裏切り
レフは辺りを見回した。大きな、何の変哲もない長方形の建物が目の前に横たわっている。〈記録〉くらいの大きさはありそうだとレフは思った。
あの後、レフはすぐに連れ出され、用意された馬車でここに来たのだが、無詠唱の転移で来た方が早かったと思う。馬車で走ったのも、ほんの一時半ほどだった。
「ここで、何をすればいいの?」
レフは振り返り、従者にと与えられた男を振り返って訊いた。男は目を逸らす。馬車に一緒に乗っているときも一度も目を合わせてはくれなかった。いつも一緒にいる人々は目を合わせてくれているので、この反応には困惑せざるを得ない。
「――私は、中に入ってほしいとしか」
男は言い、ちらりとレフを見て急速に頬を赤らめながら慌てて言った。
「も、勿論、お供仕ります」
レフは興味もなく頷いた。中に何があるのかは分からないが、侯は――あの機巧人を迫害した身の程知らずは――出発間際に行けば分かると言っていた。アレンと何を話したか知らないが、アレンが了承したのだからそれほど怪しげな話ではないのだろう。
アレンがレフの能力を信じて判断を放棄したことに、レフは気付かなかったし、レフが自分の判断を重んじていることを、アレンは知らなかった。
レフは足を踏み出した。
建物の入り口は広く、玄関広間は吹き抜けになっている。しかし問題は、そこに足を踏み入れても、何をすれば良いか全く閃かない点である。中を探索すれば分かるかも知れない、とレフは考えた。しかしレフは、そうまでして侯の依頼を全うしたいとは思っていない。ラシュカを守れるかが不安材料だが。
レフは身体ごと振り返った。
「戻るわ。何をしていいのか分からないのだし」
従者を始め供の者たちは皆、怪訝そうにした。
「しかし、侯は」
「わたしはあの人に従う理由を持っていない」
レフは言い切ったが、唐突に出口が見えなくなったのには驚いた。レフの表情を見て振り返った他の者たちが、口々に狼狽の声を漏らす。レフは眉を寄せる。
アイゼルトであるレフの感覚に干渉するのは事実上不可能。可能なのは他のアイゼルトのみだが、彼女たちならこんなことをせずに、堂々と会いに来る――会いに来てくれるはずだ。
レフは奥へと目を向ける。内部は明るかったが、よく奥まで見通せない。レフは心中で唱えた。
(+【走査】+)
一瞬後、レフはこの空間の、取り敢えずは次の間までくらいの、非常に限られた距離ではあるが、情報を把握した。
中は迷宮になっている。
レフは無表情で振り返り、扉があったはずの場所も走査した。そこに扉は――穴の類はない。恐らく扉を隔離したのだと思われた。転移しようとしたが、この建物を誰かが結界で覆ったらしく、空間序列の法則で、レフは転移が出来ない。
腹が立ってきた。
レフは殆ど無意識に鋭利を行使しようとしたが、その一瞬に小さな声を聞いた。
「ね……銀色でしょ?」
レフはもう一度、建物の奥へと振り返った。そこに一人の少女が立っていた。
艶やかな赤茶色の髪は背中まで垂れ、琥珀色の目でレフを見ている。普通の町娘の格好をしており、年齢は十七か八。腕に五、六歳の幼女を抱いて、金髪のその子に言った科白が、今のものであるらしかった。
レフは彼女を見て少し目元を緩めた。彼女もその腕の子も、第一世代の機巧人だったからだ。しかも少女の方は、レフ自身の子孫に当たる。
幼女が透き通った灰色の目でレフを見た。大きなその目が、涙でいっぱいだった。
「……リノ・アイゼルト……?」
幼女は呟き、レフは頷いた。少女はレフに微笑みかけた。
「機巧人が奥に沢山おりますの。行きます?」
レフは反射的に一歩を踏み出し掛けたが、戸惑って立ち止まった。言葉では言えない、非常に微妙な感覚だったが、彼女の中に感じる心盤に違和感を覚えたのだ。決して嫌なものではなかったが、それでも訊いていた。
「あなた、心盤に何かした?」
少女は首を傾げ、破顔した。
「分かる? わたしが使用者設定してるの」
「…………」
あっけらかんと暴露され、レフは沈黙した。アイゼルトではない機巧人が使用者設定を行った場合、使用者は機巧人の魔力を行使する権利を得る。アイゼルトとしての力は、アイゼルトの中で優先順位が高いため、アイゼルトでは使用者が得る権利はアイゼルトとしての力を行使するものなのだ。
そういった使用者設定は確かに機巧人にとっても屈辱だが、人間の側からすると、冗談ではない危険を孕む。そのことを、成り行き上レフはアレンに黙っていた。アリーに暴露されそうになったときは焦ったが、アレンがいざ知るとどうなるかは敢えて考えていない。
「わたし、エリーといいます。使用者はヨシュア。会います?」
レフが返答しないうちに、彼女――エリーは、腕の中の幼女をあやすような仕草で抱き直した。
「大丈夫だからね、あの人が助けてくれるからね」
レフは首を傾げたが、それは否定のためではない。
むしろレフは、求められれば、機巧人のためならば、腕の一本を落とせと言われても快諾するだろう。姉たちもそうしただろう。彼女は彼女と姉の子孫である機巧人のためならば、本当に何でも差し出すだろう。
このとき首を傾げたのは、疑問のせい。
なぜ、彼女は今まさに幼女が危機に陥っているというような言い方をするのだろう?
そんなはずはない。
だって今その幼女は彼女が愛情を込めて創り、信頼して疑わない、中の一人には究極の秘密さえ打ち明けた、そんな大切な者たちの子孫の腕の中にいるのだから。
レフがそうしている間に、エリーは彼女の脇の、従者たちに目をやった。彼女が魔力を行使するのが分かったが、レフは無反応だった。
悲鳴が上がった。
レフがそちらを見ると、従者が首を掻き切られて絶命し、倒れて行くところだった。恐らくは空気を刃として使ったのだろうが、レフは眉を寄せてエリーを見た。
「どうしたの? この人が何かした?」
「ううん」
エリーはにっこりと笑った。
「リノ・アイゼルト、来てください、こっちに。来てくれますよね、だってわたしたち、今かなり多くの機巧人の命を握ってますもの」
レフは混乱して顔を顰めた。エリーは続いて残りの供の者たちに言う。
「おまえたちは逃げればいいわ。出口はどこかよ、さあ行きなさい。まあ無事に辿り着ける保証はないけどね」
レフに向き直って。
「来てください。でないとこんなことした理由がどこかに行っちゃうじゃないですか。来てください。機巧人が沢山いるんですってば」
レフはぽかんとしてエリーを見た。それからすっと足を踏み出して彼女に寄って行ったが、彼女はレフが来ると見るや背を向けた。中に入って行く。レフも続いた。
中は本当に迷宮だった。その中をエリーは先へ先へと進み、レフはそれに付いて行く。
彼女はどうやらレフを中心部へと導こうとしているらしい。レフは相変わらず情動に乏しい顔でそれに付いて行き、やがて中心に辿り着いた。
エリーは幼女を抱いたまま、魔力でもってそこの床を持ち上げた。そもそもが開くようになっている、上げ蓋だ。両手が塞がっているために魔力を使ったのだろう。
「入って?」
言われて、素直にレフは中に入った。急な階段が続いている。後からエリーが付いて来るのが分かった。
階段を下りきったところで、前後をもう一度入れ替わる。エリーは直進し、石造りの壁と床、天井が延々と続くかと思われたとき、視界が開けた。そこはさながら大広間。彼女たちが大広間に入ると同時に、背後の壁が動いて出口を塞いだ。
「すごいでしょ? わたしが作ったんですよ」
エリーが言った。迷宮もこの地下も、全て彼女が作ったのだろう。レフは辺りを見回し、エリーの目を見て答えた。
「すごい」
ただ疑問なのは、大広間には機巧人は誰一人いないという点だ。ただ、人間の、三十路に近い男が立っているのみ。彼がヨシュアだろう。
いや、近くにはいる。レフはそれを感じていた。恐らく、左側に。そちらに扉があった。
「結界を解除するけど、いいですか?」
エリーが訊いて、ヨシュアが答えた。
「ああ、構わない。――それにしても、本当に来たんだな」
「当たり前じゃないですか」
ヨシュアの声は感嘆しているようでも呆れているようでもあり、エリーを見て彼はにこりと笑った。
「そうだな。疑ったことはない」
エリーも笑い返し、それから幼女を下ろし、笑顔を消して言った。
「元の部屋に戻ってて」
幼女は従い、とことこと大広間を抜けて、レフの左手にある扉を開いてその向こうへと消えた。レフはそれを見届けた後、エリーに視線を戻して、不思議そうに訊いた。
「どういうこと?」
「こういうこと」
言うや、エリーは両手を差し出した。
「機巧人、見捨てられませんよね? わたしたちに協力してください。町ごとでいいじゃないですか、何で機巧兵をぱっとやっつけちゃわないんですか。出来るんですよね? 何で今の人を惜しんで禍根を残そうとするんですか」
レフは眉を寄せた。
「わたしは、北方の守護者だから」
「だからそんなの踏み倒しちゃってください。わたしだってこんなの嫌です。でも機巧兵のせいでわたしたちが苦しめられてるんです。あんな侯爵クソですよ。でも利用してやらなきゃいつまでもわたしたち、やられたままです。単体だったらこっちの方が強いのに、何で数で負けててこんな目に遭うんですか。ヨシュアは分かってくれました。あなたも分かってくれますよね?」
「分かる」
レフは答えて、ヨシュアに目を遣った。ヨシュアの目を見るに、彼がエリーを大切にしてくれていることは確かなようだ、と思う。彼を使用者にしたエリーの真意をレフは疑った。そうしながら、レフはエリーに目を戻した。
「でもどうして、同族を人質に?」
「あなたが言うことを聞いてくれなかったときのためです」
エリーは目を逸らして言った。レフは首を傾げる。
「褒められた手ではないけれど。それと、町ごと破壊するのは駄目みたい」
エリーはレフに目を戻し、目を見開いた。
「――何で、ですか。わたし、あなたなら出来るって信じたんですよ?」
レフはゆっくりと首を振った。
「そうかも知れない。けれどわたしは三千年間、あなたたちを想ってきた」
比べれば、想いの軽さは明らかだ。
「ごめんね、色んな事情があるの。でもきっと機巧兵はいなくなる。差別もなくなる。だからそれまで待って」
エリーは顔を伏せ、しかしすぐにまた上げた。顔つきが変わっていた。必死と言ってもまだ温い、そんな顔だった。
「――だったら機巧人は殺せませんよね。隣の部屋の機巧人を犠牲にしたくなかったら、言うことを聞いてください」
彼女は両手を差し出したまま詰め寄った。
「いいです、無理やりでもやってもらいます。だから――」
レフは嫌な予感を覚えた。この一千年間で初めて臆病になったと言ってもいい。この、自分の娘のような存在が、自分のことを全く考えていないことが空しく、何を言われるかを半ば予想し、言わないでくれと祈った。
そのことを言われるということは、彼女が、信頼した娘の子孫に裏切られるということだから。想ったことを踏み躙られるということだから。
エリーは低く言った。
「――心盤、ください」
裏切りは確定した。レフは目を閉じた。




