に力がないから、だから――」
「わたしが、どんな気持ちで守ることを止めたと? それをあなたは、あなたは当然のような顔をして――」
「おまえがどんな気持ちだったかなんて、俺には分からねえけど――」
レフは詰るように言った。
「あなたがわたしに対する態度を改めそうだと思ったら、その態度を誤解した振りをして距離を置こうとしました。それなのにあなたは、わたしを物として扱うのを止めてしまった。そんな――そんなことをされて、わたしがどうやって、もう何も守らないという誓いを貫けますか」
「俺がそうしたかったから――」
「他の人を助けるのは、殺してしまった人に対する償いになると、あなたは言いました。わたしは……愚かにも、それを信じたいと思っている」
「いいだろ! おまえのやりたいことでもあるんだろうが!」
レフの言葉に被せるようにして、思わずアレンは怒鳴った。
「機巧兵に殺された人たちにおまえの都合が関係あるか!? そんなわけねえだろ! その人たちは助かりたかったんだよ! 誰のことか知らねえが、おまえが殺した一人のせいで何千人も見殺しにしようとしてんじゃねえよ!」
レフに詰め寄り、アレンは更に叫んだ。
「おまえがどんな奴か、俺はちょっとしか知らない。おまえが話さなかったからだ! だったら俺たちが、おまえが自分の意思で人を守ろうとしねえんだって思っても仕方ねえだろ! 俺からすればおまえは、ちゃんと人を守れるのにそれをしない奴なんだよ!」
レフは反駁しようと口を開いたが、アレンがそれを許さなかった。
「だったら俺がおまえに守らせてやる。俺はおまえの使用者だ。おまえは、俺を使用者にしたからには、全力で人を守るんだ!」
レフは唇を引き結んだ。目が充血しており、アレンは彼女が泣くのではないかとまた思った。
けれどレフは泣かなかった。ただ声に、灼き焦がされたような強烈な感情が焼き付いていた。
「わたしが、二千年待ったひと」
レフは呟いた。
「オーヴェルがわたしのために願ってくれた、二人目の、わたしのための勅使」
その声が、その口調が、その目が、これ以上なく雄弁に、彼女がどんなにその人物を待っていたのかを物語っていた。
「ああ」
アレンは答えた。彼もレフから目を逸らすことが出来なかった。
「俺は、おまえのための勅使だ」
レフは、他の感情全てを焼き尽くすような、余りにも激烈な期待を籠めて囁いた。
「千年はとても長かった。一人で過ごすには余りにも」
「ああ」
「あなたを見たとき、喜べなかった。夢ではないかと思った。喜ぶという情動すら、わたしは忘れ掛けていたの」
「ああ……」
「夢ではないと分かって、それでも喜べなかった。だって、やっと来てくれた勅使は乱暴で、敬意の欠片もなくて、偉そうで、わたしのことを知りもしない上に、わたしのこともわたしの子供たちのことも嫌いで」
「ごめん……でも今は違うから」
アレンはレフの肩を軽く掴み、目を覗き込んだ。
「おまえが丁寧に接しろって言うんなら、俺はそうする。尊敬しろって言うんならそうする。へりくだれって言うんならそうする。おまえのことを知りたい。おまえのこともその子供のことも好きだ」
レフの唇が震えた。最後の姉、ゼア・アイゼルトが彼女を独りにしてから、彼女がその言葉をどれだけ待ったのか、アレンの想像の範疇ではなかった。
「――わたしのための勅使。わたしの使用者」
確かめるように呟くレフに、アレンは何度も頷いた。
「そうだ」
「今は、わたしは、独りじゃない」
「当たり前だ」
アレンは頷き、断言した。
「俺はおまえのための勅使で、おまえの使用者だ。おまえが望む限り、おまえを独りにしたりしない」
レフは大きく息を吸い込んだ。
「おまえは気付いてなかったのか? おまえは俺たちの仲間だ。ほら、俺の後ろにいるだろ? あいつら全員おまえの仲間だ。おまえは今、どう頑張っても独りになれない。俺たちは全員、おまえが好きで――」
アレンは気持ちを落ち着けるために短く息を吸い、続けた。
「おまえが戦力になるからとか、そういうことじゃなくて、一緒にいたいんだ」
レフは焼け付くような眼差しでアレンを見ている。オーヴェルが彼女のために二人目の勅使を願い、アレンたちの知らない事情によって人を守ることを忌避するようになって二千年、そして彼女の最愛の姉たちの最後の一人と生き別れて千年。重過ぎる孤独がその眼差しに籠められている。
「確かに俺は――俺とユアンは、最初は機巧人が嫌いで――別に大した事情もねえのに。嫌いじゃなくなったのも、大した理由があるわけじゃねえし、だから何も言わなくて――てっきり分かってるもんだと思って――けどおまえが、そんな諸々全部のことで俺たちを、俺を信じられないって言うんなら、謝るからさ。何でもしてやるよ。だから――」
アレンは、この目の前にいる少女を失いたくはない。信頼を得られるというのならば得たい。
「――俺を、信じてくれ」
レフは瞬きをして、しばらく躊躇った後、こくりと小さく頷いた。
アレンは安堵で眩暈がした。レフの頷き一つでここまで安堵出来ることに驚いた。次に思わず涙ぐみそうになったが、それはレフから離れるように後退って堪える。レフが信じてくれること、そのことが、信じられないほど強烈な喜びをもたらした。
しかし安心したのも喜んだのも、無論アレンだけではない。特にアゼナは一気に心臓を掴まれたらしい。いきなりレフに飛び付いて、ただしそのときにレフが抱える心盤に触れなかったのはさすがだが、思い切り抱き締めた。
「レフ可愛い! すごく可愛い! やばい!」
レフは目を白黒させたが、アゼナはぎゅうぎゅうと力を込めている。アレンは呆れて天井を仰いだ後、歩いて行ってレフの心盤の袋を拾った。それを持って行くと、受け取ろうとしてレフが動き、気付いたアゼナがやっと離れた。
レフが手を伸ばしたが、アレンはそれをひょいと遠ざけた。レフは、いつものレフの仕草で眉を寄せた。
「――何ですか」
「説教だ」
アレンは言い、訝しげなレフを怒鳴りつけた。
「おまえは! 馬鹿か! てめえが痛い思いをするくらいだったら子どもは諦めろってんだ! 出来ないなら絶対にそんな窮地に陥らないように考えて、仲間の一人くらいは連れて行け! しかも何だ? こちとらおまえの心配して駆けつけたってのに、なに敵扱いしてくれてんだ! 挙句撃ちますだぁ? ふざけんなっ! 疑うのも大概にしやがれ! しかも――欠陥品? 俺はおまえの使用者だ。そんなことを言われると気分が悪い! 俺の許可なくてめえを貶めるな! いや、俺の許可があったって止めろ! 絶対だ! 分かったなっ!?」
レフはぽかんとして聴き、ユアン以下の仲間たちは耳を塞いでいた。そして最後の一言が終わると、彼らは手から耳を離し、レフは真顔で頷いた。
「はい」
アゼナが興味津々に訊いてきた。
「耳塞いでても全然聞こえたんだけどね、アレン。すっごいレフのこと気にかけてるけど、いつからそういう関係になったの?」
アレンもレフも怪訝な顔になった。
「そういう関係?」
「え、違うのか?」
ユアンが不意討ちを喰らったような声を出した。レフはそれを聞きながらアレンの手から袋を取って、心盤を収めている。
「何がだ?」
アレンは混乱の態で訊き返し、レフは腕の治療を開始した。ユアンは他の仲間と目を見合わせる。
「俺――聞いたと思ったんだが勘違いか?」
「いや、僕も聞いた」
「俺もだ」
「あたしも聞いたよー」
「は?」
アレンが真剣に分かっていないので、ユアンが無意味に声を低めた。
「おまえ、レフのこと、俺の女って言ってなかったか?」
アレンは顎に手を当てて考え込んだ。数秒そうしていて、自分の発言を思い出した。更に数秒してから、それがどう聞こえるかに思い至った。
「ああ――」
などと平静に言ってしまってから、アレンは慌てて手を振った。
「いや違うあれは! 咄嗟に口から出たというか! 現実には何にもない! な、レフ!」
レフは首を傾げる。
「何が、でしょう?」
「取り敢えず否定しとけって! 大体、そんな相手が出来たんなら真っ先にユアンに報告してるって!」
アレンは大慌てだが、周囲はそれで完全に面白がっていた。ユアンが嘆息する。
「あーもう。いい加減ラシュカを入れるぞ。いいな?」
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この直後にアドルでは領主館が襲撃を受け、数日後には追放令が解除されるに至ったが、その襲撃犯がたった七人しかいなかったということは、正面切って話を付けられた、領主シェンド侯しか知らないことである。




