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五方の守護者  作者: 陶花ゆうの
2 姫君が創った勇者
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43/96

姫君、打ち明ける

 廊下の幅は広い。アレンたち全員が横に広がって、まだ余りがある。そうして壁に手を突いて、全員が愕然とした顔をしていた。


 そんなはずはない、レフが悲鳴を上げるなど、あのとき――余裕たっぷりに機巧兵を見下し、呼び集めるために叫んだときしかなかったはずだ。それなのにこの声は、そこに含まれる感情の、余りの差はどういうことだ。レフがこんな声を出すはずはない。誰より強くていっそ鈍いほどだったのだから。



 ユアンが壁にあるだけの衝撃を叩き込んだが、壁はびくともしない。アレンとアゼナを下がらせ、魔術を扱える全員が攻撃を加えて、空気が轟いてうねっても、壁には僅かな欠損が見られるだけだ。


 また壁の向こうで悲鳴が上がった。


 半狂乱になって左右の壁を探査しても何もない。ここへきて、アレンが抜刀した。ラシュカには奇妙に思えただろう。見た目はただの剣だ。



 レフが壁の向こうで、苦痛と嫌悪に絶叫した。



 アレンは自分の手が震えていることにも殆ど気付かず、レフの悲鳴以外に対して以外は閉ざされた耳で己の声を聞けるはずもないまま宣言した。これがレフに負担を掛けたらと思うと迷いもしたが、これしかない。



「+【鋭利】+!」



 刀身が銀の波に洗われる。アレンは剣を振り被り、大上段に構えてそれを振り下ろした。


 刃は抵抗なく壁に入り、周辺の組成が壊れて砕け散ったが、壁が厚すぎる。ごっそりと削られた壁ではあるが、あと数回斬る必要がある。そんな時間はない。



 レフが叫んでいる。身悶えするようにして叫んでいる。アレンは歯を食いしばり、叫んだ。


「+【掃討波】+!」


 剣には何の異常もなかったが、アレンは一歩下がって慎重に壁を狙った。剣を振る、一瞬。



 頼む、レフ、無事でいろ。せめて助けられる状態であってくれ。でないと行かせた俺を俺は多分許せない。それから頼むから心盤を守ってくれ。あれには防御壁はないんだろう? 俺の一撃でおまえが死んでしまうのはどうしても嫌だ。


 ぴくりと、僅かに。切っ先が、跳ねる。


 そこから生み出された破壊の大波が、銀の刃に白い気を纏って壁を抵抗にもせずに打ち破り消失させ、そこから見える大広間を縦断して向かいの壁を粉砕した。


 ラシュカは呆然と目を瞠ったが、アレンは構わなかった。掃討波を放つと同時に踏み込んでいた。



 踏み込んだアレンの耳を、新たに上がったレフの悲鳴が襲った。


 アレンが行動するまでに流れた時間はほんの一、二秒。その間にアレンは状況を見た。


 まず、最優先でレフを見た。レフは大広間の中央よりやや左側で座り込み、アレンに気付いた様子もなく絶叫していた。拳で床を叩き、身悶えして嫌悪に叫び、苦痛に悲鳴を上げている。己に爪を立てたのか腕は剥き出しになっており、そこに爪痕や赤い痕が残っている。掌や拳は、床を殴り続けたために傷だらけになっている。


 次に、そこから少し離れた場所に落ちている、空っぽの一つの鞄。それは袋と言った方が適切なような小ささで、黒天鵞絨で出来ていた。


 そしてレフより奥に立つ、二人。立ち位置のお蔭で掃討波を免れたのだろう。



 そのうち男の方の手には、両手を合わせたほどの大きさの、半透明に透ける平坦な長方形の板が握られていた。



 二人ともが掃討波に驚いたようにこちらを向いている。何か言おうとして唇が開かれていく――


 アレンが飛び出した。少女の方が妨害のために何かしたようだったが、気にもならなかった。きっと仲間の誰かが防いでくれたのだろう。一息に距離を詰め、視界の端にレフが、立ち上がろうとしているのが見える。しかしその身体は小刻みに震え、まるで怯えているようだった。


 あの、傲岸不遜で強すぎるくらいなはずの、レフが。



 アレンは体中の血が沸騰したと思った。それなのに頭は冴え冴えとしていて、それでいっそう熱く感じた。剣で塞がっていない方、左手を、走り寄りながら引く。


「――放せ」


 発した声は唸るように低かった。レフが誘拐されたときとは比較にならない気迫であり、彼の怒りはそれに正比例している。



「――おまえに、俺の女のどの部分にであっても、手を触れる資格は一切ない」



 アレンは左手を振り切った。



 右頬を殴られ、ヨシュアの身体が左へ傾く。歯が折れたのか、アレンの拳も鈍く痛い。少量の血を吐きながら倒れるヨシュアの腹を、更にアレンは蹴り飛ばした。声にならない呻きを上げて、ヨシュアの身体が軽く吹っ飛んだ。


 レフの心盤がその手から落ちた。


 床に激突する前に、アレンが素早くそれを拾う。傷は付かないと分かっていても落とすのは嫌だったのだ。手の中に確かな感覚があった。しかし次の瞬間、それが消失した。もぎ取られたのだ。はっとして振り返ると、そこには顔面蒼白のレフ。心盤を抱き締めて、必死な、怯えた目でアレンを見る。


「どうし――?」

た、まで言わないうちに右手から衝撃があった。レフは全く影響を受けていないが、アレンは体勢を崩してよろめく。エリーが立って、明らかにヨシュアを気にしながら掌をアレンたちに向けていた。


 アレンは眩暈がした。アレンは影響を受けて、レフにはない。そんな攻撃は一つしか思い当たらない。


「てめえ――機巧人か」


 エリーは反応しなかったが、アレンは質問したわけではない。


(ふざけるなよ)


 心臓が血液ではなく、激情を体内に循環させ始めたかのようだった。


(何で機巧人がアイゼルトを襲う? 何で――大事にされていると気付かない?)


 ヨシュアが起き上がろうとしている。鬱陶しいとアレンは思った。もう全部鬱陶しい。侯が怯んだ相手だろうが、一流の上に超がつく自分の仲間たちの敵ではない。本来ならば一刀に斬り捨てれば済む。


 エリーは二撃目を叩き込んだが、アレンは左側にあった鞘を抜いてそれに当てて対処した。レフの「防護」。レフが周囲も守れると言っていた盾。



 攻撃が鞘に当たると同時に、半円状に大広間を越える大きさの防護壁が広がり、攻撃は霧散した。アレンはレフの方を確認した。レフは生気のない目でじっとエリーを見詰めており、その顔を、困惑と苦痛と憎悪が彩っている。



「……もういい加減にしろ」


 アレンは呟いたことにも気付かずに声を零した。



 もういい加減、こいつをまた孤独にするような真似だけは止めろ。こいつはもう十分に孤独で哀れだ。まだ足りないのか、そんなわけはない。〈記録〉にいるがゆえ、そこを護らなければならないゆえ、レフは死ぬことも許されずにただ漫然と日々を過ごす生き地獄に千年いたのだ。




 ヨシュアが立ち上がり、エリーに何か合図をした。エリーが応え、体内の魔力が一気に高まる。ユアンやラデル、ヴェルガードが構えた。しかし――


 レフが息を吐いた。それがもし目に見えるものならば、諦めが映っていたと思う。そして、唐突に激怒に染まった声音で、表情で、エリーだけを見て、宣告した。





「存在を否認――現時刻を持って否認する」





 詠唱ですらない、ただの言葉。その言葉はすべからく実行されるべき命令。それを受けて――







 ――空白。







 エリーが消えた。何も残さずに、ただぽっかりと、消えた。それはラシュカを助けたときに消失した、刀身に似ている。


 この世に何の波紋も残さず、影響もなく、ただ消える。多分今この大広間の重さを測っていたいたとしても、エリーが消える前と後、重みは変わらなかったのではないだろうか。そのくらいの、完璧な消失。



 レフの表情が空虚なものに戻った。アレンの頭に、ヨシュアの存在はもう無かった。レフがこんな顔をしていることの方が、ずっと遥かに重要だった。


「レフ……?」



 背後では残りの仲間がヨシュアを締め上げて、隣室の機巧人たちの存在を吐かせていた。ラシュカが扉に飛び付き、開ける。中からどっと歓声が上がった。ラシュカの髪の色を見て機巧人だと察し、事の次第を飲み込んだのだろう。


「……どう、した――?」

 アレンが一歩近付くと、レフは怯えたように二歩逃げた。


 怯えている――怯えている? おかしい。アレンはレフの味方のはずだ。アレンは説明を求めようとしているのに、言葉が出てこない。レフは視線さえ合わせない。心盤を抱き締めて――心盤にしがみついて、無言で震えている。


 寒いのだろうかと、アレンはぼんやりと思った。状況に頭が付いてこない。レフは寒さで震えているのではないと、明らかに分かるのに認められない。




「アレン! レフ!」

 アゼナが後ろから走って来た。

「みんな無事だった――中の人は。でも、ラシュカの家族はいないみたい……。あいつはユアンがさっさとやっちゃった」


 そこまで言って、輝くような笑みをレフに向ける。


「レフ! 無事で良かった――って、傷! ヴェルガードさんに治してもらう?」


 アゼナはごく自然にレフに近付いた。しかしレフはそれを、先程より大きく後退って避けた。アゼナも怪訝そうに足を止める。


「――レフ、どうしたの……? 変だよ」




 ラデルが宙に可動式の魔法陣を書いて、脱出した機巧人たちに、これを追っていくようにと指示する。自分たちが辿った道筋を記憶させているのだ。更にユアンが迷宮を走査していき、術者がいなくなったからには、罠の発動もないと結論した。ラシュカは悄然としているが、無理もないだろう。


 機巧人たちが出て行き始め、自分たちも行こうと促すために、皆が振り返った。レフが無事であったことに安堵し、どの顔にも緊張感はない。


 しかし、レフとアレンとアゼナの様子を見て、それも変わった。


「どうした?」

 ヴェルガードが訝しげに問うた。

「レフ、具合が悪いのか?」



 そして全員が近付く。極めて真っ当な反応に、レフが大きく身震いしてしゃがみ込んだ。



 アレンもアゼナもぎょっとして下がり、アレンは咄嗟に言っていた。


「来るな!」


 全員、足を止めた。





 脱出した機巧人たちは完全にいなくなっていた。大広間に沈黙が訪れる。レフがぴくりともしないので、アレンが呼吸を落ち着けてそっと言った。


「――レフ。傷の手当は自分でできるか?」


 レフは無反応だった。警戒するように全員を見ている。アレンは更に一歩下がって繰り返した。レフ、傷の手当は自分でできるか?

 レフは自分の手を見下ろし、すぐに視線を戻した。まるで、見張っていないと何かされるというように。そして、自分の前にこんなにも他人がいるのが苦痛で仕方がないというように顔を歪めた。


 おかしい。


 アレンは動揺を声に出さないようにしながら、努めて冷静に言った。

「レフ。もう大丈夫だから。だから――声は出せるか?」


 大きく、レフが息を吸った。そして、微かに声を出した。


「――行って」


 視線は警戒するような鋭さと、傷ついたかのような脆さを持って、間違いなく敵としてアレンたちを見ていた。


「え?」

 余りの意外な言葉に訊き返すと、レフの目元がぴくりと動いた。



「もうここにいないで早く行って!」


「だそうだ」

 アレンは他の者に言った。しかし、レフは声を高くした。

「あなたも!」

 アレンはレフに視線を戻した。眉を寄せる。半ばはレフを案じて。半ばはレフに苛立って。


「俺にも言ってたのか。おかしいな、使用者に対しては敬語を使うのが、機巧人(おまえたち)の暗黙の了解じゃなかったか?」


 レフは瞬きした。そして、まるでようやくアレンが誰かを意識したような顔をした。




 このときのレフにとって、傍にあるものは全てが敵だった――姉なら別だったけれど――。見られた、見られてしまったという凄まじい焦燥が身体を内側から焼いている。しかし、アレンたちは自分から距離を置いている。少しは――空間を共有しても良いのかも知れない。身体の内側に意識を向けた。




「【掃討波】を待機させています。わたしに近付いたら撃ちます」


 レフはそう言いながら、この青年の名前は何だっただろうと考えていた。頭が混乱し過ぎて思い出せない。




 アレンは言われたことに衝撃を受けて目を見開いた。やっとのことで視線を動かせば、他も自分とほぼ同じ状態。アゼナはアレンよりもひどく驚き、ものも言えないようだった。言葉を探すが、思考は空転する。こんなことを言われるのはおかしい――なぜそう思うのだろう――あ、レフのこんな怒った顔は久し振りだ――怒っていてもやっぱり、この少女は綺麗だ。


 やっと、何がおかしいのか思い当たった。しかしうまく言葉にまとめられず、やっと出した声は憮然としていてなおかつ不機嫌だった。


機巧人(おまえら)ってやっぱり約束は出来ないのか?」


 レフは眉を顰めてアレンを見た。アレンは自分に腹が立った。しかしもうまとめるのは不可能事だった。彼は意識していなかったものの、レフの言葉には彼の心臓を貫く威力があったのだ。


「ほら……近付いたら撃たれるんなら――あ、俺に害はないけど、後ろは仲間だし――、約束放棄だろ」


 レフはますます眉を寄せた。何のことを言っているのか分からない。焦燥感に駆られて心盤を握り、心の大部分を周囲の警戒に用いながら、レフの頭の奥の方はこの状況を抜け出し冷静さを取り戻すべくして働いていた。



 この青年は使用者。それは覚えている。名前は――、焦るあまりに固有名詞が出てこない。そして何か約束をしたと言っていた。思い出さなくては――さっきまでは覚えていた――。近付くと撃つ、というのが約束に抵触するのか。何だった、何だった――。



 苦痛は引いているのに怖くて堪らず、レフはまた少し震えた。周囲を警戒を込めて見る。全員、揃ってどうして驚いているのだろうとふと思った。



 レフの頭はまだ混乱しており、当たり前のことさえ咄嗟には分からなくなっていた。




「何でレフが凶暴になってるんだよ?」


 ユアンが言った、そのことが意図せずにレフの緊張の一部を解いた。まさか――彼らは――気付いていないのだろうか。


 少し落ち着きを取り戻す。彼はアレンだ。そして今話したのはユアン。それから――



(――約束します。わたしはあなたの隣にいます)



 思い出したレフは静かに息を吐いた。距離を詰めるのは危険だが、威嚇するほどではないと考える。


「……撤回します。撃ちはしません。けれど近付かないでください」


「治療は。自分で出来るか?」

 アレンが間髪入れずに訊き、レフは視線を彼らから動かさずに答えた。

「問題ありません」

 アレンは一瞬息を詰め、遠慮するような響きを伴う声で言った。

「――立てるか? 歩けるか?」


 その言葉が何を意味するかに気付き、レフは衝撃に身体を強張らせた。


 まだこの人たちと一緒にいなくてはならないのか。もう嫌だ。この――完全な弱みを見られ、中の何人かは気付いたかも知れない。それなのに、自分は北方の守護者(リノ・アイゼルト)だから、その任を全うしなくてはならない。


 吐き気がした。



 レフの顔色を見て、アレンは小さく言った。

「もう俺たちといるのは嫌か?」



 そんな言い方はしないでほしかった。傷付いたような声は出さないでほしい。レフは何も言えなかった。



 アレンは仲間を振り返り、尋ねた。

「レフ抜きでも何とかなると思うか?」


「厳しいだろう」

 ヴェルガードが言った。ラデルも頷く。

「確かに。ミリウィアのことを考えてみてよ。レフがいなかったら僕ら死んでるよ」

 他も頷いたが、アレンはレフを示した。

「あれに付いて来いって言えるか?」

 苦い息を吐いたのはユアンだ。

「何でか知らないが、俺たちのことを敵と思ってる。何されたのか知らないが、あの男もう一回殺しておきたい。――それにレフを行かせたことがそもそも悪かったんだ」

 全員が苦い顔をした。


 アレンが溜息を吐いて決を採った。

「挙手しろおまえら。まず一つ目、レフを置いて行く――〈記録〉に帰すってのは」

 ものの見事に手が挙がらない。アレンは間を置かずに続けた。

「二つ目、レフを連れて行くべきってのは」

 迷う様子を見せて、それでも手が挙がらない。アレンは思わずにやりとした。


「じゃあ三つ目だ。土下座でもなんでもして付いて来てもらうってのは」


 手が挙がった。この連帯感は奇跡であると、アレンは心から思った。振り返ってレフを見て、訊く。



「聞こえてたか」

 レフは頷いたが、僅かに下がっている。アレンは開き直って訊いた。


「何してほしい。俺たちは取り敢えず何でもすることに決まったからな」


 レフは動かなかった。アレンは周囲を見てから提案した。


「とにかく出ないか」



 辺りを見たレフは、罪悪感に心臓を掴まれたような顔をした。その目に映るのは自己嫌悪に近いもの。


 アレンは動揺して仲間を見渡したが、客観的に見ても最もレフのことを知っているのはアレンである。全員、アレンに任せると顔に書いてあった。アレンはどうして良いか分からず、レフに視線を戻した。こんなにも苦しめられて、何を申し訳なく思う必要がある。


「レフ……?」

 アレンは呼び掛けて、それでもレフが反応しないので近付こうとした。



 レフは劇的に動いた。跳ねるように立ち上がって距離を取り、追い詰められたかのような顔をしたのだ。アレンは呆然とした。次いで焦った。とんでもないことが起こったのだと身体で納得した。今何とかしなければ、永遠に解決しないだろうと思った。


 それはどうしても嫌だった。


「――レフ、訊いていいか。まず、何でそんなに怯えてる」


 レフは硬直していた。


「何で今、悪かったって顔したんだよ」


 レフは答えない。そのことがアレンを苛立たせた。


「答えろって。いつもみたいにちゃんと――」


 一瞬声が掠れたので咳払いする。


「――理の当然って顔して、偉そうに答えろよ」

 そんなおまえは嫌いじゃない。そう続けようとしたが、このまま話していたら感情が爆発しそうなので止めた。



 レフを助けに来て、そのレフに怯えられて、アレンが感じたのは怒りや失望ではなくて、まず何よりも寂しさだった。


 レフが息をした。顔色は未だに蒼白だったが、アレンの様子を見て、彼女の中の矛盾点に気付いたように瞳が泳ぐ。何かを考えている。そして、ゆっくりと息を吐いた。



「――わたしは……あの子を、あの子の存在を否認しました」


 レフがやっと言った。


「あの子はわたしの子孫だったのに、わたしはその存在を消しました。だからです」


 最初の質問は無視された形だったが、答えてくれたことに、アレンはまず安堵した。それからその返答を噛み砕き、慎重に問い返した。


「それも、アイゼルトの特権?」

 レフは顔を背けた。やっと、敵を見るようにしてアレンたちを見張るのを止めた。


「――はい。アイゼルトは機巧人とその造形物の存在を否認することが出来ます」


 ラシュカが目を剥いた。確かに機巧人にとっては胆の冷える話だろうが、レフ自身もこの特権を疎んじているようだった。


「あの子は苦しんでわたしに助けを求めたのに、わたしはそれを断って、今まで生きてきた彼女を否定した」


 レフは絞り出すように言った。泣くのではないかとアレンは思ったが、レフの目に涙の気配はない。そういった次元を超えて、突き抜けるように悲しいのだと分かった。



「悪かった」


 アレンは咄嗟に言っていた。


「ここに来させて悪かった」


 レフは訝しげに顔をアレンに向けた。そして、何か信じ難いことを思い付いたかのように目を見開いてから、アレンから他へと視線を移した。何を言うのかとアレンたちは身構えたが、レフは疑念の滲む声で訊いた。


「……あなた方は――わたしに害意を持っていない?」


 アゼナが座り込んだ。ラデルとユアンは眩暈を覚えたかのように額を押さえ、アレンとヴェルガードとラシュカは顔を見合わせた。数秒が経過し、ラデルが呻いた。


「――根本のそこから誤解されてたんだな……」


 珍しくアゼナが力ない声を出した。

「……持つわけないじゃん、そんなの……」



 レフは眉根を寄せ、一同が何に対してこんな反応を示しているのかを理解しようとした。



「Snn/nHzHNinDkd...」



 無意識に母語が口から洩れた。そんなはずはないのだけど、と。反応したのは勿論アレンだけだった。


「何でだよ」

 思い切り睨み付けると、レフは警戒心を持ってそれを見返した。今の言葉を話すのが面倒になって、幼い頃に話していた言葉を話す。


「AntGtH//UsWTsitMN/nntmNiKr」



「何て言ってる?」

 ユアンが訊いたので、アレンは答えた。


「俺たちは嘘を吐いても何ともないから、信じられねえんだと」

 アレンはレフに向き直った。

「絶対に害になることはしない。誓って言える」


 レフはますます心盤を強く抱き、一歩下がった。アレンは眩暈がして、レフに聴かせることを目的として、思わず音量を上げた。




「N/nnDOmeHS`GnnkN/nnd!?」




 耳に声が入ってきて、レフにしか分からない言語を喋っていると分かった。アレンは思わず、周囲に向かって自分で翻訳した。


「今俺、何でおまえはそう頑固なんだ、って言った」


 人間用の言葉に戻さなくては、と思ったところで、レフが一歩踏み出した。


「その言葉で誓ってください。そうすれば信じられます」


 アレンはその提案に飛び付いた。

「まじで!?」

 レフはアレンの勢いに二歩下がった。

「わたしたちの言葉はそれ自体が力のある韻律ですから、人間には負担が大きい。その言葉で嘘を吐くと命取りです」


 要するに、アレンを殺すほどに追い詰めていなくては安心できないらしい。しかしそれでもアレンは嬉しかった。いつものように偉そうではなく、むしろ必死の色の濃い声ではあったが、理の当然というように説明する声は、いつものレフに近かった。アレンは躊躇いなく言い切った。



「OmeWZttiKzTskNi. OrM//OrN/Nkm/M」

 ――おまえを絶対傷つけない。俺も、俺の仲間も



 レフはそれを聞いて、しばらく動かなかった。それから息を吸い込んで、再びそこにしゃがみ込んだ。長く溜息を吐いて、ようやく身体の力を抜いた。


 痛々しかったが、少し安心できる姿だった。



「何で、怖がってる」

 アレンが訊いた。レフが俯いた。心盤を抱く手に力が籠り、関節が白く浮き上がる。

「何されたんだ」


 この訊き方で、レフはびくりと跳び上がった。しかしここで訊かなくては、また同じことが繰り返されそうで怖かった。これがレフの弱点なのだとしたら、守ってやらなくてはならない。




 レフが一人になると、何か問題がある(・・・・・・・)ということだから。




 アレンはレフを注意深く見て、彼女のこれまでの様子を思い返した。そうすると、推測はすぐに脳裏に浮かび上がってくる。――今までの、異常なまでの警戒心や、無事を確かめる頻度など、全てに説明がつく。


「何か――心盤に関したことか?」


 レフはアレンを見て、引き下がる気がないことを読み取った。それから、彼女の母語で呟いた。



「-RUSHKA-W StNDshtKdsi. ?PRECISEHUMAN-NShr/r/rKtH//TeGti」

 ラシュカを外に出してください。機巧人に知られることは耐え難い、と。



 アレンは一瞬の躊躇いもなくラシュカに言っていた。

「ラシュカ、悪いが離れてくれ。レフは機巧人には強がっていたいらしい」


「はい」

 ラシュカも躊躇わずに答え、離れていく。更にユアンが気を遣い、ラシュカに声が伝わらないよう細工した。



 レフは覚悟を決める顔だった。アレンがもう一度、彼女たちの言葉で害意はないと念を押して、彼女はようやく口を開いた。



「――わたしは」

 レフは心盤を抱く手に力を込めて、俯いた。今までで最も弱々しい姿だった。そして、血を吐くようにして言った。



「わたしは、欠陥品です」




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